数年前に中之島の東洋陶磁博物館でマリメッコ展見て、
このファブリックデザイナーのことは知ってたけど、そのドキュメンタリー。
なるほどマリメッコのデザイナーはこういう人だったのか。
映画は当時の写真や映像、新しく作られたアニメーションなどで進んでいきますが
女性の声で語られるテキストはほぼマイヤの一人称。
訥々と静かに喋るマイヤの話をずっと聞いている感じで進んでいきます。
恋して結婚してまた恋してまた結婚してまた恋して…旅して絵を描いて旅して絵を描いてまた旅して旅して。
でも、恋多き女という感じではなくもっと自然な感じに見えた。
なによりも自分を優先させることを知っていたからかな。
恋をしてもそれに振り回されているようには見えなくて、
子供は親に預け、とにかく自由に旅をして仕事をしていたけど
晩年はやや若い恋人に振り回されてるような感じもあって、それも人間らしくて良い。
途中パリだったか、トーベ・ヤンソンとトゥーティと食事したみたいなところがあって、
これは確かに自由なフィンランド女性同士なのだなぁとはっとした。
女性の人権が(完全ではなくても)普通に保障されている世界を見慣れなくて。
日本や韓国ではありえない自由だなと、ちょっとびっくりしながら見た。
マリメッコの創業社長アルミの話も、どの恋人よりどの夫よりたくさん出てきたけど
常に仲良しだったわけではなく反目に近い関係の時期もあったのに
結局長いパートナーシップを続けたこの人のことをもっと知りたい気もしました。
すでに高齢になっている娘のクリスティーナも出てきますが
母親にはわりと放置されて育ったのに母親のことを大好きで尊敬もしているのね。
このクリスティーナの家が出てきて素敵だなぁと思ったらここはアトリエらしい。
マイヤの遺した多くの絵やデザインや写真が保存されているそうです。
マイヤの家の近くということだけど、すごく素敵なアトリエで、憧れるなぁ。
マイヤがなくなった後、この娘や孫が彼女のデザインを継承して復刻したりもしているようです。
しかし北欧のデザインは人気だけど、本当になんであんなに何もかもセンスがいいのか?
公式サイトのストーリー紹介、長いけど貼っておきます。
>フィンランド南部リーヒマキ、アロランミ。1927年、マイヤは農家の3人娘の末っ子として生まれた。農作業を手伝い、姉妹で紙の人形を作ってままごとをして遊んでいた。13歳から家を出て一人暮らしとなり、厳しい戦時下を生き抜いた。45年、17歳年上の商業芸術家ゲオルグ・レアンデリン(ヨック)と結婚し、翌年19歳でクリスティーナを出産。ヨックとは共に暮らすこともなく離婚し、母トイニにクリスティーナを預け、マイヤはヘルシンキの芸術大学へ進学する。この時から、マイヤは離れて暮らす娘に手紙を送り続けていく。初めてのノルウェーへの海外旅行で出会った壺をデザインしたファブリックを大学のコンテストに出品すると、マリメッコの前身であるプリンテックス社を立ち上げた(マリメッコ創業は1951年)アルミ・ラティアの目に止まる。アルミはマイヤの作品を購入し、マイヤはデザイナーとして雇われることになる。経営者とデザイナー、アルミとマイヤの唯一無二のパートナーシップの始まりである。
52年、画家のヤーッコ・ソメルサロと二度目の結婚。2人は描いた絵を売りながらヨーロッパを旅し、カウニスマキに小さなアトリエを構えた。この頃のマイヤはアシスタントとしてヤーッコを支えたが、こっそりと絵を描き続ける。55年にヤーッコと離婚してから、抑えていたものが爆発するように創作に邁進し、旅する生活がその源となっていた。58年に手がけた「装飾シリーズ」は評判となり、マイヤの名前が知られるきっかけとなった。マリメッコはアメリカ進出を果たし、60年にジャクリーン・ケネディが購入したドレスを着て雑誌の表紙を飾ったことが話題となる。その後の「バロックシリーズ」や「建築シリーズ」など、マイヤの大胆でカラフルなデザインは、マリメッコの海外での成功に大きく貢献した。64年には「(花はそのままが一番美しいので)花をファブリックのモチーフにすることは許さない」としていたアルミの意に反し、マイヤは花のデザインだけを集めた「花シリーズ」を制作。そのデザインを見たアルミは考えを変えて、多くのデザインを購入。そのうちのひとつが「Unikko(ウニッコ)」であり、その後マリメッコのアイコンとなった。