先週の松岡農水大臣の自殺にはびっくり。
事務所の水光熱費問題で追及されても「適切に処理している」を繰り返すだけの姿勢を見て、「地位にしがみつく、しぶとい人なのか」という印象だったが、実は「辞めたいのに、辞めさせてもらえない」状態だったの報道もあり、そういえば、誰の目にも説明になっていない言い訳をくりかえしていたのは、さすがに本人も苦しかったというわけか。
緑資源の談合疑惑にも関わっていたということであり、政治生命が絶たれる前に自身の命を絶ってしまった。
こうして見ると、松岡さんのお友達鈴木宗男氏の「何と打たれ強いことか」。
この違いはなんだろうか。
鈴木氏は、政治家になる前から、打たれていた。それにくらべて、松岡氏は、阿蘇の農家の息子とはいえ、県下きっての進学校を出て、国立大農学部を経て、林野庁の職員になった官僚出身で、政治家にならなければ、打たれることはなく人生を過せた人だ。
最初から志がなかったわけではないだろうが、自民党から選挙に出たことで、選挙当選の「お返し」のために動く「利益誘導」の政治家の宿命を負ってしまった。
地盤もなく、お金もない野心家の官僚が政治の世界に打って出る「常道」を松岡氏もひたすらにいくことになった。それをしなければ、「即落選」の運命が待っていたわけだ。
自民党の殆どの国会議員にとって、地元で先生と呼ばれ、国会で大臣と呼ばれることが政治家としての目的のように思われるが、それを手に入れたとたんに「自死」とは・・・。
さてここからが鈴木氏と松岡氏の違いだが。
庶民の農家の子として生まれながら、支配権力に近づき、支配層の一員(といってもまだ正会員ではなく、準会員どまり)に加えられたところで、はじき落とされた二人。
松岡氏ややはり自殺した森林資源公団の元理事は、支配層に捨てられかけても、支配層に忠誠を誓って、命を差し出したが、鈴木氏は違った。
胃がんを克服してまさに「不死鳥」としてよみがえった。
支配権力にとって、こういう人は厄介だ。松岡氏のように素直に死を選んでくれる人は便利だが。
鈴木氏は一筋縄の人ではない。また支配層中枢に擦り寄ったりすることもあるかもしれないが、そういう人だから蘇ったりもするのだろう。