東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

させて頂ける幸せ

2012-06-15 | 人生の気づき
幸せは、次の三つに分かれる。
してもらえる幸せ
出来る幸せ
させて頂ける幸せ

幼い時は、「してもらえる幸せ」をタップリ味わうときだが、人生も折り返し点をすぎれば、「させて頂ける幸せ」を求めたい。その意味では、色々な団体のお世話役をさせて頂いていることから、「させて頂ける幸せ」を感じなければならないのだが、つい愚痴が出てしまう。自分の仕事が出来ないという愚痴だが、これは反省しなければならない。

「幸せ感を感じないで愚痴を言うとは何事か」と、自分に対する戒めである。昨日、一般社団法人愛媛県中小企業診断士協会の設立総会と記念式典を終えての感想である。やっと終わった・・・。


トップだよ

2012-06-14 | 初体験の気づき
「気づき」と検索キーワードを入れると、トップページに、このブログの「東矢憲二の気づき経営」が登場する。グーもグーグルもヤフーも全て、トップページに現れる。以前は、2ページ目以降にしか登場しなかったが、ブログを立ち上げて4年を経過し、アクセス数も増えてきたためだろう。

試験にしろ仕事の成績にしろ、上位に躍進するのは心地良い。これを励みに、ブログのアップもさらに精進しなければ。

失敗を活かす

2012-06-13 | 人生の気づき
取り返しのつかない間違いの怖さを考えたとき、一つは、彫刻掘りの例が頭に浮かぶ。彫刻で、間違ったところを削ってしまえば、もう元に戻れない。とすれば、その間違いを生かして作品をつくり上げるしかない。間違えて「ああ、もうだめだ」と諦めるのではなく、間違いの味を生かそうと思う方が良い。

削りすぎた部分を味に変えてしまえば、意外と立派な彫刻が出来上がる。よい作品には味があるが、その味は、失敗や間違いから生まれたものが多い。私は、ブログを書いているとき、漢字変換を間違えてしまうことがある。でも、そこから良い作品が出来ることもあるから楽しい。

人間としても、自分の短所を治すことに力を尽くすよりも、長所をもっと伸ばす方に努力する方が良い。その短所がその人の味わいになれば、しめたものだ。立派過ぎる人はけむたがられるが、その欠点があるがために、人間らしくなるとすれば、その欠点は必需品になる。

出会わない縁

2012-06-12 | 人生の気づき
先日の通り魔事件は、多くの人がショックを受けている。たまたま出かけたイベントで通り魔に襲われるとは、不運の極まりとも言える。避ける方法は無いのか。そこで思いつくのが、「出会う縁」と「出会わない縁」。縁というと、通常は、誰と出会うか、いつ出会うかといった「出会う縁」を考えるが、「出会わない縁」も非常に重要だ。

では、出会わないためにはどのようにすればよいか。一つの解決法は、自分という人間をブラッシュアップして、事故に出会わない波長をもつこと。何をブラッシュアップするかといえば、人間性が第一であり、第二が「第六感」である。

人間は、何かしているとき、ふと予感めいたものを感じることがある。この第六感は、古来、人間が有していた力だ。しかし、文明の発達と共に、文明の力に頼ることによって、第六感を大切にしなくなり、その力が消えていった。

したがって、ふと感じる第六感を大切に記憶に残し、その対応結果をチェックすることによって、第六感を伸ばさなければならない。第六感の存在を意識し、その力を伸ばそうと宿題にしていると、徐々にパワーアップしてくるはずだ。

朝が収穫時

2012-06-11 | 経営の気づき
考える仕事とか難しい仕事はいつすべきかと言えば、午前中だろうか。遅くても10時までには、難易度の高いレベルの仕事を仕上げておくべきだ。本来は、早朝が良いのだろうが、職場がまだオープンしていないとすれば、10時までに、智慧が求められる仕事に従事すべきかも知れない。

朝は、前向きに考えられるし、しかも、悪事ではなく良いことを考える傾向がある。朝から悪い企みをするのは、その道のプロしかいないだろう。それに反して、夜は、ついつい悪いことを考えてしまう。とすれば、朝の時間帯に、どの仕事をするかが非常に重要だ。

カバー論議

2012-06-10 | 雑談
新しい畳が入ると、目を癒すだけでなく、心地良いイグサの香が、家の住人の心を和ましてくれる。日本に生まれてよかったと感じるのはこういうときだ。しかし、この心地良い畳の新鮮さを長く保ちたいとの欲から、2年前、私と家内の意見が対立した。

家内は、新しいうちに、絨毯かカーペットを敷いて、その新しさを長持ちさせたいと言う。私は、その反対だ。新しいうちは、畳をむき出しにして、少なくても絨毯やカーペットを敷くのは、傷みを感じ始めてからで良いと考えた。

調べてみると、絨毯やカーペットを敷くと、ノミやダニの温床となり、長持ちさせるためには敷かない方が良いらしい。ということは、どちらかと言えば、私の勝ちである。

我々現代人は、何でもかんでも、カバーをつけてしまう傾向がある。そのカバーの装飾自体を楽しむのであれば別だが、カバーで覆ってしまうと、元の本体が隠れてしまうことも認識すべきだ。例えば、頭のてっぺんにまでカバーというか、かつらをかぶる人もいるが、私は好きではない。ハゲはハゲのままでよい。

自然素材をもっと大切にして欲しいという「カバー論議」は変なところに着地してしまった。


感情の消化法

2012-06-09 | 私流
社会生活において、円滑に人間関係を送ろうとすれば、自分の感情をおおっぴらに表現しづらいものだ。怒っていても我慢し、悲しくても我慢し、憤りを感じても何も言えない。思ったままにストレートに表現すると、特に職場では、人間関係が崩れる恐れがある。

しかし、思いを素直に出せずに我慢すると、身体を強張らせてしまう。感情を表現せずに抑えることに慣れてしまった人は、身体のどこかに固い筋肉の塊がある。その塊は、感情の固まりでもある。この筋肉の塊が、身体の歪みや不調の原因にもなる。

したがって、抑圧された自分の心を感じる人は、日記やブログを書くことをお勧めする。その日起こったことをただ書くのでなく、自分の気持ちとして思ったことや感じたことを、付け加えるとよい。別に上手く書く必要はない。

日記に、思ったことや感じたことを書くと、自分を客観的にみることができる。自分がこんなことを思っていた、と自分で認識することで感情の消化が行われる。私のこれまでの体験として、精神衛生のためにも、是非お勧めしたい。

意識は変わらないことを前提化すると

2012-06-08 | 経営の気づき
「意識改革」という言葉がよく使われる。また、我々のコンサルティング業界では、日常的に、意識改革の研修を開催している。しかし、人の意識はそんなに簡単には変わらない。

特に、外部からの働きかけや押しつけで、短期間で意識変革ができるとは絶対に思わない。だいたい、何を見て意識が変わった事を判定するのだろうか。多分、業績の変容を見て、意識変革を推定するのだろう。

私の方法は簡単だ。理屈は分からなくても良いから、行動そのものを変えてもらう。例えば、3ヶ月先行管理とかいった手法を導入してもらって、仕事の進め方そのものを変えてもらうと、何かに気づく。その時に、意見交換すると、考え方そのものが変わる。

行動を先ず変えることが、意識改革につながるということだ。

月曜経営クラブ

2012-06-07 | 経営の気づき
経営塾として好評を得ている火曜経営クラブ。その参加者から、「別の視点から助言をもらって、非常に参考になります」と評価を得ている。それであれば、月曜経営クラブも設置して参加者を募集しようということになった。すると、その募集を見て、大学生が、経営者ではないけど、経営を学びたい我々向けの講座も開いて欲しいとの要望が出された。

私は、「3名以上集まれば講座を開設するので、仲間を募ってごらん」と返答した。大学生が、自分から勉強の場を作って欲しいという申し出は、非常に嬉しい。このような経緯があるものだから、いずれは、月曜日から金曜日までの経営クラブのラインアップをつくりたい。

月曜日と火曜日が経営者向け。水木金曜日は、ビジネスマンと大学生。そして、年に一回は、合同の飲み会を開きたい。私の小さな夢が、また一つ増えた。


後れをとるな

2012-06-06 | 私流
人様から何かを戴くときには、我こそはと人を押しのけてはいけない。分相応を超えて戴いてもいけない。しかし、世のため人のためにことをなすときは、人を押しのけてもよい。即ち、後れをとっはならないということだ。

他人を押しのけて良いときと押しのけては悪いときを諭すこの教え、さすが中国の古典「菜根譚」(さいこんたん)ですね。

私もこの教えを習って、酒を戴くときは控えめに、酒をお注ぎするときは勢いよく・・・しかし、私の場合、ちょっと勘違いしている節もある。笑

平和への第一歩

2012-06-05 | 雑談
人と人とが対立して争う原因は、お互いの価値観に執着しているから。「自分は正しい。相手が間違っている」とお互いが思い、火花をちらすことになる。国と国との戦争も同じ。「こちらが正しい」という価値観にしがみついているから「相手が間違っている」という非難へと変わる。

しかし、「もしかしたら、自分は間違っているのではないか」という謙虚な心を持ち、相手の考え方を吸収すれば、対立がなくなる。少なくても、過度の争いに至らないだろう。そのとき、対する人に「愛情」をもてれば、対立が減少する。私とあなたは一つという考え方になれれば、対立感もなくなる。

したがって、「価値観」よりも「愛」を重んじることが、争いの無い平和の世界つくるコツだ。言葉で語る世界は簡単だが、家庭内の平和を保つことさえ難しいのだから、大きな世界はなおさら厳しい。せめて我が家を平和に保つのが、小さな第一歩か。

可能な世界を見つめる

2012-06-04 | 経営の気づき
出来ないことばかりを見ていると、心が小さくせまくなる。「あれもできない、これもできない」なんて言っていると、劣等感にさいなまれる。したがって、出来ないことに目を向けないで、自分の出来ることを数える方が良い。

私は、酒を飲める、サックスも少し吹ける、英語でジャズを歌える、経営者に対して専門的な助言が出来る、夜の店の情報は詳しい等々、出来ることを挙げれば、自分が頼もしくなる。

「不可能」を見るのではなく「可能」を見るくせをつけるべきだ。人間は、楽観的な方が、落ち込むタイプよりも良いはず。

自己紹介の工夫

2012-06-03 | 私流
自己紹介と言えば、本来は、互いに知らない者、初対面において行う。しかし、私が客人にて、その他の人はお互いによく知っている場合、自己紹介に工夫が必要だ。要するに、知り合い同志でも、知らない一面を紹介しあう自己紹介が必要だろう。

先日の新居浜市倫理法人会の懇親会では、飲んだ勢いで、つい私が仕切ってしまった。それぞれの方を知りたいという想いから、自己紹介をお願いした。でも、簡単な仕掛けを施した。「酒の失敗体験談をもとに自己紹介を組み立ててください」とお願いした。

想像通り、大いに盛り上がった。中には、「他の人には知られたくない、ここだけの話ですが」と切り出す。爆笑連続のこの自己紹介は大成功だった。やはり、何事も工夫が必要だ。

さすがシティー・ホテル

2012-06-02 | 初体験の気づき
翌日のモーニングセミナーを前に、現地の方たちから懇親会を開いて頂いた。楽しく盛り上がった会だが、なんと、私の両横の方は、すごい酒量の方だ。飲むスピードが相当に早く、紹興酒のグラスをあき干す前に、次々に速攻でついで頂く。ノンベェーの私だから、嬉しいはずだが少しピッチが早かった。

と言いながらも、ホテルに帰っても部屋に入らず、一人でバーに訪れるとは、先ほどの説明とは逆行するかも。ここが、ノンベェーの所以だ。そして、そのバーで初めての体験をした。それは、作ってもらったカクテルを捨てるという光景の出会いだ。

経緯は、次のとおり。二人いたバーテンダーさんのうち一人は、まだ新米のほやほや。自分で作れるカクテルも12種類と少ない。そこで、その方を育ててあげようという親切心から、あえて、その新米さんに、ギムレットを頼んだ。出来上がりのギムレットを見て、先輩が笑っている。

「何故笑っているの」と尋ねると、彼は「ギムレット用のグラスではないのです」と答えた。私は別に構わないと言ったが、先輩は許さない。その失敗作を捨てさせ、新しいグラスを用いてギムレットを作らせた。さすが、本物のサービスを提供するホテルは違うね。

私自身、もったいないという気持ちよりも、ありがたいという気持ちが勝ったのには、驚いた。やはり、本物を味わいたいのが実感なのか。リーガ・ロイヤルさん、ありがとう。

不思議な光景

2012-06-01 | 人生の気づき
先日、仕事でフィットネスを訪れたとき、不思議な光景を目にした。体を動かしに来ているはずのフィットネスで、エレベーターを使っている人がいた。おかしな話だ。

体を動かすために高いお金を払って来ているのに、階段を使わずエレベーターを使っている。どういうことか。「なかなか体を動かす機会がなくて」という理由からフィットネスに通う人が多いのだろうが、こういう人に限ってエレベーターやエスカレーターを好んで使っている。

世の中は、本末転倒の光景は、結構多いかもしれない。