いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

女はコスモス 79編

2005年09月30日 16時40分16秒 | 娘のエッセイ
 最近、化粧という言葉の代わりに、”コスメティック”とい言葉がよく使われ
る。

 この”コスメティック”という言葉は、英語の”コスモス”からきているのだ
そうだ。コスモスは、宇宙とか秩序、調和を意味する。女性の顔が宇宙だな
んて、素敵な発想。

 それにしても、どうして日本語の”化粧”という言葉には『化ける』とか
『壁ぬり』などという、あまり良くないイメージばかりが浮かぶんだろう?日本
人は昔、化粧することに対して、ネガティブな考え方をしていたのだろうか。

 もしそうでも、今は違う。様々な雑誌は、新発売の化粧品の情報を掲載し、
『奥二重を魅力的に見せる方法』とか、『完璧リップメイク』などのテクニック
を紹介している。

ここで不思議なのは、二重まぶたを綺麗に見せるテクニックというものが、
絶対に掲載されないことである。二重まぶたにテクニックは必要ないと言い
たいのか。

しかし、私は「そんなことはないっ!」と言いたい。二重で大きな目も、それ
なりに悩みがあるのだ。なんたって、目が大きいとクマがすぐ出来てしまうし、
ゴミもはいりやすい?本当は、切れ長の涼しげな目が素敵なのに。

 でも、この間”浅ヤン”に出演していた、就職がきまらないので美容整形を
したという女の子は、顔のパーツを全部とっかえして「とても嬉しい」と言って
いた。

彼女は、過去の写真をどう始末するのだろう。気になる。ところで、コスメテ
ィックという言葉には、”上べだけを飾る”という意味もあると、英語辞書に
書いてあった。

 宇宙人が人をひきつけるのは、うわべが美しいだけでなく、奥行きがあっ
てミステリァスだからではないだろうか。

 美しさは女性の永遠の憧れだ。だから、”上べだけを飾る”ほうではない。
”コスメティック”を、女達はきっと、追い求め続けたいに違いない。
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紅葉…その後 78編

2005年09月29日 08時19分01秒 | 娘のエッセイ
 テレビの三分間くらいの番組に『京都がすき』というのがある。最近は、くれ
ない色に染まった紅葉と京都の風景を見せてくれる。石庭と紅葉。静かに流
れる水と水面を流れる紅葉。

絶妙のコンビネーションに言葉を飲み、ただ黙って見入る私。ああ、なんて上
手い演出。『京都がすき』というよりも『京都に行きたい』という気持ちにさせ
るこの番組、提供はJRだったはず……

 紅葉は、”秋が来たよ”という自然界からの美しいメッセージだ。それを一番
身近で受け止めたい、という気持ちは誰でも同じだろう。けれどそういう人間
達の行動を、自然は本当に喜んでいるだろうか?

 紅葉で有名な日光や箱根。それらは例年どおり、大勢の人で賑わったよう
だ。数多くの乗用車といっしょに。

 ”紅葉が見頃”とニュースで放送された途端、下り方面の高速道路の渋滞
は何十キロにも及び、帰り道も赤いテールランプが数珠つなぎになり、時な
らぬ夜景を演出してしまう。

彼らは一体どれほどの排気ガスとそしてゴミを紅葉した山々のなかに残して
きたのだろうか。

 先日、紅葉の賑わいが過ぎた箱根に行ってきた。私達の駐車した車の真
横に空き缶がふたつ、恐らく前に止まっていた車が、出発する前に助手席の
ドアを開けて地面に置いたのだろう。

すこし離れた場所に大きなゴミ箱があるにも関わらず、である。以前は、
春・秋の行楽シーズンと言えば、家族はお弁当に水筒を持って出掛けたもの
だった。

しかし外食産業の発達とコンビになどの普及の為か、お弁当はできあい、飲
み物は缶ジュースと言うケースがかなり増えている。買った弁当の容器は
その場でゴミとなる。持ち帰ることはまずない。

 行楽シーズンとは、人々が喧騒を自然に持ち込み、ゴミを自然に残して行く、
そんな季節になってしまったのだろうか。

 紅葉の色が鮮やかに見えるのは、水流や周りの自然がすがすがしい脇役
だからこそ、なのである。

 追記・今日はその箱根へサークル仲間とのダンス旅行である。車を連ねて…
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トキメキは食べ放題 77編

2005年09月28日 07時55分04秒 | 娘のエッセイ
 『興味を持つことには、とりあえず飛び込んでみる』、そんな、かなり乱暴な
やり方で、これまでの私はものや人に触れてきた。その様な私を見て、友人
達は『ホント、いろんなことをやるねェ』と半ば呆れたように言ったり、
『幾つになっても好奇心が旺盛なんだから』と苦笑したりしている。

 けれど、そんな経験の中で得たものは少なくない。出会った魅力的な方々、
新しい知識。それら全てに、私はその度に恋をしてきた。本当に様々な対象
に。そして、今は魚の『マンボウ』に片思い中である。そう、あの頭しかない
ような可愛らしい魚だ。

 ある日、京急の駅のホームにマンボウのポスターを見つけた私は、それが
欲しくて欲しくてたまらなくなってしまった。(どうしょう……) と数日間悩
んだ末、思い切って駅員さんに声をかけた。

 「あの、マンボのポスター、一枚いただけませんか?」と。
私の唯一の武器である? 笑顔が功を成したのか、今、真新しいマンボウの
ポスターはメデタク私の部屋に飾られている。

 そのポスターが来てからしばらくの間、「マンボウが飼いたいよー」と友人相
手に電話口で騒いでいた私だが、「飼える訳がないだろう」と冷たく言われた
為、それは諦めた。(当然だよね)

 ところが、代わりに今度は水草にも恋をしてしまった。アクアリウムを始めた
くってウズウズしている私。もう、友の会に入会してしまおうかと思っているく
らいだ。

 本当に私って落ち着かない。あっちもフラフラ、こっちもフラフラ。だから、
この道だなんて一つに絞れない。心が、もっとトキメキを頂戴って言うから。

さしずめ今の私は、トキメキという実をいっぱいつけた木の並木道を気に入った
木の実をもぎ取りながら、ツーステップで進んでいるって感じだろうか?

 だから、まだまだ私の周りは、トキメキ食べ放題なのだ。
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女の日 76編

2005年09月27日 08時39分34秒 | 娘のエッセイ
 三月三日は雛祭で女の子の節句、である。
ところが、なんと昔は五月五日も、実は『女の日』であったというのだ。

 和歌山県西牟婁郡三川村では、五月四日の夜を「女の屋根葺き」といい、
ヨモギ・カヤ・菖蒲を屋根に投げ上げ、この夜を『女だけの夜』だ、と称して
いるのだそうだ。

そしてこの伝承は、神奈川県の津久井郡にも残っているという。また昔の人々
の、一日の終わりは日没…という考え方からすると、五月四日の夜は事実上、
五月の五日ということになるらしい。

 ところで五月五日が、なぜ現代は男の節句になってしまったのか、という過
程は実に興味深い。

 現代の雛祭の日である三月三日にこの行事をする習慣は、江戸時代、綱吉
将軍の時代に固定したそうである。もっとも(旧暦)三月三日は、今年の農耕
生活が始まる前に、人々が見の汚れを紙人形に移して、それを川や海に流して

身を清めるという、一種のみそぎの行事がもとであった。それがいつしか立派
な人形に変わり、人形は女の子の玩具、ということから自然と三月三日は女の
節句となったのだという。ここでいよいよ登場するのが、可愛らしい、子供のよ
うに我儘な男達である。

 三月三日は女の節句、五月五日も女の日、となると「俺達、男の日はどうな
るんだよぉ」と悔しがったらしい。そこで菖蒲を『尚武』にひっかけ、男の日と
変えてしまった。

 そして今、男女同権を建前とする現代になって、男の日は「子供の日」と名を
変え、祝日となったのであるが…今『男女平等』を掲げ、別姓を! 仕事を!と
叫ぶのはもっぱら女性だが、昔は逆だったのか。なんとなく小気味良い話では
ないか。

 近代、年々立派になっていった雛人形。それも住宅難から、最近は縮小傾
向にあるようだ。

 雛人形を飾り、白酒を飲むのも良いが、こうしたお祭りの由来を子供に話して
やれる若いママ、果たしているのだろうか。
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「無心」再び

2005年09月26日 08時26分57秒 | Weblog
 9月26日付産経新聞に次のような記事が掲載されていた。
      
 お墓の多様化が進んでいる。今年、関東で建てられたお墓を調査したところ、
「横置きの洋型」が「縦置きの和型」を初めて上回り、デザインを重視したお墓
を作る人も増加している。背景にあるのは、現代の墓地事情や、「墓にも個性
を」という思いだ。……
 今年3~5月に新しくお墓を建てた人対象のアンケートでは、関東地方では
「縦置きの和型」44.1%なのに対し、「横置きの洋型」が45.5%。過去
18回の調査で初めて、横置きが縦置きを上回つた。さらに一都三県に絞ると、
「横置き」は49%に。……とある。

 私は、それを実体験した分けだ。私の墓地では怖いぐらいのカラスがそちこち
の墓石に止まり大きな嘴を誇示していた。他方、緑に囲まれた○○霊園では
一羽のカラスも見るこはなかった。

 環境による変化は、人の心の持ちように、動物にそして植物へにも様々な形
でその影響を与えつつある。自然との共生は、日本人が持つDNAであり環境
に対する対応の仕方も随分と変わってきた。

 自然への回帰と生活との調和がどの程度保たれるか。今年の夏は、多くの
セミの鳴き声?音を聞くことが出来た。セミの鳴き声を聞くと私は嬉しくなる。
これも幼児時に遊んだ山、川、田んぼそしてエビガ二、タニシ、ヒル、うなぎ、

フナ、メダカ、おたまじやくし、かえる、ヘビ、トカゲ、足長蜂、ウサギ、メジ
ロなどに接した感触が蘇ってくる。そのような環境に戻ることは難しかろうが、
少しでもそれを保つ努力はしたい。

 以前は、山野草を山へよく採取に出かけた。私の目的は、和蘭の「地えびね」
であった。何時頃であったか、採取は環境の破壊に通じると感じ以後採取を止
めてカメラでの画像に収めることにした。

 そして、「えびね」を増やす為にその球根を千切りその周辺にうめた。えびね
は一年に1個の球根を作る。従って、その球根を数えれば何年この場所に自生
してたかが分かる。可憐な美しい花を咲かせ場所により、環境により色々な色
を持った花を咲かせる。その場の環境に合わせて。唯、私が今もって目にして
いないえびねがある。それは、自生の「斑入りえびね」である。

 何時の日にかその「夢」を叶えたいと思っている。


 9月27日追記
   昨日、自宅近くでセミの鳴き声を聞いた。通常、9月10日~15日の 
  間で、セミの鳴き声はピタッと聞かなくなる。猛暑に伴う残暑のせいか
  それとも自然のサイクルが狂ってきている証なのか。と感じた。

 




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無心

2005年09月25日 18時40分08秒 | Weblog
 雨の中、午前中のダンスパーティへ出かけたが台風が去ったの情報を受けて
途中で引き上げ墓参りに行くことにした。今日まで予定がつかず心落ち着かな
かったが、天候の回復で救われた。

 行き先は、私のところと○○霊園である。○○霊園には49歳で、この世を
去った妹が眠っている。郷里に菩提樹があったが、遠いと言うことで現在地に
移された。

 その墓石には「無心」と刻まれている。施主が考え考えてこのような墓石を
建立したとの披露を受けていた。昔の長方形の墓石と異なり斬新な形の墓石に
は、施主の思いが「無心」と表現されていた。

 墓石に目を移すと長方形の墓石に混じって斬新な墓石が点在し、いろいろな
文字があった。
 
「ありがとう」・「和」・「礼」・「やすらぎ」・「日常の知」・「想い出」・「やさしさ」・「みち」・偲ぶ」・「喜怒哀楽」・「追憶」・「感謝」・「憩い」・「追憶」・「宙」・「復活」などそして

   『山路まで 何やらゆかし すみれ草』

 と、すみれの絵が刻まれている墓石まであった。話には聞いていたけれど
これほど自由に創設されているとは思わなかった。

 私のところの墓地は、長方形の墓石が大部分であり斬新な墓石は余り目にし
ていない。人はそれぞれに願い、思い、そして癒しを求めている証であろう。

 先祖に感謝しながら心深く手を合わせてきた。
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びっくり!大臣呼称

2005年09月24日 18時38分33秒 | Weblog
 平成17年9月23日付読売新聞によると。

 民主党は、党の政策決定機関「次の内閣」会合で、お互いに「総理」「大臣」
などと呼び合う慣行を見直す。今後は「担当」などと呼び合うことになる。
 同党の「次の内閣」は、英国のシャドーキャビネット(影の内閣)を模して
導入した。政権交代に備え、実際の首相や各閣僚に対応する形で「首相」
「外務」「財務」などの担当を割り振り、党内では「ネクスト(次の)総理大臣」
「ネクスト外務大臣」などの呼称を使ってきた。……とある。

 あきれたね。形式的、表面的なことばかりを模倣して本当に各大臣はそれ
なりの政策立案を行ってきたのだろうか?まるで幼稚園のままごと遊びだ。

 幸い、今回の大敗を踏まえて、前原新代表は、「我々の置かれた立場を踏ま
えおごっているようにみえないようにすべきだ」と見直しを指示したとの報道で
ある。

 その意味で、前原代表に今後を期待したい。真の政策論争を徹底して推し
進めてもらいたい。日本国の発展の為に!
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2005年09月24日 15時58分47秒 | 心に留めた言葉
                 顔

              十代の顔
              ニキビがポツリと
              清らかなシンボル

              二十代の顔
              つやつやと丸く
              笑顔がレッテル

              三十代の顔
              きらきらとした
              子育ての喜び

              四十代の顔
              めらめらとして
              仕事に燃えている

              五十代の顔
              落ちついて
              六十代の顔を
              製作している

 以上は、平成11年9月8日 産経新聞 朝の詩 横浜市神奈川区
松永武子作
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せいぜい長生きしなはれや

2005年09月24日 15時43分06秒 | 心に留めた言葉
      年を取ったら でしゃばらず
      憎まれ口に 泣き言に
      人の陰口 愚痴言わず
      他人のことは 褒めなはれ
      聞かれりゃ 教えてあげるとも
      知っていることでも 知らんふり
      いつでもアホーで いるこっちゃ

        勝ったらあかん 負けなはれ
        いずれお世話に なる身なら
        若いもんには 花もたせ
        一歩下がって ゆずるのが
        円満にいく コツですわ
        いつも感謝を 忘れずに
        どんな時でも へえーおおきに

      お金の欲を 捨てなはれ
      なんぼゼニカネ あったとて
      死んだら持って いけまへん
      あの人は ええ人やった
      そないに人から 言われるように
      生きているうちに バラまいて
      山ほど徳を 積みなはれ

        というのは 表向き
        ほんまはゼニを 離さずに
        死ぬまでしっかり 持ってなはれ
        人にケチやと 言われても
        お金があるから 大事にされ
        みんながベンチャラ 言うてくれる
        内証やけれど ほんまだっせ

      昔の事は みな忘れ
      自慢話は しなさんな
      わしらの時代は もう過ぎた
      なんぼ頑張り 力んでも
      体がいうこと ききまへん
      あんたはえらい わしゃあかん
      そんな気持ちで おりなはれ

        わが子に孫に 世間さま
        どなたからにも 慕われる
        ええ年寄りに なりなはれ
        ボケたらあかん そのために
        頭の洗濯 生きがいと
        何か一つの 趣味を持って
        せいぜい長生き しなはれや

以上は、「高齢者福祉大学の教材」に収録されているそうです。

       


 
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お前百まで…

2005年09月24日 08時41分29秒 | Weblog
 「お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで」と続く。夫婦が
一緒に元気で長生きするようにと願う文句。
 能「高砂」の尉(おじいさん)がくま手、姥(おばあさん)がほうきを持つと
ころから、お前掃くまで、わしゃ掻くくま手……とは落語のネタ。
 「江戸語大辞典」などによれば、「お前」は夫、「わし」は妻。……

以上は平成17年9月23日読売新聞 日本語ひめくりの記事である。

 私は、「お前」と「わしゃ」の意を逆にとっていた。「いつまでもむつまじ
く」の意味であることは理解していたが、一人称の意味に思い込みがあった。

 と言うことは、「夫は百まで妻は九十九まで…」となる。何故、同じ百にし
なかったのだろうか。語呂合わせか。当時の寿命は五十歳であることを考えれ
ば、「鶴は千年亀は万年」と同じで長命の目出度さを表現したものだろう。

 よく考えれば、「お前」は「お前様」と言うことで妻が夫を呼ぶ意であり
「わしゃ」は女性にも使われている。

 私の思い込みを正してくれた読売の記事でした。


 
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朝日とNHK,似ていない?

2005年09月23日 06時18分35秒 | Weblog
 前々から感じているのだが、朝日新聞とNHKは体質的によく似ているのでは
ないか。別にサヨク傾向、リベラル重視の報道姿勢が、などという話ではない。

もっと下世話なレベル、たまたま仕事で行き合ったりする限りの見聞でさえも、
所属する人間の顔つき、立ち振る舞いが、時に、えっ、と思うくらい相似形だっ
たりする、そのことだ。

よくも悪くも学校の優等生。と言って、官僚や学者になるようなタイプではなく、
そこそこ遊びも知っていて、そのことに密かにプライドを抱いている、と言う感
じ。

 実済、マスコミ志望の新卒学生の間で朝日とNHKの併願率はかなり高い
のでは?テレビとはいえNHKは他の民放と違い、まさに大手新聞並みの全
国組織。入ってからの企業風土というか組織の体質の感染具合の方が大き

いわけで、そういう意味で、入社した後、あとづけで形成されてくる朝日らし
さ、NHKらしさがどこか似通ってくる、その理由が結構、気になってたりす
るのだ。………

 以上は平成17年9月22日産経新聞「断」(民俗学者・大月隆寛)の記事
である。

 私も、日頃の報道内容につい、考え方についてNHKは朝日の報道姿勢に
合い通じるものを感じている。
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春(出産シーズン)に思う…75編

2005年09月22日 08時33分26秒 | 娘のエッセイ
 真夜中にノラ猫が赤ん坊のような鳴き声をあげる。テレビの番組では、動物
達の産卵や出産シーンが増える。そういえば油壺のマリンパークでも、ペンギ
ンが卵を温めていたっけ。

 そんな新しい生命誕生の春の季節に、ひとつの命が抹殺される場面に出会っ
た。
 小さな産婦人科の待合室。高校生と思われる女の子が、友人の少女と共に
現れた。看護婦さんがその友人に言う。「手術の間、待っていてあげて頂戴。
なんせ電話番号さえも書いてくれていないんですから」

 冷房の直撃を受けてから、ここ五年余り通い続けている産婦人科の医院。
そこで私は何度、このような場面に遭遇しただろう。中絶の同意書に嬉しそう

にハンコを押す若い男の子や、手術室に向かう二十歳前後の女の子達。或
いは、四人目の子供を中絶する中年女性。

 少子化・少産化という時代の流れの中で、こうして多くの命が葬られてゆく。
産む産まないの選択権は女性にあるべきだと思うが、何故産めないのか、
産みたくないのかという原点をーーもっと真剣に考えてもよいのではないだろ
うか。

昨年末に出産をした友人は、産休をとる際、上司に「産休のあと職場に復帰
した女性はいない」と言われたという。

 実際、私の勤務する会社でも、妊娠した女性達は皆、退職していく。それは
女性の側に問題があるというよりも会社の制度が整っていないからであり、
経営者が出産という出来事を受け入れる寛容さがない為だ。

 人間には、出産シーズンがない。故に出産に関する制度は、ケースバイ
ケースの応用力と弾力性に富んだものでなければならないはずなのに、
現実は違う。

そんな現実を目の当たりにすると、ああ、いっそのこと人間にも出産シーズン
があって、その期間中は”女性は無条件で休んでヨシ”なんてことになったら、
少子化も防止出来るし、女性の労働力確保にもなるのにな、と思う。でもそれ
は夢物語。

 さて、私の友人の職場復帰は成功するのだろうか?結果が判るのはまだ
先のことである。
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驕るなNHK

2005年09月21日 08時34分23秒 | Weblog
 NHKは受信料不払い対策に新生プランを発表した。NHKの存在については
色々な意見がある。存在、廃止の意見が。存在派が大方の意見であるが、
あえて異を唱えたい。

 受信料収入によりスポンサーに気兼ねせずに番組報道が出来る。いい番組,
質が高い、じっくり見せる、豪華な番組などと言われている。

 慰安婦を扱った番組に限らず、NHKには偏向番組がみられる。至近な例で
は、9月19日の相撲放送。千代大海対高見盛の映像である。入場から取り組
みまでの間、一切両者の画面なし。横綱や琴欧州の映像ばかりである。高見盛

の例の動作に館内は大歓声である、にもかかわらず映像はなく立会いになって
初めて映像を切り替えた。この報道姿勢は恣意的としか思えない。

 私が日頃から不思議に感じている報道は、中国、韓国に関係する番組が
多いと言うことである。どのような目的で画面づくりをしているかは分から
ない。

 そこで、一ヶ月或いは半年の期間で、NHKの報道時間の内上記内容の放映
時間がどの程度占めているか検証していただきたい。家内からそれは勘繰り
よと言われているが気になって仕方が無いのである。

 私に言わせれば、潤沢な資金、多くの職員、沢山の時間,広い設備、多くの
傘下組織などをもっていい番組を作るのは、出来るのは、当たり前のことで
ある。

これだけの条件を民放各社に与えて番組を作ったら今のNHK番組の内容以
上であろう。

 私には、NHKの偏向放送が気になるのである。私が常時見ているのは、
『義経』『相撲』である。本来NHKが報道すべき内容のある番組は、断然
民放の方が勝っている。感激し、涙し、生きる気持ちを与え、そして公正な
番組をNHKは考え放映することが求められていると、私は思う。

追記 9月21日の相撲取り組み
  高見盛 送り出し 土佐ノ海の放映状況をじっくりと観戦した。今日は、
 上記の映像と異なり通常にそして一部始終を画面に映し出していた。
 えーこんなにたっぷりと、と思うほどに!
  19日の取り組み放映は何だったのか?それとも多くの苦情が寄せられた
 結果なのか。










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辞書にない文字 74編

2005年09月20日 08時54分54秒 | 娘のエッセイ
 ボーナスシーズンを前にして、私は『メデタク』元職場である○○を退職した。
むろん『寿退職』ではなく、自己都合退職であるが、それはまさしくメデタイ退
職なのだ。

 私が社長の弟から紹介され、入社したのが今から二年半前。その二年半の
間に退職した正社員、その数なんと十七名。バイトも合わせれば二十名を超
える。

それだけでも、どんな会社か想像がつく。しかしこの会社の本当の異常さは、
あまりにも世間の常識とかけ離れすぎていることだった。

 以前、会社の目標は「国内のトップお目指す」ことだった。(「お」は会社
概要そのまま表記)ところが自社ビルを所有した途端、目標は「世界進出」
へと飛躍する。

まぁ、なんてお気楽なこと! 身の程知らずとはまさにこの会社の為にある
ような言葉である。

 この目標を達するべく、お気楽社長は皆が深夜にまで及ぶ仕事量をこなし
ている。だから社員のタイムカードのアウト欄には、午前二時とか一時という
数字が平然と並ぶ。女子社員でも配慮はない。自転車通勤する二十歳そこ
そこの女の子を、深夜ひとりきりで帰らせる。

 社長曰く、「『こんな遅い時間にひとりで帰るのは怖い。だから早く仕事を
お終わらせよう』と思わせる為にひとりで帰らせるのだ」だと!アホとちゃう
か。

アホ社長は○○会のバッシングにも怯まず、自分は最高の社長だと信じ
ている。

 水面下ではひそかにこれからの退職する予定者の順番が、春までびっし
りと決まっているというのに。予定者は五名。残るは会社役員ばかりである。
それでも辞めていく奴が悪いと思い込んでいる社長。

 社長の辞書には「反省」の文字がない。このままゆけば彼は社員に見捨
てられるだけでなく、ようやく建てた砂の上の城と共に自滅してしまうに違い
ない。

 不景気のなか、会社の倒産を社員が願う会社、その会社の辞書に未来と
いう文字はない。
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お洒落の秋なのに 73編

2005年09月19日 10時19分00秒 | 娘のエッセイ
 秋といえば『お洒落の季節』、と思うのだが、猛暑のなごりかこの暑さでは、
シックに装うなどという気も失せる。いや、理由は暑さのせいだけではない。

なぜだか最近は、ウィンドーを飾るファッションに心がときめかないのだ。今
までは春夏用にドカン、秋冬用にドカンと給料やボーナスをつぎ込んできた
のに、今年は、まだブラウス一枚とプチスカーフを一枚買ったきり。まったく
私らしくない。

 思い当たることの一つは、バブルな時代にバブルなOLをしてしまったこと
か。むろんシャネラーなどにはなれなかったが、ちょっとばかり背伸びをした
金額の服を買うのが当たり前になっていた。

それらの服は五年経った今でも立派に活躍してくれているが、今の給料では、
もうその金額は出せない。つまり欲しい服は高すぎる、でも安い服はいまいち
ダサイ。

おまけに、さし当りは以前買った服で間に合う。だから買わない。というわけ
なのだ。

 また、勤務地の環境というものも影響が大きい。会社の最寄り駅である○○
駅周辺というのは、言わずと知れた飲み屋街。とにかく超ガラが悪い。

ちょっとばかりお洒落をしていると会社帰りが怖いのだ。オジサンの視線を
浴びるぐらいならまだマシで、いきなり手を握られたり、声を掛けられたり、
はたまた十代とおぼしき少年達の痴漢に遭ったりと、まったくロクナことがない。

だから本当は会社が許してくれるなら、ジーンズにシャツという格好で通勤した
いくらいなのである。

 そしてトドメは、会社の男達の色気のなさだ。前の会社では、お互いの服装、
アクセサリー、香水(男も香水をつけている奴がいた)などを随時、批評しあっ
ていたのである。これは実に良いことで、お洒落に力が入った。

 結局、刺激してくれる相手がいず、環境にも恵まれない私はひとつの道を選
んだ。それは、通勤服と休日服をきっちりと分けることも。もちろん、メイクも
ファンデーションから変える。

 だから、今はメイクで秋をしている。
 でも、会社用メイクはオールシーズン用だ。
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