いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

知らないと言えることこそカッコイイ 61編

2005年08月31日 08時51分49秒 | 娘のエッセイ
 『知ったかぶり』これほど私と縁のない言葉も珍しい。誤解しないでくださいね。
けして私が物知りなのよーと言っている訳ではないんだから。実はまるで逆な
の。ホント。

 ある日会社で、三十代の男性との会話。
私「昔よく社長に苛められて泣いていたの」
彼「いろんなこと、しっているから?」

ちがーうー!彼を含めて私の周りの人達は、完璧に私を誤解している。私は
そんなに色々なことを知っている訳ではない。まだ二十六の小娘、知らないこと
のほうが多いのが当然だ。

 けれど、彼らが誤解をする理由は私の習慣にあるのだと思う。私は、自分の
興味のあること、しっていることは自分から話題にするし、会話にも参加する。

が、しらないことははっきりと「知らない」「説明してくれなきゃわからない」
と言う。そうすると大抵の人(特に男性)は丁寧に教えてくれる。(でも昔

「ニューはーフって何?」と聞いた私に友人は「エーッ、知らないのぉ」という
言葉と軽蔑の視線をくれただけだったという嫌な思いでもある。今はちゃんと
知っているけれど)

 人にものを聞くことの大切さ、それを教えてくれたのは以前同じ職場だった男
性だ。彼は昔、年上の女性と交際していた。その頃まだ珍しかった『フォンデュ』

がふたりの食事のテーブルに運ばれて来た時、彼女がウェイターに聞いた。
「これは、どうやってたべるのですか?」その言葉を聞いた時、”カッコイイ”
と彼は思ったそうだ。

 『聞くは一時の恥じ』などという諺もあるが、そんな諺よりも、かれの『知らない
と言えることはカッコイイ』という言葉のほうが私には大切と思えた。だからそれ
以来、私はその言葉を素直に受け入れ実行してきただけなのだ。

 これからもこの方法は変えられないだろうな。だって、メッキがぬってある私
なんて、てんで私らしくないんだもの。
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真夜中の買い物

2005年08月30日 08時53分32秒 | Weblog
 午前午後のダンスレッスンで、十時半には就寝。で、6時までぐっすりのわたし。
朝、おはよう!と挨拶しての開口一番、妻曰く。

「イタリア製のイヤリングとネックレス買っちゃった」午前3時まで眠れなくて
TVチャンネルを回していたら「テレビショップ」で紹介していたの、電話を入れた
らスグにつながっちゃったのょ。二三日で届くと言うの。お金、ココニおいて置く
からよろしくね。と明るい声でお願いされた。

 女性のストレス発散方法には、「たべるか」・「買うか」で、その処方により、
気分はすっきりすると娘のエッセイにあったけ。

 妻は、今日も「いってきまーす」・「いってらっしゃーい」でご出勤です。
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男性と香水と私 60編

2005年08月30日 08時22分50秒 | 娘のエッセイ
 日本人には「香水」というと顔をしかめる人も多いが、私は香水大好き。以前
は会社に行く時も毎日つけているのだが、ある日若い男性社員に「今日、デート
かよ。香水つけすぎだぞ」と言われた。

自分ではそんなにつけたつもりはなかったのだが、毎日同じ香りに触れていて、
嗅覚が麻痺していたらしい。

それからは季節や天気、洋服と気分によって数種類の香りを使い分けるように
している。が、本当はそれでは私が香水を愛用している意味がなくなってしまう
のだ!

 だって私が香水を愛しているわけは、実に計算された下心からなんだ。それは
特定の『香り』で私を人(主に男性)に印象づけておきたい、というもの。

 例えば、別れた後にもその香水が鼻をくすぐった時、「ああ、彼女はいつもこ
の香水をつけていたな」と過去の男性達に私を思い出して欲しいから。

ちょっとずるいかもしれないけれど、もしそんな状況が私の知らない所で繰り広げ
られていたら、とっても幸せだな。

 そういえばどこかの外国では、男性から女性へ贈るクリスマスのプレゼントは
香水だという話をきいたことがある。『この香りだけを着て僕のもとへ来てくださ
い』と言うメッセージなのだそうだ。とってもロマンチックね。

 日本では、ティファニーイの銀のオープンハートがなんとなく無難で受けている
ようだけれど、同じ一万なにがしかのお金をかけるなら、こんな洒落たプレゼント
のほうが素敵だね。

彼女を思って香水を嗅ぎながら店員さんと真剣に話し込んでいる男の子って、
想像するだけでちょっとかわいい。

 だけど、香りは想像以上にとってもおしゃべり。人間でもそうだけれど、おしゃ
べりはうるさがられて人に嫌われてしまう。逆におしとやか過ぎても存在感がな
くなってつまらない。

 人にとって心地よい、それでいて私らしいおしやべりをしてくれるような、そん
な香水に出会ったら、もう一生離さないよ。


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アメとムチ 59編

2005年08月29日 08時05分38秒 | 娘のエッセイ
 今の大人も子供も、どうしてああも飴玉がすきなのだろうか。

 例えば、電車の中で飴をグループみんなに配りまくるおばさん達。授業中にこ
っそり飴をほおばる女子高生。会社でさえも、各課ごとに小さなキャンディーポ

ットが置いてあって、そこにはつねに色とりどりの飴玉がぎっしりと詰まってい
たりする。

私の両親も外出の際には、必ず飴玉をポケットに幾つか忍ばせることを忘れな
い。コンビにやスーパーには、人々の飴好きを証明するかのように、多くの
種類の飴が所狭しと並んでいる。

 けれども、私はその多くの飴の味を知らない。私は、飴があまり好きではないの
だ。だいたい私は”ながら食べ”という行為自体が好きではないし、特にあの飴玉
の甘ったるさを、お口の友にする気になんてなれない。

それに飴を食べた後には、なんだか頬の内側に砂糖粒がプチプチと残っている
ような感覚があって、落ち着かないのだ。

 飴の甘さが嫌いな私は、実は他人に対しても甘くなれないような気がする。
母親曰く「あんたは他人にも自分にも厳しすぎる」。思い返してみると、私は思春

期を過ぎた辺りから、親からアメを貰うことが少なく、ムチばかり貰っていたよう
な気がする。

その為か、現在では両親のことをかなりクールに、かつ客観的に観察する癖が
ついてしまった。

 親にしてみれば、いわゆる「愛のムチ」であって、批判は心外のようだが、今と
なっては仕方がない。味わっていない甘さを人に伝えるのは困難なことだ。

 人のことを思いやる時、徹底的に甘やかす人と突き放す人がいるとしたら、私
は後者のほうだろう。そのやり方の一番の被害者は、私の周りの男達だろうと

思うのだが、彼らは私の親ゆずりの「愛のムチ」をたくさん受け止め、確実に強さ
を増してゆく。甘いだけがアメでも痛いだけがムチなわけでもない。

 甘い暴力的なアメや、痛くて甘い?ムチがあっても変じゃない。
 
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怠け者にさせたくない!58編

2005年08月28日 06時28分51秒 | 娘のエッセイ
 私が会社を退職して二週間余りが過ぎた。今まで通勤に一時間かけ、朝八時
半から夜七時八時は当たり前、ひどい時には終電がなくなるまで仕事をしていた
この二年半余り。

ただの安月給のOLだというのに、ウインドウショッピングも出来なかった日々。
一緒に仕事をしていた社員が五人も辞めたというのに、補充がなくその仕事を
ずしんと背負っていた後半の一年は正に地獄のような環境だった。

 退職した時、会社に勤めている間に使えなかった脳細胞をめいっぱい使おうと
思い、今までしたくても出来なかったあれもしようこれもやりたいとウキウキと心
弾んだ。

 ところがどういうことか! 退職した途端に脳細胞がびよ~と伸びてしまってい
たのだ。OL時代は、毎日のルーティンワークに必要な最低時間の脳細胞以外
は、極力使用しないように気をつけていた。

つまり「こーんな会社の為に、私の十年間のOL生活で得た知識と経験と応用力と
創造力を使うのは、実に勿体ないことである」と、ある時悟ったからである。

 それなのに私の脳細胞はととても怠け者だったらしい。充電させるつもりだった
のに、使われていない間に働くこと自体を忘れてしまったようなのだ。

 さて、困った。気持ちばかりが急ぐ。それでもやっと最近になって、リフレッ
シュを終えた脳細胞が働き出した。

花を愛でる時間もなかった期間を思い出しながら、先日何年かぶりに生のもみの
木のリースを幾つか作ってみたりもした。

またしばらく開いていなかった写真集や外国の絵本を眺め、創造力を刺激するよ
うにしているが、なかなか思うようにインスピレーションがわかない。

 一回怠けさせると、上手く働いてくれないなんて、わがまま。身体だったら自分
の意志ではたらかせることができるのに、頭の中だけはそうはいかない。

 もう、絶対に怠け者にさせてやらないゾ。だからこんど就職する時は、サイボー
グみたいに働かなくていい会社を探そう。

 脳細胞全部を使えるような会社をね。
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ガラス越しの現実

2005年08月27日 15時38分26秒 | Weblog
 国道側に位置する、大きなガラス板に囲まれたホール。そこにはテレビが置か
れ2階での模様を映し出している。内側からは車の往来が良く見える。

 娘の調理専門学校当時の友達が、23日車による交通事故で亡くなられた。
それもブレーキとアクセルの踏み間違いによる女性ドライバーによる事故だった。

娘には四ヶ月の女の子があり、母子で出かけるのは大変と言うことで喪服に着替
えて同行した。

 テレビに映し出されている映像に思いは巡り、ふとガラス越しに見える車。
内側では彼女の弔いが、外側では凶器となった車の往来。

 一枚のガラスの隔たりが、この世とあの世を映し出している。





 
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相か運か やはり相か 57編

2005年08月27日 08時28分21秒 | 娘のエッセイ
 先日、京浜東北線に乗った時。”ドスン”と私の隣の座席に腰を下ろしたのは、
まだ若い外国人の男女だった。「嫌だなぁ、きっと何か話しかけてくるぞ」と思っ
ていると、案のじょう「ここは関内ですか」と、東神奈川駅に着いた時、話しかけ
られた。

 実は私、どういう訳か人に話しかけられやすい。人相などみてもらったことはな
いが、声をかけやすい顔つきなのだろうか。何かと聞かれてくるのは序の口で、
電車で隣に座ったとたん、世間話を始めた見知らぬおばちゃん、やはり電車内で

会話を交わした黒人男性、サラダバーの前で出会ったオネーチャンなどなどキリ
がない。なぜ大勢の人の中で声を掛けるのよー!と言う感じである。

 人相がなせるわざか、はたまた持って生まれた運なのか、それは定かではない
が、私は他にも面白いジンクスを持っている。それは、私が入社する会社は繁盛
する”というものだ。

 最初に勤めた病院では、一日の目標患者数を達成した大入袋が出たし、次の
電気会社でも世間が不景気の中、多額の賞与を私はもらっていた。

そして現在の技工所では、私の入社二・三ケ月間で、前年度二期分の赤字をす
っかりチャラにしてしまったのである。

 しかしこの技工所、自社ビルを買ってからがいけない。売上げ、社内のムード
共に下降一直線である。原因は、私のジンクス以上にすごいものが、そこに存在
していたからなのだ。

 ○○の中古ビル。最初に入った産婦人科、二番目の整形外科はつぶれ、三番
目の会社も他え移転した後、倒産してしまった。そして四番目に買い取ったのが
我社。

 このビルのビル相は最悪だったのだ。そればかりではない。このビルは呪われ
たビルだったのである。

 男性社員の何人かは聞いたと言う。午前一時過ぎ、仕事をしていたら誰もいな
いはずの階段を昇っていくパタパタという足音を。
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コンピューターの策略 56編

2005年08月26日 08時19分12秒 | 娘のエッセイ
 朝七時。部屋の真ん中に置いてあるコンピューターが、「起きて・起きて」と優
しい声で僕を起こしてくれる。僕は着替えて、食堂でひとりきりの朝食を食べる。
僕が部屋に戻ると、もうコンピュターの画面ではホームルームが始まっていた。

担任のH先生が少し怖い顔をしたが、直ちに一時限目の授業を始めた。今日
は金曜日なので、授業は午前中で終わりだ。授業が終わったら、太一君と会
おう。

 ママは、今日から温泉旅行に友達と行くのだそうだ。朝からカタカタとキー
ボードでお喋りをしていて、うるさい。休憩時間に、僕はちょっとママのネット
を覗いてみる。

どうやらママは、箱根のジャングル風呂に行くことにし、アレを着る。
『体感服』と呼ばれているアレは、実に世の中を便利に変えた。

それまでコンピューターでは感じることができなかった感覚、つまり味覚とか
触覚とかを、確実に、正確に感じることができるようにしてしまったのだから。

 授業を終えた僕は、太一君の家へ向かう。ベルを押すと、すぐ太一君が出
てきた。人はまばらにしかいない。いるのは僕達のような小学生か、ママや
パパが『前時代的仕事』と呼ぶ、肉体を使う仕事をしている大人だけだ。

 「なぁ、コンピューター全面撤廃法案はどうなっている?」僕が聞くと、太一
君が答える。「安心しろよ。ボスが根回しを上手くやっているからな。なんせ
ボスは頭がいい」

 「そうだよな、ボスは俺達小学生の優等生同士がつくったベイビィだもんな」
 「パパやママ達は馬鹿だよ。コンピューターに洗脳されちまって。コンピュー
  ターは便利だってすぐに信じ込んじゃったんだから」

 「今じゃ、すべてコンピューターの言いなりで、部屋の外に出ることも出来な
  い」

 僕は、多くの筋肉を失い、ただの肉の塊と化したママたち大人を少しだけ哀
れに思った。
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わがまま 55編

2005年08月25日 10時40分12秒 | 娘のエッセイ
 『わがまま』という言葉を聞くと、私は自然と女性を思い浮かべてしまう。それ
は、女性がわがままだから……という訳ではもちろん、ない。私がそういうのは、
『わがまま』という言葉には、どこか可愛らしくて憎めない雰囲気が感じられる。

 私が、毎日楽しく過ごすこと以外に興味がなかった十年以上前、”ちょっとわが
ままな女の子”というのは、例えば女の子達には嫌われようとも、男の子達には
けっこうモテた。

そして、その頃の私はといえば、やっぱり多くの女の子達と一緒に、そんな”わ
がまま女”のことを嫌っていたひとりだった。

 ところが、どうしたことだろうか。現在の私は、立派な”わがまま女”に変身
してしまっている。その変身理由は、実に単純明快。”わがまま女”のほうが
トクだからだ。

どうも世の男達は、わがまま女達のわがままを「しょーがねーな」と言いながら
も、聞いてあげるのがとてもお好きなようだ。

 恐らく、女のわがままを聞くことで自尊心が満足させられるのでしょうね。
だから、男が聞いてあげられる範囲のわがままを連発してあげれば、男も満足、
女もおトクで、一挙両得というわけ。

 そんな『わがまま女』肯定派の私だけれど、最近の若い女の子達の世間に対
するわがままぶりにはさすが閉口する。彼女らの行動は、わがままではなく、
単なる自分勝手だ。

エチケットやマナーを忘れたわがままは、もう、わがままとは言えない。ちな
みに、わがままという言葉から女性を連想すると書いたけれど、自分勝手とい
う言葉から、私は中年の男性を連想する。

電車内や公共の場でのマナー知らずの振舞いは、まさに自分勝手。男尊女卑
時代に、男だから……と大目に見られた結果なのだろうけれど、余りにひどい
人が多すぎる。そして、それが今や、若い女の子に移ってきている。

 若い女の子に言いたい。わがままと自分勝手は、似ているけれど違うのよ。
わがままが愛らしいのは、それがマナーやエチケットを踏まえた場合に限られ
るんだからね。

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長女の哀しさ 54編

2005年08月24日 12時43分08秒 | 娘のエッセイ
 長女は哀しい、と思う。私の友人には長女が多い。というより、ほとんどが
長女である。私は友人と喧嘩や言い争いをしたことがない。それはそれでとても
良いことなのだけれど、なんだか淋しい。

 なぜなら彼女達が皆(私も含めて)、実に長女的な性質を持っている証拠だから
だ。一般的に語られる長女的性格というのは、責任感が強く、我慢強い。控えめ
でも芯は強く、真面目で羽目を外さない。人のめんどうをよく見る、などだろうか。

 ああ、こんな女達の集団に、喧嘩など起ころうはずがない
けれど、こんな長女的な性格というのは、家庭の場においてのみ最大に発揮され
ているだけだ、と言ったら乱暴すぎるだろうか。

 友人関係の場で、長女達は、長女ではない自分をちょっぴり見せる。また、一番
身近な男性に対しては、長女は長女の仮面を外し、あるがままの自分を見せる。
そんなとき、仮面の下のその顔は、驚くほど甘ったれでお茶目だったりするのだ。

 ジョークを言った時、ダンナが笑わなかったら、笑うまで彼の後を追い回すT女。
そんな姿を恐らく彼女の家族は知らないだろう。

 長女の哀しさは、長女だけが知っている。M子の姉は、自分の子供達に「お姉
ちゃん」という言葉を使わせない。その気持ち、理由、良くわかる。かくいう私
自身も、自分の子供には(産んだとしたらだが)「お姉ちゃん」を使わせたくな

いと以前から思っていたからだ。「お姉ちやん」を使うと、とたんに親も「長女の
○子」として見てしまう。子供が見て欲しいのは、長女の私ではなく、あなたの
子供の私なのに……。

 長女の仮面は薄いが強靭だ。一度付けてしまったら、その仮面を外すことは
難しい。また仮面を外した顔を親はみようとはしない。でも、あと何十年かした
ら長女の哀しさを知る子供はいなくなってしまうかもしれない。悲しいことだが、
それが現実にならないとは誰にも言えない。

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昔 話 53編

2005年08月23日 08時14分00秒 | 娘のエッセイ
 今は昔、竹取りの翁といふ者ありけり……という書き出しで始まる『竹取物語』
を始めとして、日本の昔話はなんとSFテイックなのだろう。鬼も天狗も、そしてか
ぐや姫というかわいらしい名の宇宙人まで登場するのだから。

そしてその物語の中に流されているのは、素朴な優しさや純粋な願いだったりす
する。

 例えば永遠の美しさを願い、願かけをした結果、湖の龍と化してしまった田沢
湖の辰子姫の話。もし、辰子が現代まで生きていたならば、彼女は皺とりの美

容整形手術を受ける為に、せっせと貯金をしたのだろうか?(うーんグロテスク
な話になりそう)

 また、心優しいおじさんが、雪降る夜に売れ残った笠を地蔵さんにかけてあげ
た『笠地蔵』。これなど、今の若者達に言わせれば、「売れ残ったなら、翌日に
売ればいーじゃん」と言われそうだ。

なにせ、『情けは人の為ならず』を、情けは人の為にならないから情けをかけち
ゃいけないと解釈する世代である。(情緒も情けも信仰もあったもんじゃない)

 そして、野菜を残す子供達のもとに「もったいな~い」と言いながら出没する
『もったいないお化け』。こんなお化けがいてくれたらどんなにいいか。

この時期に水道全開、水ジャージャーのまま歯磨きをする無神経な会社の女の
子のもとに、ぜひとも「もったいな~い」と言いながら出没して欲しいものだ。

 昔話の中には、古き良き日本がたくさんある。それらのものを進歩と引き換え
に少しずつ時代に売り渡してきた。しかし実はそれを今、買い戻したいと思いは
じめているのではないだろうか?

 某局の『まんが日本むかし話』がエンドレステープのように放送され続けてい
る。大人たちは、その物語の中に流れる、温かな人と人の関わりが羨ましくて
見続ける、そんな気がする。

 でもそれは、無いものねだりなのかもしれな。
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嘘 52編

2005年08月22日 06時51分28秒 | 娘のエッセイ
 『折れた煙草の吸殻であなたの嘘がわかるのよ』なんて歌があったけれど、そ
んなもん見なくたって女には男の嘘がわかるんだヨーン。その証拠に世の奥さん
連中を見て下さい。

口に出さなくたって、みーんな亭主の悪さは知っている。私と同年代(二十代後半)
の主婦でさえそうなのだから、年季の入った中高年の奥様方など、それこそ何で
もお見通しの世界ではないだろうか?

 ところで、一生を通して男と女どちらが多くの嘘をつくだろうか?たぶん女だろ
うね。

この日本、女には言わないでおいた方がいいことが、男にとってのそれよりもうん
と多いんだもの。男女同権なんて言ったってそうそう簡単には、男の意識改革は
出来やしない。

 以前、私のつきあっていた男は非常に嫉妬深い男で、私が長い付き合いの男
友達と会うことさえ嫌がった。初めての頃は我慢していたものの、そのうち
「なーんで私が、彼よりも長い付き合いの男友達とあっちゃいけないのよ!」

と欲求不満が爆発し、ピッポッパと電話のボタンを押した。そして、「デートし
よーよ。デート」と騒ぎ、二人で一年ぶりくらいにドライブをした。「あー、
楽しかった」と家路につく私の頭を悩ますものは彼への言い訳だった。
当然、つきました。嘘を。本当のことを言ったら怖いもんね。

 嘘ってなんとなく悪いことのような気がするけれど、嘘をついたからこそ、
妙ないさかいを起こさずにすんでいることが、世の中には数多くあると思う。

 本当のことを言って相手を傷つけるよりも、やさしい嘘を言うことのほうが
いい。

 嘘をつくことで、相手が嫌な思いをしなくてすみ、自分もいい時間をもてたり
するならば、ばんばん嘘をついたってかまわない。

 でも、嘘をつくなら上手につくこと。決してばれないように、うまーくね。
くれぐれも「あの人は二舌なのよ」なんて噂されないように、十分にお気おつけ
あそばせ。

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旅行けば… 51編

2005年08月21日 13時29分32秒 | 娘のエッセイ
 私の妹は、ひとりで旅に出るタイプである。例えば貯金をはたいて、数カ月海外
に出掛けたり、気が向くとふらりと京都あたりへ旅立つてしまう。実に自由気儘な
タイプだ。

 その反対に、私はひとりでは、まず旅になど出ない。必ず友人やボーイフレンド
と一緒である。

 一緒に旅をすると、その人の人間性が解かるという。それまで仲が良かった(と
思った)友人同士が、一緒に一泊旅行に出たばっかりに、仲が悪くなってしまった
……などという話は、世間にゴロゴロあるようだ。

 特に女性同志の場合、生理的に受け付けられないとなると、徹底的に何もかも
が嫌になってしまうから、始末が悪い。

 幸い私は、高校時代から今に至るまで、そういった経験はない。これはひとえ
に、寛大な友人達のおかげだろう。なにせ夜ふとんの中で、話をしながら私がコロ
リと寝入ってしまっても、彼女達は「しようがないな」と電気を消して回ってくれ
るのだから。

 また、男性との相性を知るためにも、旅行は絶好の機会だという。まず、宿の予
約に始まり、交通機関の下調べや確保、利用施設の情報収集、これをどれだけ
テキパキこなすか、あるいおは協力的か? そして旅行中のすべての行動……。

 去年のGWに、私は関西へ旅行した。神戸を車で走っている時、私の胃が急に
痛みだした。我慢しようにも、気持ちが悪い。胃の痛みは激しくなる一方だわで、
とても耐えられない。

「もう、だめ」と私の声に、運転席の彼は、コンビにでトイレを貸してもらったり、
派出所で救急病院を教えてもらい車を走らせたりと、実にまめに手際よく動いてく
れた。会社で日頃、のほほんとしている彼からは想像できない発見であった。

 旅は、それ自体も楽しいけれど、後になっての思いで話もまた楽しい。やっぱ
り、旅は道ずれ……のいるほうが私は好きだ。
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巨大迷路 50編

2005年08月20日 08時27分22秒 | 娘のエッセイ
 以前、巨大迷路というのが流行ったことがあった。野外に木製の壁で作った迷
路で、その迷路の中に幾つかのポイント地点が設けてあり、そこでスタンプを押
す。その上で、ゴール地点までの時間を競うのである。

私も何度か巨大迷路なるものに挑戦をしたが、「迷う」ということに人一倍いら
立つタイプの気の短い人間は、不向きなレジャーであった。

 その迷路だが、面白いことに救助隊がいた。迷路で迷って? 助けて欲しい時
に「SOS]を出すと、彼らが迷路から脱出させてくれるのだ。「迷うための迷路じ
ゃないの?」と思いながらも、やっぱり救助隊は必要なのかもしれないと、迷い
ながら思った。

 迷路は、私達の人生に似ている。皆、入口に当たる「この世への誕生」は皆、
似たようなものだし「死」という出口もすべての人に訪れる。途中でどんな道を
辿ろうとも、袋小路で立ち止まろうとも、最後の行き先はひとつだ。

 過去の出来事を思い起こしてみる。就職の時、同時に受かっていたもうひとつ
の会社にいっていたとしたら……。

あるいは、あの時つきあっていた彼のプロポーズを受けていたら……。五年以上
連絡をとっていなかった元職場の同僚に、あの日電話をしていなかったら……。
思い出す一つ一つの事柄に関して、その未来がうっすらと見えるのものと、まった
く見えないものがある。

 未来が見える過去に選択しなかった道は、恐らく袋小路。どちらにしても、今ま
でのたくさんの出会いも、別れも、トラブルも、すべて偶然や運命ではなく、自分
で選択した結果の出来事なのだろうか。人生という名の巨大迷路。

 そこには救助隊はいない。でも、一緒に歩いてくれた人は、いつも必ずいた。
これからもその手は放すまい。

 なぜなら、私は極度の方向音痴だから……である。

 
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「夏休み」-と言えばやっぱり「恋」かな?49編

2005年08月19日 08時53分43秒 | 娘のエッセイ
 学生時代、私は恋多き少女だった(実はいまでもそうだけど)。その頃の私は
『想う人には想われず、想わぬ人から想われて』という運命を背負わされていて、
当然のことながら私の恋は片想いばかり。

 さて、私は夏休みが大嫌いだった。なぜって、毎日学校に行ってさえいれば
大好きな男の子の顔を見ることが出来るのに、それが出来なくなってしまうか
ら……彼の顔を見られない日々なんて嫌いだ。

夏休みなんてなければいいのに、と思っていた。が、そのわりには友達と遊び
に行った海辺で、しょっちゅう束の間の恋を拾ってきたりもしたけれど。

 夏と言えば、これはもう条件反射のようなものだ。ひと夏の恋ーそんなものに
憧れて、うつつをぬかしていたのは、もう何年も前のことになってしまった。
悲しいなぁ。

 そう言えば、発情期はないと思われている人間の発情期は『実は夏だ』と
何かの本に書いてあったっけ。発情期を『ひと夏の恋』なんて綺麗な言葉に変
えてしまうなんて、人間はずるい。

 時は流れて、今の私は夏休みが大好き。

学生時代と同じ様に、会社に行けば好きな男の顔を毎日見ることができる。
(まったくコリない奴)。けれど、夏休みになっても彼の顔は毎日見ることが出
来るのだ。それも朝から晩までずーっと。
うーん、幸せ。エヘへ(ホントにヘンな奴)。

 夏休みって楽しいな。早く夏休みにならないかな?
 八月に入ると、私の頭はそのことだけでもういっぱい。

でも、夏休みになるのをウキウキとした気分で待っていられるのも今、私が
お気楽なシングルだからよね。きっと。
これからも、ずっと夏と夏休みをウキウキ迎えることが出来たらいいのにな。

でも無理かな?やっぱり。
だって、世間体ってものが思いっきり邪魔してくれそうだもんね。
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