いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

シベリア捕虜収容所

2006年03月31日 11時07分26秒 | 兎に角書きたいの!
 周り一帯有刺鉄線が回され、角々望楼があり監視兵がマンドリン銃を持って
24時間目を光らせている。収容所は幕舎が十ヵ所程建てられた百名単位で住
む。裸電球が1個ポツンと下がり、中央にストーブが一つあるだけの殺風景な
幕舎生活である。夕食に黒パンが出た。空腹でやり切れず何とか呑み込んだ。
不味い。消灯後トイレに行くと有刺鉄線の中を監視兵が行ったり来たり、外の
方が昼間のような明るい電灯が照らされ、猫の仔一匹出られぬように警戒が厳
しい。
 第一夜が明け外に出ると天気は良いが新雪が積もっている。6時点呼、各小
隊毎に人員報告、宮城遥拝、大隊長訓示があった。編成四ヶ中隊で千名。現地
はウラジオストクとモスクワの中間点タイシェットより奥地に78キロ入った
ネブルスカヤという地点であり、ここより奥地に400キロ地点までの鉄道建
設が主な作業である。この仕事が終わり次第日本に帰すとのことで、少々の光
が見えた感じである。ロシヤ人所長はこの地点は独ソ戦前にはロシヤの囚人た
ちが働いていた作業場で、後を継いでやるので奥地にはドイツ軍捕虜が数多く
囚人も大分混じって作業中であるが、協力してやって欲しいとの説明があった。
バム鉄道の建設作業のスタートである。
 毎日、日本人が千名単位で送られる。作業と同時に一人ひとり身上調査が
始まる。本籍地その他応召入隊時の住所、氏名、家族名、職歴、特技、農民
出身者は土地所有面積、家畜の保有頭数等財産と実に詳細な調査であった。
特に警察官、司法関係者、特務機関、憲兵将校などと長時間にわたり6名の
高級将校と通訳付で取調べが進む。持物検査が週に一度あり、それは危険物
検査と称して、めぼしい物を取り上げてしまう。徐々に持物が減って行く。
ロシヤ兵達の餌食である。欲しい物があれば否応なしに銃をつきつけて持ち
去る。兵隊達は交代で時計、万年室、衣類、石鹸、眼鏡、日の丸,千人針等
本当にどうするのか分からなくても持ち去るのである。寒い外での私物検査
である。
 収容所の生活は旧軍隊の営内生活に逆戻りした感じである。将校は当番兵
をつけ威張る。食事も将校用は特別食で、大隊長の訓示は何時も「我々は戦
争に負けたのではない。天皇陛下の命に従いソ連軍の軍門に降ったのである。
ここでの生活は飽くまでも兵舎の延長である」と誇示した言い方だった。

 以上は、2006-3-23に「人間の本性」を記した者の実体験記である。
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アーロン捕虜収容所

2006年03月30日 13時20分09秒 | ハマ風は踊る
 過日、ある週刊誌に「荒川静香は卑怯な女王」なる見出しに、NYタイムズ・
NBCほか猛烈批判続々とあり、もしや人種差別かなと思い、その週刊誌を購
入した。
 その内容は、「荒川はライバルが転んだからタナボタで優勝できた」「荒川
は自分の演技の後、選手たちが自分の点数を抜けないのを見るたびにコーチと
ともに控え室で笑っていたところをカメラは映し出した」「荒川はクリーンな
演技をした。しかし、2回の3回転・3回転のジャンプを3回転・2回転にラ
ンクを落とした。…そして他の選手を明らかに凌ぐものの、見たところ努力を
必要としないスピンとスパイラルで審判の評価を勝ち取った」などが記載され
ていた。
 思うに、フィギアスケートは欧米の競技と自負していたのが、アジアの黄色
人種に優勝をさらわれたといった敗北感が、荒川選手の演技を中傷誹謗するこ
とになったのではないか。その点、日本はどうか。柔道にしても相撲にしても
その強者を称えている。
 蛇足だが、その週刊誌は、「やい、ニューヨーク・タイムズ!4年後のバン
クーバーにはジャンプキレ、キレの浅田真央も行くかんな、待ってろよ!」と
結んでいる。
 ここで、平成10年10月に記した己の文章を思い出し再読してみた。

 ビルマでの捕虜体験を通じ西洋文明を批判したベストセラー「アーロン収容
所」(昭和37年)の著者で京都大名誉教授の会田雄次氏は平成10年9月に
81歳で逝去された。
 「アーロン収容所」は、英国の日本人捕虜に対する虐待を描いたもので、
例えば
 ① 飢えに苦しんでいる時、赤痢菌をたっぷり蓄えた川ガニしかいない川の
  中洲に捕虜を放置し、カニを食いつなぐしかない状況に置いて『日本兵は
  衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、
  生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と報告
  している。

 ② 食事に供されていた米はビルマの下等米で、粉米、臭く、3割ぐらい
  泥と砂が混じる米の支給に抗議したところ『日本軍に支給している米は、
  当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである』
  と答えた。

 ③ 英国人の女性士官が目の前で裸になって服を着替えた。「英国人の目に
  はアジア人など、犬猫のたぐいに見えるのだろう。しかし、フランス人や 
  アイルランド人の前では裸にならなかった」など言語に絶する悲惨な体験
を語っている。
 そして、著者は、白人以外は人間と認めず、「目には目、歯には歯」の復習
を鉄則とし、陰険、狡猾、冷酷、残忍、尊大、傲慢、老獪、偽善を常とする、
それが英国の真実であると肌で知ったと語る。従って、日本人を人間以下とみ
る英国人捕虜が日本人兵士に殴られたら、同じ目にあった日本人捕虜以上に、
恨み骨髄に徹するところに英国人の人種観に問題はないか、と著者は問うてい
る。
 平成10年5月26日。天皇、皇后両陛下の英国訪問に対し、第二次大戦
中に日本軍に捕らえられた元戦争捕虜が、謝罪を求める抗議活動を行った。
両陛下の馬車列に背を向け、謝罪と補償を求め、インデペンデント紙は「あな
たは彼を許せるか」との見出しで、凶悪犯と一緒に天皇陛下の写真を掲載した。
 英国人捕虜問題が再燃したのは、平成5年8月に細川元首相が「先の戦争は
侵略戦争で、間違った戦争だったと認識している」であり、次いで、平成7年
8月。社会党の村山首相による戦後50年談話で「植民地支配と侵略に対して
改めて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」
そして、平成10年1月橋本首相は、英大衆紙「ザ・サン」に旧日本軍の英国
人捕虜の扱いについて謝罪と反省を表明した文章を寄稿した。
 これで日本の最高指導者による対英謝罪は三度を数える。これと同様な例
が、平成5年8月根拠のないまま「従軍慰安婦の強制連行」を認めた河野官房
長官談話である。この談話を基にして、平成10年8月、国連人権小委員会は
日本に賠償勧告を行った。
 香港返還の際のチャーチル皇太子は、英国の支配が「民主主義、自由、繁栄
をもたらした」と自画自賛。「謝罪する国」日本と「謝罪をしない国」英国。
 故塚本幸一氏は、インパール捕虜時代、上記の③以上の虐待を受けたが、こ
れを前向きに捕えて世界のワコールを育て上げた。日本人捕虜には、英国人以
上に怨念を抱いているが語らない。それを表明させる社会環境にない。いつの
日か、きっと、「アーロン収容所」等の事実が事実として世界に表明できる日
本になってほしい。そして、精神の拠り所を持ち毅然とした曲がらない強固な
日本の背骨の構築を願う。

 と記しているが、今の日本の状況は、8年前とは変わっていない。次期総理
には小泉総理の意志を受け継ぐ人になってもらいたい。

 アーロン収容所(西欧ヒューマニズムの限界) 会田雄次著
   昭和34年11月15日初版
   昭和49年 8月15日45版
   中央公論社発行
  
 追記 天皇陛下ご訪英に際しての行動に対しこのような投稿があった。
      元英軍捕虜の抗議に怒り!と題して
   『…思えば終戦後、英軍当局こそ国際法を無視し、数万人の日本軍人、
    軍属を捕虜収容所に収容、重労働に就労せしめました。しかし、この
    暴虐な報復行為を約二年余りにわたり行使したことを、今日までただ
    の1回も弁明、謝罪したときいたことがありません。私は当時の捕虜
    の一人ですが……』と当時75歳の方が投稿されていた。
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転機の春

2006年03月29日 08時09分51秒 | 心に留めた言葉
 『年々歳々,花相似たり。歳々年々、人同じからず』とこれから長い人生の
四季をめぐる新社会人が続々と誕生する。
 平成3年4月1日付日経新聞に掲載された「フレッシュマンに贈る言葉」を
紹介しよう。

 ◎「”さあ面白くなってきたぞーー転勤、異動、結婚など会社生活や人生の
   岐路にはこの言葉をつぶやいてフアィトを燃やそう」

 ◎「新鮮な気持ちで、社会人としての責任を持って入ってきてほしい。その
   ためにも健康面の自己管理はしっかりと」

 ◎「一生かかって究めるような趣味を持って欲しい。そこから社内外へ人脈
   が広がり、仕事への取り組みに自信と幅が出る」

 ◎「一生勉強、ただし遊び心も必要。幅広い知識があれば問題点を見つける
   目も養える。失敗を恐れず、社長を目指して頑張って欲しい」

 私は、次のようなことを教えられた。
  『職場における人間関係の基本』
    ① 上役には「敬語」
    ② 部下には「愛情」
    ③ 同僚には「友情」
   この三つが、人間関係をスムーズにする潤滑油です。大切なことは回り
  のすべての人に対する「思いやり」だから「思いやりの敬語」が欠かせま
  せん。と言うことを。

 フレッショマンの健闘を祈ります。 
 
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退職時の言葉

2006年03月28日 11時06分10秒 | 心に留めた言葉
 現職に別れを告げて、新たな人生を歩む人たちの季節がやってきた。先輩が
残していったその思いを記述したい。

 ◎ 通いなれた電車の中から、延々と後に続く二本のレールを眺めた。鮮明
  にくっきりと敷かれたレールに30有余年の時間がだぶる。
   ふっと前方に目を移すと、やはり、レールが果てしもなく続いていた。
  (先輩の退職後九州の勤務地で再会しました)

 ◎ 数多くの人に巡り会い、人の世の縁を思う、一期一会。往時黒髪梳きし
  少年も、光頭鬢糸の老年になり、うたかたのごとくなるも悔いなし、行雲
  流水。大過多き身が皆様の御寛容に甘え、奇しくも振り出しの地で終え感
  無量です。長い間のご厚情ありがとうございました。
   (毎年、上野で懇親会を開催している。先輩とは30年以上のお付き合    
    いである)

 ◎ 人生にリハーサルはない。
   追うものは前進する。
   追われるものは後退する。
   何もしないものは滅びる。
   人生は校舎のない大学である。
   力なくしては生きられない。
   愛がなくては生きてゆけない。

 ◎ 41年のサラリーマン生活に別れを告げることになりました。多くの  
  方々に出会い、触れ合い、そしてまた巡り会い、何にも勝る友人という
  大きな財産を得ることが出来ました。
   この財産を大切に守り続けたいと思っております。今後ともよろしく
  お願いいたします。
   (私達の結婚式で司会をお願いした先輩です)


 ◎ 私自身、退職して12年を経過しました。私の退職時の思い出です。
  @印象に残っている思い出は?
    在職の最後に九州での単身赴任。多くの方々に出会い、いろいろな
    体験をし、それらがすべて「心の財産」となっています。

  @後輩に一言(又はアドバイス)を願いいたします。
    継続は何事にも勝る力です。「思いは行動となり、行動は習慣とな
    り、習慣は品性となり、その人の運命を決定する」と言われていま
    す。ご健闘を!

  @どんな職場になることを望まれますか。
    この職場はすばらしい職場です。常に、報告、連絡、相談を的確に
    行い、より優れた職場にしていただきたいと念じています。

  @現在の心境は?
    『光陰矢の如し』先輩、同僚等の助言と激励が限りなく思い起こさ
    れます。

  @第二の人生は(抱負)?
    いつまでも現役と心に決め、一所懸命から一生懸命に。そして、
    四季折々には旅行や釣りをし、楽しみのある人生を送りたいと願っ
    ています。
 追伸 辞令交付日の朝、女子職員が抹茶をたてて部屋へ。感激、感謝!
    (抹茶茶碗は、私がある陶芸家の作品を紹介した器であった)
 
 退職後は、満足した日常生活を送っている。当事の抱負と異なったのは、
ダンスを趣味として毎日踊りまくっていることである。そしてダンス旅行。
4月は二つのダンス旅行が控えている。



  
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好きな花は?

2006年03月27日 18時10分58秒 | 兎に角書きたいの!
 ある会社から、希望の鉢を一つ選んでくださいとして、ミルトニア・ミディー
胡蝶蘭・オドントグロッサム・ファイヤーダンス蘭丸・ジャスミン・ラッキー
バンブータワー・サンスべリア・幸福の木の8種類が掲載されていた。
 妻に一つ選択させる前に、きっとこれを選ぶだろうと私は紙にその名前を記
入した上で妻に希望の品を選ばせた。妻は、「ジャスミン」がいいとと言った。
びっくり!私の選択と同じであった。
 妻は、花は大好きで最後の花びらまで愛でている。それは何時も食卓に置か
れ斜め、横と位置を変えながら楽しんでいる。
 娘が孫を抱いてダンス会場にやってきた。11ヶ月の女の子。タンゴ・チャ
チャチャのメロデーが流れてくると手を叩きながら大喜び。そのはしゃぎぶり
に答えて私達も孫の近くで精一杯の踊りを披露した。
 その娘に、上記の鉢の花の話をして、お母さんはどの鉢の花をを選ぶと思う
と言ったところ、そうねー「ジャスミン」だわとこれを当てた。
 昨日は、 びっくり、びっくりの花のショウーでした。

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人間の本性

2006年03月23日 10時55分28秒 | 兎に角書きたいの!
 朝、昼、夕、三食で黒パン350グラムと、朝食には飯盒のふた1杯だけの
実のないスープ、夕食には大豆のカーシャだけで命をつなぐことが人間をどん
なに餓鬼道にはしらせたことか。
 頭で良識を働かせようとしても、腹のなかがいうことをきかなかった。この
寒さの中で死んでしまう。何とかできないものか。誰もがそう思った。しかし
何も要求出来なかった。無残にも体力尽き果てて入ソから次の春を待たずに、
倒れ、尊い犠牲となった六万人近い戦友の大半は、半年間に栄養失調と厳寒の
為に無念にも倒れていったと、私は想っている。こんな逆境で生死に直面する
と人は本心本能を出すものだ。最高学府で教育を受けて学歴を誇り、召集前は
社会的によい地位にあった者も、今は捕虜という自由のない集団のどん底に裸
で立たされている。
 一方、小学校もやっと卒業した農漁村出身者や職人をしていた者も、同じど
ん底に裸で立たされている。
 教育と別に性格や精神や意志はその人に備わっているもので、俄かにどうす
ることも出来ない。誇り高きエリートも今では顔も洗わず垢にまみれ鼻をたら
しながら、こそ泥のごとく何かを漁って歩き、道行くソ連人にパンを乞うたり、
彼らが捨てた煙草の吸殻を拾ったり、桶についている粥を指ですくって舐めた
り、パンの分配をしている傍らに近寄ってパンの切りくずが落ちると素早く拾
って食べたりする。作業中、仕事を放って一人で物探しに行ってしまったり、
服装はまったく手入れもせず破れたまま、乞食よりみすぼらしい姿で恥ずかし
いことばかりしている者が多い。
 反対に学歴は大して無い者でも卑しいことはせず、身なりは清潔に、行動厳
正、集団の秩序は堅く守って己を律している。この差はどこからくるのだろう
か。前者は己を中心の考え方で、己れ一人だけ楽をし、腹を満たせば良いと考
えている独善主義者なのである。後者は他を顧みて友情厚く強調と融和の精神
を忘れない人達なのである。人間は、生死の境にたたされると真の本性が出て
来るものだ。

 以上の文章は、ダンス仲間のお兄さん(84歳)がソ連の捕虜収容所での
4年間に筆舌しがたい体験、見聞などの実態を手記にした一部部分である。
生死をさまよってこられた真実の手記である。

 永田議員よ。もういい加減にしたらどうか。手記にあるように貴方は独善主
義者かもしれない。この間、貴方の為にどれだけの無為の時間を、そしてどれ
だけの国費を無駄にしてきたか。生死をさまよわれた人たちのためにも独善主
義者であったはならない、このことを声を大にして叫びたい。 ウォー!
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2月3月感激、感動

2006年03月22日 09時34分33秒 | 兎に角書きたいの!
 今回のWBCでの日本の活躍。選手個々のプレーに、発した言葉に感銘を受
けスポーツの素晴らしさを実感した。トリノ冬季オリンピックでの荒川選手の
活躍特に、あのイナバウアーに。これらの映像は何度見ても、もう一度見たい
という気持ちを起こさせる感動がある。昨日は、選手達の活躍を何度も何度も
観ながら自然に込み上げるものが、そして潤んでくる。
 スケートにそして野球から素晴らしい心の躍るトキメキを沢山たくさん与えて
もらった。このようなドラマはそうそうあるものではない。いよいよサクラの季
節がやってくる。
 みんなー パーッと行こうぜー!
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ふくら雀

2006年03月21日 09時26分41秒 | 兎に角書きたいの!
 
   窓越しに ふくら雀を見てをりぬ
             近頃吾も少し肥えたり
       
       18年3月19日 日経 横浜 若月圭子様作

 この俳句を読んで思い出したことがある。浜松町駅から出ているモノレール。
途中に流通センターがある。その場所で全国骨董祭りが年4回開催されている。
500店ほどが全国から出店する。毎回通っているうちに6店のお馴染みの店
が出来た。様々な買い物をしたが、なかで妻が購入した、藍色で施された小皿、
それが「ふくら雀」と称する陶器であった。今でも,ふくら雀の小皿は良く食
卓に登場している。
 以後、この「ふくら雀」の形をした陶器を捜し求めていたがなかなか巡り会
えなかった。それが、品のいいご婦人が出店しているところで目に留まったも
のがあった。しかも隠れた場所に展示されていた。妻が、その品を手にとって
吟味していたところ、その店主は言葉を掛けてきた。その品、私とても気に入
っていて手放したくないので目立たないところに展示しておいたのですと。
 その品は、紛れも無い「ふくら雀」の形をしたお皿である。しかも、染付け
ではなく「織部焼き」の見事な皿である。いっぺんに気に入って、値段交渉に
入った。店主は、手放したくないが店に並べた手前売らないわけには行かない。
そのような状況の中で、勉強して欲しいと交渉したのは今考えても相当の度胸
であった。心持交渉に応じてくれて、手に入れることが出来た。
 兎に角素晴らしい陶器である。以後、ふくら雀の器を探しているが、染付け
の小皿は時々目にするが、この織部焼きの器にはお目にかかったことが無い。
そして、「ふくら雀」の器は、多くの店を見て回っているがいまだ以ってこの
二種類以外の器には遭遇していない。
 この俳句にあるように、ふくら雀のようにとても趣のある器である。これか
らも目を皿にして捜し求めて行く私達の楽しみの一つとなっている。
         
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若い僧侶の心意気

2006年03月20日 11時10分06秒 | 兎に角書きたいの!
 3月8日日刊紙に「ヒンズー教聖地で爆発 インドバラナシ 2ヶ所連続、
12人死亡」の見出しで、インド北部ウッタルプラデシュ州にあるヒンズー教
の聖地バラナシ(旧名ベナレス)で7日夕、著名な寺院で相次ぎ爆発…ブッシ
ュ米大統領の訪印に抗議したイスラム教徒らによるデモがヒンズー教徒との衝
突に発展し、死傷者が出たと報道されていた。
 今から10年程前になるだろうか北海道からでてきて横浜で僧侶の修行時代
にお会いした。彼が二十代後半のときだった。永平寺での修行を経て僧侶とな
り今37歳。全て借入金によるがお堂を建立し住職として色々と事情のある方
たちの供養に努めている。
 若き僧侶は、交通事故に合い入院、それが機縁で33歳の時に結婚された。
今ではご夫婦で仏事をつかさどっている。若き修行時代からの一部を垣間見て
いた私は今は驚きと感嘆の感慨を抱いている。独身時代、住職は、新聞などで
死亡事故多発を知り、その場所での供養・祈願を買って出て事故現場で読経を
あげ冥福を祈った。住職は、「自分も交通事故で重症を負った。友人を事故で
亡くしたこともある。事故が少しでも減るよう祈っています」との談話が日刊
紙に報道された。
 最近お会いして、ご夫婦で今年の2月インドへ行ってきた。今回爆発事故が
起きた場所でしたと聞いた。その地の紹介冊子を見せてもらった。1枚の写真
とその説明文に驚愕した。ここは、ヒンズー教徒の聖地でヒンズー川に面して
いる。布に包まれた遺体が担架に載せられての行列、川岸では、積み上げられ
た薪の上に遺体が載せられている。1枚の写真に8遺体が確認された。そして
聖なるガンジス川に撒布される。衝撃的な場面である。
 そして、インドでは、日本からの援助で建立された色々な構築物には大きな
看板が掲げられていたと言う。日本の援助に感謝しそれを利用する人達に一目
で分かるような場所に感謝の言葉が掲げられていると言う。このような話を聞
くと心地良い。かつ、インドにはスズキ自動車が進出しており、その評判がす
こぶる良く旅行者でもそれを肌で感じたと言われた。
 そのような話を聞いていた私は、一つのTV番組に目が止まった。3月14
日12ch放映のガイアの夜明け「眠れる巨像インド・乗用車でシェア50%ス
ズキの秘密」である。この放映内容ににインドと日本のいい関係を強く感じた。
東京裁判でも只一人インドの判事が日本の無罪を主張しこの裁判の無効を訴え
てくれた。このことについては、後日記述してみたい。
 若き僧侶は語る。インドへ行って、子ども達の目、輝いている生きた目にあ
る種の感銘を覚えた。それに引き換え、日本の若者達の目には輝きが見られな
い。これらの若者に、希望と生きる何かを与えたい。それには、北海道にある
場所をつくりそこで集団生活によりニート的人間に生きる何かを認識させて再
度社会へ送り出したい。などなどの夢を語ってくれた。
 若き僧侶の今後の活躍を期待したい。今の日本の現状を思う人たちは大勢い
るということも。
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葉っぱの裏に咲く花

2006年03月17日 16時25分42秒 | 兎に角書きたいの!
 妻がお花の先生から貰ってきた生け花用植物。常緑樹の葉又はミカンの木の
葉の様な植物である。その葉っぱの裏側に白い花を咲かせている。咲く前はア
ブラムシがとまっているような白い突起物になり日がたつにつれて、そこから
白い糸状の物が出てきて根っこのような花を咲かせる。
 この植物の名前。妻は忘れたと言い今のところその名称は不明である。今は
食卓の上に飾られているがこの世には不思議な植物があるものと眺め続けてい
る。
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ミステリーツアー

2006年03月16日 09時59分16秒 | 兎に角書きたいの!
 休みを利用して昨日妻は友達4人と「春らんまんミステリーツアー」に出かけ
た。出発7時30分帰宅は22時を過ぎていた。行く先を聞くのは禁句。バスに
揺られての観光先は群馬県箕郷町を中心とした地域であった。「みさと紀行」と
称して梅まつり・芝桜まつり・ワカサギ釣りが見所のようである。なかでも「箕
郷梅林」は見ごたえ十分で満開の時に見たかったとの感想を漏らした。
 梅林は、約300haの中に10万本の梅の木が有ると言う。梅まつりは2月
下旬から3月下旬とあり今回訪れたのはは少し早かったようだった。もう一度行
って見たいと言いながら道中の見聞の話を聞いた。
 旅行記念写真を観た。総勢41名内男性は5名であった。ここでも圧倒的な女
性の参加者であった。
 妻は、今日も通常通り出勤した。
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日本の子ども60年

2006年03月14日 16時42分53秒 | 兎に角書きたいの!
日曜日に妻と外出し横浜情報文化センター内にある「日本新聞博物館」に寄
った。今、戦後60年の節目としての写真展「日本の子ども60年」が2月16
日~3月19日まで開催されている。
 内容は、1945年から2005年までの様々な子どもたちの姿を204点
の写真で構成されている。特に、1945年から1960年の写真が、自分が
過ごしてきた子ども時代とがダブって心引かれる多くの写真と出逢った。これ
らの写真家は148名の方々の力作である。写真が表現する凄さを実感した。
 パンフレットに使われている写真は、土門 拳氏の1959年に撮影された
筑豊での着物を着たおかっぱ姿の女の子が涙と鼻汁を流して泣いている顔であ
である。昭和34年。写された子ども達の顔、仕種は生き生きとしている。目
に張りがある。時代が進むにつれて顔に緊張感というか個性と言うか、顔から
発信されものがやわらかくなって来ている。兎に角、食糧には満足以上のもの
がありそこに動物としての緊張感が消えてきているのだろうかなど思いめぐら
せながらダンス会場に出かけた。200人以上の人が踊り、その混み合い具合
は芋を洗う状況であった。
 必然的に体と身体の接触がある。しかし、頭を下げる、言葉を出す人がまれ
なのに驚いた。スマートな踊りのはずがである。中には主催側のリボンを付け
ているリーダーもいるのだから。少々頭に着たが、たっぷりと汗を流して十分
に踊りを二人で楽しんできた。外に出れば色々な場面に出くわす。それが刺激
になり活力現にもなる。必要なのは、やはり好奇心かなー。
 
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猫と梅ノ木

2006年03月12日 10時45分37秒 | 兎に角書きたいの!
 メジロ、もずの為にミカンを輪切りにして木の枝に取り付けておく。朝方に
それぞれの鳥がやってくる。これに、ミカンをつついている鳥を狙って猫がは
いかいする。
 鳥を狙っているが思うように行かない。そこで、梅ノ木に上り来る鳥を待つ
ようになった。しかし、鳥の相手ではない。猫の挑戦もこれまでとなり以後姿
を見せることはなくなった。
 鳥達にもルールがあるようで、一羽がミカンを食べている時は、他の鳥は梅
の蜜を吸っている。ある一定時間が経つとスムーズに交代している。12月か
ら3月中旬までこの光景が見られる。春はもう直ぐということ。自然は、ゆう
っくりと歩みを進めている。庭の植物、木々の芽などに様々な変化が出てきて
いる。地エビねの芽がふっくらとした姿で木の葉を分けて1センチほど顔を覗
かせている。もう直ぐ桜に浮かれる日がやってくる。横浜の開花は3月24日
の予想だが。待ち遠しいね。
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ポスターは語る

2006年03月04日 20時27分28秒 | 兎に角書きたいの!
 ある民家の壁にポスターが貼られていた。
佐藤勢津子 妹 チャリティー歌謡ショウ 1999円・姉美空ひばりを慕い
つつとあり顔写真は、美空ひばりよりもお母さんに似ていた。
 歌謡ショウーは、3・9戸塚公会堂・3・9南公会堂・3・14保土ヶ谷公
会堂での実演である。妹さんの顔写真を見たのは初めてで暫くポスターとにら
めっこしていた。ひばりの年取った顔はこうなるのかなーとなんか不思議な気
持ちで牧歌的な雰囲気に車の流れを横目にしながらの一時であった。
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狼少年

2006年03月03日 12時35分14秒 | 兎に角書きたいの!
 彼のとる行動には呆れぱなし。TV放映がありそれを計算に入れたパフ-マン
スにはどう理解したらよいのだろう。良し悪しは別として、議場で武部幹事長
に誤るなら少なくとも議場入口で武部幹事長を待つのが常識だと私は考える。
加えてご子息に謝罪したいのでその労をとって欲しいとお願いしている。その
態度こそが欺瞞である。謝罪したいなら自分でその機会をつくって自ら行動を
起こさねばならぬ。
 永田議員は、小泉総理が「除名」は厳しすぎると言うのは、自ら判断し辞職
しなさいと言う親心であることを認識して欲しい。武士社会で言えば、斬首せ
ずに切腹の道を選んで永田議員の名誉を保持しようとしているのである。
 この”狼少年”には、議員としての資質が欠けている以上、議員以外の道を
選んで新たな人生を歩んで欲しい。それが私の願いである。
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