木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

住む街、人の街へ

2009年10月16日 | Weblog
地方都市の行く道。
もう10年以上前から、市の中心部に商業ビルを作って、集客の核にしようという考え方はやめたほうがいいと思っていた。
それよりも市の中心部を人の住む場所に戻すことを考えるべきだと。
それも高層のマンションではなく、集合住宅であっても低層のテラスハウスのような感じのものはどうだろうかと。
そこには高齢者や市街地で働く人が住んで、住んでいる人がその町で消費する商店街があればいいのではとも。
「コンパクトシティー」という考え方があって、これには賛否両論あるが、強制ではなく、これからどこへ住まえばよいかと考える高齢者や働く人たちに、良質で高すぎない住宅を提供する、そういうことを自治体も民間と協力してやっていけばと思う。
そうすれば、建設業の人達に無駄な「箱物」を作らせる必要もなくなる。
メンテナンスも必要になってくるだろうし、ドーンと大きな儲けは望めないかもしれないが、「生活していければいいのでは」と、私などは考えるけど。
ちょっとした空き地には植栽をして、そうすればその緑を保つ仕事がある。長野市は街の中に緑が少なすぎる。
並木やフラワーポットだけじゃなくて、もう少し規模の大きい緑がほしい。
公共交通も今あるものをできるだけ利用していく考え方でいきたい。
長野市街地を「ぐるりん号」というコンパクトなバスが走っていて、私も時々利用する。これくらいの小型バスが、昼間の市中を走るには合っているかなと思う。
郊外では予約制と組み合わせたより柔軟な「デマンド交通」を考えていかなければならないだろう。タクシー会社の生きる道ではないだろうか。
最近、私の住む町の鉄道の駅のプラットホームに待合室ができた。
しかし待合室よりエレベーターのほうがみんな欲しかったのでは。
プラットホームで長く待つという行動を人はしない。
駅自体に待合室があるので、そこでみな待つ。無駄なものを作った気がするが。
きっとエレベーターの設置のほうがお金もかかり、維持費もいるだろう。だからといって、プラットホームの待合室はエレベーターの代わりにはとてもならない。

コメント
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