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ベタすぎる映画「テノール人生なんとかかんとか」 の後に続けてみた、これはどっしりした会話劇。
内容も映画としての次元もあまりに違いすぎて、同じ「映画」という括りにしていいのかとまどう。笑
(でもどっちも別の次元で褒める。笑)
2010 年、自給自足で生活するキリスト教一派の村で起きた連続レイプ事件。
これまで女性たちはそれを「悪魔の仕業」「作り話」であると、男性たちによって否定されていたが、
ある日それが実際に犯罪だったことが明らかになる。
タイムリミットは男性たちが街へと出かけている2日間。
緊迫感のなか、尊厳を奪われた彼女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う―。(公式サイトより)
外部との接触のない閉鎖的なコミュニティで暗黙の了解のように続けられ、
なかったことにされてきた、男性から女性への薬を使った有無を言わせぬ性暴力。
女性は一切教育を受けられず覚えのない妊娠する者も自殺者や心を病む者もいる一方、
男たちは子供の頃からそのように教育され、支配者と奴隷のような関係が続いていた様子は、
これは中世ですか?それとも19世紀くらいの僻地?と思うけどなんと設定は2010年!
事実(2000年代のボリビア)を基にした小説の映画化ということで驚いたけど、
確かに世界には今も女性の教育を禁止したりまだ子供なのにお金のために結婚せられたり、
あらゆる自由を奪われていたりする国や地域はまだたくさんあることを思い出した。あぁ。。
とはいえ、映画の中では政府からの国勢調査の車が来たりもして、
この隔離された村から数時間程度のところでは普通の現代文明生活を送っている人々がいるわけで、
国として女性差別や女性虐待をしているわけではなく、この村の中だけでのおぞましい習慣のようでした。
そんなん現代社会がそばにあるならネットで晒して炎上させてどんどんメディア入れて社会問題にして
弁護士雇ってカンパ集めて法的に裁いたらいいのに!などと思いそうになるけど、
あまりに隔離された環境で、文字も読めない、世界の情報も来ないとなると、それは遥かに遠いのね。
でもとうとうレイプが作り話や悪魔のせいではないとわかり、男たちが街に出ている間に
女たちが集まってこれからどうするかを話し合う一日の話なんだけど、
まずとにかく脚本がすごいな。原作が良いということなのかな?
そんな男たちみんなぶっ○しちゃえばいい!ということにはならず、そこは信仰深い人たちで、
赦しとは、愛とは、と話し合いは溢れる感情の上からうんと深いところまで揺れ動きます。
性暴力の描写が多かったらつらくて見ていられないかもと不安だったけど、
直接的なそういうシーンはなく、基本的に女たちの話し合いのシーンだけでできている映画だけど、
でもその話し合いの中だけで、どれだけ酷い目に遭ってきたかはすごくよくわかります。
そして彼女らの選択は・・・
彼女らの選択は彼女らにとって一大事ですが、映画としては選択自体以上に
話し合いの過程が重要になっています。
そこで描かれる一人ひとりの女性を知ることで彼女らのつらい過去も間接的に描かれ、
そこからの話し合いで彼女らの思想がわかる。
だから最後に彼女らが何を選んでも、この映画は成立するし、
その良さも損なわれないのだろうと思う。
また映画の中では「赦し」についてもずいぶん話し合われてて、
教育がなくても信仰があると人はこのように寛容で聡明になれるのか、すごいものだなぁとも思いました。
でも、自分勝手な暴力を、自分一人苦しみながら許すことが正しいとはやっぱり思えない。
なんでも赦すのが正しいなら、許せないということも赦されるべきよねぇ。
相手が悔い改め、後悔し、罪を償おうというのなら許してあげなさい、っていうことならわかる。
信仰を利用した差別や暴力、それに対して赦しを強要されることは女性にはとても多かったと思うし、
反省もなくさ隙あればつけ込む相手を、許せなくてもいいんだよと、わたしは思うけどね。
映像的には。自然の中で暮らすコミューンの人々のストイックな暮らしぶりがとても美しく見えます。
色味を抑え彩度を低くしやや青みがかった画面に、自然も家も、
クラシックで質素で清潔な(おそらく手縫いの)服を着て髪をまとめ化粧っ気のない姿の女性たちもみな美しい。
静かに自然の音や人の気持ちの揺れにまで耳を澄ませるような映画で、
(それはエンドロールの時にまた感じられたけど、後述)全体に美しい映画だと思います。
俳優も素晴らしい。
異常な存在感を放つフランシス・マクドーマンドは出番は少ないけど割と重要な役。
彼女は今回、この映画には製作でかかわっているので、役者としては遠慮したのかな。
ただ、女性たちが皆、黒髪をまとめてひっつめてスカーフを被ってお化粧もなしでいると
時々見分けがつかなくて苦労しました。
人を見るときって結構お化粧や服や髪型で見分けてたんだなぁと気づいたわ。笑
文字の書けない女たちに変わって書記をする役のベン・ウィショーがまたすごいハマり役。
こんな善人で優しくて聡明なのに便りなくて大丈夫なのかと思う役がぴったりですね。
この映画の中のルーニー・マーラとベン・ウィショーは「ストーリー・オブ・マイライフ(若草物語)」の中の
シアーシャ・ローナンとシャラメくんのカップルと感じが似ていて、
なんかもう優しくてかわいくて大事で、幸せを祈りたくなる二人。
監督がこの映画をドラマチックな人間ドラマとしてではなく叙事詩的に描きたいと言ってたことを
マクドーマンドがインタビューで語っています。
叙事詩的な映画の方がわたしも好みなので、監督がそのように撮ってくれて良かったと思う。
>サラのこの作品に対するビジョンに一番驚きました。私は至近距離から撮ったような素朴な作品を想像していたのですが、サラは最初から『これは叙事詩的な大作に仕上げたい。そろそろ女性の物語をスケール感たっぷりに描いても良いはず。撮影も華麗に壮大にシネマティックに撮るべき』と語っていました。壮大にシネマティックに「壮大さ」を要するストーリーに。
映画が終わりエンドロールが流れ出した途端に横の女性がスマホを取り出して見出したので
少し躊躇したけど「やめて」と囁いてやめてもらった。
すぐに「すみません」としまってくれてほっとしたけど(逆ギレされるのこわいし…)
実際このエンドロールの後半、大変印象的で示唆的なある小さな音が流れて、
それが素晴らしく効果的だったので、我慢しないでちゃんと言ってやめてもらってよかった。
外国では日本のようにエンドロールで静かに座ってたりしない、とかも聞くけど、
余韻に浸りたい人もいるし、エンドロールに効果的な演出を仕込んでる映画もあるから、
すぐスマホ開けたり喋ったり騒いだりするのはやめてほしい派です。
黒字にクリーム色の文字が流れるだけのエンドロールですが、曲が終わりしばらく無音の静寂のあとに
草や風、虫の音から雨音、やがて雨が止み、夜明けの鳥の声、そして女たちの歌声
(何の歌かは知らないけど宗教的なものかな??)の順番で音だけがしんとした映画館に流れます。
これね、映像がないだけに、音に集中するので、何も見えないのに
映画の中で見た草原や木々、暗い空から降り出す雨、明るい日の差し始める朝、など目に見えるように、
そして移り変わる時間まで感じられてすごい印象的な数分だった。
その後の女たちの歌声(映画の中にもあった讃美歌かな?)を聴きながら
彼女らがその繊細さと聡明さ、強さと優しさと信仰で強く生きていくことを信じようと思った。