いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

時間を強奪・浪費した最悪のリーダー菅直人!

2012年01月23日 09時02分27秒 | 兎に角書きたいの!
 昨日、日本テレビで、「復興せよ!後藤新平と大震災日の戦い、若きプロ集結涙の誓い、今わかる奇跡の偉業激劇」と題して一時間30分放映された。濃密な内容に加えて後藤新平以下震災復興に携わった人たちの意気込みと復興への構想力、先見性、実行力、そして後藤新平をはじめ担当局長の責任感とリーダーとしての実行力に感嘆仕切りであった。

 震災後の復旧・復興は時間との戦いである。後藤新平のその指導力には哲学があった。それに引き換え、あの「菅直人」は自己保身に始終し復旧・復興を大幅に遅らせその実行が難しい状態に至らしめた。

 何事もリーダーの資質によって大きな力になったり国民を閉塞感の中に引きずり込むことがこの放映で鮮明に印象づけられた。この瞬間に、自己保身に走るリーダーが存在したことは被災者、被災地、日本にとって最大の損失となった。

 時間の浪費が以後の復旧作業にどれだけの障害をもたらしたか。国民のためを思って実行されたならどれだけ被災者の方々は救われただろうか。

 総理を退任したら手を振り振り「四国お遍路」に出かけた。何と無責任で自己中の指導者だったことだろう。この無責任な在任中の時間を取り戻すためにどれだけのエネルギーを必要とすることだろう。

 1923年9月、関東大震災の翌日に内務大臣に就任した後藤新平氏は、即座に帝都復興院を設置。様々な分野から優秀な人材を集め壊滅状態に陥いった首都・東京の復興に心血を注いだ。当時の遺産、隅田川に架かる多くの橋、小学校校舎、公園、道路、区画整理の後などなどが残っている。

 最悪のリーダー「菅直人」が、後藤新平のようなリーダーだったらこれほど国民を閉塞感の中に閉じ込めることはなかっただろう!
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孫の数え歌!

2012年01月12日 09時36分21秒 | 兎に角書きたいの!
 今日は事のほか寒い。外にあるバケツに薄氷が張った。孫たちが正月に集合して早1週間が過ぎた。4歳半になる男孫と風呂に入った。もう出る~との声にそれでは10数えようと1、2、さ~んと数える始めた途端にマガは早口で言い出した。

 いち にい さんまのしいたけ でっこんばっこん ちゅちゅかまぼこ でっこんぱっ!

 あまりに面白いので他に何かあるかと聞いたら次の数え歌を歌い始めた。
1 いちわのカラスがカァーカァー
2 にわのにわとりコケコッコー
3 さんはさかながおよいでる
4 しはしらがのおじいさん
5 ごは合格おめでとう(または、ゴリラのけつ洗い)
6 ろくは牢屋に入れられた
7 しちは可愛い七五三
8 はちははちにさされたよ
9 きゅうはキュゥキュウ救急車
10とうはとうとうおしまいだ と教えてくれた。

 子供の成長は早いものである。どのような子供に育つか将来が楽しみである。
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「君が代」の由来

2012年01月03日 10時02分03秒 | ハマ風は踊る
 それは横浜! 1859年以降文明開化に彩られた横浜には、ビール、アイスクリーム、ガス灯など70種を超える発祥地とするものが記念碑とともに存在する。
 その内の一つに薩摩藩軍楽隊の寄宿舎だった妙香寺(中区)境内には、「日本吹奏楽発祥の地」と「国歌君ケ代発祥之地」の石碑がある。
また同山門前には「国歌君が代由緒地」との碑もおかれている。
 その由来は、横浜居留のイギリス軍楽隊長フェントンの「日本も国歌を持ったらどうか」との提言に薩摩藩歩兵隊長大山巌(西郷隆盛のいとこ)は平素愛唱していた蓬来山にある『君が代』がいいだろうとなった。
 歌詞「君が代」の初見は古今和歌集にある。
この歌集は905年に紀貫之らによって編まれ次の一首が収められている。
 わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで(詠み人知らず) この歌は、平安時代の頃から普及した祝い歌である。中世に第一句「わが気味」は「君が代」へと変転しながら全国に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝い歌として親しまれてきた。
 薩摩琵琶の名曲とされる「蓬来山」は、島津家中興の祖、戦国武将島津忠良(日新公~じっしんこう・・1492~1567)によって作詞された。

「目出度やな 君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に 不老門を立ち出でて 四方の景色を眺むるに 峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ 君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巖となりて苔のむすまで 命ながらえて…千草万木花咲き実り 五穀成熟して…」

と薩摩藩では賀歌として祝の席でよく歌われていた。また、薩摩藩士の郷中教育の基本書となる「いろは歌」や戦国時代の武士たちを弔うための六地蔵塔などを残している。
 加えて日新公いろは歌は「いにしえの道を聞きても唱えてもわが行いにせずばかいなし」に始まる47首の歌で、薩摩藩士に人としての儒教的な心構えを説いた忠良は明治6年に竹田神社に祭神として奉られている。
 「君が代」は、国連参加193ケ国中で最も短い歌詞であり平成年に法律で国歌と定められた。曲はフェントンが命じ年に作曲したが曲調に違和感があり明治13年に現在のメロディーとなった。毎年10月に妙香寺本堂で「初代君が代(横浜うた物語CDに収録)」を含む吹奏楽の演奏会が行われている。因みに昨年は、大西学園中学校・高等学校吹奏楽部と海上自衛隊横須賀音楽隊による「吹奏楽発祥の地」記念演奏会が行われた(横浜市中区妙香寺台8所在)。 
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1月・睦月・雪

2012年01月01日 08時06分12秒 | 兎に角書きたいの!
 雪やこんこん霰やこんこん
 降っても降ってはずんずん積もる
 山も野原も綿帽子かぶり
 枯木残らず花が咲く

 雪やこんこん霰やこんこん
 降っても降ってもまだ降りやまぬ
 犬は喜び庭駆けまわり
 猫は炬燵で丸くなる
 
        作詞・作曲不詳
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