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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:EO

2023-05-21 | 映画


ロバがすごく好きなのですよ。
ロバのことはここでも何度か書いてる。→テルマエロマエのロバ
あと、伊丹の街でポニーをひいてる人に遭って
ポニーって普通の家で買えるんですか!?と聞いたら飼えますよと言われてから
ロバもいつかどこかで飼えないかな、ロバ飼いたいなとずっと思ってたりしました。
ロバ買うためにマンションではなく小さい庭付きの家に引っ越すのはどうだろうなどと
少し真剣に考えもしました。(琵琶湖の北の方に家を探したりした・・・)

今年に入っていくつかロバが印象的な映画を見たけど
(「イニシェリン島の精霊」「小さき麦の花」など)、
「EO」はロバが人間の脇役じゃなく、まさに主人公の映画なのでロバ好きとしては見逃せない!
ドキュメンタリー風の映画で、ロバの物言わぬ静かな目やきょとんとした顔は、
うちの猫のこともすごく思い出してたまらんかった!です。

サーカスに所属してたロバがそこを追われ、まずは馬の世話をする施設へ、
その後農家へ送られ、そこを抜け出した後は、森の中を彷徨ったり、
街の方で人間に暴行されたり助けられたりして・・・というストーリーの流れですが
ほとんどセリフも説明もないロバのロードムービーのような映画でした。
いいことも悪いことも起こるんだけど、何が起きても物言わずに運命のままにただ生きている
ロバの視点で描かれることで、ロバに関わる人間たちの姿も客観的に見えて来ます。
とはいえ、そう思うのは映画を見ている人間の勝手な思い込みで、
ロバ視点は人間とは違って人間の善悪や論理、理屈とは関係ない視点なので
なにもかも理解できて納得できるシーンばかりではなく、謎めいたシーンも結構あります。
ロバは擬人化されず、淡々とロバで、ドキュメンタリー風なリアルなシーンが中心な中に
時々抽象的だったり幻想的だったり何かを強調するようだったりするシーンが挟まれ、
そういうシーンではポスターにもある赤がよく使われていて、強く激しい印象を受けました。

でもね、ロバの受ける苦難や暴力などより、何よりきつかったのはなんと映画の音だった…!
大きな音が苦手なんだけど、激しい音、尖った音、金属的な音、などが大きく不穏に鳴り響くシーンが多くて
わたしにはそれらがいちいち激しく暴力的に響いてずっと心臓がバクバクしんどかったのでした。
途中から耳塞いで見てたけど、ずっと動悸がして苦しかった・・・。

音だけでなく全体的に演出も映像もコントラストが強くて
(ニューヨークタイムズが鮮烈と評してたけど確かに鮮烈)
いろんな賞を取るのもわかる映画ながらわたしはもう少し地味な方が好きです。
でも繰り返しておくけど、ロバは素晴らしい。(6頭で演じわけさせたそうです)

監督はベルリンやカンヌで賞をとったことのあるイエジー・スコリモフスキ。
この「EO」もカンヌで審査員賞を受賞したそうですが、さもありなん。

あと、大好きな女優イザベル・ユペールもミステリアスでエキセントリックな伯爵未亡人の役で出てて
彼女こういうどこか歪んだ迫力のある役ほんとうまいなぁ。

映画の感想を呟いたら友達がコメントくれました。
「イーヨー(プーさん)でもなく、イーアー!(ニーチェ)でもないのですね…」
・・・西洋哲学の教養ほぼゼロのわたしは、ニーチェのイーアーとは???とググりました。

ニーチェの『ツァラトゥストラ』第4部に「ロバ祭り」という節があって、
なんでも受け入れて鳴くロバの声(イーヤー)が、真の肯定(ヤー)の精神と取り違えられ、
人々がロバを崇めるようになってロバの祭りをするというような話。
ニーチェ読んでないのに、ググってそこだけ取り出してもよくわかりませんが
なんでも受け入れることと真の肯定は別のことだという話なのかな?
無知蒙昧なロバの鳴き声を真の肯定ととり間違える人の愚かさを書いているのかな??

「ニーチェのイーアーわかんなくてググりましたが、
そういえばなんでこのロバはEOという名前なんだろうとこれもググったら
やっぱりロバの鳴き声から来てる?みたいなこと書かれてて、そういう意味でも、
ロバが今いる状況を常に淡々と受け入れて同じ瞳で黙って世界を見ているだけのこの映画は
ニーチェのイーアーと関わりがあるのかもしれないですね。参考になりました。」と書くと
「一応念のために書いておくと、ニーチェにおけるロバ(の鳴き声)はネガティブな要素なのです…」
と返信が来たので
「映画の中のロバはネガティブでもポジティブでもなくて、否定も肯定もせず馬鹿でも賢くもなく、
ただそこにいる存在みたいな感じでした。
このての映画で哲学のテーマを潜ませていることって結構あるので
(もちろんわたしは大体気づかずに見てるんだけど笑)何か関連はあるのかもなぁと。
公開されたばかりだけど、そのうち誰かが何か書いてくれるかもしれません。」

映画のロバはその静かな瞳で自分に起こることを全て淡々と受け入れ、
泣きも笑いもせず希望も絶望もなくただシンプルに食べて歩いて生きていくだけなので、
見た人の多くは(ただ生きていき、そしてただ死んでいく)そのロバの静かな生が尊く見え、
逆にそこに関わる人間の、ロバとは違ってあらゆる種類の生臭い意図を持ち
いいことも悪いこともいちいち画策したり抗ったりジタバタする愚かさ醜さを強く感じるようですが
それもまた違うのだとニーチェなら言うのかな?

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