いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

ダンス旅行あらかると

2007年05月31日 10時09分44秒 | 兎に角書きたいの!
 5月29日、一泊でダンス旅行へ行ってきた。旅館は北志賀高原竜王「ホテルタガタ」で参加者22名(内女性14名)ホールは200坪を借り切りで踊った。この人数での踊りはきつかった。女性に不満を抱かせてはならないから。
 ホテルに着いてホールへ。エネルギー十分だから踊りまくりで宴会。始まったと思ったらカラオケの開始。食べながら、飲みながら、語りながらの宴会の後は本番のダンス。ご婦人の方々は色とりどりのドレスを着用しての舞姫には普段とは違った女性の魅力を発散させていた。それぞれに楽しんだ舞踏会も終わり二次会が始まった。
 ここから、様々なことが起きてきた。最初に、あるご婦人の最も近い友人が亡くなったとのメール。昼間に入信があったがメールを開いたのは夜の宴席のときで今日の帰宅は無理で翌日一番でホテルを後にした。
 ホテルでの早朝、朝食前の風呂につかり出たところでビールを飲もうと言う時々お会いするダンス仲間と缶ビールを手にしながら四方山話。話しているうちに私が現職時に使えたことのある上司とは田舎が同じの福井県で先輩後輩の関係にあり毎年東京で会合を開いていると言う。ホントに世間は広くて狭いものである。
 ホテルを後にしてバスは出発した。途中で「イケネー!」と言う声が後部座席から聞こえてきた。フロントに貴重品を預けたままだと。すぐ連絡して送ってもらうことにした。
 小布施の町を散策した。北斎館、高井鴻記念館、中島千波館、お土産店など三々五々見学して小布施の町を後にしたが、またまた「イケネー!」と言う声が今度は前の席から聞こえた。曰く「山芋を買って金を払っておいて帰りに品物を受け取る」手はずだったが山芋を持ってくるをを忘れたと言うのである。これは当然放棄することとなった。
 そして、善光寺参り。国宝善光寺本道は1707年に再建され今年300年を迎えるということで三門の大改修工事が行われている。その三門に畳3枚分の大きさの額に「善光寺」と書かれている。この善光寺という文字の中に鳩が5羽、牛が1頭描かれているとの案内人の説明であった。善光寺へお参りの折にはじっくりと確認していただきたい。
 また「お戒壇めぐり」では、真っ暗(本当に目を閉じた暗闇)な回廊を通り、
「極楽の錠前」を探り当てる行為で、それにより秘仏のご本尊と結縁すると言うものである。是非、お参りされることをお勧めする。
 善光寺を後に一路横浜へ。天気にも恵まれて十分に観光を堪能することが出来た。バスが走り出すとポツリポツリと雨がそして大粒に、着いた横浜も雨だった。
 バス5時間の乗車は疲れるが、移動は容易で便利で仲間内だけ。ある仲間は、カセットを持参して昔懐かしいテープを流し車内の演出を行っていた。
 旅行は、一人、二人、家族、仲間、団体などどのスタイルでもそれぞれに楽しみがある。妻曰く「善光寺」へ行きたい!
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美空ひばりの世界展

2007年05月29日 07時50分06秒 | 兎に角書きたいの!
 昨日、横浜松坂屋で開催されている美空ひばりの「生誕70周年記念」展へ二人で出かけた。会場は、写真、ポスター、衣装、アクセサリーなど想い出の品々が展示されている。
 不死鳥”美空ひばり”東京ドームで開催した時のDVDを購入した。39曲が収められている。伊勢佐木町の夜道のなか帰路に急ぐ街中では、ひばりがうたうメロディーが流れている。横浜の街の情緒を思いっきり演出し演出されている。横浜の街にぴったりのひばりの声……
 これから長野へのダンス旅行で出かける。中途半端だが今日はこれで。
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横浜開港記念バザール

2007年05月28日 10時52分51秒 | 兎に角書きたいの!
 午前中妻とダンスパーティーで汗を流した後家での昼食時に、相当咽が渇いたと見え妻から「ビールが飲みたい!」と結婚して以来始めて位の申し出に異存なく缶ビールを空けた。一休みして開港記念バザーの初日に横浜公園へ二人で出かけた。
 ダンス仲間のご婦人が、衣料品販売の会場にいると言うことであったので会場に着いたが出店場所が分からず携帯に電話を入れたが応答が無かった。それではぶらりと行こうと歩き出し数分も立たぬうちに彼女と出会った。妻はそこで物色して何点かを買い求めた。彼女が以前勤めていた会社の社長から頼まれて毎年、この場所でお手伝いをしているとのことである。
 彼女曰く、毎年、万引きとかスリの被害が出るとのことで、「今日はあのおばちゃんの姿が見えないわね!」と常習犯が多いらしい。お店でも以前個人所有のバックとか商品の被害にあっているとのことである。特に困るのは、二三点購入してそのお店のビニール袋に万引きした品物を入れられることだとのことであった。
 チラシによると「大正9年(1920年)に始まった『横浜開港記念バザー』は、いまや初夏の風物詩。植木市、雑貨、衣料品や縁日など約240店出店します。掘り出し物が見つかるかも!」とあった。会場の後にある球場では、歓声と鳴り物で大音響が響くが結果は楽天7:横浜4で負けてしまった。
 球場の音の陳列を聞きながら植木市へ向かった。そこで私は「クマガイソウ」一株を千円で買い求めた。家には5株葉を茂らしているが今年は一株も花を咲かせなかったが購入したクマガイソウの開花に来年を期待したい。以前、谷峨へ化石採りに行った山中で1株クマガイソウを見つけ今でも家で葉を茂らせて元気である。また妻も花を購入し、そしてあの斑入り植物1,800円でとてもいいというので引き返しその植物を再確認したところ「値札は18,000円」とあった。お店の人と話ししながらその場所から退散することにした。
 手荷物が重くなってきたので街でのぶらぶらは止めてバスに乗った。途中の停留場から一人のご婦人が乗車してきた。よく見ると知り合いの人で今95歳でる。化粧をし着物姿のこのご婦人はしゃきっとしている。ご婦人を自分のところへ招き席を空けた。
 今日は万引きの話を聞いてビックリしたが95歳になるご婦人に偶然お会いしてそのしっかりしたお姿にまたビックリした横浜開港記念バザールだった。
 
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呆れた・腹が立つ社保庁・これでもか!

2007年05月26日 09時37分47秒 | 兎に角書きたいの!
 連日の新聞、TVでの社会保険庁のずさんな管理に怒りを覚える。講座不明が5,000万件こんなことどうしたらできるんだろう。帳簿を破棄したとか入力ミスとか色々と不明の原因を言われているがそのようなことは言い訳にもならない。結局はしっかりした仕事、管理をしていなかったことである。問題点は基本的な確認をしていないことで、収納されたら馬鹿みたいにそのまま収納している、と言うことは全く仕事をしていなかったことである。
 金銭を扱う官庁が良くもこんな出鱈目が出来たものだ。収納金に口座が見当たらなければその原因を調査究明するのが責務であろうに、社か保険庁のこのずさんな管理に怒りを覚える。
 妻は現役で勤めているが、友達から65歳を待たずに早く請求した方がいいわよと言われていた。
 平成18年12月に資料を取り揃え社会保険事務所に保険金請求の手続きを済ませた。
 平成19年 4月に「国民年金・厚生年金保険年金証書」が送られてきた。それによると平成15年2月から年金を支給すると言うものである。
 妻の年金受給の決定を受けて、私の年金について「加給年金額対象者の異動届書」を平成19年4月16日に共済組合へ提出した。
 ・平成19年5月18日に私の年金変更後の「年金証書」が送られてきた。
 ・平成19年5月23日に「公的年金等の源泉徴収票」の更正についてと題して15年分~18年分の源泉徴収票が送られてきた。
 ・平成19年5月23日別便で「払い過ぎとなった年金の返済について」と題して、これから支給される19年8月分から過払い分に充てていくという文言である。この方式に従うと今年は年金の収入が無くなることになる。定額収入がなくなることには抵抗がある。
 ・平成19年5月24日に電話をし納付について相談した。分割納付、一括納付などがあると言う。そこで一括納付を申しで書類の送付を依頼した。そして、
 ・平成19年5月25日には、「郵便振替払込票」が送られてきた。
 年金の取り扱い期間は異なるが、私の場合は年金の返還ということでこの様に事務が早いのか疑いたくなるほど社会保険庁の事務はどうなっているのだろうか。妻への年金支払いについては、前記の通り「年金証書」は送られてきたが、15年分からの年金の支払いについては今もって連絡が無い。
 ずさんな事務に心配になり妻に聞いてみた。国民年金の支払いの領収書はどうしている。「年金が支給されて始めて領収書のいみがあるからずーっと保管してあります」という返答であった。
 入社、育児のための退社、再就職、勤務先の変更などはこの世常である。社会保険庁どうしてこうなるのだ!職責を果たしていない!今朝、TVで弁護士の方が出て領収書が無いと認めなの一点張りでこの弁護士さんは訴訟を提起した。この方の無念さをどうしたら救えるのか。国会でその救済のための方策を十分論議し法律の改正をしていただきたい。野党もこの人達を救うための具体的方策を提示して議論決定して欲しい。批判ばかりでは良策は生まれない。
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投げ釣り・津久井浜

2007年05月24日 10時09分04秒 | 兎に角書きたいの!
 今年初めて三浦海岸の津久井浜へ投げ釣りに出かけた。午後3時ごろから2時間ほど投げ続けお土産は、イイダコ3・メゴチ3・手のひら大のカレイ1、であった。
 沖では、サーファーが風に乗ってスイスイと波に乗り沖合いでは大型船が行き来して空にはトンビが悠々と舞っている。何とものどかな中での釣三昧で言うことなしである。トンビは普段空を舞い地上に降りる光景は見たことが無いがここのトンビは砂浜に降りてきて漁師が捨てた魚を食いつまんでいる。ただ、鯖には全く見向きもしない。鯖は新鮮でないとトンビでも駄目らしい。
 年齢とともに魚介類を好むようになる「加齢効果」は昭和10~20年代生まれに残っているが、下の世代にはみられなくなった。加えて30代の主婦の7割が魚をおろせず、1割が焼き魚をつくらないことなどが、22日に発表された平成18年度水産報告書で分かったとの報道があった。
 妻は、この加齢効果の年齢層にあり魚大好きである。スーパーなどで活きのいいアジなどを見つけると買いたくなると言う。実際、新鮮なアジを購入してくるとアジのたたきやアジの刺身を作り食卓にのぼる。晩酌のつまみとしても!
 魚は元は「うお」と呼び、酒席に添えられることから、「酒の菜」つまりサカナに変化したとも言われている。
 メゴチ、イイダコは天ぷらに、カレイは甘辛で煮て食卓にのぼった。料理、私は全くの駄目人間。「私釣る人妻作る人」そして妻はおいしいおいしいと口に運ぶ。この光景はチョッとやそっとで見られるものではない。
 喜んで料理をしおいしいおいしいとの言葉を出しながら食べるそ姿、とても素晴らしい。そのお陰で釣が、私の趣味にもなった。これが40年来続いている釣に行った後の我が家の食卓風景の一つである。ただし「坊主」でなければ!
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旅行いや旅だな!

2007年05月23日 10時48分14秒 | 兎に角書きたいの!
 旅すると知ることがある。それは自然の多様さであり歴史、風土、家屋、食べ物などなどの地域性とその生い立ちの面白さである。単身赴任時によく言われた言葉に「その土地に惚れよ」と言うことが経験してその言葉のもつ意味の重さとその土地で生活する処方を感じたことがあった。その土地土地の良さは、そこへ行ったり生活したりして初めて分かるもので行った者にしか解からない感動が必ずあるということだろう。何事も「原点」と言うことだと考える。仕事でも捜査でも先ずは原点に戻って判断、推理を組み立てよと言うことと同じだろう。
 46歳の芭蕉は、千住から「奥の細道」の旅に出発した。三重県伊賀上野(1644年~1694年)の出身である。芭蕉は1689年陽暦の5月16日に江戸を後に旅に出た。
 偶然にも、私は芭蕉の句碑「春もややけしき調う月と梅」(長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出たこれで早春の役者は十分の揃った)にお目にかかることができ色々と感激させられた。
 この句碑の上半分が崩れて無くなっている。戦災で焼けたためとお守りにかけらを持ち去る人達によりヒビも入っている。都内にも何箇所かに芭蕉の句碑が建立されているらしい。
「奥の細道」は、旅による地域めぐりであり東北から列島を横断、日本海側を巡って大垣に至る大いなる旅であった。この道程で詠んだ芭蕉の俳句は、訪れた地域の表情を生き生きと伝えている。
 今時の旅行スタイルでは到底味わうことの出来ない地域めぐりである。私は、各駅停車の電車で流れ行く車窓を、車内での方言をそして地酒と駅弁を口にしながらのんびりと旅をしたいものだと常々思いながら実行に移せないでいる。今行きたいところがある。それは糸魚川が日本海に流れ込むヒスイ海岸へ。一週間ほど同じ場所に滞在して、目的は「ヒスイ」を見つけたい。万葉集にも詠われているヒスイを
是非とも!

 万葉集に作者不詳で掲載されている歌(巻13・3247)。

  沼名河(ぬなかは)の
    底なる玉 
     求めて 得まし玉かも
  拾ひて得まし 玉かも
    あたら(惜)しき 君が老ゆらく 惜しも

 沼名川の底にある玉よ、求めて得られる玉なのか、拾って得られる玉なのか。そのように得難いあなたが、年老いていかれるのは口惜しいことです。
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なま卵と正油

2007年05月22日 09時22分46秒 | 兎に角書きたいの!
 卵の食べ方、私はなま卵派、妻は目玉焼き派である。卵には、子供時代の想い出がある。兄弟6人。昭和20年代は食料が満足に無く食に対する想い出が色々とあるが「卵」もその一つである。一つの卵を3人くらいで分けたが、当然白身と黄身ではその量が違う。私は、量の多い白身を選び以来なま卵の白身が好きとなり今もその嗜好は変わっていない。
 ここ数日、生卵に正油をかけて食べるが何となく本来の生卵の味がしないのである。妻に問いかけた。最近、生卵があまりおいしくないんだけど!アラ!今ねぇ~
「減塩正油」を使っているのよとの返答があった。塩が少なくなっただけでこれだけ食のうまみが違ってくることに驚いた。
 血圧関係で悩んでいる方が毎度の食事で減塩を強いられていることは大変なことなんだと「生卵」で実感した。幸い私は、140の少し下の数値を示しているので減塩しなくともすんでいる。
 妻からは言ってくれればいいのにと言われて「今後は何かあったら言ってよ」と言って、今は元の正油に戻った。ウン やはりこの正油だと生卵はうまいし昔の味がする。
 これもお袋の味なのかなー
 


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ふるさと納税

2007年05月21日 10時20分15秒 | シルバー社交ダンス風景
 「ふるさと納税」なんと響きの良いネーミングだろうか。普通「税」と言うと構えてしまう言葉である。どのような人がどのような発想でこの様な考えが出てきたのだろうか興味津々である。
 ニュースとして話題に取り上げら始めた事の起こりは、4月20日財務省と総務省との「地方自治体間で広がる財政力の格差」から菅 義偉総務大臣が地方公演などで消費税率5%のうち1%を配分している「地方消費税」の配分増を訴えたことその具体策として、5月1日パリにおいて「居住地への納税が原則の個人住民税(地方税)の一部を生まれ故郷などに納められる「ふるさと納税」の本格的検討に着手する。」と同行記者団に語ったことから始まっている。
 租税の体系には「租税の原則」が確立されている。それはアダムスミスの租税4原則(公平性・明確性・便宜性・費用最小)が最も普遍的な定義であろう。そして、地方税固有の原則として(税源の普遍性・応益応能・自主性)などが挙げられている。
 菅総務大臣の発言を切っ掛けに様々なところで「ふるさと納税」についての効用、弊害などが論じられている。租税の原則を熟知している人には「ふるさと納税」方式は恐らく考えも及ばない発想だと思う。
 神奈川県の川崎市長は、的外れな論評をしている。「ふるさと納税の導入の議論について、全く評価しないと語り、地方税の自治体間でのやり取りとなる点を批判しながら、『国に納める分を地法自治体へ納めることを選択できる制度を作って欲しい』と。」地方に財源が欲しいから「ふるさと納税」という発想が出てきたのであってこの議論を重ねることでよりよい税体系がが生み出されてくるのである。川崎市長の言っていることは、人のふんどしで相撲をとっているようなもので不愉快である。
 ここで改めて「税」とは何かをみてみたい。
「国や地方公共団体は、行政活動を通じ、私たちの生活にかかすことのできない、公共サービスなどを提供し、共同社会を維持している。その行政活動に必要な経費を私たちは税金という形で負担している。つまり私たちが共に暮らし、社会を維持していくための会費が税金ということになる。」と一般的には考えられている。
 私たちは必要な経費を負担していると言うが、何からどれだけ負担するかわ言及されていない。現在の納税額は所得の額により税率適用が異なっているが、税を極論すれば、所得全額が税金であると言われても致し方が無い。従ってこれらの弊害を取り除くために「租税の原則」が確立されているのである。
 この「ふるさと納税」がどのような議論を経てどのような形で生み出されていくかを注視していきたい。
 菅総務大臣にはどのような人がブレーンとして活躍し、この「ふるさと納税」を提言したのか知りたいものである。私が思うに学者や官庁の職員ではないのではないか。もしかすると若手の政治家かな?と思っている。
 菅総務大臣の行動を見ていると、拉致被害者を救済するために「NHKへの放送命令」や今回の「ふるさと納税」の提言など考え方が柔軟で国益に立った政治姿勢を窺い知ることが出来る。
 地元選出ということもあるが菅総務大臣の益々のご活躍を期待したい。
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ダンス旅行断念

2007年05月20日 07時50分08秒 | シルバー社交ダンス風景
 5月19日から1泊2日の予定で「北原 明と行く・那須バス旅行~歌謡ショウーとダンスパーティー」(那須ビューホテル)へ妻と参加の予定であった。妻が一週間ほど前から股関節の痛みと座るのが容易でなく整形外科に通い治療しているが長時間バスに揺られていくのは無理と判断し二人とも参加を断念することにした。
 夕方、妻の友人からメールが届いた。北原 明氏が歌っている姿と「少しでもこの場の空気をあげたいから」と泣かせる言葉が添えてあった。妻から、見てと携帯を渡され覗き見しその場の状況を想像した。参加したかったのは山々であったが健康を守るのは自分自身だからと妻は断念したのである。同行予定の友達の中に「つまんない・つまんない・ツマンナイ」と言ってくれた人も居た。
 年を重ねてくるといつ何時体の異変が襲ってくるか分からないものである。旅行の断念で今日は通常通り私は、小学校で毎週行っているダンスパーティーに出かけ妻は家で休養である。毎回60人前後の人が集まり私は会場整備担当でこれから出かける。
 北原 明が歌う「空港ラストナイト」のCDを朝一番で会場に流す予定でいる。
そして「横浜ジルバ:パート2」を!
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林一歩巡査部長

2007年05月19日 08時58分54秒 | 兎に角書きたいの!
 5月17日の夜、首を撃たれて6時間近く横たわっていた木本明史巡査部長の救出の直後に銃弾に倒れた特殊部隊の林一歩巡査部長に心からお悔やみ申し上げます。奥さんと10ヶ月の可愛いお嬢さんを残して突然のお別れに残念で残念で言葉もありません。将来を嘱望されていた林一歩巡査部長。
 林一歩警部に心から哀悼の意を表します。ご家族そして皆様方のご悲嘆、いかばかりかとお察し申し上げます。
                               合掌
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ネクタイがぶらり!

2007年05月18日 08時10分45秒 | 兎に角書きたいの!
何時も眺めている部屋の光景だが、今日ふと気になって部屋にあるネクタイの本数を数えてみた。81本。今では、ネクタイは両手の数を超える程度しか日の目を見ない有様だ。現役中は、妻とのショッピング中によく買い求めてくれた。今は増えることは無く減少することも無い。ネクタイを選択して処分する勇気が無いと言うかそれぞれに想い出があり私自身では処分できないでいる。
 ネクタイと同じくYシャツも同じような状態である。従って、クリーニング店に通う回数も激減している。
 服装関係で現役時代と多く様変わりしたのは、カジアルな格好が通常の姿で特にダンスを始めてからは、ダンス衣装が多くなり現役時代以上に服装への関与が多くなった。見立ては妻。着ていくとイイワネーとご婦人に褒められる。色彩感覚も麻痺したのか派手で着られないという衣装はなくなった。現役時代に購入した衣装で派手と思って着ていなかったもの衣装がダンスを覚えるに従い今では持っている衣装の中でその衣装は最も地味だと感じるようになってしまった。
 組織に縛られること無く自分の思いどうりに暮らせる今をエンジョイしている。
ネクタイは、社交の礼儀でもあり節度を保つ装飾だと思っている。ネクタイを締めるか締めないかで生活態度が異なり、締めるときりっとした精神状態に引き込まれる。いわば、組織か自由かの生活節度のバロメーターとも言える。どちらの生活も素晴らしいと思っている。
 ぶらりのネクタイ君、たまにではあるが出勤の時にはご同伴のほどよろしく頼みます!
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心の言葉「あいさつ」

2007年05月17日 07時52分39秒 | 兎に角書きたいの!
 「ありがとう」 そのひとことが 潤滑油
 5月14日第一生命保険会社は、恒例の「サラリーマン川柳コンクール」の人気投票結果を発表した。上記の川柳は、第5位となった作品である。
 「初めに言葉があった(新約聖書ヨハネ伝)」と言うようにこの世の中言葉の発し方で優しくもなり穏やかにもなる反面怒りを引き起こしいさかいの種にもなる。
先ずは「あいさつ」から人との会話、交流が始まる。「あいさつ」言葉を列挙してみよう。
・ありがとう
・おはよう
・こんにちは
・こんばんわ
・いってきまーす
・いってらっしやい
・ただいま
・おかえりなさい
・いただきます
・ごちそうさま
・おやすみなさい
・どういたしまして
・おめでとう そして、「オ・ア・シ・ス」という言葉がある。
「オ」はおはようございます
「ア」はありがとう
「シ」は失礼します
「ス」はすみません

 会話は、この様な言葉から始まり、生まれ、そして心と心が触れあっていく。この殺伐としたそして慌ただしい社会だからこそ「心のふれあい」「思いやり」「いたわり」のある美しい「あいさつ言葉」が生かされるように、これらのあいさつ言葉を大切にして行きたい。言葉には不思議な力が宿っているからである。言霊が!
 我が家では、「おはよう」「おはようございます」との言葉の交換から一日が始まっている。
 今朝の産経新聞「チャイム」欄に次のような事柄が報道されていた。三重県紀北町の食料品店・中野章吾商店で保護されているスズメのチビちゃんは
 「いらっしやい」「おはよう」など九つの言葉を話しているという。

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10年前のペルー事件

2007年05月16日 10時44分45秒 | ハマ風は踊る
 平成9年4月24日。127日目にして、ペルーの日本大使館公邸占拠事件は、特殊部隊による見事な救出作戦で解決した。日本政府は「人命尊重」「速やかな平和的解決」「対話路線」を唱えていたが、具体的解決策の提示はなかったようである。
 対する、フジモリ大統領は、「国民が安全に住めるようにする義務がある」として、テロには屈しないという大原則のもと、断固とした決断力、陣頭指揮の行動力を持って実行し解決した。また、日本政府に連絡しなかったのは『国家』の安全を考慮してのことであると発言された。この事件(戦争)処理を通して、両国の「国家観」の違いを浮き彫りにした。フジモリ大統領は、解放された人達の先頭に立ち、バスに乗りながらペルー国旗を掲げ、活躍した特殊部隊は大統領の前で国家を歌った。
 きしくも、日本の政治家が、その相違するところを示してくれた。それは、「保・保」の動きを批判した加藤紘一自民党幹事長の発言であった。
 曰く「中曽根さんたちとは、世代が違い、使う言葉の好みが違う」「中曽根さんたちは、国家と言いたくなるし、わたしたちは国民といいたくなる。先に国民の生活や幸せを考えていくのと、まず国家があることを前提に、個人の意見を抑えるという、ニュアンスの差だ」と。色々な意味で、大勲位菊花大綬章を受章された中曽根康弘元首相は立派である。
 平成9年4月12日付読売新聞「地球を読む」のコラムで、中曽根元総理の次のような考え方が掲載されていた。
「行政改革以上に大事なことは教育改革である。今日諸般の改革をしなければならなくなった根本は、戦後教育の誤りである。その教育改革の一番基本は、教育基本法の改正である。その中身を見ると、人類、平和、自由、民主主義という言葉はあるが、国家、民族、文化、歴史、家庭という言葉はない。」と。そして、「最近の若い政治家の著書を見ると、共同体という概念が希薄である。従って、歴史、伝統、文化に対する思いが少ない」と。また、首相当時、フランスのミッテラン大統領と約2時間、食事をはさんで濃密な東西の文化談義を行ったことが報道された。
 そこで思い出されるのは、平成7年に村山首相、河野外相、橋本通産相(元首相)とシラク仏大統領との昼食会で、親日家の大統領がお三方を相手に日本の古代史から蒙古来襲、ジンギスカンと義経の関係、芭蕉没後300年祭など日本文化を話題にした。
 この時、大統領と対等にやりあったのは、橋本通産相だけだったとか。村山さんも河野さんも黙して語らずだったそうです(パリ支局山口昌子記者の取材)。
 ところで中曽根元首相は、これから日本が持つべき哲学として、
  第一に自然主義…自然を尊び、自然と共存
  第二は歴史主義…民族と伝統と歴史を大事に
  第三は科学主義…合理主義の保持
  第四は宇宙主義…命の中身は、DNA等を通じ先祖代々さかのぼる無限の彼方から与えられた。無限に前進するところに各々の目標が生まれ、理想や希望が発生すると説いている。
 平成9年は日本国憲法制定から50年。地球上には今、191ヶ国が存在している。そのうち成文憲法を持たない9ヶ国を除く182ヶ国中、一言一句改正されていないのは日本国憲法だけであることから実質世界最古の憲法となる。因みに世界で最も古い1787年のアメリカ合衆国憲法は18回、スイス119回、ノルウェーは139回も改正している。日本と同様の敗戦国ドイツは43回、イタリアも6回改正している。
「憲法改正の是非について」衆参両院議員752人中465人のアンケート結果は、是とするものが自民党76%・民主党26%・公明党44%などで若い世代ほど改憲志向が強いと分析していた。
 今回の事件解決までの経緯を見て、日本にもペルー大統領のように、正義のためには己を捨てる覚悟を持った政治家の出現を期待したい。平和ボケの終焉を願う!

 以上の文章は平成9年に「ペルー日本大使公邸占拠事件」に触発されて書き留めていたものである。
 10年後のこの平成19年はどのような状況下にあるだろうか。
平成19年5月14日に憲法改正手続きを定める「国民投票法」が成立した。そして「ちょんまげを結い、とてつもなく太った男たちの戦いのどこに魅力があるのか。知的なスポーツとはとても言えない」と相撲を酷評したサルコジ氏が仏大統領として近く就任する。慰安婦問題の当事者河野洋平氏は衆議院議長にいるこの異常さであり、安倍晋三首相が靖国神社への供物奉納を「出したか出さないかは申し上げない」の発言に「これだけ大きな政治問題で行動したときに言わないのはおかしい」などとどこの国に顔を向けているのかわからない幼児性丸出しの加藤紘一氏を中曽根元総理(89歳)の言動と比較すればそのことは一目瞭然である。そして、政治理念が見られぬ新YKK(山崎拓・加藤紘一・古賀誠)と呼んで喜んでいる旧態依然とした政治姿勢の持ち主たちには呆れる。
 フジモリ元ペルー大統領は、国へ戻れない状況にある。この10年で大きく変わったもの変化しないものそれぞれあり”祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり”といずれにしてもこの世の中何らかの変化を水の流れのごとく移り変わっていく。
 同じ変化をするならば、良い方向に変わって行きたいものである。その意味でも今後の安倍晋三総理のリーダーシップに日本の未来と前進に期待するところ大である。
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今ハマっているもの

2007年05月14日 10時36分56秒 | 兎に角書きたいの!
 今はまっているものが二つある。
 一つは、昭和の映像にである。日本映画専門チヤンネル放映の「新・三等重役」「大魔神」「「椿三十郎」「サリーマン出生太閤記」といった自分の青春時代を思い起こさせる映像なのである。笑い在り、人情在り、世情在り、そして人生がある。映像に出てくる家屋、室内、調度品、服装、流行りもの、街路、乗り物、地域の風景、人情などなどこの時代を生きてきたんだという思いがまるで列車の一番後ろに乗って過ぎ去る二本の線路を見るような感慨に耽りその当時の様々な記憶が蘇ってくる。
 二つ目は、昭和歌謡である。歌はあまり得意ではなくカラオケでの持ち歌は3曲である。少しづつ増やそうと努力していところである。先日、TV放送で三橋達也の歌が放映されていた。その中で、特に自分が過ごした青春の一ページに重なる
「りんごの村から」と「哀愁列車」を聞きその思い強くなりレコード店に出かけたが自分が望むテープは無かった。これからの自分の持ち歌に加えようと思う。それにもう一曲「古城」これは五六人で下宿していた先輩との当時の様がそして自分の生活が様々と思い浮かんでくる。
 私の名刺の裏には、「水戸市・伊東市・名古屋・臼杵市・骨董市・ペルシャ陶器・美濃焼・織部・からくり・山車・投げつり・へそ石・化石・めのう石・地えびね・トルコ桔梗・柴犬・デジカメ・パソコン・アコーディオン・雨の東京・望楼の果てに・十九の春」と印刷してある。最後に記載してある三つが私の持ち歌である。それに「昭和流れ歌」も時々歌う。
 最近は、過去に良く歌った「芸者ワルツ」とか「マリモの歌」を好んで歌うようになった。私が沖縄で覚えてきた「十九の春」について、最近『「十九の春」を探して(うたに刻まれたもう一つの戦後史)』川井龍介著の本を購入して今読んでいるところである。
 昭和18年奄美大島名瀬沖で貨客船「嘉義丸」はアメリカ潜水艦の魚雷により撃沈され、この船の犠牲者の鎮魂のためにつくられた。田端義夫が全国的にヒットさせた「十九の春」のメロディーがこの鎮魂歌のメロディーと全く同じであることからこの物語が始まっている。

       『十九の春』

 1 私があなたにほれたのは
   ちようど十九の春でした
   いまさら離縁というならば
   もとの十九にしておくれ

 2 もとの十九にするならば
   庭の枯木を見てごらん
   枯木に花が咲いたなら
   十九にするのもやすけれど
 
 3 みすて心があるならば
   早くお知らせ下さいね
   年も若くあるうちに
   思い残すな明日の花

 4 一銭二銭の葉書さえ
   千里万里と旅をする
   同じコザ市に住みながら
   あえぬわが身のせつなさよ

 5 主さん主さんと読んだとて
   主さんにゃ立派な方がある
   いくら主さんと読んだとて
   一生忘れぬ片想い

 6 奥山住まいのウグイスは
   梅の小枝で昼寝して
   春が来るよな夢をみて
   ホケキョホケキョと鳴いていた

 本の帯には、「沖縄戦の鎮魂歌となり、バタヤンこと田端義夫が歌って大ヒットし、米兵に抱かれた娼婦たちが口ずさんだあのメロディーに秘められた願いとは?」と記されている。
 今後とも「十九の春」を大切に私の持ち歌として歌ってゆきたい。
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新聞の購読

2007年05月12日 08時31分30秒 | 兎に角書きたいの!
 我が家の新聞購読紙は、故あってA紙とB紙とを半月後ごとに変更して購読している。妻は何十年来のA紙派、私はB派である。この違いで購読紙を変えているわけではない。或る事柄を発端にした私の怒りからのそして相手方の種種の事情から現在の購読形態となっている。
 私の新聞購読時間は大体40分である。それも朝の寝床で読むのを至上の喜びとしている。A紙派の妻は、あまり難しくなくて良いと言っていた。それもA紙とB紙とを読み比べている内に断然B紙派に変わってきた。内容が濃く読みごたえがあるというようになってきた。B紙の折り込み広告はせいぜい二三枚程度である。
 妻のB紙の方が読み応えがあると言い新聞社に代わって妻に「ありがとう」といっている。
 朝刊の投函時間は、私のところでは6時である。起床6時半の私は大体30分でA紙の場合は読み終えている。B紙になると30分ではとても読みきれない。枚数も少ないのに兎に角内容が豊富で記事内容が濃い。それだけ購読に時間がかかるのである。お陰で妻の休日日には、B紙の購読期間中は思い切り寝床のぬくもりを感じながら隅々まで目を通すことが出来る。
 妻もA紙とB紙の比較購読が出来るようになって新聞のそれぞれの特色、個性の違いを認識するようになった。新聞報道が決して正道ではないことを!新聞によりその主張するところの支柱にというかものの考え方の違いがあるということを。
 一般的には新聞の購読数は、ほとんど一紙であろう。従って、購読している新聞によって私たちの考え方にも影響を及ぼしてくる。これが活字の絶対的有利性だと思う。
 その弊害を取り除くのがTVだと思う。TVもその局によってものの考え方の原点は異なることから比較検討することが出来る。どの局へでもチャンネルを変えればいいからである。
 いずれにしても、新聞、TVの影響力は絶大である。だから私は、新聞購読はB派なのである。何と言っても浮ついていないところがいいな!色々な事象に迎合しない。今の日本は、波風を立てずにその場が穏便に済めばいいと頭を低くして風の通り過ぎるのを待っている。「凛とした背骨」を持つよう期待したい。その流れは緩やかではあるがその方向に流れている進んでいると私は感じ取っている。
 何何派が統合するとか何とか言っている人達には期待できない。国家理念が見えてこないからである。
 私は、安倍晋三総理大臣のこれからのリーダーシップに期待している。
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