東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

明日ではなく、今日こそ

2018-04-01 | 人生の気づき
今日は、過去と未来をつなぐ架け橋。毎回訪れる「今日」ですからつい油断をして、明日こそはと思ってしまいます。

二度と来ない「今日」は、明日訪れる「今日は」とは全く違うものなのです。その今日の瞬間瞬間と大切に向かい合います。

リタイアは何時?

2018-03-25 | 雑談
このブログの古い記事を読み返していると、65歳にて仕事を辞めると書いてました。もう65歳をとっくに過ぎているので、驚きました。しかも、あと2年間しなければいけない仕事も入っているし・・・。

しかし、仕事を完全に辞めてしまうと、頭と体を使う量が減ることから、きっと健康的にもマイナスです。適度なストレスがなければ、健康確保は難しいですから、しばらくは続けることとしましょう。ただし、脳力を含めた能力の衰えを感じた時は、その時は惜しげなく去ることとします。皆様へのご迷惑をかけないように注意いたします。(笑)

私の職業病

2018-03-20 | 雑談
私の知人のある方は、元銀行の役員でした。その方は、車にお乗せしようとしても、時々ですが、自分でドアを開くことなく待っているのですね。つい、前の癖が出てしまうのでしょうね。これは職業病ではありませんが、習慣から出てくる一つの癖です。私の職業病はと言えば、何か良いものを見つけて真似する場合に、必ず一工夫して少しアレンジします。

工夫するといういつもの癖がこのようなことをもたらしたようです。一種のひねくれですね。(笑)

私の幸福論

2018-03-18 | 人生の気づき
幸福ばかりではおごりが生まれ、不幸ばかりでは負のオーラが染み付きます。したがって、幸福と不幸は、ほどほどに両方授かるべきかも知れません。

このように考えると、今の自分の幸福に気づきやすくなります。真の幸福に気づけば、不幸も怖くはありません。

幸福は勝ち取るものではなく、今の自分の状況から、感じ取るものなのでしょうね。以上が、「誰もが幸せになれる」私の幸福論です。

交流範囲が寿命に影響するとか

2018-03-07 | 雑談
私はテレビよりもラジオが好きです。テレビを見ていると、画像情報の情報量の多さに圧倒されて、考えることをしません。一方、対象的なラジオは、何かを想像せざるを得ません。ついつい考えてしまいます。

先日の早朝も、ラジオで貴重な話を聞きました。所属している団体数が多いほど、寿命が長くなるという、脳科学の最近の研究成果です。しかも、単に団体に所属するのではなく、お世話役を務めている方がその価値が大きいとか。

私の場合、お世話している団体は最近減りましたが、それでも四つあります。でも、あんまり長く生きるのも考え物ですから、少し加入団体を減らしましょうか。(笑)

お役立ち度

2018-02-04 | 人生の気づき
長い人生を歩んできて気づくのは、一見関係ない世界、異なる世界と感じる物事の体験ほど、お役立ち度が大きいということです。先日、20年ぶりにお会いした税理士さんも言っておられました。

一時は、劇団四季に入団して脚本家になろうとしたそうです。しかし、希望部署は脚本制作でありながら、役者の応募に強制的に変えられたとか。脚本を書くためには、役者の経験が絶対に必要だからという理由のようです。

しぶしぶ、役者の応募に切り替え、合格して楽しい役者生活を歩んだそうです。でも、ある理由があって方向転換し、税理士の資格を取得しました。そのとき、無駄な役者生活をしたなと感じたらしいですが。なんのその、その役者経験が税理士事務所の繁盛に役立ったのです。

多くの税理士さんは話し下手の方が多いのですが、彼女は劇団四季で役者してましたから、感情豊かに難しい理屈を話せるわけです。とにかく、異次元の世界の体験ほど、そのお役立ち度は大きいということです。

能力は無限

2018-01-22 | 人生の気づき
西部劇につきものの馬。カーボウイ・騎兵隊・インディアンを乗せる馬は、たずな一つで自由に操られています。カーボウイが酒場に入るとき、馬の手綱を柵に一回ししておくと、馬は勝手に逃げることもありません。本来は、力を出せば外れるはずですが、調教によって外れないと思い込んでいます。

サーカスの象も同様です。象をつなぐひもを一回しどこかにつなぐだけで、力のある象が力を出そうとしません。これも調教によって、人間の都合の良いように飼い慣らされています。

調教をして動物たちを都合の良いように飼い慣らす人間たちも、実は、調教されたかのような、固定観念を持っています。自分には大した能力はないという思い込みです。自分の力の限界を、自分で勝手に描いているのです。

鹿ふしと鶏ふし

2018-01-19 | 雑談
鰹節ではなくて「鹿ふし」と「鶏ふし」。特許出願中のこの商品の販売戦略を検討中です。プロの料理人が絶賛するこの品、果たしてどのように料理しましょうか。私が料理する場合は、包丁や火を使わず知識と知恵を使います。

価値観を変える力

2018-01-10 | 人生の気づき
私の価値観や人生観は、歳を重ねるとともに大きく変わってきました。果たしてその原動力は何だったかと考えますと、それは「好奇心」ではないかと思うのです。価値観をも変えてしまうような、過去になかった驚きの出逢いに導いてくれるものは、好奇心です。

好奇心がなければ、この本を読んでみよかとか、この人に会って語り明かしたいとか、この旅に参加したいとか思わない訳でして、何かに興味を持つという「好奇心」の存在が大きかったと思われます。もし好奇心がなければ、私は変な人間、ちっぽけな人間のままで終わっていたと思われます。

そして、私のかつては小さな「好奇心」を徐々に高めていったのが、「物事を楽しむ」という欲望の高まりです。かつては何事においても無感動、無関心であった私が、自分から楽しみを作り出すという良い意味での欲望を大切にするようになったことも、大きく貢献しています。

やっと志を

2018-01-08 | 人生の気づき
国を正すために、形など外から改革する力として政治力が必要であり、内側から改革するには人そのものを変えていく教育の力が必要です。その点、私は立志の意が乏しかったのか、若いころ政治家や教師を目指そうとはしませんでした。

私が目指したのは実業家でしたが、いまやっと、政治家と教育者の大きな存在価値に気づきました。ということで、遅ればせながら、教育者としての自覚をもったコンサルタントを目指すこととします。

無駄を活かす

2018-01-03 | 人生の気づき
私の持論は、「無駄は無駄にならず、いつか活かされる」。講演をして一番受ける話は、雑学的な話です。過去を振り返っての無駄探しをしますと、良い話のタネが見つかります。例えば、昨日の我が家の新年会での出来事。

ふと思いついたゲームが、1万円を賞金にしたじゃんけん大会。大人も子供一気に色めき立ちました。このような他愛もないことが楽しいのです。計算づくの理論の世界では、人は動きません。人を動かすには「計算・打算のない無駄」が必要かと思います。

「知識」対「感性」

2018-01-01 | 人生の気づき
知識と感性、どちらが重んじられているかと言えば、一般的には「知識」の方でしょうか。美術館に著名な方の作品を鑑賞に行ったとき、多くの人が、その作品のテーマとか背景などの付帯知識を参考にして、自分なりの評価を下しています。

本来は、美術作品は「感性」を頼りに評価すべきであって、作者が誰だとか、有名な人なのかそうでないのかなど、雑多なラベル、即ち「知識」は無用物のはずです。感じて評価をすればそれでよいのですが、おかしいですね。

まさに、自分に自信がないから、ほかの人の評価を参考にするという、「知識」の重用は人として反省すべきなのでしょう。「知識」対「感性」の比較論は、美術作品に限らず、何に対しても通じる話ですよね。

愛を埋め込む

2017-12-17 | 人生の気づき
物が満ち溢れ、しかも低価格品が山のように積み重ねられている現代社会。このような時代においては、物に対する愛着心が小さくなっています。

耐えて耐えて小遣いを蓄え、やっと貯まったお金で、長年の夢を叶えるために買い求める高級品と違い、小遣いの一部を割いて安く買った品は、残念ながら愛着心の度合いが小さいのです。

したがって、現代人は、昔に比べて、物に対する愛着心のある人が減ってきました。その品物を粗末に扱い、壊れるとすぐに捨ててしまいます。

時には無理をしてでも高級品を買い求め、愛しい子供を大切に扱うような消費体験が必要かもしれません。資源の節約を呼びかけるならば、我々は、もっと智慧のある消費行動が必要です。

ノミニケーション

2017-12-11 | 経営の気づき
最近の若い方は、職場の仲間と飲みに行くことを嫌うようです。飲む人も少なくなったのですが、仮に誰かと飲むにしても職場の人たちとは行きたくないのでしょうか。しかし、仕事以外の親密な交流をしていないと、いざという時の意思疎通もうまくいきません。

最近、仕事のお手伝いをさせて頂いているこの会社、下請け業者の方も含めて忘年会のご招待をしています。そして、それぞれの芸を披露するのが恒例になっていることから、200人の大忘年会は、広い舞台のあることが会場の必須条件になっています。

酔って本音で語り合えば、仲間意識もさらに高まるのでしょう。

文明進化の打ち止め

2017-12-08 | 雑談
最近の店舗はレジにスタッフがおらず自分で処理しなければなりません。このようにあらゆる分野で自動化が進み、人と人との会話が減り機械的な交流が増えることは、寂しい限りです。様々な自動化が進むことで、難しい労働から解放されると人間は喜んでいましたが、そろそろ文明の進化もストップして欲しいと考えるのは私だけでしょうか。

現在でも、PCにのめりこむなどでコミュニケーションの苦手な人が増えていますが、これ以上進化すると、社会は恐ろしいものになるのではないでしょうか。人と人がしゃべることで人情が通い、そろばん勘定とは別の交流が生まれるのですが、すべてが定型的になると、情の機微なども消えるのでしょうね。困ったものです。