木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

左派復権への課題

2012年09月14日 | Weblog

自・民代表選のむなしさ。
名乗りを上げている面々の顔を正視する気になれない。
それはこの両党が99パーセントの国民と乖離している存在で、見るべきもの何もなしと、私が感じているからだが。
では「維新」でいいのかというと、こちらに集まる面々は更なるゴミ集団。マスコミ(テレビ)が持ち上げ、話題にするから何かあるのかと錯覚させる。
こんな時代にこそ「左派連合」ができなければいけないのだが。
今、左翼は60代より下の世代に極端に嫌われているらしい。メディアで発言力のある人も左翼だと思われたくないのだという。では右翼がいいのかというと「いや、自分は右でも左でもない。脱イデオロギーの立場だ」と言うのだとか。
原発事故に関しても「自分は反原発でもないし、推進でもない立場だ」と前置きして話を進めるジャーナリストもどきがいたが、「そんな馬鹿な話はないだろう。これだけの事故が起こって、原発やめるのか、それでも続けると言い張るのか、どちらかしかないだろう。ましてやジャーナリストならなおのこと自分の立場を明らかにすべきでは」と、私は思ったけど。
私は田舎に住んでいて、それほどいろんな人達、とりわけ自分より若い人と接触する生活ではないので、社共に代表されるような左派が弱体化していることは承知していたが、人々にそれほど嫌悪されているとは思わなかった。
私が若かった40年程前は、大学生でノンポリという政治に関心がないという人はいたけど、党派はさまざまでも圧倒的にみな左翼的で、右翼的な考えの持ち主は体育会か応援団か、とにかくあんまり頭がよくなくて、単純で、人に号令したがるか、してもらいたいか、どちらかの変わり者に思われていたけど。
今は普通の人も竹島や尖閣、北朝鮮拉致問題で、右翼の扇動者(石原とか橋下とか)に同調している。
連合赤軍事件で新左翼が落城し、ソ連邦と東欧の社会主義体制の崩壊で、社共の主張も力を失った。
そこから信頼を回復する流れになかなかなっていないが、現実はいまこそ社共の主張する政策を実現しなければますます99パーセントが暗い、苦しい状態に押し込まれていく状況だ。
信頼を回復するにはどうすればいいのか。
例えば原発に関して、共産党は福島事故前は「安全性を確保した上での原子力平和利用」という政策だったと思う。
事故後の社民党福島党首と志位委員長の対談でも志位氏は「原子力研究をすすめて、克服すべきは克服して」という主張をしていて、「えっー、まだそんなこと言ってる」と驚いた。
その後、原発反対・廃炉に方針は変わったようだが、今までのあいまいな方針への明確な反省はあったのかどうか。
都合が悪くなると何となく方針を変える「ご都合主義」はこの世の常だが、今までの自公、民主の政治をを厳しく批判し、国民のための政治をと主張しているだけに、こういう体質が国民を失望させるのだろう。
共産党は次の総選挙では全選挙区に候補者を立てるとしている。その心意気はいい。ますます右翼と財界に特化している自民党と国民を裏切った民主党と、後は維新というのでは選択肢がなさすぎる。
しかし候補者が選挙民を引き付けられるかどうかは、党の政策以上に候補者自身の資質にかかっている。
党の政策から一字一句踏み外さないようにと、どこの選挙区でも同じような訴え方をするのはどうなのか。
政策の大枠を「原発廃炉」、「TPP反対」、「消費増税反対」「オスプレイ配備反対」として、訴え方の内容はそれぞれの選対と候補者にまかせ、不都合があればその時点で改善すればいいのではないかと思う。
こういう場合こそご都合主義を発揮すればいいのに。
社民党の場合は共産党に比べればはるかに柔軟な気がするが、柔軟すぎて芯がなくなり守旧派に引っ張られてしまうのが永遠の弱点か。

コメント
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