いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

チワワ人気に陰り

2006年04月26日 20時39分36秒 | 兎に角書きたいの!
 消費者金融大手アイフルのCMに出演し、一躍人気者になった小型犬のチワ
ワが同社の強引な取立て問題などの影響を受け、人気に陰りが出始めていると
今朝の朝刊は報じていた。朝方、この記事を見て妻に「チワワ人気に陰り」だ
とさと話したら次の言葉が返ってきた。
 ○ 人間として情けないわ
 ○ 動物とは出会いじゃないの
 ○ よくそんなことが言えるわね……と憤激の様子であった。
 
 我が家では、19歳3ヶ月の長寿を全うした柴犬がいた。掛かり付けの獣医
では長寿ナンバーワンであった。特に血統付の犬は雑種に比較して寿命は短い
と言われている。犬は、家族以上にもなり得るがだだ一つ泊旅行に出かけられ
ないことを除けばそれ以上の喜びを与えてくれる。
 忘れもしない、娘が226日間入院している時に病院から9時ごろ家に戻っ
た時家に入るなり押し殺した声を出して飛びついてくる。唇を狙ってくる。そ
のお陰で重苦しい気持ちがどれだけ癒されたか。賢い犬だった。この新聞報道
のとうりであれば犬を飼う資格はないし飼って欲しくない。妻の言う通りだ。
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熟年離婚者は幸福者?

2006年04月25日 09時18分47秒 | シルバー社交ダンス風景
 2007年から団塊世代の大量退職者の発生、年金の夫婦分割受領権の発生
などの報道をよく耳にする。特に、最近は離婚率が抑えられ、中でも熟年者の
離婚率が減少傾向にあると。その要因の一つに、年金の分割請求権が法制化さ
れたことを挙げている。
 私か所属するダンスサークルの一つを紹介しよう。会員は男7名・女16名
合計23名で社交ダンスを楽しんでいる。平均年齢は70歳台だろう。特に女
性16名の内妻帯者は2名である。残りの14名はすべて独身者である。その
原因を見ると離婚者は一人もいない。皆さん、死別である。中には39歳でご
主人を亡くされた方もいる。それでも皆さん元気に楽しく生活されている。
 今日日、熟年離婚がなにかと話題になっているが、これも時代の流れなのか。
私がお付き合いしている人たちと比べれば「熟年離婚」が出来る人たちは、あ
る意味では幸福者かもしれない。それにしても、女性は元気で、三人集まれば
笑い声が絶えない。そのお陰で、私達も楽しくその恩恵を受けている。
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外食での楽しみ

2006年04月24日 17時07分56秒 | 兎に角書きたいの!
 昨日、一人で表参道を歩いた。土曜日のせいか若い人、カップルで街路は大
勢の人で溢れていた。あちこちで人の塊があり改めて若い人達の街ということ
を認識させられた。そして横浜へ着いたら何やらホッとした気分になった。兎
に角出歩くのは好きで色々な現象に心が躍る。
 その一つに外食時のお酒である。妻との外食時には必ず常温でお銚子1本を
注文する。お猪口は一つ。まず私が一杯味わって、そのお猪口を妻に差し出し
てお酒を注ぐ。その後は、私が昼のお酒の味を味わうのである。最高の贅沢だ
と思っている。会話も弾むし二人だけの世界に浸ることが出来る。
 ある時お酒を飲んでいる時に、一つの文言が目に付いた。

 『むかし懐かしい
  駅前食堂。五十円食堂として
  スタートした私達です(昭和三十三年)
  「かあさんの手作り料理をお値打価格でお客様に」
  を、”愛”言葉に……
  「かあさん、おなかすいたよ」
  こんな言葉に
  こんな心に
  こたえたい。』      大戸屋 店主
の張り紙に、その当時が思い起こされ定食食堂をあちこちと利用しお世話にな
ったあの時代が思い起こされてきた。概して、食堂のおばさんは心温かな人達
であった。
 この「定食」という言葉に多くの青春が詰み込まれている。もつとも思い出
に残る食堂は、俳優座の真前にあった「六本木食堂」である。ここで食事をし
飲んでわいわいと議論しあった時があった。忘れもしない、仲間に司法試験を
受ける人が居り、その出題と傾向について議論をしていた。当時、よしのりち
ゃん事件があり、その解決の為に「別件逮捕」という方法により犯人を追及す
るということが話題になっていた。そのことから、今回は、「別件逮捕」が、
かならず出題される筈だと我々飲み仲間の意見であった。それが、ズバリ出題
されたのである。
 私には「定食食堂」という言葉には、自分の様々な青春が詰み込まれている
懐かしい響きを持つ忘れがたい古里である。
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横浜のメリーさん

2006年04月21日 17時34分44秒 | 兎に角書きたいの!
 先日は満員のため映画鑑賞出来なかった。仕切り直しをして本日20日最終
上映時間の19時から妻と鑑賞した。それは「ヨコハマメリー」である。横浜
の伝説の娼婦「メリーさん」の人生を描いたドキュメンタリー映画である。ほ
のぼのとした人々との係わり合いの中で、関内、馬車道、伊勢佐木町を中心に
描写し後半部分に感動を与える場面が出てくる。真っ白のおしろいと濃いアイ
シャドー、白のドレス姿がトレードマーク。私自身何度かお目にかかっていた
ので懐かしさとその生活の実態を知ることが出来た。
 ラストでは、郷里に戻って老人ホームで暮らす晩年のメリー登場する場面は
感動的である。入口に掲示されているメリーさんのポスターには、横浜中田市
長のサインがされている。横浜の歴史の一端を見事に描写している。是非鑑賞
されることをお勧めしたい。
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寝ずの番

2006年04月19日 17時47分25秒 | 兎に角書きたいの!
 今日は映画鑑賞はしごの予定で妻と出かけた。午前中は「ヨコハマメリー」
午後が「寝ずの番」の予定であった。開演15分前に劇場に近づくと100人
ほどの行列、その後に並ぶ。ここは100人ほどの収容能力だと。前に並んだ
ご婦人が先頭に聞きに行ったところ、この列は13時からの入場で11時から
の人は既に入場済みとのことであった。
 そこで、午後に予定していた「寝ずの番」に変更し入場した。満員となった。
今日は水曜日の「レディースデー」でこのように混むらしい。
 『寝ずの番』については、文庫本で読んでいた。中島らも著・角川書店。本
を読んだ後の映画鑑賞であったが、その趣を損ねることはなく品のある笑と情
感をそそる。自然に涙が流れるシーンもあった。いずれにしても男女の話。こ
の話については、本を読むか、映画を見るかを選択されたらよい。兎に角、お
もしろく上品なエッチ話である。
 パンフレットの一部 想い出の花を咲かせましょう。
  どれだけつらい出来事だって、
  あとになれば笑い話。
  あの娘に、あのコ
  忘れられない艶話、
  色恋なければ人生じゃない。
  死ぬのはとっても
  寂しいけれど、
  仲間が集まる
  楽しいお通夜。

 ♪えらいこっちやえらいこっこっちゃ、
  吉原あたりが大火事じゃ
  おそそで建てた家じゃもの
  ぼぼ~燃えるのは当たり前♪ というわけで、「おそそ」の話から物語り
は始まる。凄く洒落た映画である。ご鑑賞をお勧めする。

  

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陶磁器・眞葛焼

2006年04月18日 10時55分41秒 | 兎に角書きたいの!
 平成18年4月22日(土)午後2時から横浜南公会堂に於いて、「眞葛焼」
についての講演がある。講師は、横浜焼研究者の田邊哲人氏である。
 そのパンフレットによると
 『陶磁器の世界では、帝室技芸員眞葛香山の名前を知らぬ人はいまい。しか
  し、その眞葛の窯が横浜の中心地、南区のドンドン商店街裏の庚台にあっ
  た事を知る人は少ない。しかも、明治3年から昭和30年頃までの長期に
  わたって  存在したことを地元の人も殆ど知らない。この眞葛香山は欧
  米のコレクター  や美術界では大変高名な作家であることにもかかわら
  ずだ。
   さすが日本の国宝審議会や重要文化財保護の調査員は見識が高く、明治
  の作家の筆頭として眞葛を認め、平成14年6月26日に東京国立博物館
  所蔵の渡蟹水盤、平成16年6月8日に黄釉白梅花瓶が国重要文化財に指
  定された。国家が重要な文化財と位置づけたことは横浜の美術史の快挙で
  あるはずだ。
   明治の初期の横浜は生糸の輸出のみに陽の目が当たっているが、陶磁器
  生産の一大生産地であった事はさらに殆どの人は知らない。何処にあった
  かと言えば、今の馬車道の横、相生町や常磐町に一つの工場で300人以
  上の職人を抱えていた大生産工場が10を超えてひしめき合い、大盛況で
  生産競争をしていたのである。これらを「横浜焼」といい、有田焼、瀬戸
  焼をしのぐ美陶を世界に発信していたのである。……  田邊哲人』

 私自身も、色々な場所で眞葛焼の作品を鑑賞したことがある。横浜焼きの陶磁
器は、横浜高島屋でも展示販売されている。
 昨日、眞葛焼の窯跡を尋ねてみた。それらしき立て看板を見てがっかりした。
たて1メートル・よこ2メートルほどの掲示板はほとんど真っ白。説明文が書か
れていたのであろう水色がところどころに残り何の掲示板か皆目判明しない。
 窯跡は現在個人の住宅が建っており、そのブロックベイに掲示板が設置されて
いる。ある程度の知識が無ければ、通常の人ではここにたどり着かない。関係す
る機関の怠慢としか言いようが無い。
 当日は、南公会堂内で「眞葛焼」顕彰碑の除幕式が行われると言うが……。
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娘の遺書

2006年04月16日 18時10分04秒 | 娘のエッセイ
 『遺骨はぜったいに ○○の本家の墓などに 入れないで下さい。
  本家などは法律上もほとんど他人同様、姻族何親等になるか あるいは
  それよりも薄い関わりになるか……。
  そんな中に たった ひとり 入れないで下さい。
  いなかの淋しい墓になんか。
  横浜のおばあちゃんと一緒のお墓に 入れてください。
  ○○はまだ若いので再婚もできるから そのほうがいいでしょう。』
     11.9・26    ○○子(娘)

 以上は、現金が入ったままの娘の給与袋の裏面に記載されていた文言である。

 娘は、平成11年9月27日(月)に精密検査を受け「がん」と診断され即
入院した。既に分かっていたのか、娘は入院の前日に上記のような文言を書き
残していった。
 以来226日間にわたる入院、治療、加療の甲斐も無く平成12年5月11日
結婚生活二年目の生涯を閉じた。享年34歳であった。
 この遺書を読んで、私達は娘の願いを叶えて私達当家に埋葬した。位牌は、元
夫が一緒に居たいとの願いがありその希望に沿った。その間、元夫にも環境の
変化が生じ6月に再婚することになったとの報告を受けた。そこで、元夫は私ど
もの檀家を離れることになり、娘の位牌は当家に預かり供養することになった。
 平成18年4月16日、娘の七回忌法事を無事滞りなく執り行い、娘を我が家
へ向かい入れることが出来た。
 娘の遺言のとおりとなり、私達家族もこれで安心して供養することができる。
当日は、朝から小雨模様で墓参、会食の時まで雨が降っていた。精進落としを終
えて、娘の位牌を抱いて我が家えの帰路についた。その時には、雨も止み陽射
しに覆われてきた。わが娘が喜んでいるのだと家族共々話しながら太陽の光り
に感謝しながら、当家の仏壇に娘をむかい入れた。時の流れが、様々の思いを
遠くへ運んで行く。だが、忘れ得ない。これが心と言うものか。


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客員教授

2006年04月12日 18時56分20秒 | 兎に角書きたいの!
 放送大学の客員教授として、4月から放送することになったと、義弟からその
テキストが贈られてきた。執筆と放送のための時間捻出に大変な苦労をしたよう
だ。縁者としては大変喜ばしいことで、彼の講座を私も勉強していこうと思って
いる。私にとっても新しい試みで第二の人生に新たな1ページが加わった。
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ヨコハマメリー

2006年04月10日 17時23分57秒 | 兎に角書きたいの!
 久方ぶりに妻と伊勢ブラの途中で、「ヨコハマメリー」を上映している映画
館に巡り会った。
 今年3月9日付読売新聞に「ハマのメリーさん映画に」とその内容が紹介さ
れていた。是非観たいと思っていたがつい忘れていた。丁度4月15日から
「横浜ニューテアトル」(伊勢佐木町2丁目)で上映されている。
パンフレットによると
「かって、ひとりの娼婦がいた。彼女の名前は”ハマのメリー”歌舞伎役者の
 ように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が、ひっそりと
 横浜の街角に立っていた。本名も年齢すら明かさず、戦後50年間、娼婦と
 しての生き方を貫いたひとりの女。かって絶世の美人娼婦として名を馳せた、
 その人の気品ある立ち振る舞いは、いつしか横浜の街の風景の一部ともなっ
 ていた。”ハマのメリーさん”人々は彼女をそう呼んだ。街から消えた伝説
 の女……」
かって私も、このメリーさんには、関内そして伊勢佐木町で三度その姿を見て
いる。真っ白なおしろいと白のドレス姿が思い出される。この映画は5年間か
けて撮影に取り組んだと「中村高寛監督」の談話が読売新聞に掲載されている。
 メリーさん役は何方かは分からないが、横浜伊勢佐木町の姿が描写されるこ
とだろう。横浜伊勢佐木町からは「ゆず」が巣立っており身近な町として、そ
してメリーさんの生き様を詳しく知りたいと思っている。上映の終期は5月の
上旬ごろとのことで未だはっきりと決まっていないとのことであった。
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俺の入れ歯は何処だ!

2006年04月09日 18時30分52秒 | シルバー社交ダンス風景
70名ほどで一泊のダンス旅行に出かけた。現地集合現地解散ですこぶるシン
プルな企画であった。
 入浴中に93歳になる先輩が「オイオイ 俺の入れ歯知らないか?ここに置
いて置いたのだが」と湯桶を逆さまにしたり周りを探すが見当たらない。そこ
で立って探し出し、イスをひょいと持ち上げたら入れ歯が出てきました。夕食
時には余興もありたっぷりと楽しんだ。
 ダンス旅行なので、到着して夕食まで、夕食後の時間帯にそして翌日のチェ
ックアウトまで延べ8時間半にわたり私は踊った。中には温泉だけでいいのと
いうご婦人もおり踊る準備はしてこなかった仲間もいた。踊って、観て、食べ
て湯につかり談笑にとそれぞれに楽しんだダンス旅行であった。来年も是非行
きたいとご婦人の評判はすこぶるよかった。何故、声を掛けてくれないのと言
う人も出てくるほどの楽しさであった。
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下町の即興詩人

2006年04月01日 16時22分42秒 | 兎に角書きたいの!
 サクラも8分咲き。大岡川沿いの両岸に3キロメートル以上にわたってサク
ラのオンパレードでそれはそれは美しい。夜景のサクラ。水面に映えるサクラ
カメラを抱えた人たちの行列。道路沿いに並ぶ屋台。花を愛でる毎年の姿がや
ってきた。
 その近くにある赤提灯のお店には、ママの姿に惚れて集まる男達。その中に
なかなかの粋人がいる。即興で歌を作る達人がいる。その2編を紹介しよう。

         『さよ子』

 1 日暮れの秀峰のれんを分けりゃ
   ひそかに咲いている月見草
   さよ子お前のふるえる背中に
   ぬくもりあげたいこの俺が
   身の上話にもらい泣き

 2 故郷新潟あとにして
   兄さんたよって来たと言う
   さよ子お前のあふれる涙を
   嬉し涙にかえようよ
   熱いこの胸に抱きしめて

 3 朝の陽射しがアパートに
   お前の笑顔がまぶしいよ
   さよ子二人で手を取り合って
   きっと明日も歩こうよ
   夢に向かって生きようよ   作者不詳


         『秀峰物語』

 1 ここは横浜蒔田です
   お店の名前は秀峰で
   そこにさだめの人がいた
   ナイスボディー美人です
   ああチョイトナイスボディー美人です
   長いまつ毛にひと目ぼれ
   思い焦がれて二年です
   涙涙の大馬鹿野郎

 2 そこに夏ちゃんが居たのです
   気立て良くて可愛くてああチョイト
   俺はたちまち惚れちゃって
   すぐに手を出す悪い癖
   肘鉄くらってアバラが折れました

 3 そこに定めの猫が居た
   ナイスボディーで二枚目でああチョイト
   サラリ毛並みに一目惚れ
   思い焦がれて五年です
   チビタが命の大馬鹿野郎
              作詞・作曲 軽部一声(ネコロンビア専属)

 この詩を節をつけて歌うそうだ。私は未だこの即興詩人とは会った事は無い。
ママ曰く。日曜日にはこの人飲みに来るわよ。とのこと。その内、ゆっくり合
いたいものだ。このサクラに引かれて今夜当たり一声挙げているかもね。
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