いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

最低・最悪だった菅直人前総理大臣!

2011年12月30日 13時49分14秒 | 兎に角書きたいの!
 指導者の優劣は組織や国の優劣に直結する。と言われている。池田元久前経済産業省副大臣は、震災発生5日間の記録の中で菅前総理の言動に「指導者の資質を考えざるを得なかった。指導者は短い時間であっても沈思黙考することが大事だ。大局観をもって事にあたなければならない」と記している。

 産経新聞12月29日付「歴代天皇に学ぶ責任感・清湖口 敏論説員」の一文を紹介したい。

…震災対応では、言動がむしろ人災を招いたとして国民から強く退陣を迫られた菅直人氏の無責任ぶりが際立った。粘った末に首相の座を辞した菅氏はその後、四国霊場巡りに旅立った。国民の生活より己の後生を願っての巡拝かどうかは薬師寺如来やお釈迦様、観音様の照覧に任せるよりほかないが、お遍路姿の菅氏の笑顔は、正常な生活を取り戻せずに泣いている被災者のことなど心の外といったふうに私には見えた。…

 菅直人前総理の存在によりどれだけ被災地の方々が泣かされ、どれだけ国益を損なう対応をしてきたか!私はこの人を許せない。来年も議員として存在しているならば書きたいことがある。
 総理として在任中にこれほどにあることないことを揶揄され罵声を浴びた活字が踊ったことはないだろう。

 鳩山由紀夫元総理、菅直人前総理と目を覆うばかりの首相が続いたため、国民は当初「どじょう宰相」に期待をかけたが…

 私が思うに不退転の決意を持ってやることはまず第一に「国会議員の定数削減」である。これを断行するならば国民は税制改正に理解を示すだろう。身を削らない政策には絶対に反対する!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜多院・五百羅漢

2011年12月29日 10時37分40秒 | 兎に角書きたいの!
 28日に川越の喜多院へ出かけた。目的は五百羅漢像の鑑賞である。ところが残念、本日から休館となっていた。他日を期して市街を散策した。あまり人も居なく木枯らしが吹き抜ける通路をあてもなくあちこちとのぞき回った。

 案内書によると「恋のパワースポット」として市内にある「川越氷川神社」があげられていた。なんでも巷の女性の間で”恋愛にご利益がある”と話題になっているそうだ。しかも二組の夫婦の神様をお祀りしていることから、縁結びにご利益があると言われているそうだ。

 境内にある御神木のひとつに、♥マークの穴があると参拝客の間で話題になっているとか。次回かこの神社もめぐってみたいと思っている。それは来年に!

 しばし風邪に悩まされて記述の気力が起きず長い間投稿を休んでいました。以前にも行ったことがあったが是非とも「五百羅漢様に逢いたいと思っている。
       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お父さん

2011年12月06日 10時03分53秒 | 兎に角書きたいの!
 …お父さん、未だに信じられないよ。お父さんが居なくなってしまったなんて。お父さん、逃げてほしかったよ。どうにか生き延びて欲しかったよ。自然災害だから…なんて言葉で片付けられない。運が悪かったから…なんて想いたくない。父はまだまだ生きたかったの。これからやりたいこともたくさんあったの。そして私も、もっともっと親孝行したかったの……。
 本文略
……お父さん、逢いたいよ。また一緒にしゃべりたいよ。いつか逢えるかな、逢いたいな。私、お父さんからもらったこの自分自身を大切にして懸命に生きていくよ。お父さん、天国という世界はどんなところでしょう。あの世でも幸せになってね。いつでもお父さんを応援しています……。

 「あのひのわたし(東日本大震災99人の声)」創栄出版(23.10.11発行)の一文である。はしがきには次のとおりの記述がある。

 この度の地震が私達にもたらしたものは、あまりにも大きく、幅広く、深いものであったように思います。100人目のあなた様にそれを汲み取っていただければ望外の喜びです。そのことによって、この大震災の遭遇記が、いつまでも語り継がれていくことを願って止みません……。

 100人目の読者となって、言いたいよ、叫びたいよ、の真実の声を汲み取って欲しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 12月の指針

2011年12月01日 07時56分48秒 | 心に留めた言葉
  損得だけで暮らしていると人生を楽しむゆとりは持てない

「解説」私達は、例えば車などで目的地へ向かう時、ごく自然に「どの道順で行けば早く楽に到着できるか」ということを考える。このような感覚は、生活全般を通して誰にも日常的に身についている。無駄な時間と努力を使わないように、というわけだから、この判断は当然である。しかし、このような効率や合理性を考える姿勢ばかりが強くなりすぎると、損得にとらわれ、「欲」が最優先される生き方に傾き、流されていくことにもなる。
 一見無駄と思える事柄の中にも、効率や合理性、損得を超えた大切なものがある。苦しいことや嫌なこと、面倒なことなどを避けてばかりでは、我慢や辛抱する感覚は身につかず、それを切り抜けあときの地震や喜びも体験できず、人間としての広い視野や見識、力強さはいつまでたっても身につかない。損得ばかりに振り回されることなく、ゆとりを持って堂々とした人生を歩みたいものである。

 @苦しい時こそ勇気を出そう自分だけが不遇なのではない。

 @一つの考えにこだわり過ぎると新しい道は開けて来ない。

 @人は苦難の中では磨かれるが安逸の中では堕落していく。

 @規則を軽んじた独りよがりの心が事故を起こしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする