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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン

2023-05-24 | 映画


数年前に中之島の東洋陶磁博物館でマリメッコ展見て、
このファブリックデザイナーのことは知ってたけど、そのドキュメンタリー。
なるほどマリメッコのデザイナーはこういう人だったのか。
映画は当時の写真や映像、新しく作られたアニメーションなどで進んでいきますが
女性の声で語られるテキストはほぼマイヤの一人称。
訥々と静かに喋るマイヤの話をずっと聞いている感じで進んでいきます。

恋して結婚してまた恋してまた結婚してまた恋して…旅して絵を描いて旅して絵を描いてまた旅して旅して。
でも、恋多き女という感じではなくもっと自然な感じに見えた。
なによりも自分を優先させることを知っていたからかな。
恋をしてもそれに振り回されているようには見えなくて、
子供は親に預け、とにかく自由に旅をして仕事をしていたけど
晩年はやや若い恋人に振り回されてるような感じもあって、それも人間らしくて良い。
途中パリだったか、トーベ・ヤンソンとトゥーティと食事したみたいなところがあって、
これは確かに自由なフィンランド女性同士なのだなぁとはっとした。
女性の人権が(完全ではなくても)普通に保障されている世界を見慣れなくて。
日本や韓国ではありえない自由だなと、ちょっとびっくりしながら見た。

マリメッコの創業社長アルミの話も、どの恋人よりどの夫よりたくさん出てきたけど
常に仲良しだったわけではなく反目に近い関係の時期もあったのに
結局長いパートナーシップを続けたこの人のことをもっと知りたい気もしました。

すでに高齢になっている娘のクリスティーナも出てきますが
母親にはわりと放置されて育ったのに母親のことを大好きで尊敬もしているのね。
このクリスティーナの家が出てきて素敵だなぁと思ったらここはアトリエらしい。
マイヤの遺した多くの絵やデザインや写真が保存されているそうです。
マイヤの家の近くということだけど、すごく素敵なアトリエで、憧れるなぁ。
マイヤがなくなった後、この娘や孫が彼女のデザインを継承して復刻したりもしているようです。
しかし北欧のデザインは人気だけど、本当になんであんなに何もかもセンスがいいのか?

公式サイトのストーリー紹介、長いけど貼っておきます。
>フィンランド南部リーヒマキ、アロランミ。1927年、マイヤは農家の3人娘の末っ子として生まれた。農作業を手伝い、姉妹で紙の人形を作ってままごとをして遊んでいた。13歳から家を出て一人暮らしとなり、厳しい戦時下を生き抜いた。45年、17歳年上の商業芸術家ゲオルグ・レアンデリン(ヨック)と結婚し、翌年19歳でクリスティーナを出産。ヨックとは共に暮らすこともなく離婚し、母トイニにクリスティーナを預け、マイヤはヘルシンキの芸術大学へ進学する。この時から、マイヤは離れて暮らす娘に手紙を送り続けていく。初めてのノルウェーへの海外旅行で出会った壺をデザインしたファブリックを大学のコンテストに出品すると、マリメッコの前身であるプリンテックス社を立ち上げた(マリメッコ創業は1951年)アルミ・ラティアの目に止まる。アルミはマイヤの作品を購入し、マイヤはデザイナーとして雇われることになる。経営者とデザイナー、アルミとマイヤの唯一無二のパートナーシップの始まりである。
52年、画家のヤーッコ・ソメルサロと二度目の結婚。2人は描いた絵を売りながらヨーロッパを旅し、カウニスマキに小さなアトリエを構えた。この頃のマイヤはアシスタントとしてヤーッコを支えたが、こっそりと絵を描き続ける。55年にヤーッコと離婚してから、抑えていたものが爆発するように創作に邁進し、旅する生活がその源となっていた。58年に手がけた「装飾シリーズ」は評判となり、マイヤの名前が知られるきっかけとなった。マリメッコはアメリカ進出を果たし、60年にジャクリーン・ケネディが購入したドレスを着て雑誌の表紙を飾ったことが話題となる。その後の「バロックシリーズ」や「建築シリーズ」など、マイヤの大胆でカラフルなデザインは、マリメッコの海外での成功に大きく貢献した。64年には「(花はそのままが一番美しいので)花をファブリックのモチーフにすることは許さない」としていたアルミの意に反し、マイヤは花のデザインだけを集めた「花シリーズ」を制作。そのデザインを見たアルミは考えを変えて、多くのデザインを購入。そのうちのひとつが「Unikko(ウニッコ)」であり、その後マリメッコのアイコンとなった。

映画:丘の上の本屋さん

2023-05-23 | 映画


いかにも、黒柳徹子が予告編のナレーションをしてユニセフが共同制作してる感じの映画で
映画としては素朴というか単純で素人くさいというか、
カメラも演出もちょっとズッコケそうになる辿々しさ?なんだけど、
ゆるゆると優しい映画で、すごい映画ばかり見てる中にこういうのも混じってていいかもしれない。
30本に1本くらいなら。笑
ラストもわかりきった終わり方で芸も何もないんだけど、
その本がそれとは、わたしの弱いとこついてきたなって感じで少しグッときました。

お話は
>イタリアの風光明媚な丘陵地帯を見下ろす丘の上の小さな古書店。店主リベロは、ある日、店の外で本を眺める移民の少年エシエンに声を掛け、好奇心旺盛なエシエンを気に入ってコミックから長編大作まで次々と店の本を貸し与えていく。リベロが語る読書の素晴らしさに熱心に耳を傾けるエシエン。感想を語り合ううちに、いつしか2人は友情で結ばれていく…。(公式サイト)
丘の上の古本屋さんの場所が石畳の古い街の中で、きれいすぎてセットかな?と思ったけど
これは チヴィテッラ・デル・トロントという美しい村らしい。
こんなところで古本屋さんをできる人生、いいなぁ。

映画の最後に主人公が移民の少年にすすめる本が、
何の本かな?哲学かな?と思ってたら予想外。
ゆるゆるふんわりの最後にこれがくるか!と、ちょっと、よっしゃ!という気持ちになって
この単純で素人くさい映画を、まあいいかと思いました。

その本は(以下ネタバレ)






「ピノッキオ」「ドンキホーテ」「白鯨」「アンクル・トムの小屋」などのあとに
どんなすごい文学か哲学か、あるいは詩集かと思ったら
その本は「世界人権宣言」でした。
ここまでゆるくぬるく作られた映画でも、言いたいことはそこだったのねとちょっと感動した。
「そもそも国民に主権があることがおかしい」とか
「国民の生活が大事なんて政治は間違っています」とか言うような政治家のいる政党が
長年与党である国では生まれない発想でしょうね…

映画:EO

2023-05-21 | 映画


ロバがすごく好きなのですよ。
ロバのことはここでも何度か書いてる。→テルマエロマエのロバ
あと、伊丹の街でポニーをひいてる人に遭って
ポニーって普通の家で買えるんですか!?と聞いたら飼えますよと言われてから
ロバもいつかどこかで飼えないかな、ロバ飼いたいなとずっと思ってたりしました。
ロバ買うためにマンションではなく小さい庭付きの家に引っ越すのはどうだろうなどと
少し真剣に考えもしました。(琵琶湖の北の方に家を探したりした・・・)

今年に入っていくつかロバが印象的な映画を見たけど
(「イニシェリン島の精霊」「小さき麦の花」など)、
「EO」はロバが人間の脇役じゃなく、まさに主人公の映画なのでロバ好きとしては見逃せない!
ドキュメンタリー風の映画で、ロバの物言わぬ静かな目やきょとんとした顔は、
うちの猫のこともすごく思い出してたまらんかった!です。

サーカスに所属してたロバがそこを追われ、まずは馬の世話をする施設へ、
その後農家へ送られ、そこを抜け出した後は、森の中を彷徨ったり、
街の方で人間に暴行されたり助けられたりして・・・というストーリーの流れですが
ほとんどセリフも説明もないロバのロードムービーのような映画でした。
いいことも悪いことも起こるんだけど、何が起きても物言わずに運命のままにただ生きている
ロバの視点で描かれることで、ロバに関わる人間たちの姿も客観的に見えて来ます。
とはいえ、そう思うのは映画を見ている人間の勝手な思い込みで、
ロバ視点は人間とは違って人間の善悪や論理、理屈とは関係ない視点なので
なにもかも理解できて納得できるシーンばかりではなく、謎めいたシーンも結構あります。
ロバは擬人化されず、淡々とロバで、ドキュメンタリー風なリアルなシーンが中心な中に
時々抽象的だったり幻想的だったり何かを強調するようだったりするシーンが挟まれ、
そういうシーンではポスターにもある赤がよく使われていて、強く激しい印象を受けました。

でもね、ロバの受ける苦難や暴力などより、何よりきつかったのはなんと映画の音だった…!
大きな音が苦手なんだけど、激しい音、尖った音、金属的な音、などが大きく不穏に鳴り響くシーンが多くて
わたしにはそれらがいちいち激しく暴力的に響いてずっと心臓がバクバクしんどかったのでした。
途中から耳塞いで見てたけど、ずっと動悸がして苦しかった・・・。

音だけでなく全体的に演出も映像もコントラストが強くて
(ニューヨークタイムズが鮮烈と評してたけど確かに鮮烈)
いろんな賞を取るのもわかる映画ながらわたしはもう少し地味な方が好きです。
でも繰り返しておくけど、ロバは素晴らしい。(6頭で演じわけさせたそうです)

監督はベルリンやカンヌで賞をとったことのあるイエジー・スコリモフスキ。
この「EO」もカンヌで審査員賞を受賞したそうですが、さもありなん。

あと、大好きな女優イザベル・ユペールもミステリアスでエキセントリックな伯爵未亡人の役で出てて
彼女こういうどこか歪んだ迫力のある役ほんとうまいなぁ。

映画の感想を呟いたら友達がコメントくれました。
「イーヨー(プーさん)でもなく、イーアー!(ニーチェ)でもないのですね…」
・・・西洋哲学の教養ほぼゼロのわたしは、ニーチェのイーアーとは???とググりました。

ニーチェの『ツァラトゥストラ』第4部に「ロバ祭り」という節があって、
なんでも受け入れて鳴くロバの声(イーヤー)が、真の肯定(ヤー)の精神と取り違えられ、
人々がロバを崇めるようになってロバの祭りをするというような話。
ニーチェ読んでないのに、ググってそこだけ取り出してもよくわかりませんが
なんでも受け入れることと真の肯定は別のことだという話なのかな?
無知蒙昧なロバの鳴き声を真の肯定ととり間違える人の愚かさを書いているのかな??

「ニーチェのイーアーわかんなくてググりましたが、
そういえばなんでこのロバはEOという名前なんだろうとこれもググったら
やっぱりロバの鳴き声から来てる?みたいなこと書かれてて、そういう意味でも、
ロバが今いる状況を常に淡々と受け入れて同じ瞳で黙って世界を見ているだけのこの映画は
ニーチェのイーアーと関わりがあるのかもしれないですね。参考になりました。」と書くと
「一応念のために書いておくと、ニーチェにおけるロバ(の鳴き声)はネガティブな要素なのです…」
と返信が来たので
「映画の中のロバはネガティブでもポジティブでもなくて、否定も肯定もせず馬鹿でも賢くもなく、
ただそこにいる存在みたいな感じでした。
このての映画で哲学のテーマを潜ませていることって結構あるので
(もちろんわたしは大体気づかずに見てるんだけど笑)何か関連はあるのかもなぁと。
公開されたばかりだけど、そのうち誰かが何か書いてくれるかもしれません。」

映画のロバはその静かな瞳で自分に起こることを全て淡々と受け入れ、
泣きも笑いもせず希望も絶望もなくただシンプルに食べて歩いて生きていくだけなので、
見た人の多くは(ただ生きていき、そしてただ死んでいく)そのロバの静かな生が尊く見え、
逆にそこに関わる人間の、ロバとは違ってあらゆる種類の生臭い意図を持ち
いいことも悪いこともいちいち画策したり抗ったりジタバタする愚かさ醜さを強く感じるようですが
それもまた違うのだとニーチェなら言うのかな?

映画:ウィ、シェフ!

2023-05-16 | 映画


黄色基調の明るいポスターと、シンプルなタイトルで想像する楽しい料理映画と思ったら
ほんの少しどこか微妙に違うのはフランス映画だからかな。良い方に違いました。

ヒロインは有名シェフのレストランで働いていたけど
自分のレシピを勝手に変えさせられたことに怒って喧嘩してやめてしまい
やっと見つけた再就職先は移民の子供たちの食堂で
それまでの煌びやかで才能を活かせる世界とは全く違って缶詰温めて出せば良いような食堂。
そこで移民の子どもたちに料理を教えることになって…みたいな話ですが、
最初、ヒロインが派手な厚化粧で気が強く怒りっぽく、あまり好感の持てる感じじゃなかったのに
少しずつ彼女の人生や孤独な背景がわかっていくにつれ理解も共感も持てるようになるし、
さらに彼女の最善を尽くすガッツと、人への分け隔てない接し方や優しさを見るにつれ
とても魅力的な人に見えてきて、最後は彼女を好きになって応援するようになるのが
とても気持ちよかったです。

2月に見たフィンランド映画の「コンパートメントNo.6」のヒロインを少し思い出しました。
この映画は脚本が良くて、別の国に舞台が変わっても
ハリウッドでもアジアでもリメイクできそうと思ったけど、
ここでのロシアのフィンランド人の話は地味と言えばだいぶ地味な映画で
なによりヒロインの魅力のない地味さに、最初の方ではうんざりしそうになりました。
ところがその魅力を感じられなかったヒロインが後半にかけて良くなってくるのがすごいのです。
話の流れで笑顔が増えてくることもあるけど、それ以外でもヒロインが魅力的に見えてきて
気がつけば好きになってる。
「ウィ、シェフ!」もそういう映画で、わたしはそういう映画が大好きだな。
人の魅力がわかるようになったり、あるいはその主人公自身が変わって魅力的になっていく映画は
見ていて本当に気持ちがいい。
曇っていたメガネをきれいに磨いたあとに世界を見たような、すっきりした気持ちになります。

わたしは料理映画が好きだけど、(だからこれを見ました)
この映画のテーマは料理より移民問題の方により割かれているように思えるラストで
それもまたよかったです。
移民の子供たちを演じたのは実際の移民の少年たちだそうで、だからこそのこのラストなんだな。
映画としてはどこかこなれてないぎこちない作りのところがあるし、
素晴らしいとは言えないけど、好きな映画。

ところで、原題は「LA BRIGADE」、旅団という意味で、
映画を見る前は「ウィ、シェフ!」なんて安直な邦題だと思ってたけど、
映画を見たら、この言葉が大きな役割を果たしていることがわかって納得できました。

映画:ノマドランド

2023-04-12 | 映画


2021年に映画館で見た。

老人しか出てこないし良くも悪くも孤独感が常に漂う映画だけど、これもまたいい映画だなぁ。
派手でなく感動のドラマでもないしっかりしたアメリカ映画もいいものです。
移民、夫婦、親子、過去、未来、いろんなことを考えます。
思ってた感じとは少し違ったけど、カメラもすごくいいし、消えた街もいいし、
とにかくスナフキンに憧れるわたしにはここに描かれるノマド生活が心に染みるー
先日アップした「スーパーノヴァ」にも書いたけど
キャンピングカーに強い憧れのあるわたしにはこの映画はツボすぎました。
文化的で温かい愛を描いた「スーパーノヴァ」と違って、
こちらは現実のつらさも容赦なく描かれるし、
風景や生活もドキュメンタリータッチに仕上げてあるのですが
それも含めて、キャンピングカー生活への憧れはますます募ります。
(運転できないから無理なんだけどね)
そして何より、ここに描かれる孤独は自分にもあるものだと強く思うのでした。

ネバダ州のとある町で、リーマンショックによりその街を支えていた企業が倒産。
夫も亡くし、家を失った60代の女性ファーンは、キャンピングカーに乗り車上生活を始める。
期限付きの季節労働を渡り歩いてアメリカ中を移動する暮らし。結構重労働の肉体労働です。
そして次の仕事がいつどこにあるかも不安定な暮らし。
でも、そういう暮らしをしている人は結構いて、出会い、交流し、励ましあい、慰め合い、
時にはなくなった人を悼み、またそれぞれの労働へ戻って行く現代のノマド(遊牧民)。

ドキュメンタリーが原作で登場人分の多くがなんと本人なので
ドキュメンタリーのリズムがあります。
映画ではファーンが主人公だけど、彼女も含めて、車で生活しながら駐車場代込みの仕事として
Amazonとか大手チェーンとかで倉庫や清掃の短期間仕事を転々としながらしている高齢の人たちの話。
高齢者の生活と孤独に他人事でなさを感じるし、束の間のふれあいは暖かいし、
定住の機会があっても自分の孤独を選んでしまうタイプの人の気持ちもわかる。
そして映像はきれいで、広くて寒々としてて、孤独というものの美しさ厳しさそのもののよう。

主人公ファーンを演じたフランシス・マクドーマンドの演技は最高。
「ファーゴ」と「スリー・ビルボード」でアカデミー主演女優賞を取っていましたが、
この映画で3度目の主演女優賞を取りました。
厳しく冷たく骨っぽく、カサカサと乾いた印象の頑固そうな風貌で、
もしも近所にいたらなんかすぐ怒られそうで怖いけど、大女優ですね。

そのフランシス・マグドーマンの今回の受賞スピーチでは
「今夜紹介されたすべての作品を、大きなスクリーンで見てください。知り合いを連れて映画館に行き、
暗闇の中で隣の人と肩と肩を触れ合わせながら見てください」と言ってて、
新型コロナで映画館も閉まっていた時期もあったことを思い出しました。
映画館に行ける時が早く戻ってきますように、と願っていたけど
気がつけば(感染が収まったわけではないけど)もう以前同様に映画館で映画が見らるようになってて
今日も1本見てきました。
映画館で映画を見て、家に帰って思い出しながら感想を書いて、という楽しみが
ずっと続きますように。

そういえば、クロエ・ジャオ監督はこの後マーベルの「エターナルズ」を撮ったのはびっくりした。
この映画とマーベルが全く結び付かなかったからねぇ・・・
でもね、人間を描くということでは、何を撮るの同じことなのかもしれなくて、
「エターナルズ」も良かったです。でもわたしはやっぱり「ノマドランド」の方が好き。

映画:スーパーノヴァ

2023-04-11 | 映画


コリン・ファースが恋人を亡くしたゲイを演じた名作「シングルマン」
トム・フォードが監督をしたすごい美意識の映画で、
でもその完璧な美意識、ただのファッションやスタイリッシュさを超えて
主人公の喪失と孤独の深淵を描き尽くした最高の映画なんですけど、
彼がまた恋人を失いつつあるゲイを演じるこの映画は「シングルマン」を超えられるのか?
と疑心暗鬼で見に行ったら(映画ずれしてしまって疑り深くなってる…)、すごく良かった!
超えたかどうかというと完成度や名作度では「シングルマン」には及ばないと思うものの
キャラクター的にも内容的にも全く別物なので、これはこれで大変よかったのでした。

「シングルマン」は恋人を失った後の絶望と空虚を生きる(生きる気もないけど)男を
クールな映像でどこまでも重く深くシリアスに描いているけど
こちらは喪失の予感を含みながらも終始、愛、愛、愛が描かれている作品。
シリアスな話だけど基調は暖かい愛し合う二人の話なのです。
特に珍しいものや新しいものがあるわけではなく、ゲイとはいえごく普通の愛の物語だけど、
とても静かに優しく丁寧に描かれていて、そこをとても褒めたい。
そしてめちゃくちゃ美しいイギリスの湖水地方の風景の中を行くロードムービーでもあります。
キャンピングカーというのもまたわたしの憧れなので
(お弁当と同じで小さな場所に必要なものがコンパクトに収まっているのがすごく好き)
ふたりのキャンピングカーでの暮らしを見るのも楽しかった。
コリン・ファースとキャンピングカーと湖水地方の風景。もう何を見ても至福でしかない。笑

愛し合う主人公二人はピアニスト(コリン・ファース)と作家(スタンリー・トゥッチ)で
素晴らしい家族と友人たちに囲まれた愛とユーモアのある文化的な美しい人生、って
ちょっとそれ出来過ぎ!って思うような人たちなんだけど、一方が病気になったところから
それぞれの思いと決意が交差して…というお話です。

出来過ぎなほど美しく温かい環境とは言え「君の名前で僕を呼んで」のような、
どこの貴族?というほどではなく、もう少し現実的ではある。
とはいえ、わたしからすると、誰でもが持てるわけではない完璧で美しい人生を
愛し合いながら生きてきたこの二人に、誰にでも訪れる死の影が立ち込めたからと言って
さほど同情する気にはならないかな。
むしろ一生愛しあえる人と出会い20年も幸せを分かち合いながら生きてきた人生が
ひたすら羨ましいばかりでした。

「シングルマン」は後味が悪いわけではないけど喪失の絶望が終始苦しくつらい映画でしたが
こちらは大きな喪失のあとにおそらく暖かい思い出や記憶がいつまでも残り
それを大事に生きていけそうに思えて、
悲しい中にも暖かい気持ちで見終えることのできる映画と思います。

映画:ヘルムート・ニュートンと12人の女たち

2023-04-10 | 映画


有名なファッションフォトグラファーに関するドキュメンタリー映画ですが
トップモデルや女優の中には教養があって聡明な人も多いのねぇと思う。
彼を語る言葉がすごく豊かだ。
イザベル・ロッセリーニやシャーロット・ランプリング。
欧米人は元々こんな風に人を語る言葉が豊かなのかもしれないなと
ドキュメンタリー番組を見ると思う。
クリエイティブな人たちだからだろうか、ありきたりでない自分だけの言葉で
自分だけのエピソードと思い出を語りながら人の輪郭をはっきりさせていく。

ヘルムート・ニュートンの写真も出てきて、それもいいけど、
今見ると写真より、むしろ彼の人生や性格が興味深い。
一番面白かったのは妻との関係。
お互いを高めあい刺激し合う素晴らしい関係で、彼は妻の影響を絶えず受けていたという。
ヘルムート・ニュートンがインフルエンザか何かでダウンした時に代わりに写真を撮って
独学で学んで売れっ子の女性写真家になったそうです。
夫の影で才能を消費されていく妻、みたいな物語を想像しそうだけど
この映画で見る限りはそういう感じではなく、
彼は彼女を自分のインスピレーションの源だと言って崇拝していたようです。

晩年、二人の写真展を開催し、プライベートな写真を公開したときは
それまでそういうプライバシーを出してこなかったからだいぶ葛藤があったようだけど
結局は、やってよかったと思ったらしいです。
この写真展の写真がどれもすごくよくて、これは生で見たかった!
ヘルムート・ニュートンのかっこいいファッション写真よりずっと好きだわ。

この映画の夫婦を見て、以前京都で見たポール・スミス展での夫婦の写真を少し思い出しました。あれもいい写真だった。

公式サイトの彼の言葉より、自身の写真について:
私の写真について言えるただ一つのことは、決して不鮮明ではないということである。私は芸術を生み出しているとも主張しない。私の写真にメッセージはない。写真は極めてシンプルで、どのような説明も必要としない。もし写真を理解するのに時間がかかるなら、それはその写真に細部事項が多く、多くのものが表現されているからにすぎない。しかし一般的に私の写真はシンプルである。

悪趣味:
私は悪趣味を愛している。趣味が良いということは所詮、標準的なものの見方しかできないということだ。

映画館で初めてこんなに怒ったこと

2023-04-03 | 映画
去年の秋、
すいてる映画館で横二つ空いた隣にいた年配の男女が数分おきにずっとひそひそ喋り続けていた。
何かの話をしてるというより画面が変わるたびに何か一言二言感想を言い合って笑う、って感じで
ひそひそ声だし、これがカフェや家の中だと仲が良くて楽しそうで微笑ましいんだけど、
こちらは映画館の暗闇でスクリーンに向かって集中しようとしている最中です。
うーん、この人たち大人なのに場所を選ばず、
思い付いた感想を全部口に出さずにいられないのかと少しイライラしながらも我慢してたんけど
ひそひそ声の短い会話でもずーっと延々やられるとどんどん気が散ってくる。
見るとマスクもしてない(その時点ではマスク推奨の時期でした)
すいてる映画館でそだまって映画をみるのにしっとマスクを外すのには目くじら立てませんが、
いちおうマスク着用お願い、おしゃべりは控えて、となっていた映画館で、
マスク外して喋り続けてる人たちのせいで、全然映画に集中出来なかった。

我慢の限界をとうに越してから意をけっして、とうとう小声で
「しゃべるのいい加減にして下さい」って言ったらやっと黙ったけど、
その後10分くらいで映画は終わった。2時間ほどのうち静かに見られたのはたった10分だった。
映画が終わって立ち上がった時、よかったねーと言い合ってる雰囲気のその二人に、
静かな映画館で延々喋り続けるとか一体どういうつもりなんですか!
すーっとひそひそ声を聞かされてたせいで、全然集中できなかった!とキツい声をかけてしまった。
映画館で迷惑な人は時々見るけど、本人に直に怒ったことなんでこれまでの人生で初めて。
映画館中の人に注目されてしまった…
でもねぇ、マスク外したままあらゆるシーンでいちいち感想言いながら見るのは映画館でなく、
自分の家でテレビ見るときだけにしてほしいです。

こんなに怒るなんてよっぽど疲れてたんだろうかわたし…
そんなことでこんなにイライラして怒って、映画一本無駄にしてしまった自分がいやになる。
悲しい。
怒るのに向いてないのに。その人たちに対してというより、
怒った自分にものすごく嫌な気分だわ。とても嫌な気分。

怒らず怒られず、イライラせずに生きていきたい…
ワインのドキュメンタリーを見て楽しくなったら帰りにどこかでワイン一杯飲んで帰ろうと思ってたけど
真っ直ぐ帰りました。残念な映画体験。

映画:ストーリー・オブ・マイワイフ

2023-03-17 | 映画


「心と体と」で第67回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した
ハンガリーのイルディコー・エニェディ監督の映画。

3時間弱と言う長さで、とある夫婦のグダグダを描いた二人劇みたいな映画ですがなんとも見応えがあった。
「心と体と」とは全く違うタイプながら同じくらい大変美しい映画で、
この映画について言いたいことも考えたいこともたくさんあります。
この監督もまた、新作が出たら必ず見にいきたい監督になりました。

1942年のハンガリーの小説が原作のようですが、舞台は1920年のマルタ共和国。
船長のヤコブは、悪友と遊び半分?でこのカフェに最初に入ってきた女性と結婚すると言い
そこに来た見ず知らずの美女リジー(レア・セドゥ)に本当に結婚を申し込む。
ちょっとしたおふざけのようなプロポーズだけど、本当に二人はその週末に結婚してしまう。
こういう賭けのような悪ふざけはありがちと思うけど、それを受け入れるリジーの気持ちは
最初から最後までよくわからない。彼女の行動と表情を見るしかないけど
それもどこか謎めいています。ファムファタルか。

ヤコブは彼女を愛するようになって、そうなると船乗りはつらい。
美しい妻を残して何ヶ月も海に出なければいけないし、会えない時間が
執着や妄想や嫉妬をどんどん育ててしまう。
執着すればするほど相手の心が離れるのもよくあることで、
そこにリジーの友人でスマートだけどチャラチャラした男が登場し…というお話。

冒頭の海の中の生き物のゆったりした映像は「心と体と」を思いださせたけど、
美術や背景は、北欧っぽい白く清潔に整ったシーンが多かった前作よりずっとクラシックな美しさで、
主人公の船の中や船長室もすごくいい。
二人の住む家もクラシックながらどこか寒々とした空間も感じさせて素晴らしい。
音楽はあまり使われていないけど要所要所に流れるバッハに胸が締め付けられる。
なんかね、全然違うし関係ないけど「冒険者たち」のラスト、海に浮かぶ要塞の
引きで映したシーンのレティシアのテーマだったかな、あの哀しげなメロディを思い出しました。
(遠い目になってしまいますね…)

愛し合っていてもうまくいかないカップルの映画や小説はたくさんあって、
子供の頃は、素直になればいいだけなのに、好き同士なのに、
なんでこの人たちちゃんとコミュニケーションしないの(正論すぎる)?といつも思ってたけど、
そういうこともあるよねというか、実際そういうことばっかりだな、と思う大人になりましたね。

どちらが悪いというのではないのにダメになったカップルの映画で印象的ないい映画って
「マリッジ・ストーリー」もそうで、大傑作。
先週見たばかりの「フェイブルマンズ」は映画愛の話と思って見たらむしろ夫婦の話と思ったし
「花束みたいな恋をした」も「窓辺にて」も、どれもわたしは好きだなと思う。
ふたりのどちらかが一方的に悪いのではなく、あるいはまだ愛し合ってるのに
関係が壊れていく、破綻していく、そういうのって哀しいものです。
誰も悪くないのに傷つけあったりしてうまくいかなくなってしまう哀しさ。
そういうものを映画や文学で見るのが好きなんでしょうね。

主人公のヤコブは大きくて無骨ながら優しい男の演技も嫉妬や怒りの怖い男の演技も上手く
オランダの人気俳優だそうです。
確かに、ロマンチックな役も権力者の役も、惨めな浮浪者や負け犬も何でもできそう。

ヒロインのレア・セドゥは、わたしは変な顔の大根だと思ってるんだけど
変な顔で大根でもいい役者というのはあって、彼女もそれだと思ってる。
存在感、美しさ、その表情の微妙な違和感と居心地の悪さ。
この役はやりたい女優さんは多そうだし、結構どんな女優さんでも
それぞれなりに上手く演じられそうだけど、レア・セドゥよかったです。

以下の監督インタビューを読むと、内面が描かれずミステリアスに見えたリジーが
一体どういう存在なのか少しわかり、また愛とは、執着とはそういうものよねと納得もします。
あなたはプレゼントを貰います。しっかりと閉じられたエレガントで素敵な小箱。その小箱を毎日 幸せな気持ちで眺めています。しかし、その箱を開くことが出来ないとしたらどうしますか? 最初 は繊細に開けようとします。次にナイフを使って試してみます。ハンマーを手にした時、箱そのものを 破壊してしまうことに気が付くでしょう。それから数日間、そのプレゼントを忘れるように努力しますが 徐々に、その中を少しだけ覗くためにはどんなことでもしようと考えます。実のところその素敵なプレ ゼントはあなたをいらだたせてしまうものです。  私は「愛」「情熱」「ドラマ」「冒険」など人生の様々な色合いについて、この映画-男性であること の意味、女性であることの意味、人間であることの意味についての感情的な物語を作りました。 リジーとヤコブ、レア・セドゥとハイス・ナバーそれぞれの特徴を理解しようとします。彼らは同じ人間 の男性的な部分と女性的な部分であったのかもしれません…。

あと、二人の住む家のインテリアですが、
最初のパリの家は暖色のロマンチックな甘く柔らかい光が差し込んでて、
後半のハンブルグの家は寒色系で重厚できちっと硬い感じなのもよく考えられていましたね。
照明はドラマツルギーの秘密兵器です。視覚的な美学を作るというよりも、特定の考えを強調するためのものだと考えています。アパートについては美術監督のイモラ(・ラング)とマルツェルと3人で、細部まで作り込みました。パリのアパートでは、リジーのくつろいだ雰囲気が出る照明が狙いでした。ミニマルでエレガントな透明感があり、窓から光が自由に降り注ぎ、人の姿にパッと目がいく空間。一方でハンブルグのアパートでは、天井が狭く複雑な間取りによって、カメラはあらゆる空間を、ドア枠や窓枠を通してのぞき見できます。全体に濃い色で統一され、壁紙の攻撃的ともいえるパターンや、必要最低限の光を取り入れる細長い窓が特徴です。ここで、二人の問題はますます深まっていきます。

映画:エンパイアー・オブ・ライト

2023-03-12 | 映画


「女王陛下のお気に入り」の女王役(アカデミー主演女優賞)が素晴らしかった
オリヴィア・コールマンの「エンパイア・オブ・ライト」が2月の10本目でした。

1980年くらいの海辺の映画館で働く女性が主人公。
淡々と仕事をし、一人の家に帰りキチンと食事をし本を読むけど、どこか空虚な毎日の様子。
彼女は心を病んだことがあって今もクリニックには通っているのだけど、
その映画館に若い黒人の男の子が務めだして、気持ちが通い合い・・・というお話。

ひとつひとつがぼやけてしまうほどいろんな要素が混ぜ込んで盛り込まれているし、
登場人物の関係も微妙ではっきりしないところがあるんだけど、
冒頭の海辺の映画館を内側から映すシーンから、映画館の建物の美しさにやられます。
窓の外は灰色で雪が降り、映画館の中は暖かく心地よく、
いやはやこの映画館をじっくりみているだけで幸せ。
今は使われていない上の階のホールも、夜の屋上もとてもきれい。
普段わたしは基本的に乗り換えしないで行ける映画館にしか行かないんだけど、
こんな映画館があったら遠くても通いたいです。いやもう住みたいわ。

映画の前半は、美しくも若くもなく幸せでもない孤独な中年女性のヒロインの不安定な様子に、
自分でも驚くほどの共感羞恥が溢れ出てしまって、見ていていたたまれない気持ちになったけど、
後半は後半でこれはどうかなぁと思う部分もあり、
いい映画なのに、この映画の良さを味わう余裕が足りなかったかもしれません。
建物と景色の美しさに集中しては映画の物語に戻り、って感じで見ました。

トム・ハンクスが「オットー」の予告編でそろそろ自分も嫌なヤツの役をやる頃だと言ってたけど、
わたしのコリン・ファースもここではクズ男の役を好演しててとても良かった。笑
そしてこのコリン・ファース以外の登場人物は全員とてもいい人なのにはホッとさせられました。


以下ネタバレとネタバレ感想



親子ほど歳の違う恋愛もちっとも構わないと思うんだけど、
この映画のヒロインは自分の恋情だけ、相手からもらいたいだけで何かを与える余裕がないし
男の子は息子ほど若いのに与えるばかりで、
それでも自分こそが彼女から多くのものを受け取ってると思っているほど優しい。
彼はその後ヒロインと距離ができた後に若い元カノと再会してまた付き合いだして、
その後にまたヒロインとも仲直りするんだけど
そこからはヒロインとは性愛の関係はなくなったと考えていいのかな。
ヒロインは最初、彼のちょっとしたことにもやきもちを焼いたりする人だったので
彼への恋情があるうちは、別れたけど仲良しみたいなことは出来なさそうな人なんだけど。
この関係ですが、年の離れた恋愛がどうというのではなく
ここは性愛関係はない方が良かったんじゃないかという気もするし、
いやいや、これだけアンバランスな関係をあえて性愛関係にしてこそ
描ける物があると言われればそうかもなとも思うし、難しいところです。
どっちにしてもヒロインが、はるかに年上というだけでなく
美しくもなく崩れて疲れ切った中年女なのは良かった。
どんな形になっても彼女の魂は、彼の魂のそばにずっといるのかもしれないなと思わせます。

もうひとつ気になったのは、ヒロインが再び心を病むきっかけが恋愛で、
恋に落ちてからの嫉妬や幸せに振り回されて
結局、男で幸せになったり不幸になったりするのかと思えるところ。
恋人ができると治り、ひとりになると病むって、結局男に依存してるというところは変わらなくて
男によってぐらぐらと変わる大人の女性を見るとすこしがっかりする。

でも、いつか落ち着いて画面をもっとじっくりと楽しんで見たい映画でした。

映画:バビロン

2023-03-08 | 映画


趣味の良い安全な場所からスパイス程度の悪趣味を楽しむのが好きという勝手で狡いわたしは、
映画の中の悪趣味は結構楽しめることが多い。
だから最初の乱痴気パーティーシーンの長さへの不満を聞いてたのに全然長くなかったし、
ああこういうことねと楽しみもしたのに、むしろ後半にかけての物語に疲れてきました。
映画が無声映画からトーキーに変わって、うまく乗り換えられずに落ちぶれる役者の話ですが、
これでもかと時代の変化の残酷さがねちっこく描かれてて、そのねちっこさに疲れた。
それはヒロインに対しても同じで、良くも悪くもこんなに生き生きとした野生を閉じ込めるなんて
良いことではないよねと思って見ていたのに、後半にはすっかり疲れて、彼女から離れたい気持ちに。
お酒、ドラッグ、ギャンブルと定番が揃い、人がダメになっていくところを見るのはつらいのです。

マーゴット・ロビーの演じた彼女は、トーキーのせいだけでなく
世の中の時代の変化や自分の加齢などに乗り遅れて結局ダメになったタイプと思う。
だから破滅は必然なんだけど、スターが破滅するのはとても高いところからの落下なので
ドラマチックで映画にはしやすいのかも。
(ちなみに生き生きとしたマーゴットロビーということなら「アムステルダム」が良かったです。
これは映画自体もすごく良くて難しい陰謀ミステリーと思ったら全然違って
ユーモアとセンスのあるすごく楽しい映画だった。悲しさも寂しさもあるけど
この映画のマーゴット・ロビーの美しさたるや。光り輝いてた。)

プラピのパートは全部だいぶ好きだったけど、もう一人の主人公のディエゴ・ガルバは、
あんなに愛してたはずの映画を私情の道具にしてしまうところでもう嫌になってしまったので、
ラストで泣かせにかかってきてもしらけた気分のままだったかな。
とはいえ、最初あんなにみずみずしく可愛くセクシーな若者だったのに、
最後の魅力の消えた姿の変化はすごく良かったです。外見的にはちょっとお腹が出て髪が禿げて
というだけの変化なんだけど、それ以上に魅力の消えた姿になってて、どこをどう探しても
映画という魔法にかかっていた頃の輝きがなくて、これはいい演技でした。

でも3時間でわたしが泣きそうになったのはジャズマンが顔に墨を塗らされるシーンだけかな。

そして主人公2人のテーマ曲?がララランドすぎてしつこい。なんでこんなに似せた?笑
下品も悪趣味も嫌いじゃないけどチャゼルはもういいわ、ということかもしれない。

友達はこの映画のことを「エグくてドギツイララランド。」と言ってて、なるほど!
ララランド自体、わたしはそんなに好みじゃなかったんだけど、
わざと悪趣味をさらしてこれについて来れるやつだけがわかってるやつなんだよなと
観客を煽る姿勢もちょっともういいやと思う。
わかりやすく目を引く悪趣味さで飾ることで、才気走ったチャゼルは
何かに正面から向き合って丁寧に描くことから逃げてるのかもなぁ。

映画:窓辺にて

2023-02-27 | 映画


妻の浮気を知ってもショックじゃない自分にショックを受ける主人公。
好きとか嫉妬とかの感情がない、今でいうアセクシュアルな人なのかな?と思ったけど、
そうでもないのか?その場合夜のことはどうなってたんだろう?
セックスレスだったなら妻の浮気がどうのということ以前の問題があるかもしれないけど、
普通に夫婦生活をしながらけろっと浮気をする妻のようには描かれていないし
妻の浮気を知りながら変わりなく妻を抱ける男のようにも描かれていない。
まあ夫婦やカップルのことは結局当事者しかわからないよね、と思う。
映画でこうして見せられても、語られていないところ、描かれていないところによるよね。
映画の会の課題にしたいくらいあれこれ話せる映画だったけど、
ラブラブのカップルで見にいく映画ではないかもしれません。

映画はヨーロッパの会話劇を思い浮かべる感じで、かなり良かったです。
フランス映画の佳作を見たような気分。
悩みを持つ主人公の稲垣吾郎が何となくうろうろと出歩き、
キョトンとした顔で人と出会い人と話し、また人と会い人と話す。
この主人公のやや無表情でキョトンとした顔と会話がフランス映画っぽい。
そういえば「ばるぼら」という映画でも稲垣吾郎は作家の役で
そっちはもう少し感情のある役だったけど、それでも二階堂ふみ演じる女の子に振り回されて、
やっぱりキョトンとした顔をしてるのが、すごく合ってた。

主人公は妻を愛してないわけではないんだけど妻の浮気を知っても特に何も感じない男。
妻はそういうタイプの夫のことが寂しくて浮気をしたみたい。
でも浮気って約束を破り相手を裏切るってことなんだけど、なんだろうここの人たちは、
裏切ることより愛情が足りないとか関心が足りないとかそっちの方が重要みたい。
わたしはなによりまず誠実さが大事と思うけどなぁ。その上に愛情があると思ってる。
でも映画の中では、浮気した妻より、それに対して感情に乏しい夫の方ばかりが責められる。
夫自身も、妻の浮気に怒りを感じない自分を責めている。
世の中ってそうなの?不満を持たせたり寂しがらせたりしたら浮気された上に責められるの?
この映画の世界では、愛情と関心を持つことが何より大事で、それを怠ると責められるし
愛情を関心を持たれることを当たり前の権利のように要求される。
要求する妻、強いなぁと思うけど映画の中では被害者ポジションです。それもまた強いわ。

この妻が中村ゆりで、めっちゃきれいでかわいかったし、
玉城ティナはさらに超可愛くて地球外生物かと思った。魅了された。
玉城ティナは女子高生作家で、主人公と知り合い、主人公の家庭の話とは関わりない交流を持つけど
そこに恋愛的なものは何ひとつ起こらないのがよかったね。
若くておしゃれで可愛く鋭く才能がキラキラしてる売れっ子作家なのに
彼氏がバカっぽいヤンキー男なのもよくわかんなくて良かった。笑
とにかく主な登場人物がわりとみんな好きな顔なので、かなり気持ちよく見ました。
映像も、昔ながらの喫茶店や家の中のシーンも山小屋のシーンもどれも光と影が心地よい。

2時間を超える会話劇ながら一瞬だけ出てくる脇役も味わい深くて良いです。
中でもタクシーの運転手の語りのシーンがすごい印象的でした。
話の内容も悪くないんだけど、この運転手の名前が滝田みずうみ、とタクシー内の名札に書かれてて
パチンコの話をするくたびれたおっさんなのに、名前がみずうみ!なぜ、みずうみ!
忘れられない。笑
あとパチンコ屋のぶっきらぼうなのに正直で律儀なねえちゃんも、よかったなぁ。

古い喫茶店で、パフェが食べたくなる映画です。それはいい映画よね。

映画:エンドロールのつづき

2023-02-24 | 映画


インド版ニューシネマパラダイスかな、二番煎じでノスタルジーで盛り上げて泣かせる感じかなーと
すれた気分で見に行ったらすっごく良かったー!
雪で乱れに乱れたダイヤに負けず見に行って本当によかった。

映画への愛、映画を愛することへの愛、映画のスクリーンの中だけでなく、
映画を映すこと、映画を作ることへの愛に溢れているのはもちろん、
この映画自体にとても美しい映画的なシーンが多くて何度もスクリーンに見いった。
主人公の少年が怒るお父さんに追いかけられながら画面を右から左に横切って走り、
その後ろをついて走ってくる他の少年たち、というような
何でもないシーンなどいちいち映画的で胸が震えるのよね。

川辺の草むらに並んだ上半身裸の少年たちが川向こうのライオンの群れを見ているシーン、
トロッコ?で線路を走るシーン、少年たちがとある場所からとあるものを運び出すシーン。
そういえば「光」を捕まえようとするシーンの一つはうちの猫を少し思い出した。
とにかく絵になる少年たちだった。

映画の要素である光と物語と音だけど、特に光に主人公が魅入られる様子は
かなり丁寧に時間をかけていろんなシーンで描写される。
映画を、物語のある意味のあるものとしてだけでなく、
光や映写機やフィルムなどその要素の一つ一つに惹かれて行くところの描写がとても良かったです。

そういった愛に溢れているのはもちろん、インドの素敵な料理映画の一つでもあって
→マダムマロリーと魔法のスパイス
→スタンリーのお弁当箱
インドの料理映画の佳作を思い出す。映画について以外で楽しめてこれは得した気分。
優しくてきれいなお母さんが美味しいおかずを料理しているシーンももっと長くたくさん見ていたかった。
あと、インドでの英語の話で、これもまた別のインド映画で見たけど、
ここでも同じようなことが描かれていることがありました。
貧しいけどバラモンである主人公に彼の教師が「今の時代のインドには二つの階層しかない、
英語を話せる階層とそうでない階層だ」と言い、
実際その違いが人の運命を変えてしまう様子が描かれているのも興味深かった。

今年はこのあとも映画作りをめぐる作品が続きます。楽しみです。

映画:ルイス・ウェイン 生涯愛した妻と猫

2023-02-17 | 映画


猫映画と言うほどは猫は出てこない。
いや、出てきてるけど、猫は物語の道具っぽくて、猫愛はちょっと足りない感じかなぁ。

カンバーバッチが(よく言えば夢みがちな)絵描きの役。
でも彼がやりたいのは電気に関わる発明で、
それ以外もじっとしていられずいろんなことに興味を持ち、
ハマってみないと気が済まないというキャラクターを演じています。
ブルジョワの家の長男で、母と妹たちを養わないといけないのに
おそらくその発達障害のために生活力はあまりない。
でも絵の才能があって、売れっ子になり、
それまでペットとは見なされなかった猫を可愛くおかしく描くことで
猫も犬と同じようなペットの地位に押し上げます。
当時では認められなかった身分違いの恋をして貧しい家庭教師女性と結婚をし
幸せな生活を送るのだけど・・・

前半、想像以上にロマンチックなラブストーリーなんだけど後半がつらくて、
ミシェル・ゴンドリー監督映画「ムード・インディゴ」のことを思い出した。
この映画はボリス・ヴィアン「うたかたの日々」の映画化ですが、
ハッピーなパートの現実離れした夢のような美しい映像にはうっとりウキウキしたものの
悲しいパートの重苦しさとの対比がキツ過ぎてしんどくなった映画。
そして今日見たルイス・ウェインの方のつらいシーンも後半結構長く続いて、
これどうまとめるのかなぁと思いながら見ました…。
どこかで浮上してそれなりのハッピーエンドになるのかな?
いやもうそれはここまで落ちたら無理でしょう?などと胸を痛めながら見ました。
とはいえカンバーバッチの飼う猫がすごくかわいいし
この愚かな人間界で、猫の地位を向上させた人の話のようなので文句は言いません。

あと、カンバーバッチは、この役にすごく合っててよかったけど
最近なんか他の映画でもエジソン的な役やってなかった?
続けて見たらキャラクター頭混乱しそう。笑

映画:メモリア

2023-02-12 | 映画


わたしのティルダ・スウィントンが主演してるので内容もよく知らないまま見たけど、
なかなか大変な映画でした。
まず長回しが長い・・・。日本語変だけど、いやほんと長いのよ。
この長回しに関しては、台湾と中国の監督二人を思い出したのだけど、
ビー・ガン監督のように長回しでどんどん舞台が変わり映像も流れていくようなタイプではなく、
ツァイ・ミンリャン監督の「楽日」みたいな長回し。
うっかり寝落ちしてうとうとして起きてもまだ同じ場所から同じシーンのままって感じ。
中々観客に我慢を強いるやつです。これ映画館だから見れたけど、
家で見てたら早回しするし、そうするとこの映画の値打ちはほとんど消えてしまうから、
映画館で見るための映画ですね。

二人の監督を思い出したのは長回しだけでなく、南米コロンビアの景色や自然の中に
少し東南アジアの気配があるからかもしれない。気候は似てるのかな?
そして、物語や説明はなく、謎だけはあるけどそれに向かって何かが進み謎が解明されることもなく、
よくわからないまま終わる映画なので、スッキリした答えの欲しい人にはもどかしいかもしれません。

そしてティルダはハマり役。彼女の静かで乾いて中性的で、簡素でひんやりして
個性を押し出さない佇まいがこの映画にとても馴染んでる。(そしてその個性が逆にすごい)
人の物語ではないんですね、人も景色の一部みたいに
人と人が話すようなシーンでも顔のアップがほとんどなく、
やや俯瞰で距離を持って撮られているのは、特に誰にも共感したり感情移入したりせずに
自分の物語ではない別の世界を外側から見ている感じです。
そして何よりもこれは「音」の映画。

音の映画というと聾学校が舞台の佳作を2本「ミルコの光」(イタリア)と「イマジン」(ポーランド)を思い出すのだけど
耳の聞こえない人たちの間で目と耳の感覚を研ぎ澄ませられるこの2本に比べて、
「メモリア」はむしろ聞こえすぎる人の聞く非日常的な音で、
耳の中でも普段使わない音を聞く部分を刺激され緊張の中で他のあらゆる音も繊細に拾わされる感じ。
長いし途中うとうとしたところもあったけど、退屈はせずに見られました。

予告編を見るとイメージ先行の映像作品のように見えるけど
辻褄を考えなければ、一応物語のようなものはあります。
主人公の旅のあてどなさは、外側から見ると、生きていくのってこういう感じか?とも思う。
世界は謎で、何か大きな得体の知れないものもあって、人は彷徨いながら答えを探して、
見つかったり見つからなかったり、でも結局その過程だけでいいのかも、というようなことを思う。
映画には一応の答えのようなものもあるけど、はっきりはしません。

お話は、ある女性が頭の中の不快な爆音に悩んで眠れなくなり、その正体を突き止めようと
医者や考古学者や、音を作る仕事の人などを訪ねながら、そこの人々と話し
そしてたどり着いた森の中?で不思議な体験をして・・・というもの。

こういう映画は見る人を選ぶ。
わたしは年に60本くらい映画館で見る中で人と見るのは2、3本ですが
これは聴覚過敏に苦しんできた人と見ました。
冒頭しばらくの不快な音の続く間は、その人が苦しくないか気になって
わたしもしんどかったけど、見終わった後で、そこは辛かったけど見てよかったと言われでほっとした。
その人と最後に見た映画だけど、その人と見て良かったと思う。