goo blog サービス終了のお知らせ 

なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

久しぶりにマルク

2015年10月20日 | Weblog

 今日は外来担当ではないが、91歳女性の外来予約を入れていた。先週内科医院からうっ血性心不全で紹介された。血圧・心拍数・酸素飽和度が正常で、認知症があるので、外来で利尿薬内服としていた。心電図では心房細動などの不整脈はなく、虚血性変化があった。Ⅳ音を聴取するが、明らかな心雑音はなかった。症状としては下腿~足の軽度浮腫だが、あまり変化はないようだ。内科医院で高圧利尿薬が処方されていて、低カリウム血症(2.8)だったので、ダイアート少量とアルダクトンAの処方だった。今日の血清カリウムは3.0と悪化はしてない。ちょっと処方量を増量して、心エコー検査の予約を入れた。なんだか、我ながらのんびりした治療だ。

 消化器科医から胃瘻造設を手伝ってほしいと言われていて、午後一番で行った。今日は内視鏡の係りをした。93歳女性で神経内科からの依頼だった。神経内科医は老衰で看取るのを嫌うので、CVカテーテルを挿入して、可能であれば胃瘻造設をする。依頼されれば行うが、消化器科医としては、実際に胃瘻による経管栄養がうまくなじむかどうかはわかりませんよ、と家族に説明していた。

 排尿障害で泌尿器科に通院している66歳男性は3年前から血小板減少があった。赤血球数・白血球数・白血球分画には異常を認めない。、当初は血小板数10万だったが、最近は6~7万だった。まだ経過観察の値ではある。抗血小板抗体・PAIgGは正常域だった。本来ならば血液内科に紹介だが、この方は精神遅滞・肢体不自由で施設に入所されている。ADLは介助で車いす移動で、両上肢は拘縮していた。専門医への紹介もためらわれた(施設職員もできれば全部当院でという)。診断をつけるために今日骨髄穿刺を行って、血小板数が5万以下になって治療を考慮する場合に備えることにした。

 随分前から危篤状態だったS状結腸癌の女性が深夜に亡くなって、当直の外科医が看取ってくれた(DNAR)。もうだめと思われてから低空飛行でもっていた。最後に顔を見せたいと病室に孫たちが来ていたが、それから2週間経過していた。その間に肺癌2名・膿胸1名が先に追い越して亡くなっていった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうそう楽はできない

2015年10月19日 | Weblog

 今日は内科再来があったが、患者数は少なかった。月曜は休日が入ってくるので、予約がずれこんでやたら多い時と少ない時とまだらになってしまう。

 週末気がかりだった無尿の95歳女性は少し尿が出始めた。まだまだ安心はできないが、回復する可能性が出てきた。1か月前に膿胸で基幹病院から転院してきた98歳男性は、週末に急変(血圧低下)して、そのまま亡くなっていた。前医で胸腔ドレナージを受けていったん軽快したが、その後悪化した。再度の胸腔ドレナージは拒否したため、保存的にいけるところまでという方針だった。

 午後は、月末が締め切りの医師会誌の原稿(単なるエッセー)を書こうと思っていたら、泌尿器科医から連絡がきた。内科新患(大学病院の応援医師担当)を受診した72歳男性が、血尿で泌尿器科に紹介されたが、ビリルビンが高いので診てほしいという。腹部CTが撮影されていて、以前からの胆嚢結石以外に総胆管末端に結石があった。白血球数27600、CRPが34と著増していた。4-5日前から右上腹部痛があり、37.7℃の発熱もあった。ふだんは機能性ディスペプシア・不眠症などで消化器科の外来に通院している。

 意識清明で血圧正常なの、重症感はないが、ぐずぐずしていると閉塞性化膿性胆管炎で急変するかもしれない。当院で胆道系内視鏡の処置ができないので、できる病院への紹介になる。電話してみると、一番近い当地域の基幹病院はベットが満床で週末にならないと受けられないという。ちょっと遠くなるが、消化器病センターを持つ病院に連絡すると、幸いに受けてくれたので搬送した。患者さん本人は受診歴がないが、奥さんがその病院の心臓センターに入院したことがあった。大変お世話になっております。

 その後、79歳男性が両側肺炎(COPDあり)が救急搬入された。自宅で倒れているところをヘ発見されたそうだ。一人暮らしで生活保護を受けている。事実上、身寄りがない方で、市役所の係りの方が付いてきていた。救急当番の循環器科医が検査をしていて、内科でお願いということになった。その先生から、今日20歳代男性を大学病院循環器科に転送したという話を聞いた。拡張型心筋症と思われ、EFが10~20%だという。数日の変化ではないので、急性心筋炎ではないだろうという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「糖尿病・血糖管理コンサルタント」

2015年10月17日 | Weblog

 土日の休みは「糖尿病・血糖管理コンサルタント」(金芳堂)を読むことにしていた。自宅にいると飽きるので、図書館と喫茶店で読んでいた。「血糖管理に必要な知識(知識の引き出し)」と「コンサルテーションの実際」に分かれていて、前者は教科書そのままだが、後者はよくあるシナリオで参考になる。非専門医が治療してうまくいかなかった時に、専門医がどう対応するかという視点で書かれている。研修医がこの本を読みこなせば、一般の内科医のレベルを越える。

 専門医ではないが、クリニックから紹介された血糖コントロールの悪い患者さんや、救急搬入された急性代謝異常(DKA、HHS、遷延性低血糖)を診たり、外科系の先生から血糖コントロールを依頼されることが多い。最近は、透析を受けている患者さんの糖尿病を診てほしいという話が出ていて、ちょっと困っている。

 もっと使用頻度を増やしたいのはGLP-1受容体作動薬だ。どうしても食事療法を守れない、というより過食がやめられない患者さんで使用したい。メトホルミン1500mg/日+DPP-4阻害薬+SU少量では血糖が改善しない。7%台ならまだいいが、8%を軽く越えて、9~10%で推移してしまう。血中Cペプチドは充分出ていて、インスリン抵抗性が高い。アクトスを処方してもよけいに太る。

 体重150Kgの40歳代女性、肥満の統合失調症の若い男女、食べるのが大好きな体重80~90Kg台の中年男女など、治療に難渋する患者さんたちがいて困っている。

 この本は2015年8月10日刊行だが、その後新規の持効型GLP-1受容体作動薬デュラグルチド(トルリシティ皮下注アテオス)が出ている。糖尿病は新規薬が次々に出てきて、覚えるのが大変だ。SGLT2阻害薬は適応が限られて処方することは少ないので、1種類だけ覚えればいいというのは助かる(メーカーには悪いが)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心配な週末

2015年10月16日 | Weblog

 朝に車を運転して病院へ向かっていると、当直の外科医から電話が来た。ちょうど渋滞で止まっていたので都合がよかった。97歳男性が早朝に呼吸困難を訴えて救急搬入された。搬入時には症状は治まっていて、対応をどうしましょうというものだった。病院に着くまで、救急室で待ってもらうことにした(実際は点滴室に移動)。

 午前5時ごろ急に呼吸困難になったそうだ。胸痛ではないという。10日前から感冒症状(鼻汁・咳)があったが、軽快していた。発熱はなかった。聴診しても喘鳴などの異常音はない。胸部X線・CTは異常なく、炎症反応の上昇もなかった。血液ガス所見も正常域だった。心電図も有意な異常所見はない。喫煙は30歳か40歳ころ(今97歳なので遠い過去)にやめている。時に喘息発作(家族の話)があったというが、ここ10年はない。状況からは喘息発作だったとしてもおかしくはないが、確定はできない。家族の希望もあり、入院とした。

 昨夜はNHKでドクターGがあった。シリーズ6だそうだ。鈴木富雄先生が、しゃっくりが止まらない50歳男性の症例を提示していた。カーテン徴候・嗄声・発汗低下もあり、頭部MRIで延髄に脳梗塞巣を認める延髄外側症候群だった。普通に感心して見ていた。今日は若手医師セミナーの中経がある。

 今度の土日は珍しく2日間休める。今週は肺癌の患者さん2名が亡くなって、S状結腸癌の患者さんは頑張っている。95歳女性の急性腎盂腎炎・腎不全は、両側腎尿路結石があり、これまでも尿路感染症を繰り返していた。いつも2日くらい無尿が続いてから、やっと利尿がつく。今回も同様だが、このまま無尿が続くとさすがに厳しい。(DNRにはなっている)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うつ病、心不全

2015年10月15日 | Weblog

 今日は本来外来はないが、開業医の先生からの紹介患者さんが2名いた。ひとりは74歳女性で、4~5か月前から倦怠感・食欲不振・不眠が続いていた。一人暮らしをしていて、自分で車を運転して受診した。症状を聞いて、正確には昨日FAXで送られてきた紹介状を見た時からだが、うつ病と思われた。一般的な血液・尿検査と胸部X線・心電図検査を行ったが、腫瘍マーカー・甲状腺機能も含めて異常はなかった。上部消化管内視鏡検査を以前に他院で受けたが、もうやりたくないという。下部消化管内視鏡検査も痛みに耐えられず、十分な検査はできなかった(盲腸までの挿入ができない)そうだ。精神的なものと思われると伝えると、自分でもそう思っていたようで、精神科受診に同意された。紹介状を記載して、受診してもらうことにした。身体のことでまた当院を受診してもいいかと訊かれたので、その時は再受診してもらうこととした。

 もうひとりは、91歳女性でうっ血性心不全での紹介だった。紹介は循環器科宛てだったが、年齢を見て内科で診てもらうようにと、いつものように回されてきた。ひと通り検査して、やはりうっ血性心不全だった。両側胸水貯留と軽度の心嚢液貯留もあった。心房細動などの不整脈はないが、虚血性変化はある。有意な弁膜症はなさそうだった。バイタルは問題なく、慢性の変化と判断された。認知症で処方を受けていて、入院すると抑制を要することになると予想された。酸素吸入も今のところ不要で、食欲もある。ACE阻害薬と降圧利尿薬が処方されていた。降圧利尿薬は中止して、ループ利尿薬少量(ダイアート)とカリウム保持性利尿薬(アルダクトンA)を処方して、来週初めに再受診とした。その間に悪化すれば入院治療にすることを伝えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

側頭動脈炎?副腎不全

2015年10月14日 | Weblog

 内科の若い先生から相談されたのは、60歳代後半の男性。地殻の町立病院から貧血精査で紹介された。慢性炎症を反映した貧血らしい。上部消化管内視鏡検査は異常がなかった(下部はしてない)。数週間前から上肢痛・下肢痛が出現して、蹲踞が大変になってきた。上肢拳上はできるが、痛みがある。白血球数増加・CRP上昇・赤沈亢進があった。昨日入院して、リウマチ性多発筋痛症(PMR)として治療を開始(プレドニン10mg/日)していた。

 眼がぼんやりすると言っていますという。頭痛はどうかと訊くと、側頭部痛があるそうだ。側頭動脈炎が疑われて、病室に診に行った。こちらから訊く前に、食べていると顎が疲れてくると言ってきた。顎跛行がある。側頭動脈を触診すると、両側とも拍動は触れて、硬結とはいえないようだ。明らかな圧痛はない(?)。左側の方が痛いという。側頭動脈炎としていいような気がした。幸い血管外科医がいるので、生検を依頼することにした。プレドニン50mg/日を開始して、結果を待つことにした。眼科受診では、以前の左眼の外傷による症状はあるが、眼底は異常ないそうだ。

 慢性副腎不全でクリニックに通院している60歳女性が、低体温(33℃台)で会話内容がおかしいという症状で受診した。施設に入所している。もともと軽度の精神遅滞がある。副腎腫瘍(クッシング)症候群)で大学病院泌尿器科で手術を受けて、その後は慢性副腎不全として、補充療法を受けてきた(コートリル40mg/日)。年に1回か2回、増す悪で入院してきた。低体温で呼びかけても反応がなくなってしまう。ソル・コーテフの点滴を継続して数日で改善する。

 病院で体温測定すると、体温は35℃台だった。会話もできる。ふだんよりも副腎不全が悪化しているが、いつものクリーゼといいたくなる状態よりは大分軽い。外来でソル・コーテウ点滴して、一時的にコートリルを追加投与して経過をみることにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DN(A)R

2015年10月13日 | Weblog

 今日は外来をちょっと診て、病棟も昨日の日直の時に確認していたので、診療としては楽に終わった。通院の関係で特定の曜日にしか来院できない、あるいは他科との併科の関係で曜日を合わせている患者さんたちがいるので、本来の外来担当日以外でも診察するようになってしまう。

 管理会議があり、月1回病院の各部署の代表が集まる。と言っても、病院のあらゆる問題については、管理会議の前週に行われる、事務部長(+各事務の課長)と正副院長会議であらかじめ方針を決めている。公立病院でも、病床稼働率と収入が一番の問題だ。最終的には当初の予算以外に補充しないとやっていけない。その補充の額を病院議会(市町・市会議員・町長・町会議員)で認めてくれるかどうかということになる(認めないわけにもいかないが)。何事も経済的にうまくいっていれば、それ以外は多少問題をかかえていても何とかなる。

 病院にDNRの書類がある。主に、癌終末期の患者さんや重症肺炎の高齢者(80歳代後半から90歳代さらには100歳以上)で、患者さんの家族と相談して決めている。書類自体は簡単なもので、病名の記載はあるが、対応の具体的な内容は書かれておらず、患者家族がサインをするだけになっている。ある先生から、この書類で大丈夫でしょうかと問題提起があった。つまり裁判になった時でも通用するかということだ。DNRを巡って訴えられた事例はないが、書式として通用するかどうかはわからなかった。

 今回DNRの詳しい指診を出している病院の書類を参考にして、DNR同意書を見直して、さらに倫理委員会で審議することになった。ちなみに他の病院はどうしているのかと、事務に訊いてもらった。意外にも当県の基幹病院2か所にはそういう書類はないそうだ。病状説明書の中に、具体的な対応を書いて、その中でDNRの方針も記載しているらしい。

 「蘇生不要指示のゆくえ 医療者のためのDNARの倫理」ワールトプランニング刊を購入したが、まだ読んでいなかった。月末の倫理委員会までに読んでおかなければ(倫理委員会の委員長になっているから)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学会出張明けの看取り

2015年10月12日 | Weblog

 今日(体育の日)は日直で病院に出ている。学会出張で3日いなかった。肺癌2名、S状結腸癌1名の患者さんたちがどうなるかと思っていたが、3名とも何とか持ちこたえていた。そのうち80歳代の肺癌の男性が今日亡くなった。息子さんが遠方で、近くにいて直接世話をしていた甥御さんが立ち会った。

 施設に入所している70歳代後半の女性が、一昨日からの意識低下・発熱で受診した。この方は脳梗塞後遺症・パーキンソン症候群で嚥下困難となり、胃瘻造設による経管栄養を受けていた。誤嚥性肺炎で入院を繰り返した時から担当していて、胃瘻造設も行い、その後の半年おきの胃瘻交換もしていた。造設したころは、少しだけ経口摂取もできたが、1年前からは経管栄養だけになっていた。頭部CTで左中大脳動脈領域の脳梗塞が以前より広がり、さらに左後大脳動脈領域の脳梗塞もあった。胸部X線・CTで明らかな肺炎はないが、発熱・喀痰の増加・酸素飽和度の低下があり、誤嚥性の気道感染を併発したものと判断された。少し会話ができたはずだが、今後は失語症で難しいと思われる。入院とした。

 70歳代半ばの女性が突然の頭痛で救急搬入された。てっきりくも膜下出血かと思ったが、頭部CTでSAHはなかった。普段から頭痛はあるが、今日はいつもと違うという。さらに頭部MRIも行ったが、微小出血もなかった。めまいがする、目がかすむようだとも言っていたが、内科開業医でめまいの薬が3種類出ていた。希望もあり、短期入院で経過をみることになった。

 今日の医師会当番医は御夫婦で内科小児科クリニックをされている先生方だったせいか、当院内科の受診は少なかった。学会出張明けにはちょうど良かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「胃炎の京都分類」

2015年10月11日 | Weblog

 パネルディスカ ッション「胃炎の京都分類を検証する」で分類をまとめた春間先生が、とにかく「胃炎の京都分類」日本メディカルセンターを購入して下さいと言っていたので、とりあえず購入した。地図状発赤が重要とか、鳥肌胃炎は省いてもいいのではと議論されていた。ピロリ菌除菌後の変化をどうとらえるかが問題らしい。

 ワークショップ「機能性上部消化管疾患の病態と新規治療」 ファンである木下芳一先生が司会をされるので出席。木下先生の基調講演を聴いただけで十分だ。まずは器質的疾患の除外が大事で、消化管疾患以外の疾患(虚血性心疾患など)も考慮する必要がある。上腹部痛・腹部膨満感・胸やけがあって、器質的疾患がないと、昔は「胃下垂」とされていて、その後は「慢性胃炎」とされていた。さらにNon-ulcer dyspepsia(NUD)と称された。そこから、上腹部痛・膨満感があるものがFunctional dyspepsia(FD)、胸やけがあるのもがNERD(食道炎の所見がないもの)とされた。NERDにPPIを処方しても20%しか効かない。逆流性食道炎の所見のあるGERDだとPPIの増量(P-CABも)を行うが、NERDの場合は抗うつ薬などを処方して対応するが、なかなか治療は難しい。FDもPPIの処方で20%くらいに効果がある。アコチアミドの効果も20%くらいでやはり治療は難しい。他には、アカラシアなども食道の通過障害を来たす疾患にPOEM(peroral endoscopic myotomy)が行われること、食道の通過障害の検査としてHRM(high resolution manometory)が行われること、好酸球性食道炎の中に筋層内に好酸球浸潤を認めるEoEM(eosinophilic esophageal myositis)があることなどを聴いた。

 {AIHとPBCの最近の進歩」 Acute AIH(A-AIH)は抗核抗体(抗平滑筋抗体も)・IgGが低値で診断が確定しがたい。ステロイドで寛解に至ることが多いが、死亡例や肝移植を要することもある。通常のAIHに比べて、寛解後に再燃しやすい。 トランスアミナーゼが1000を越えたりPTの低下する症例ではステロイドパルス療法を行うが、ステロイドの量については規定がない。(ALTが正常化するものをステロイド著効例、ALTが正常の2倍以上になるものを再燃とする) 通常ステロイドはプレドニン40mg/日か30mg/日を使用する。維持量はプレドニン5-10mg/日。2年寛解を保てば中止も考慮するが、再燃が多い(ガイドライン作成者から維持量の推奨はあるが中止の記載はないと)。再燃例と非再燃例で臨床的な差がない(再燃するかどうかは不明)。臨床的に寛解と判断されても、肝生検すると組織学的には炎症が残っている。AIH-PBC overlap症例はステロイドをウルソを併用する。C型肝炎とAIH併発例はC型肝炎の治療を行う。PBCの30%はウルソが効かない。ウルソ以外の治療薬が待たれるが難しいらしい。ウルソを使用してALTが300未満になれなければ、ベザフィブラートを併用してみる。後は線維化のマーカーの話などがあった。

「H.pylori未感染および除菌後胃癌の治療と病態」 H.pylori未感染胃癌はまれで1%くらい。多くは分化癌で早期癌がの比率が多い。未分化癌は少ないが、その中では進行癌の比率が高い。除菌後胃癌は除菌後平均5年で発症する。診断が困難らしいが、この辺から疲れて聴いてなかった。

「さらなる長期予後を目指した潰瘍性大腸炎治療のエッセンス」 スポンザー付き(弁当付き)のサテライトセミナーだが、90分以上なので、学会の企画に相当する内容になる。1)チオプリン製剤(azathiopurin=イムラン)。寛解維持のkey drugという。ステロイドからの離脱・寛解維持・生物学的製剤と併用、で使用する。ステロイドは寛解維持の働きはなく、粘膜再生遅延をきたす。ステロイドからの離脱を目指して使用するが、いつまで続けるか。中止すると再燃する可能性があり、最低2年は使用する。25mg/日を1~2週間使用して、50mg/日に増量する。25mg/日にアロプリノール50mgを併用すると濃度が上昇するので、25mgのままで使用できる。副作用として白血球減少が特にアジアでは30%と多い。2)サイトメガロウイルス感染。CMV感染を併発するとUCが増悪するとされて、抗ウイルス薬が投与されてきた。組織学的にあるいは血清学的にCMVの再活性化を証明できても、それがそのままCMV disease(つまり臓器障害)とは結びつかない。CMVの再活性化は炎症と免疫抑制で起こるので、まずUCの治療を行うことが優先される。インフルキシマブ(レミケード)はCMV感染を悪化させない。3)粘膜治癒。Mayoの0~1(できれば0)の粘膜治癒を目指す。インフリキシマブ投与2週間後のトラフ値がその後の経過を規定する因子で、30週後の粘膜治癒を規定する因子でもある。インフリキシマブは使用当初に効果がそれほどなさそうでも、遅発有効率19%なので、使用し続けることも重要。UCからの癌・dysplasiaは診断が内視鏡的に難しい。狭窄や高度炎症はcolitic cancerのリスクを高める。

 今回は「腹痛診療の自信がつく本」カイ書林を持っていった。症例がよくまとまっていて、内外ヘルニアの症例も数例入っていて参考になる。好酸球性胃腸炎や血管性浮腫(C1インヒビター欠損症)も含まれている。研修医にお勧めだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス人と美食

2015年10月09日 | Weblog

 JDDWの特別講演は帝京大の廣田功先生。美食というと、日本では贅沢な物を食べることというイメージがあるが、本来は上手に食べること。1)美味しく食べること、2)健康的に食べること、3)楽しく食べることからなる。フラン料理は和食より早く2013年に世界無形文化遺産になっている。
 

 もともとのフランス料理はやたらスパイスを利かせるものだったそうだ。17世紀後半に他の国の料理とは違うと認識されて、自然の味を活かす料理になった。スパイスや砂糖を控えて、ソースのバリエーションで食べさせる。これを味覚革命(料理革命)という。18世紀になって、貴族と富裕なブルショアは高級料理を、それほど富裕でないブルジョアは簡素な料理を食べるようになった。18世紀後半には贅沢な料理よりも簡素な料理が良いとされた。フランス革命後に、貴族に雇われていた料理人がレストランを開くようになった。また安く雇える女性の料理人が、フランスの国民食(家庭料理)であるポトフを作るようになった。19世紀には社会全体に、つまりより下層に、そして地方に広がった。中央市場から朝市(マルシェ)に、そして家庭へと食料の流れができた。レストランは高級からものからリーズナブルなものまで、さまざまな種類ができた。1826年に「ガストロノミー(美味礼讃)」が出版された。19世紀後半に美食のガイドブックである「ミシュランガイド」ができた。20世紀初めに労働者の家にキッチンができて、美食の考えが広まり、第2次大戦後には農民にまで広がった。

 ところが1970年代からフランスの美食は危機を迎えた。マクドナルドなどのファストフードが入ってきて、さらに食事に時間をかけることができない時代になってしまった。消化器病週間にふさわしい話かな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする