いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

長女の哀しさ 54編

2005年08月24日 12時43分08秒 | 娘のエッセイ
 長女は哀しい、と思う。私の友人には長女が多い。というより、ほとんどが
長女である。私は友人と喧嘩や言い争いをしたことがない。それはそれでとても
良いことなのだけれど、なんだか淋しい。

 なぜなら彼女達が皆(私も含めて)、実に長女的な性質を持っている証拠だから
だ。一般的に語られる長女的性格というのは、責任感が強く、我慢強い。控えめ
でも芯は強く、真面目で羽目を外さない。人のめんどうをよく見る、などだろうか。

 ああ、こんな女達の集団に、喧嘩など起ころうはずがない
けれど、こんな長女的な性格というのは、家庭の場においてのみ最大に発揮され
ているだけだ、と言ったら乱暴すぎるだろうか。

 友人関係の場で、長女達は、長女ではない自分をちょっぴり見せる。また、一番
身近な男性に対しては、長女は長女の仮面を外し、あるがままの自分を見せる。
そんなとき、仮面の下のその顔は、驚くほど甘ったれでお茶目だったりするのだ。

 ジョークを言った時、ダンナが笑わなかったら、笑うまで彼の後を追い回すT女。
そんな姿を恐らく彼女の家族は知らないだろう。

 長女の哀しさは、長女だけが知っている。M子の姉は、自分の子供達に「お姉
ちゃん」という言葉を使わせない。その気持ち、理由、良くわかる。かくいう私
自身も、自分の子供には(産んだとしたらだが)「お姉ちゃん」を使わせたくな

いと以前から思っていたからだ。「お姉ちやん」を使うと、とたんに親も「長女の
○子」として見てしまう。子供が見て欲しいのは、長女の私ではなく、あなたの
子供の私なのに……。

 長女の仮面は薄いが強靭だ。一度付けてしまったら、その仮面を外すことは
難しい。また仮面を外した顔を親はみようとはしない。でも、あと何十年かした
ら長女の哀しさを知る子供はいなくなってしまうかもしれない。悲しいことだが、
それが現実にならないとは誰にも言えない。

コメント (2)
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