いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

打ち上げ花火(第34編)

2005年08月04日 08時19分28秒 | 娘のエッセイ
 男女雇用機会均等法が施行された時、初めて、”総合職”が登場した時に、「女
性のステイタス」という花火は華々しく上がった。むろんそのなかの幾パーセント
かは、不発だったり爆発してしまったりしたけれど、綺麗な花火を散らしてキラキ

ラと輝いていた花火も多かった。そしてそれはつい最近まではきちんと存在してい
たはずだった。

 それなのに、不景気という名の突風が、花火の火種を消してしまった。女性の労
働力は、社会においてはやっぱり花火的な存在でしかなかったのだろうか。景気
が夏の盛りの時にだけ必要なものでしかなかったのだろうか。

 ところが、女性労働力という花火が消し去られた今、コギャルなどと呼ばれる少
女花火が派手に上がり始めた。彼女らのことを、ある女性記者が語っていた。

 それは”私達が女ということで損をしない為に、女だからと得をすることを放棄
してきたのに、(彼女らを見ていると)私達は一体今まで何をやってきたのだろう
か”というような内容だった。

 確かに彼女達は、女であることと若いということを前面に出し、それを売り物に
して楽しんじゃおうという趣がある。

でもいいじゃない。女の人生は、元々打ち上げ花火の連続みたいなものだ。彼女
らの行動はその最初の花火だと思えばいい。この先も次々と好きなだけ花火を
上げるだろう。

 結婚とか出産という花火を上げる子もいよう。そしてその先のことは考えていま
い。その先は実は、とてもハードなのだ。

日本という「打上げ会場」で女達は苦労する。フランスでは、女性は中年以降が
本当に楽しいと聞く。

 フランス映画の中に、「マドモアゼル」と男性に呼ばれた女性が、キッとした目
をして「私はマダムよ」と言い返す場面があったりもするから、それは本当なの
だろう。

 日本では逆に、中年女性でも「お嬢ちゃん』と呼ばれたら喜んでしまうに違いな
い。それが悲しい現実だ。成熟していない社会で、成熟した女性が上げられる
花火はない。

 いくら何尺もある花火でも、自動点火はできない。点火してくれる人が必要だ。
でも凄腕の花火師の数は、まだまだ絶対数が足りていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする