いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

リボンちゃん

2005年07月31日 16時23分16秒 | シルバー社交ダンス風景
 この暑さに53名参加。ハンカチを絞ればポタポタと滴が落ちる。持参した
500mlのボトルは空っぽ。

 そんな中での彼女達の話は、やっぱりダンス。女4人でのダンス旅行が楽しいと
いう。そう、現地のホールで男性二人をゲットするのだと。そして専属として2時間

タップリと踊る。リードがうまく夢心地で気分がいいと彼女たちの花が咲く。
一人当たり3,000円程度負担すればリーダーの参加が無くともタップリと楽しめる。

 この相手が、「リボンちゃん」と言われている。どのホールでも男女のリボンちゃ
んは存在するが、圧倒的に男性のリボンちゃんの需要が多い。

 ダンスは、女性が金銭を払へば、1人で何処へ行っても十分に楽しめるスポー
ツでもある。

 シャワーを浴びて、ビールをグィー、今日はのどの渇きがままならず二缶飲み干
した。

 当初、相手役はリボンを付けていた。それで、リボンちゃんと言うようになった
らしい。ダンス界の隠語というより通常語になっている。

 どのサークルでも男性は希少価値。今日も2時間踊りっぱなし、さすがに疲れま
した。熱中症に気を付けながのお相手でした。



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酒は飲むべし…

2005年07月30日 16時52分16秒 | 心に留めた言葉
  
  「酒は飲むべし、飲まれるべからず」

 お経の中で「人、酒を呼ぶ」、「酒、酒を呼ぶ」、「酒、人を呼ぶ」と説いてい
るそうだ。
  
  「人、酒を呼ぶ」は自分が飲みたいので飲む。
  
  「酒、酒を呼ぶ」は、自分の意に反して飲みたくなる。

  「酒、人を呼ぶ」は酒に飲まれてしまう。ということで、人、酒を呼ぶ程度で

楽しむと良い。時には、酒、酒を呼ぶ時もあるが!
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出る杭は打たれるが出すぎた杭は打たれない(第30編)

2005年07月30日 15時48分24秒 | 娘のエッセイ
 つい先日会社の先輩男性から、私が入社した時「すごい奴が入ってきた」と思っ
たと聞かされた。『さわらぬ神に祟りなし』や『長い物には巻かれろ』を教訓とする
 
サラリーマンには、上司や先輩にポンポンものを言う私の存在が奇妙にみえたか
らかもしれない。

 十代の頃から人と同じことをするのが大嫌いで、高校生になり周りの女の子達
がパーマをかけだした時は、断固としてストレートヘアを保っていたり、その逆をし
たり。

 とにかく皆と異なることばかりしていた。別に目立ちたいと思ってそうしていた訳
ではなかったのだが、「なぜ、皆と同じにしないの?」という疑問を人に抱かせて
しまい、結果として目立ってしまったようだ。

 「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない、私はそうなりたい」とコメント
したのは、確か田丸美寿々さんだったと思う。

 その言葉を聞いた時、「そうか、出る杭は打たれてしまうけれど、打たれない為
には出すぎてしまえばいいのか!」と私は悟った。それからは、その言葉を胸に
秘め、口先だけに終わらないように各種の資格を取得し、趣味を広げ、意欲的に

仕事もこなした。努力の甲斐あってか、友人達からも「趣味が広いね」とか「専門
職でいいな」等と最近は言われている。

 入社当時「すごい奴」だった私は、勤続四年目の現在、社内ではCADオペレー
ターの第一人者となり、十代のウラ若き後輩からひとまわり以上も年上の男性ま
で、CADについてのオペレーションや機能を教える立場でもある。

 彼らから「CADについてわからないことはない」と思われている私の愛読書は、
いまでも『CADオペレーションマニュアル』だ。

 そして、相変わらず「出すぎた杭」になろうと、心のアンテナを絶えず緊張させ
て、街で電車内で、目をキョロキョロさせている。
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愛ちゃんのパイパイ

2005年07月30日 09時15分54秒 | Weblog
 生後三ヶ月。母乳で十分に満足している。夜泣きをすることほとんど無く順調に
育っている。

 恐らくそれは、お乳の飲み方にあるのだろう。

  ぺチャぺチャ、チュウチュウ違うグビグビ、ゴクンゴクン違う違う
  ゴックンゴックンこれだ。
 
 先日、同じ病院で、同じ日に、女の子を授かった四人が集まり、授乳時に愛ちゃ
んのその飲みっぷりに三人の友達はびっくりしたそうだ。だから、飲んでいる時
間は短い。

 その母親は、学校を卒業すると時間的拘束を受けるのはヤダ。自由に時間を
使いたいと、当時の先端,フリーターとして青春を謳歌していた。

 エレクトーン・ボーカル・ギター・ハーモニカ・ボクシング・キックボクシング
マラソン・オーストラリアでの生活・スカイダイビング・健康指導員・菓子専門学校

介護2級での訪問介護・調理士及び栄養士資格取得での勤務など姉に劣らず
様々なことを経験している。

 もっとも得意とするところは食べること。驚くほどの食通でかつ貪欲である。と言
っても体形は中肉でスラットしている。

 恐らく、母乳の根源は、体を使い食べることを最上の楽しみにしているこの母親
の行動に支えられているのだろう。

 毎日送られてくる写真付きメールに家内共々いろいろな嬌声を上げながら楽し
んでいる。

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酒 (29編)

2005年07月29日 18時12分58秒 | 娘のエッセイ
 ビジネスと切っても切り離せないもの、それが「酒」である。
親睦を深めるための酒、商談などの付き合いの酒、ストレス解消

の酒、色々な飲み方があるが、親睦を深めるための酒というのが、
結構やっかいなものなのである。

 私の勤務している会社は、社員25名のうち、女性は4名とい
う完全な男性優位の会社なので、お酒を飲む機会が多い。なにか
というと、すぐに飲み会、ということになる。

 それでも、社内でテーブルをくっけて、皆で飲む時は、まだいい。
皆、比較的おとなしく飲んでいる。

しかし、外で飲むと、少々様子が違ってくる。とりわけ遠慮した
いのは、泊りでの飲み会である。

 先月も、年に一度行っている「安全大会」と称する一泊宴会が
あった。行けば、宴会の時、女性の社員はホステス役をさせられ
るのがわかっていたので、行きたくなかったが、渋々出席した。 

出席している下請けさんや、協力業者の方々とは、顔見知りで
ある。いやだ、といいながらも、さしつさされつ、結構楽しく過
ごしていた。

そのうち男性群の顔も赤くなってきたころ、私と仲の良い職人の
kさんが私に「キスをしたい」と言い出した。しかも、それを誰
かに写真をとってもらおう、というのである。「ほっぺですょー」

と言いながら私が頬を人差し指でさすと、「リハーサルしようョ」
と言い出し、結局二度も頬にキスされてしまった。

 ここに入社してから、ほっぺにキスはもう三人目である。同じ
社員なのに、男性はいい気分で楽しみ、女性はサービス役のホス
テス。完全な男女差別の世界ですね。ほんとに。

 などと、お気に入りのピアノバーのカウンターで、好きな男相
手に、話をするのってわるくない。

静かなバーにきれいなカクテル、渋いマスターと心地よいジャズ
ピアノ、隣にいい男、これだけ揃えば、例えノンアルコール派で
も、ほんのり酔ってしまいそう。

 そういう状況で飲むお酒が、私は一番好き。

 
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薬のよしあし

2005年07月29日 09時00分41秒 | 心に留めた言葉
  
   《薬を売るのは両眼、薬を用いるのは一眼、

                 薬を服する者は無眼》


 薬のよしあしを知っている者の順番を言った古いことわざ。


     平成8年4月15日読売新聞(よみうり寸評)から       
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守護霊はご先祖サマ(第28編)

2005年07月29日 08時45分43秒 | 娘のエッセイ
 誰にでも、守護霊はついているそうだ。そして、その霊はほと
んどの場合、自分の先祖の霊だという話である。

テレビを見ていると、芸能人が有名な霊能者に、守護霊を見て
もらっている場面がよくある。けれど私達一般ピープルの場合、
守護霊を知りたいと思っても、有名な霊能者に見て貰える機会

はほとんど無い。そんな時、自分の守護霊が簡単に判る方法と
いうのが、ある雑誌に紹介されていた。

 その方法とは、実に簡単であった。

まず部屋に独りで座り、心を静かに落ち着けて、自分の父方・
母方の亡くなった方達の顔をひとりずつ思い浮かべ、心の中で
その相手に向かい『あなたは、私の守護霊ですか』と聞いてゆく。

もし、自分の守護霊だった場合には、なんとも言えぬ感情が体に
走り、じーんと涙がでてくるのだそうである。

 さっそく、私はこの方法を実行してみた。知っている限りの亡
くなった祖父や祖母その他の顔を思い浮かべていった。

そして、母方の祖母に、問いかけた時、前述のような現象が、私
の身に起きたのである。ボロボロと流れる涙は止まらなかった。
その時、私は思った。(やっぱり)と。

 三人兄弟の長女である私は、完璧なおばあちゃんっ子であっ
た。私の幼少の頃の思い出の中にいるのは、いつも母ではなく
祖母だった。

 母が育児で忙しい時、私は祖母と一緒に縁側に座り、梅干に砂
糖をまぶしたものをお茶受けにして、大人びた時間を過ごしてい
たのだった。ある時、母に言われた。

 「口をすぼめる癖、おばあちゃんにそっくり」そう、私はいつ
の間にか祖母の癖まで、自分のものにしてしまっていたのだった。

 法事の際、お寺でお経を聞いているとき、故人を思い、一番たくさ
んの涙が滲んでくるのは、祖母に対してである。もう20年経ってい

るというのに、だから、私は今でも時々祖母を思い出しながら、
ひとり、梅干に砂糖をまぶして、食べている。
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ポケベル

2005年07月23日 16時49分15秒 | Weblog
  もう、十年以上前になるだろうか?
 
 ポケベルが、大きな役割を果していたときがあった。今、携帯は、想像以上の
スピードで大きな変革を遂げ、日常に無くてはならないものになっている。

 それを思うと、「ポケベル」はなんと牧歌的なことであったことか。

例えば、①14106は、アイシテル

     ②0840 は、オハョオ

     ③0833731は、オヤスミナサイ

 などと、ポケベル専用のメッセージが多く作られ、今の携帯より頭の運動に
なっていた。「このごろの世相」は、そんな時代のエッセイである。
 
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このごろの世相 (第27編)

2005年07月23日 16時24分22秒 | 娘のエッセイ
 あのお立ち台と派手なボディコンで一世を風靡した”ジュリアナ東京”が閉店し
た。けれど、ジュリアナを遊び場としていた女の子達「また、他を探すだけ」と、
至って淡白かつ元気である。

 ところがこんなに元気な女の子達も、仕事社会というカチカチの世界のなかで
は、すっかり元気をなくしてしまった。『セクハラ』という言葉の出現で、一時あ

んなに自己主張していたワーキングウーマン及びワーキングウーマン予備軍が
今、哀しい悲鳴をあげている。

 会社の面接。そこでは平然と”ポケベルの番号を教えて”とか”彼氏いるのか”
とか ”制服のサイズがないから痩せてくれるか”などという、おぞましい質問
がなされているのである。

 そのうえ就職したらしたで、宴会の度にホステスに変身させられる(それはま
だいいほうで、私の知人には宴会で水着姿にさせられた女の子もいる)などと

いう現実が待ち受けていたりもする。それなのに多くの女性達は、それらと戦う
すべもなく、ただ黙ってその場を去ることしかできない。

 最近、”コギャル”などと言って女子中・高生の行動が話題になっている。
ブルセラショップでおこずかい稼ぎをする子。テレクラで知り合った男性に洋服
や小物をかってもらう子たち。

 そういう現象に世の大人達は眉をひそめるけれど、そういった知恵? を少女
達に与えたのは世間であり、大人達である。

 彼女達の行動は、褒められたものではないけれど、この自由奔放さ、大胆さ、
したたかさには感心させられる面もなきにしも非ずと言った気がする。

 彼女達なら、こんな時代でもしたたかに強く乗り切っていけるだろう。十代の
少女たちのそうした世渡り術を少し分けてあげたい。

 駅で紺色のスーツをみかけたり、新聞で彼女達の苦戦ぶりが報道されるたび、
そう思う。

 負けるな、ワーキングウーマン予備軍!
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嫉 妬 (26編)

2005年07月22日 08時20分43秒 | 娘のエッセイ
 私は会社で4年間、三歳年下の女の子の嫉妬に悩まされ続けた。彼女の女性
上司は「彼女は劣等感が強くて、意地が悪いから」と慰めてくれたりしたが、と
にかく彼女の行動は私の友人達さえ「異常じゃないの?」と声を曇らせるくらい
常識を超えたものだった。

 しかも、被害者は私だけではなかった。仕事関係の男性○さんは、「彼女が夜
中に、泣きながら家に電話を掛けてくるので困る」とこぼした。もちろん彼には
妻がいて、彼女とは愛人関係でもなんでもなかったのに、である。

また、彼女抜きで会社の人達と飲みに行った時も、○さんは「きっと、今日のこと
も何処からか洩れて、あの子が泣きながら電話を掛けてきそうで嫌だ」と苦笑して
いた。

 嫉妬という複雑な感情は、時として人間の精神を異常にするのだろうか? 彼
女の行動は、完全に理性のストッパーがはずれてしまっているとしか思えない。

しかし、彼女自身は自分のしていることを、異常だと思ってはいなかった気がす
る。それは彼女が、嫉妬の矛先を、次々と多数の人間に向けていったことからも
わかる。

 妬み深い人というのは『自分が幸福になることより、他人が不幸になることのほ
うが重要』なのだそうだ。

たしかに、彼女は自分にとってはマイナスにしかならないような方法で、私に対応
していた。彼女には、私が嫌な思いをすることが何よりも嬉しかったのだろうか?
 『妬みとは偽造された賞賛、感嘆である』
とはキュルゴールの言葉である。

 そういえば、彼女は化粧品のメーカーを私と同じものに変え、私の服を批判しな
がらも同じようなコートを買い、私と同じアクセサリーを使うなど、何でも私の真似
をしていた。

 彼女はいつ、眼を覚ますのだろうか?
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今日という日 (第25編)

2005年07月21日 08時44分53秒 | 娘のエッセイ
 私はその日、知り合ってまだ半年ほどの友人に、お金を貸す約束をしていた。
数日前に会って、その時に今日のことを約束したのだが、その当日になっても

まだ、私は迷っていた。『貸していいものだろうか?』と。なぜって、お金を貸
すときには、「あげた」と思って貸さなければならないものだから。しかも、そ
の額は小さくはなく、私の月給の半分近い額だったから。

 けれど8時40分に待ち合わせ場所に現れた彼は、とてもせわしなくて、ゆっく
り私の気持ちを説明する時間さえ与えてくれなかった。

 理由のひとつは、彼の職場関係の人と彼が待ち合わせをしていたこと。もうひ
とつの理由は、彼のお母さんが入院していて、病院にいく為に、8時54分○○発

の電車に乗りたかったこと。『時間が無いから』と言い続ける彼と、迷い続ける
私。彼の言葉も空回りし、ふたりの会話は平行線のままだった。

 何の形も残さない、ただ信用だけで貸すということ、それは私しにとってあま
りにも不安が多すぎた。それなのに、時計に何度も目を走らす彼に私は、とう
とう、きつい言葉を投げつけてしまった。

 「54分の電車と、私から8万円のお金を借りることと、どっちが大事なの
よ!」間髪いれず、予想外の言葉が戻ってきた。

 「5万や10万でお袋を見捨てられるかよ!」思いもよらない口調に、私は、はっ
として一瞬言葉を失った。

そしてその数十秒後、私は彼に銀行の封筒を渡していた。
そのあと、ふたりで駅に向かって少しだけ一緒に歩き、彼は私の前から走り去っ
て行った。

 彼の後を追わず、私はゆっくりと自分の行くべきホームへ行った。電車に乗って
シートに腰掛けた時、私は初めて冷静になった。『もし、彼が間に合わなかったら
どうしょう』そんなことを考えていたら、目の前が霞んできた。

 だから、仕方なく私は駅につくまでずっと車両内の中吊り広告を擬視し続け
ていた。



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合鍵 (第24編)

2005年07月20日 08時23分24秒 | 娘のエッセイ
 『女は、それを手にした時、男が自分にすべてを許してくれたと思う。けれど、
それは錯覚だ。しかし、その錯覚は甘美なものだ』

 ここでいう『それ』とは、男(恋人もしくは愛人)の部屋の鍵のことである。
ひとり暮らしの男とつきあった場合、ほとんどの女は、その部屋の合鍵を渡される
ことを切に願う。

 合鍵は、その男の部屋にいつでも出入りできる自由を与えてくれると共に、
”自分がその男の一番身近にいる女なのだ”という安心感をもたらしてくれる。

だから女は、男から合鍵を渡されると、とても幸せな気持ちになれるのだ。私も
何度、男達から合鍵をもらったことだろう。その鍵は、私の手の中でキラキラと
黄金色に輝いていた。

その輝きの陰にはさまざまな面倒なことが絡み付いていたというのに、当時、私
はそのことについてまったく気が付かなかった。

 そう、鍵を受け取ったあとに私を待っていたものは、ただの日常の雑事だった。
会社帰りに買い物をし、合鍵で部屋に入る。夕食の準備をし、時間があまると

洗濯物をたたみ、掃除する。そしてふたりで食事して、洗い物。そんな毎日に、
いつしか私はクタクタに疲れ果てていた。

「私は、あなたの家政婦じゃないっ!」

「家政婦扱いなんか、していないだろっ!」

そんな言い争いを何度したことか。結局、ふたりの間に訪れたものは『別れ』
だった。

 ところで、私の友人のひとりは、結婚の必要性を男に意識させるために、部屋
に行っても家事は絶対にしないという。彼女にとって、合鍵はただの「うっとお
しいだけのモノ」なのかもしれない。そんな彼女が「お帰りなさい」のキスの優し
さを知るのは、いつだろうか。

 今日もどこかで、合鍵を渡された女達は、幸せそうに微笑んでいるに違いない。
それがふたりのはかない関係の末に訪れる”思い出の箱”の鍵にすぎないという
ことも知らないままに……。



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単身赴任は…

2005年07月19日 10時37分21秒 | 心に留めた言葉
     現役時代、単身赴任中に妻からの手紙

       『私は寒さと同じくらい想いもつのってまいりました……

        寒い冬を一人で過ごさせて申し訳なく涙しております……』

      
  妻は、今事務員として頑張っている。ご飯、洗濯は私の仕事とは言っても、
 スイッチひとつ。梅雨明け、我が家の梅の土用干し。出勤前の妻の指示を受け
 ての作業…
 
 
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古典的育児観 (第23編)

2005年07月19日 09時58分45秒 | 娘のエッセイ
 先日、ある新聞の人生相談をよんでいたら気分が悪くなった。三十代の息子の
疲れがひどいと心配する母親からの相談だったが、そのなかの”息子は、日曜日
 
も育児をさせられているようで……”という一節が妙にひっかかった。育児をさせ
られているなんて! だって彼は子供の父親であるのだから、育児は親としての

権利であり義務であるのではないの? なんだか悲しかった。そんなふうに息子
の育児をとらえている母親のいることが。

 父親が大黒柱と言われ、一目置かれていたのは遥か昔のこと。現代の中年
の父親たちは家庭に居場所がない。妻には「亭主元気で留守がいい」と言われ、
やがて年をとるにつれて『粗大ごみ』とか『濡れ落ち葉』というニックネームで
呼ばれる。

 そして娘からは「お父さんと同じぬり薬はつかいたくな~い」と抗議され、一回
使い切りのぬり薬が製薬会社から発売される。

 これは、今まで男性が家庭ときちんと向き合わなかった(向き合えない時代だっ
たのかもしれないが)、あるいは育児に参加しなかった結果ではないだろうか?

 昨年出産した友人は、夫の帰りを待って、ふたりで赤ちゃんを入浴させたそう
だ。おしめを取り替える父親、子供の食事の世話をする父親、そういう父親像も
今は珍しくなくなっている。

「夫の参加」をそれほどに勤めていても、ダンナの仕事が忙しく、現実は母子家
庭状態なので、彼女はふたりめは産まないつもりという。

 でも夫がもっと育児に時間がとれるならふたりめも考えると言っていた。夫の
育児参加は当たり前と思う妻、時間の許す限り育児に関わる夫。そういう家庭な
らば、娘も父親と同じぬり薬を抵抗なく使うのかもしれない。

 若い夫婦の育児観は変わっていく。それなのに、周りの先輩が古い考えのまま
では新しい家庭の形は生まれない。

 父親の居場所の復活も困難だ。ならば古典を尊ぶのは文学にまかせて、古典
的育児観はそろそろ脱ぎ捨てたほうがいい。

 まあ、家庭以外のほうが居心地がよいというなら話は別だけれども……?
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パイパイ愛ちゃん

2005年07月18日 20時55分29秒 | Weblog
 &孫が二度目の里帰り。
 ママに抱かれて、駅構内での顔合わせ。実家に着き、一緒に墓参。

ご機嫌で、午後4時娘の家へ夫婦で送り届けた。途中ぐずることなくご機嫌さん。
 今では、二つの要求はすぐわかるそうだ、それは。

    ① パイパイ愛ちゃん…欲しくなると、ぐずりそのぐずり声で分かるそ
     うだ。母親はこの仕種をパイパイ愛ちゃんと言っている。

    ② アイアイ愛ちゃん…遊んで欲しい、かまって欲しいときにオオーと声
     を出し、これも母親の子供への掛け声である。

 娘の家につき、ご機嫌さんはヒートアップし、しばらく孫の笑顔に見とれた。
娘は孫を抱いてベランダから我々の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた…。



     
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