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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:春画先生

2023-10-31 | 映画


10年以上前に春画研究のとても興味深い本を読んでから、結構春画について読んだり
美術館での展示を見たり講義を聞いたりしてきたので、この映画は楽しみでした。

春画は日本画の美大生をやっていた40歳くらいの頃に、浮世絵が好きになってから
春画とテキスタイルに関する本を読んだらそれがすごく面白かったのが興味を持ったきっかけです。
その本は春画における布の表現についていろいろな考察がされてて、春画を見る目が変わりました。
2016年に京都の細見美術館での春画展は日曜美術館に出たのだったか、大混雑でしたが
まとまって見やすい展示になってて、とても面白かったし、図録もいい紙で、いい印刷だった。
2019年にはKYOTOGRAPHIEで春画を使った大きな作品を見たり、
2020年には日本で春画展を実現するまでのドキュメンタリー映画「春画と日本」を見たし
この映画もフィクションでも春画に関わった人たちの物語かなぁと思ってたら、
思ったよりずっと恋愛映画だった。笑

春画研究の先生の弟子になったヒロイン、お互い気持ちは通じるものの
中々結ばれることなく、先生の弟子の編集者や、元妻の姉などが入り乱れ・・・という話。

春画はここで描かれる恋愛の大きなモチーフだし、
春画への愛は主人公二人によって台詞でとてもよく語られているけど、
春画についての映画というよりやはり恋愛映画かな。
でも前半はリアルさがない話の進行についていけるか心配だったけど、
後半はいいテンポで中々グイグイ見せてくれて、恋愛映画だとしても面白かったです。
あと、たとえば、薄いモーブ色のワンピースのヒロインが黒塗りの車に乗るところで、
後ろを開いた淡いピンクの傘が風で左から右へ転がっていくシーンなどに感心しました。
細かい演出してるなぁ、と思ってちょっとうれしくなる。
あと、上に貼った予告編にもあるシーンで鼻から下をハンカチで隠したまま目だけの演技をするシーン、
安達祐実が大きな目だけでにやりとする演出も演技もいいですね。

ヒロインは時々すごくきれいなのに時々おへちゃに見えて、そこがいい女優さんだと思ったし
柄本佑は楽しそうに演じてたなぁ。
クライマックスの、元妻の姉役の安達祐実のシーンは、
これはそうくるだろうと思いはしたけどやや強引な筋運びで
でも陳腐な失敗、とはならずに、その設定の中で映画としては健闘したと思う。(偉そう(^_^;)

あと、パク・シネチャヌクの「お嬢さん」を思い出すシーンがあって
春画愛好家のイメージってこうなるんだなと思ったりした。

ただ、こういう映画を見るときいつも感じる観客問題は、やはりありました。
平日の午後だけど、いつになくひとり客の男性が多くて、わたしの前の列なんて
席を一つずつ開けながら座ってた人みんな男性だった。珍しい。
そしてエンドロールが始まった途端にそういう人たちはすぐに立ってさっさと映画館を出て行かれたわ。
普段から映画を見に来てる感じではなく、かといって多分春画研究者や愛好者でもなく
何か別のこと(エロ期待か?)を期待して見に来てる人たちなのかなと、ちょっと思ってしまう…
違ったらごめんなさい。でもそういうこと結構あるので。。。

映画:春に散る

2023-10-28 | 映画


2015年春から16年半ばすぎまで、わたしは毎日数分ずつ
この沢木耕太郎の原作を新聞小説で読んだのです。
ボクシングに興味がなかったのに小説はだんだん面白くなって行って
最後は深い感慨を持って読み終わったのを覚えています。

このとき、新聞小説のことをSNSで呟いたら、自分も読んでたと言う人と話ができて、
ラストはもう少しこうであって欲しかったからちょっと悲しいねえとか、
具体的な感想を話せて、インターネットって楽しいなぁと、しみじみ思ったものです。
見たり読んだりしたものの話を、ちょびっと共有できるだけで、なんかうれしいよねぇ。
それ以来新聞小説がますます楽しく、好きになってしまって、ずっと楽しく読み続けている。
(10年で1作くらい、自分に合わなくて読むのをやめるものもありますが)

新聞小説は毎日挿絵がついて、挿絵の主人公は高倉健のようなイメージだと思って読んでいましたが、
映画の佐藤浩一もすごく良かった。苦笑いや笑泣きのような微妙な表情がすごく上手いですね。
途中からは頭の中の健さんは消えて、佐藤浩一がすっかり主人公に代わってました。
他のキャスティングも山口智子以外は良かったかな。
(山口智子は優しくかわいい顔立ちなのに、キリッとした女の役を
真っ直ぐなアイメイクなどで演じてるけど、どうもチグハグな造られた印象が拭えず)
若いボクサー役の横浜流星くんは、思いの強い(悪くいえば馬鹿っぽい)役なんだけど、
それにはぴったりだし、映画公開前にボクシングのプロテストに合格したそうで、
試合のシーンの迫力は、友達男子はみんなすごく褒めていた。
ただラストの演出だけは、わたしならもう少し、見せずに婉曲に表現する演出をとるかな。。。

とはいえ毎日数分ずつ淡々と進む新聞小説とは違い、映画はもっと大きな物語や世界のかたまりが
盛り上がりと共に目にも気持ちにも訴えてくるので、それでなくすものも得るものもあるけど、
この映画はうまくできていると思います。

お話は、ボクサー引退後、アメリカに渡ってビジネスに成功し日本に戻ってきた老主人公が
昔のボクシング仲間と一緒に住み始め、ひょんなことで出会った若いボクサーを育てる、
という、わりとシンプルな話ですが、老人男性の共同生活なども興味深いです。
主人公の作るカレーが美味しそうだった。

そして、連載の5年ほど前に読んでいた沢木耕太郎の「天涯」というエッセイの中の
ボクサーについての話を、改めて思い出しました。
「春に散る」はあまり「旅」には関係のないお話ですが、
やはりどこかで旅に結びつくのが沢木耕太郎だなと思います。
→旅

映画:ダンサーインパリ

2023-10-21 | 映画


しょうもない駄邦題のせいで、危うく見逃すところだったけど、最高のさいこうのサイコー!
ちなみにタイトルのフランス語原題は「en corps」で「 体の中で」かな。全然違う。
そもそもパリのシーンは最初と最後だけなのになんでもパリとかニューヨークとかつけりゃいいと
安直に考えるのいい加減にしてほしい。しょっちゅう怒ってるけど、治らないねぇ・・・
この監督の前作も「パリのどこかであなたと」というあかん駄邦題で気の毒なことだわ。

さて、映画は導入のとても美しく凝ったバレエシーンの画作りにうっとりしながらも、
まあコントラストの強いおしゃれ映画かなと思ったし、
恋人の裏切りで苦悩して怪我をするヒロインってもしや馬鹿っぽい幼稚な女かと不安になったけど、
これが全然違って本当に本当によかった〜!
ヒロインのとにかく素直な性質と容姿と演技にじわじわと、そして最後はめちゃくちゃ好感を持ちました。
恋人の裏切りへの苦悩と葛藤なんてほとんど出てこなくて(動揺で怪我はするけど)
別れのドロドロやグダグダもなくて、元恋人のことなんてほとんど出てこないのが面白かった。
嫉妬や葛藤や苦悩やそれらを乗り越えるための大きなドラマ…なんてもの全然なくて
肩透かしを食らった感じにわりと淡々と話は進みます。
恋人のことを置いといたとしても、人生を賭けたバレエが踊れなくなったら、
そりゃ深い絶望に沈み込んで苦しむだろうという予想も裏切られ、
なんか淡々とぼんやりと、どうしようかなぁ、なにしようかなぁって感じの主人公のままで話が進むのです。
主人公の内面や悩みには特にスポットを当てて描かれないけど、それよりなにより
ブルターニュの田舎の生活やダンサーたち、ちらっと出てくる料理も何もかもが素敵で心鷲掴み。
フードトラックの料理人が出てくるのがフードトラック好きなのでうれしいし、
モチーフの一つである父親との関係についてもとてもいい感じに描かれています。
田舎で元バレエ仲間と普段着のまま軽く踊って見せるシーンもいいし、
主人公がまた踊るきっかけになる練習シーンの彼女のほんのちょっとした動きにもはっとするし、
踊るシーンには舞台以外でもいいシーンがたくさんありました。

他の登場人物の造形も絶妙です。
思いやり深い療法士のヤンはイケメンだけど笑わせてくれるし、
天使のようにかわいい親友の子、料理人カップル、父親、姉妹、田舎の家の老婦人、
みんなそれぞれのキャラがとてもちゃんといい具合に作られ描かれていて、
奥行きのある良質なドラマになってると思う。
そして何より、ラストのダンスが圧巻でもう涙が出るほどよくてびっくりした。
映像もきれいだけど、それよりとにかくこの主人公のダンスに引き込まれました。
オープニングのむやみにスタイリッシュな映像との対比を考えても面白かった。

全然難しい映画ではなく、壊れそうな心のひだを繊細に描くというのでもなく、
重すぎず軽すぎない、いわゆる小品かもしれないけど、
もっと日常に近いところでするりと気持ちに入ってくる暖かい映画でした。
あと、エンドロールの趣向もちょっとよかった。
もう最初から最後まで良かったので、もし近くの映画館にあとで来たらもう一度見たいな。

↓公式サイトから主役の人と、コンテンポラリーダンスの振付師の本人役で出ていた人について
エリーズを演じるのは、パリ・オペラ座バレエのプルミエール・ダンスーズで、クラシックとコンテンポラリーを自在に行き来するマリオン・バルボー。ダンスシーンに一切のスタントを使わないと決意したクラピッシュ監督が、映画初出演にも拘らず主演に抜擢した逸材だ。オープニングの15 分間のバレエシーンは圧巻。舞台裏にカメラが潜入し、本番前に神経を研ぎ澄ますダンサーたちを捉える。バルボーが踊るのは「ラ・バヤデール」。舞姫(バヤデール)ニキヤが恋人に裏切られる物語だ。胸に迫る見事なダンスを踊り、自らの手で人生の第二章を切り開こうとするエリーズの心情を、誰もが共鳴できるように繊細かつリアルに演じた。
 エリーズが出会うダンスカンパニーの主宰者に、コンテンポラリー界の奇才ホフェッシュ・シェクターが本人役で出演。代表作「ポリティカル・マザー ザ・コレオグラファーズ・カット」を振り付ける過程にカメラが密着し、トニー賞にノミネートされた振付家の創作の秘密に迫る。さらに、エリーズが惹かれるダンサーとして、フランス出身のメディ・バキが出演。コンテンポラリーとブレイキンを融合したパフォーマンスで魅了する。

映画:エリザベート1878

2023-10-16 | 映画


宝塚歌劇の「エリザベート」にはあったドラマや「物語」というものが全然ない映画だった!笑
まあ思ったよりだいぶ変な映画で(褒めてる)
もっとポップでも良かったんだけど、思いの外クラシックでした。
あのエリザベートの物語をもっとポップに語り直した映画を想像してたけど、
いやはやそもそも物語がないのだった。
でも、その分ディテールはどれもとても良いです。こまごまと、どれも面白かったり
美しかったり、おかしかったり、切なかったりして、とても良い。
映画というものが発明され、フィルムに記録されるシーンのユーモラスな動き、
いとこ?のバイエルン王ルートヴィヒ2世との、美しく孤独なはぐれもの同士の理解と不思議な愛情、
(二人が湖で小舟に浮かぶシーンの美しさ)
(ヴィスコンティがルートヴィヒを描いた「神々の黄昏」ではロミー・シュナイダーが
エリザベートを演じていて凄まじく落ち着き払っていた美しさが悲しいほどだった)
有名な肖像画を描かれるのにモデルになっているシーンなど、ディテールを追うだけで満足できる。
そして背景になる自然も建物も衣装も、映像も美術も全部きれいで素晴らしかったー。
あと、上に貼った予告編でも聴けるGo Go Go〜って歌うテーマ曲もいいね。

エリザベートは、
夫であるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフを愛してるかどうかはわからないけど
彼からの愛を求めはしている(そしてもう諦めている)様子からわかるように
愛されたいだけの、求めることしかできない子どものようで、
(与えるという語彙は彼女の辞書になさそう)それは強く無垢で我儘で傲慢で孤独な魂。
権力にも豪奢さにも惓んだ空っぽな心。
でも言動は奔放で、象徴としての公務を果たしていればその奔放さは宮廷の中では仕方なく許されていて、
彼女に共感できる人は少ないかもしれないけど、ある種の魅力は確かにある。パンクか。
演じた女優さんもすごくよかった。
「ファントムスレッド」、「ベルイマン島にて」に出てた女優さんで、顔は古典的な美人かもしれないけど
それより顎から首、肩にかけてのラインや全体の体つきなどに優美な魅力があるからか
どちらも強い立場の夫を持つ役で、エリザベートもまたそうだということに気づいた。
夫に反撃するか支配から逃れるか反抗するかそれぞれの性格も生き方も違うヒロインだけど
大きな夫を持つ女性の屈託が彼女のどの役にもあるのは、面白い傾向だなぁ。

エリザベートには周りに数人のある程度気を許せるお付きの女性がいるんだけど
そこにシスターフッド的連帯は全然なく、常に権力者である主人と下僕の主従関係ははっきりしていて
そこではヒロインは腹心のおつきの女性のささやかな幸せを、自分のために躊躇なく当然のようにひねりつぶす。
ここもヒロインへの共感を拒絶するところだなぁと思う。
公式サイトのコメントでヒロインが自由になれてよかったみたいなことを書いてる人がいたけど
え?権力に押さえつけられた人(エリザベート)が、だからってまた自分も権力で人を踏み台にするのを、
無邪気によかったと喜ぶの?
え?もしかして単に女性の解放の話とか思って見てる???
そういう「物語」のある「いい話」じゃないから、面白い映画になってるんだけど、
著名人のコメントが的外れすぎることって本当に多いなぁ。

そんなコメントの中でフェミニストの清水晶子さんのコメントは、そうそう!ほんとそれ!と思いました。
以下公式サイトより
>若さと美貌を期待され続けて40歳を迎えたオーストリア皇妃の苦悩と逃亡。
あまりに恵まれ過ぎて共感しづらいこの伝説的な女性をまったく伝記的ではない形で取り上げることで、マリー・クロイツァー監督は、フェミニスト的な共感を生み出そうとしているのではなく、各国の王族や皇族といった特権階級の女性たちに対して現代社会がいまだに抱き続けるロマンチックな幻想を苛立ちと共に破壊しようとしているように見える。
鼻につく高慢さと偽りない苦悩とを併せ持つ、好感を抱かせない、しかし強靭な個性を持つ中年女性としてエリザベートを描き切ったヴィッキー・クリープスの演技が素晴らしい。


ちなみに宝塚歌劇のエリザベートはこんな感じ。
そこでは、皇妃として美貌ばかり讃えられ人としては抑圧され、自由や愛や理解に飢えて苦悩し、
旅ばかり繰り返すようになる、自由を求める孤独な女性の物語だったと思うけど、
この映画のエリザベートは自由こそ望みはするけど、愛や理解を求めて得られないといった切なさは
あまり感じられない。

あ、あと、宝塚のエリザベートにはイマジナリーフレンド的な、死を擬人化した黄泉の帝王
「トート」という美貌の人物が出てくるのも面白いところです。

映画:怪物

2023-09-24 | 映画


是枝監督の「ベイビーブローカー」や「万引き家族」は、巧いと思うけどそんなに好みではなく、
「誰も知らない」と「海街ダイアリー」の方が好きだった。
「海よりもまだ深く」では主人公のだめ男に大変怒りながら見たのが忘れられない。笑

「怪物」は「誰も知らない」と同じくらい好きかな。
前半のやや戯画化された人間の演出には戸惑ったけど、
後半になってそれらはある偏った一つの視点という演出なのだとわかると、なるほどと納得。
人間の嫌なところを嫌な感じに描くのも上手いけど、今回はそれは視点によってそうなっているだけで、
どの人にもその人の事情やつらさを与えて、ちゃんと多面的に描いてるのはいつもと同じ。
それって監督が優しいのか巧いのか、まあどっちにしろ大人よねぇ。
映画として面白くて力があっても大人でない映画は多いし、大人ならいいかという問題でもないけど
是枝監督の映画はどれをみても大人だなぁと思う。
人物や事件への距離の取り方がよくコントロールされていて、抑制の加減が絶妙なのだろう。
マイノリティ性やその苦悩を消費している、搾取しているという批判については、
昔読んだ是枝監督のインタビューを思い出して思い当たることがあるなとは思う。
「戦争は...外からやってくるのか?違うだろうと。
 自分たちの内側から起こると言う自覚を喚起するためにも、
 被害者感情に寄りかからない日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。
 みんな忘れていくから。」

ふうむ。
被害者に寄り添うために作ってるわけではなく、
もちろん被害者への優しい眼差しもあるとは思うけど、
被害者の側からの、つらい、間違ってる、やめろ、正せ、糾弾しろ、というメッセージより
むしろその構造やそれを生み出す社会を描き問いかけたいということなんだと思う。
感情を揺さぶる描写をしながらも、理解と共感を求めるのではなく、
人間というものを、人間の作り出す社会というものを考えさせたいのだろう。
これは確かに声高に叫ばない大人の態度というものだと思うし、
文学でも古典になっている優れたものは淡々と悲劇を描いてるものが多い気がします。
でもマイノリティの側としてはそれだけでは消費されただけと思うのも仕方ないことなのだろう。
コントロールされ計算され距離を保った表現には、心からの叫びがない、
切実さが、魂がないと、もの足りなく思うのもわかるしなぁ。
とはいえ人の悲劇や事件を題材にした表現自体にありうる搾取性をゼロにするのは難しいし、
(もちろんその努力は必要と思ってるけど)それを超えてよい映画になってるとやっぱり思います。

そこでふと、わたしのまわりで結構話題になっている「福田村事件」の森達也監督が、
その映画で、何が普通の人たちに惨事を起こさせたのか、何が人を加害者にするのか、
そういうことを描きたかったみたいなことを言ってたのを思い出した。
この映画に対して、もっと正面から本当の被害者(朝鮮人)を描くべきだったという批判が出るのも
是枝監督と同じ「大人の態度」的なものへの、被害者側(に寄り添った人たち)からの反発かなと思う。
とはいえ、監督の描きたいものでなく、自分達の見たいもの、見るべきと思うものを作れと言うのは
それはまた見る側の傲慢でもありますね。
日本社会の過ちを糾弾するべきなら本当の被害者を隠さずしっかり描くべきだろうと思っても
それはこちらの勝手な期待でしかないので。
芸術(表現)が先か社会問題(メッセージ)が先かと二者択一するのは難しい。
どちらもゼロではないから、どこかの地点で折り合いをつけるしかない。
そして是枝監督の折り合いも、「福田村事件」の折り合いも、悪くないとわたしは思いました。

話が「怪物」から大きくずれました。ていうか「怪物」についてまだ何も書いてないな。笑
とある町で台風の夜に二人の小学生男子がいなくなった、それまでに起こったことを
いくつかの視点から描いていきます。
同じ人は見る目によって全く別の人間になるのだなぁと、
戯画化されたような人物描写の前半だけど、実際もこんなものかもしれないと思った。
わたしの嫌いな人も別の人から見たらまるで別人の素敵な人だったりするのだろうな。
ベテラン俳優も子役も上手いし、脚本は張り巡らされた伏線がすごく上手いし
音楽も(坂本龍一ですね)いいし、
この映画についてはたくさんの人が色々語ってくれてるのでまあいいか。

子供たちの秘密基地になる古い電車の車両は、夢を掻き立てるものだなぁと思った。
この子たちの5倍くらいの年になっても、こんな秘密基地欲しいです。
キャンピングカーに憧れているわたしとしては、こういうところをきれいにして住みたい。
上下水道と電気はほしいけど。笑

→10年前くらいに書いた是枝監督のインタビューに関するブログ

映画:裸足になって

2023-09-18 | 映画


あまりに良くて興奮気味に感想を書いた「君は行く先を知らない」の数日後に見て、
これもまた好きすぎて感想が長くなる映画でした。好きだー!
映画には暴力男や腐った警察が出てくるシーンも、暗い場面もあったけど、
傷を持ちながら優しさを失わない女性たちだけのシーンが多くて、
女性専用車両に乗った時のような、ホッとした柔らかい気持ちになれる映画だった。
以前札幌でカプセルホテルに泊まった時に、女性専用階に降りた途端に感じたほっとした感じ。

予告編を見ると女性の再生の物語にしか見えないけど、これはアルジェリアが舞台の映画で、
アルジェリア内戦の爪痕が背景にあって、もっと深みのある話でした。
主人公の女優さん自身、子供の頃にアルジェリア内戦から逃れてフランスにきた人だそうで、
このとてもチャーミングでかわいい主人公が、暗く輝きをなくした表情をする時の陰鬱さはすさまじく、
自分自身の経験からの強い共感や感慨が演技に反映されているのではないかと思います。
でも、めちゃくちゃかわいい笑顔とのギャップもまたすごく魅力的でした。

映画の冒頭って印象が強いしその後映画を見る気持ちの土台ができるので大事と思うけど、
この映画の冒頭もすごく良かったです。
屋上(ベランダ?)で光を浴びながら踊る主人公のシーンで、
オレンジの光と青い空や床とのコントラストも踊る主人公もとても美しいのですが、
主人公はヘッドホンをしてるので音楽は観客には聞こえず無音の中で踊っているように見えるのです。
普通ならここで良い音楽を流して映画の導入を盛り上げるところなのに、全く無音のため、
踊る主人公の聴いてる音楽をぼんやりと想像しながら
主人公の動きに合わせて起こる足音や、風の音や、降り注ぐ光に集中することになります。
上手いなぁ。無音ほど音を意識させるものはないですね。
しかも、その演出はその後の話とどこか繋がるところがあって、それも上手い。

屋上のシーンは冒頭以外にも何回かあって、置いてあるバスタブに寝転んで本を読むシーンは印象的だし、
一人で踊るシーンも、集団で踊るシーンも、夕方のオレンジの光も夜のロウソクや電球の灯りも、全部美しい。
光といえば他にも、主人公がホテル清掃のアルバイト中の客室のカーテン越しの光や、
遠足で森の中に行きはしゃぐ女たちに注ぐ木漏れ日など、とにかく光の使い方の素晴らしい映画で、
美しさにうっとりするだけでなく、なんだか気持ちをほぐしリラックスさせる優しさがありました。
わたしは戸外でお酒を飲むのがものすごーく好きで、テラス席のある店を見ると
すぐ座って冷たいワインを飲みたくなる習性があるのだけど(笑)
飲まなくても、気持ちいい戸外にいるということ自体が好きなんだなぁと
映画を見ていて、改めて思いました。無限に変化する光と風、特に優しい光がそこにあれば。

戸外だけじゃなく、家の中のインテリアや布の使い方も美しかったです。
アルジェリアのお隣のモロッコ映画「モロッコ、彼女たちの朝」「青いカフタンの仕立て屋」を思い出すけど、
この辺りの国のインテリア、色使いや布使いの、ちょっとごちゃっとして
チープだったりもするのに温かく居心地良さそうな感じがすごく好きだわー。
モダンでミニマルで無駄のないかっこいい部屋より、こういう無駄だらけのインテリアを目指したい。

さて、お話ですが、ヒロインは母と二人暮らしのバレエダンサーで
国立バレエ団に入ることを目指してアルバイトをしながら頑張ってるけど、
ある時、男に襲われて大怪我をし、足を骨折し口もきけなくなってしまう。
・・・声をなくし足を痛めるって、人魚姫やん!?と思ったけど監督はそれは意識してないかな?
人魚姫は愛のために自分から声をなくし足の痛みを引き受けたけど
この映画も母親への愛のために事故にあったと言えなくもない。
でもその先は違って、現代女性のヒロインはリハビリの場でろう者の女性たちと出会い
自分の人生を取り戻し生きていくわけですが、そういえば
人魚姫の世界には出会うべき第三者が全くいなかったのが悲しいところかなと思った。
人魚姫の世界には王子様しかいなくて、その世界は広がりようがなかったのよね。
(とはいえ人魚姫の愛のための自己犠牲も主体的でないとは思わないけどね)

ヒロインの親友がまたなんとも素敵な人で、最初ちょっと派手で軽薄な感じに見えたけど
事故の後あたりからはなんて優しく思いやり深い子だろうと、見ているうちにどんどん好きになり
2人の友情にもめちゃ泣けました。いや、ほんと泣けたわ。

後半では主人公のお父さんが亡くなった過去の事情が少しわかり、
傷ついた人たちの過去にはアルジェリア内戦の影があり、テロに怯えるトラウマがあり、
今も不安定な国の中で生きていく主人公の名前「フーリア」は自由という意味らしく
それで原題も「フーリア」だそうです。

この主人公の女優さんリナ・クードリをバレエの経験のある人なのだろうとと思ってたら、
なんと未経験から8ヶ月の特訓で演じたそうでびっくり。
小柄でバランスの取れた体のバレエのシーンは多くないけど安定してきれいに見えたし
後半の手話を取り入れたコンテンポラリーダンスは素晴らしく、ずっと見ていたかった。
ダンスの素養のある人にしか見えなくてとても感心しました。

無音で始まった映画ではありますが、その後の音楽もよかったなー。
大好きな10年ほど前のチリ映画「グロリアの青春」以来、
(のちにハリウッドのリメイクがあったけどわたしはオリジナルが好き!)
なにかで「グロリア」が流れてくると女性への応援歌のように思ってグッときてしまうのだけど、
それもうまく使われていました。
ドキュメンタリー映画出身の監督らしいけど、良いドキュメンタリーを撮っていたのだろうなと思う。
説明的なところがなく、人も景色も流れる風や水や光を感じさせる
美しい動きのシーンを重ねて話を進めて行くとてもとても好みの映画でした。
この女優と監督のコンビの前作「パピチャ未来へのランウェイ」は見逃してたので
これからAmazonで見ます!

映画:きみは行く先を知らない

2023-09-17 | 映画


映画のハシゴは基本同じ映画館でするんだけど、これはわざわざ移動する甲斐があった!
もうね、ちょっとね、あんまり良すぎて、パンフレット買わない派のわたしが買ってしまった。
パンフレットは多分映画50本に一回くらいしか買わないんだけど、この映画がその1本となりました。

イラン映画の巨匠で「人生タクシー」のジャファル・パナヒ監督の息子の長篇デビュー作とのことだけど
なんというかすっかり手練れで、知らなかったらベテラン監督の映画と思ったかも。
まず冒頭の導入が好き。
バックに流れるクラシックピアノの音に合わせてギプスに描いた鍵盤を押さえる子供の小さな指。
ロードムービーで多分全体の6-7割は車内の会話でできているのに、全然退屈する暇がない。
ユーモアの絶妙な間やちょっとした皮肉な笑い、常にどこかにある緊迫感。
室内劇映画でたまに、これ映画より舞台の方が向いてるんじゃない?と思うものがあるけど、
これは室内より狭い車内なのにもかかわらず映画の楽しさを存分に味わわせてくれるのです。
狭い空間をより狭くする父親役のギプスの足や、
小さな子供の落ち着かない動きが舞台では出せないものですしね。

一方で車外のイランの風景もまた素晴らしい。
この小さい横長のパンフレットの表紙、この草一本生えない茶色い荒地と
薄い空の間をクルマが横切るシーンを予告編で見た時に、わたしはこの映画を見ようと思ったのだけど
ツルツルした岩肌の山や、羊のいる高原や、星いっぱいの夜空を眺めるところや、
どのシーンも美しく見応えがある。
その美しさは、明るい話ではなく、むしろ不安や閉塞感を常に抱えたこの映画にとてもよく合ってる。

登場人物はほぼ4人(父と母、20歳の長男とまだ幼い次男)と犬だけで、
みんな素晴らしいけどとにかくこのちびっ子がすごーい!(興奮!!)
少し前に見た是枝監督の「怪物」の子役もだいぶ誉めたけど、それより100倍すごいわ。
天真爛漫でお調子者の次男坊をこんなに自然に演じられるなんて、もう見てる間ずっと驚いてました。
長いセリフも歌もやんちゃな動きも何もかもすごい。
わたしの子役オブザイヤー決定!

お話は、長男をどこかに連れて行く一家、という以外はどこへ行くのか何をするのか
ずっと謎のまま進み最後まではっきりしたことは描かれないんだけど、パンフレットを見ると
イランの状況から推察して考えられる通りのことのようでした。
そういうところはお父さん監督譲り、というかイランで映画を取るということはそういうことなのか。
とにかくどんな状況でも良い映画を作りたい、命をかけても作りたいという
父の血を受け継いでいることは良くわかって、そこにわたしは感慨と感動を持ったけど、
でも、そういう背景に関係なく見ても、映画を見る喜びをひしひしと感じさせてくれる作品。
たった90分ちょっとで、ほぼ車の中と荒野が舞台で、予算も多分多くはない制約の中、
これだけ充実した傑作ができるなんて、映画って何て素晴らしいんだろう。
こういう映画にたまに当たるので、ほんと映画見るのは最高。

ちなみに英題は「Hit The Road」でこれもいいけど邦題も悪くないかな。覚えにくいけどね。

お父さんの作った映画「人生タクシー」の感想

映画:私たちの声

2023-09-12 | 映画


オムニバス映画はわりと好きで、大好きな「アスファルト」は別格として、
もっと短いスケッチ風の作品で構成された「美しいひと」も好みの映画だったんだけど、
それと似た感じの映画かなと予告を見て楽しみにしていました。

最初の2篇は事実を元にしたスケッチでどちらも精神疾患のある女性が出てくるので
そういうテーマでまとめてるのかなと思ったけど、その後の作品はフィクションで
国もシチュエーションもそれぞれ違うし、
最後の二つはファンタジーっぽかったりアニメだったりしてバラエティに富んでいました。
どれも大きなドラマや膨らみはない短い話なんだけど監督も全部違う人なので、
いろんな国のいろんな味の美味しい料理を小皿に少しずつ何種類も食べたような満足感。

中でも日本が舞台で杏が二人の子供のシングルマザー役をしている一編は、
忙しいシングルマザーの1週間を過剰な演出なしに静かに丁寧に描き出して、
大きな物語は何もないのに最後まで見せます。
そして見終わった時に物語の盛り上がりとは別に子育てをしていた過去の自分の思いが重なった涙が出て
鼻を啜っていたら、席2つ置いて横に座っていた女性も鼻を啜っていて、
暗闇の中、言葉は交わさなくても同士よ!という思いでいっぱいになった。
日本が舞台だからでなく、この話がいちばん好きだなぁ。

>女性のエンパワーメントやジェンダーの多様性が叫ばれ<寛容な心>が求められる現代。世界の映画界で活躍する女性監督と女優が集結し、女性が主人公の7つのショートストーリーを紡ぎ出した映画『私たちの声』。「映画、芸術、メディアを通して女性を勇気づける」をスローガンとして掲げる非営利映画製作会社<We Do It Together>が企画し、実際の出来事に着想を得たエピソードから、物語仕立てのフィクション、さらにはアニメーションまで、世界各地を舞台に感動的で力強い物語が描かれる。各話の主人公たちは、強い決意と勇気をもって人生の難局に立ち向かい、より強く、より自己認識を高め、スクリーン越しに観る者へ称賛を贈るような7つの珠玉のヒューマンドラマに仕上がっている。(公式サイト)

映画:シモーヌ フランスに最も愛された政治家

2023-09-05 | 映画


フランスの政治家シモーヌ・ヴェイユの伝記映画。
>1974年パリ、カトリック人口が多数を占め更に男性議員ばかりのフランス国会で、シモーヌ・ヴェイユ(エルザ・ジルベルスタイン)はレイプによる悲劇や違法な中絶手術の危険性、若いシングルマザーの現状を提示して「喜んで中絶する女性はいません。中絶が悲劇だと確信するには、女性に聞けば十分です」と圧倒的反対意見をはねのけ、後に彼女の名前を冠してヴェイユ法と呼ばれる中絶法を勝ち取った。1979年には女性初の欧州議会議長に選出され、大半が男性である理事たちの猛反対の中で、「女性の権利委員会」の設置を実現。女性だけではなく、移民やエイズ患者、刑務所の囚人など弱き者たちの人権のために闘い、フランス人に最も敬愛された女性政治家。その信念を貫く不屈の意志は、かつてアウシュビッツ収容所に送られ、“死の行進”、両親と兄の死を経て、それでも生き抜いた壮絶な体験に培われたものだった-。(公式サイトより)

同名の哲学者なら名前だけは知ってたけど(綴は違うらしい)、この政治家のことは全然知らなかった。
予告編を見て中絶合法化を勝ち取った人なんだと思って興味を持ったけど
それは彼女の成し得たことのごく一部で、刑務所や収容所の非人間的環境をよくしたり、
エイズ患者の施設を作ったり、移民労働者の強制送還を止めたり、
虐げられた人たちを助ける活動をどんどん実施した人だったのね。
そして少女の頃のアウシュビッツ体験が途中何度も描かれその地獄を生き抜いたことにも驚く。
なんという強さ。(アウシュビッツのシーンも興味深かったです)
映画はわりと「世俗的」にわかりやすく盛り上がるように作られていましたが、
それでしらけるというところもなく、すっかり引き込まれてとてもいい映画だと思いました。

彼女を支えた理解ある夫との深い愛情も素敵なのですが、この素晴らしい夫も最初から
もろ手をあげて彼女を支えていたわけではなく、彼自身エリート官僚だったので
彼女に妻として母としての役割を求めて責めたり、妻として自分を支えて欲しがったりもしたようで、
そんな夫を見捨てなかったのねぇと変なところに感心した。
彼女には夫の庇護などなくてもなんとか生きていく強さがあっただろうに、
自分を曲げず諦めずに、十分な理解のない夫を変えていき、関係を深めて行ったのは
やはり愛情があったのか、あるいは家庭というものに対する執着や信念のようなものがあったのか、
などと描かれていないことに思いをはせました。

インテリ同士の夫婦関係という点では政治家ではないけど同じドイツのユダヤ人であった
ハンナ・アーレントの自伝映画で見た夫婦関係も思い出しました。
ちょっと似た感じに理解と思いやり、そして同士愛のようなものもある夫婦。
でもハンナの方が一人で生きてる感じがするかな。
思索は結局孤独の中で練り上げるものだけど、政治は常に人との協働だからか、
シモーヌはやがて夫が彼女を支える役をするほど、夫や家族と共に歩んだ感じでした。
余談ですが、ハンナ・アーレントの映画の中でハンナが結構なスモーカーだったのが印象的だったけど
シモーヌもヘビースモーカーだったそうです。
どっちの女性も、中年を過ぎてからのタバコを吸うシーンがかっこいいのです。
どちらの女優さんも同じくらい素晴らしい。演技が上手いのはもちろん、
ヨーロッパはこういう中年の強く賢く深みと貫禄のある美しさの女優さんの層が厚いのだろうか。

しかしこの映画の中でシモーヌに反対する旧弊で差別的な男たちと全く同じことを
今の日本の政権はまだ言ってて、改めて呆れましたね。
ちょうど、経口人工妊娠中絶薬の認可が話題になっていた時期で、
日本だけでまだ多く行われている掻爬手術への批判も多く出てきていて
わたしも、女性に大きなストレスや痛みを強いる掻爬手術に強い不信感を持っているので
映画の中のシモーヌの演説に、そうだ!そうだ!と思わず力んで感情移入しました。
そして女性の大事なことを決める場にほとんど女性がいないのも、
映画の中の何十年も前のフランスと同じなのです。日本はなんて遅れた国なんだろう…

この映画の話をしてたら友達が「今の日本の多くの人はプライバシーにはうるさいけど、
人権が尊重されていないことには無関心な人が多いようにおもいます。マスコミも行政も政治家も」と。
本当にそう思います。それが結局国力を弱めることになるのにね。
シモーヌは戦後のフランス再建のためにも、病人や移民や女性を救うことを考えたのだと思います。

ただ、わたしは立派で善良なユダヤ人の人が、パレスチナに対してイスラエルがしていることに
反対したり批判したりしないことにいつもモヤモヤするのですが、
この映画でもユダヤ人のイスラエル入植のシーンがあってそこだけはよくわからなかった。
夢と情熱で建国のために働くイスラエルの若者たちのシーンで、
シモーヌが息子やその仲間に一緒にここで国を作ろうと言われた時に、
自分はフランス人だ、自分の戦う場所は欧州だと最初は言ってたけど、
結局最後はニコニコしながら見ている感じ?のシーン。
あのシーンは少し奥歯に物が挟まった感じに思えたんだけど、どうなんでしょうねぇ。
その疑問に対して別の友達が
「あのシーンは私は意訳かもしれないけど、息子のことだから全否定はできないが、
違和感を覚えているので、それ以上は深入りしない、そういうメッセージなのかと。」と答えてくれて
わたしも基本的にそうい解釈するしかないかな、と改めて思いました。
「ユダヤ人」であるよりフランス人として生きフランスを良くしていきたいと決意を述べても
新しい理想の国の建国に燃える若い人たちには通じなくて、仕方なく微笑んでいるというシーンだったのかなと。
本音をはっきり言う彼女らしさがないような感じなのは、相手が息子だからというだけでなく
アウシュビッツの生き残りのユダヤ人としてはイスラエルを否定するのは難しいのかもなぁ、とも思いました。

しかし近代ドイツを描いた映画って政治の話でなくて例えば恋愛ドラマでも、
ナチスのホロコーストの影がどこかにあるように思います。
歴史を忘れないというのは、間違いを繰り返さないために必要なことだけど、
ドイツは毎年毎年自国の間違いを描いた映画や文学を作り続けていますね。
それもまた、戦後の日本が前の戦争の都合の悪いことをどんどん無かったことにしているのと対照的です。

話が少しそれたけど、フランスのため、社会的弱者たちのため働き続けたシモーヌが今の日本にいたら、
あれにもこれにも怒るだろうし、やるべき仕事が多過ぎてシモーヌが5人も10人も必要かもしれません。

映画:エゴイスト

2023-07-29 | 映画


普段、映画館と美術館だけ眼鏡をかけるのですが、
眼鏡をうっかり忘れたことに気づいたのは座席に座ってから。
邦画で字幕読まなくていいし、まあいいかと思ったけど全然良くなかった(^_^;)
アップがすごく多くて、しかもフワフワと手持ちカメラの揺れるシーンがやたら多いせいか、
すぐに気持ち悪くなって、途中からは頭痛と吐き気を我慢して見てしんどかったー。
眼鏡忘れた自分のせいですが、近視は別にいいんだけど乱視の矯正が眼鏡なしだとできないので、
気持ち悪くなってしまう。しんどかった。。。

映画はまあ予想通り。前半の恋愛パートより後半の親子パートの方が少しはいいかな。
前半の恋愛パートの描き方はどこか薄っぺらで
それは物事の描き方が直接的すぎて、台詞で説明するのと変わらない安直さがあるからかと思う。
ピュアな彼というのを描きたいのはわかるけど、正面から健気ピュアアピールが直接的すぎるわー。
後半の親子パートも、どことなく嘘っぽくてなんだかなぁ。
どっちも結局、カメラが近すぎて俯瞰した視点が持ちにくいのは共通かな。
人の主観だけを交代で追いかけると、そりゃドラマチックロマンチックにはなっても
すぐお腹いっぱいになって飽きちゃうよね。
映画ではなく2時間もののテレビドラマとして見たら、まあまあだったかもしれません。

しかしエゴイストというタイトル、断罪してるのか温かい意味なのか、よくわからないけど、
登場人物の行為や好意や感情のどこをエゴだと言いたいのかな。
主人公の愛情による支援が、かえって相手に無理をさせてしまった、
与える喜びがエゴだった、ということだと何かで見たけど、うーん。
そもそもどんな感情も行為も、好意も善意もエゴと切り離せるものなんてないだろうに、
わざわざこういうタイトルをつけるのはあざといと思ってしまう。
原作はもっと納得できる話だったと読んだ人に聞いたけど、そうなのかな?
映画のあまりよくないと思った点はカメラや美術や演出が中心で
お話としては悪くない要素は多いので、原作ではなくこの映画がわたしに合わなかっただけかもしれません。
(これを書きながらググったら原作者の方は少し前に亡くなってたのですね…)
でも、あるレビューで、主観的で近いカメラが主人公の感情を背負っているのがいいと
わたしと正反対のことを書かれてるのを見たので、結局は好みの問題なのかなぁ・・・

映画:ウーマントーキング

2023-07-19 | 映画


ベタすぎる映画「テノール人生なんとかかんとか」の後に続けてみた、これはどっしりした会話劇。
内容も映画としての次元もあまりに違いすぎて、同じ「映画」という括りにしていいのかとまどう。笑
(でもどっちも別の次元で褒める。笑)

2010 年、自給自足で生活するキリスト教一派の村で起きた連続レイプ事件。
これまで女性たちはそれを「悪魔の仕業」「作り話」であると、男性たちによって否定されていたが、
ある日それが実際に犯罪だったことが明らかになる。
タイムリミットは男性たちが街へと出かけている2日間。
緊迫感のなか、尊厳を奪われた彼女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う―。(公式サイトより)


外部との接触のない閉鎖的なコミュニティで暗黙の了解のように続けられ、
なかったことにされてきた、男性から女性への薬を使った有無を言わせぬ性暴力。
女性は一切教育を受けられず覚えのない妊娠する者も自殺者や心を病む者もいる一方、
男たちは子供の頃からそのように教育され、支配者と奴隷のような関係が続いていた様子は、
これは中世ですか?それとも19世紀くらいの僻地?と思うけどなんと設定は2010年!
事実(2000年代のボリビア)を基にした小説の映画化ということで驚いたけど、
確かに世界には今も女性の教育を禁止したりまだ子供なのにお金のために結婚せられたり、
あらゆる自由を奪われていたりする国や地域はまだたくさんあることを思い出した。あぁ。。

とはいえ、映画の中では政府からの国勢調査の車が来たりもして、
この隔離された村から数時間程度のところでは普通の現代文明生活を送っている人々がいるわけで、
国として女性差別や女性虐待をしているわけではなく、この村の中だけでのおぞましい習慣のようでした。
そんなん現代社会がそばにあるならネットで晒して炎上させてどんどんメディア入れて社会問題にして
弁護士雇ってカンパ集めて法的に裁いたらいいのに!などと思いそうになるけど、
あまりに隔離された環境で、文字も読めない、世界の情報も来ないとなると、それは遥かに遠いのね。
でもとうとうレイプが作り話や悪魔のせいではないとわかり、男たちが街に出ている間に
女たちが集まってこれからどうするかを話し合う一日の話なんだけど、
まずとにかく脚本がすごいな。原作が良いということなのかな?

そんな男たちみんなぶっ○しちゃえばいい!ということにはならず、そこは信仰深い人たちで、
赦しとは、愛とは、と話し合いは溢れる感情の上からうんと深いところまで揺れ動きます。
性暴力の描写が多かったらつらくて見ていられないかもと不安だったけど、
直接的なそういうシーンはなく、基本的に女たちの話し合いのシーンだけでできている映画だけど、
でもその話し合いの中だけで、どれだけ酷い目に遭ってきたかはすごくよくわかります。
そして彼女らの選択は・・・

彼女らの選択は彼女らにとって一大事ですが、映画としては選択自体以上に
話し合いの過程が重要になっています。
そこで描かれる一人ひとりの女性を知ることで彼女らのつらい過去も間接的に描かれ、
そこからの話し合いで彼女らの思想がわかる。
だから最後に彼女らが何を選んでも、この映画は成立するし、
その良さも損なわれないのだろうと思う。

また映画の中では「赦し」についてもずいぶん話し合われてて、
教育がなくても信仰があると人はこのように寛容で聡明になれるのか、すごいものだなぁとも思いました。
でも、自分勝手な暴力を、自分一人苦しみながら許すことが正しいとはやっぱり思えない。
なんでも赦すのが正しいなら、許せないということも赦されるべきよねぇ。
相手が悔い改め、後悔し、罪を償おうというのなら許してあげなさい、っていうことならわかる。
信仰を利用した差別や暴力、それに対して赦しを強要されることは女性にはとても多かったと思うし、
反省もなくさ隙あればつけ込む相手を、許せなくてもいいんだよと、わたしは思うけどね。

映像的には。自然の中で暮らすコミューンの人々のストイックな暮らしぶりがとても美しく見えます。
色味を抑え彩度を低くしやや青みがかった画面に、自然も家も、
クラシックで質素で清潔な(おそらく手縫いの)服を着て髪をまとめ化粧っ気のない姿の女性たちもみな美しい。
静かに自然の音や人の気持ちの揺れにまで耳を澄ませるような映画で、
(それはエンドロールの時にまた感じられたけど、後述)全体に美しい映画だと思います。

俳優も素晴らしい。
異常な存在感を放つフランシス・マクドーマンドは出番は少ないけど割と重要な役。
彼女は今回、この映画には製作でかかわっているので、役者としては遠慮したのかな。
ただ、女性たちが皆、黒髪をまとめてひっつめてスカーフを被ってお化粧もなしでいると
時々見分けがつかなくて苦労しました。
人を見るときって結構お化粧や服や髪型で見分けてたんだなぁと気づいたわ。笑
文字の書けない女たちに変わって書記をする役のベン・ウィショーがまたすごいハマり役。
こんな善人で優しくて聡明なのに便りなくて大丈夫なのかと思う役がぴったりですね。
この映画の中のルーニー・マーラとベン・ウィショーは「ストーリー・オブ・マイライフ(若草物語)」の中の
シアーシャ・ローナンとシャラメくんのカップルと感じが似ていて、
なんかもう優しくてかわいくて大事で、幸せを祈りたくなる二人。

監督がこの映画をドラマチックな人間ドラマとしてではなく叙事詩的に描きたいと言ってたことを
マクドーマンドがインタビューで語っています。
叙事詩的な映画の方がわたしも好みなので、監督がそのように撮ってくれて良かったと思う。
>サラのこの作品に対するビジョンに一番驚きました。私は至近距離から撮ったような素朴な作品を想像していたのですが、サラは最初から『これは叙事詩的な大作に仕上げたい。そろそろ女性の物語をスケール感たっぷりに描いても良いはず。撮影も華麗に壮大にシネマティックに撮るべき』と語っていました。壮大にシネマティックに「壮大さ」を要するストーリーに。

映画が終わりエンドロールが流れ出した途端に横の女性がスマホを取り出して見出したので
少し躊躇したけど「やめて」と囁いてやめてもらった。
すぐに「すみません」としまってくれてほっとしたけど(逆ギレされるのこわいし…)
実際このエンドロールの後半、大変印象的で示唆的なある小さな音が流れて、
それが素晴らしく効果的だったので、我慢しないでちゃんと言ってやめてもらってよかった。
外国では日本のようにエンドロールで静かに座ってたりしない、とかも聞くけど、
余韻に浸りたい人もいるし、エンドロールに効果的な演出を仕込んでる映画もあるから、
すぐスマホ開けたり喋ったり騒いだりするのはやめてほしい派です。

黒字にクリーム色の文字が流れるだけのエンドロールですが、曲が終わりしばらく無音の静寂のあとに
草や風、虫の音から雨音、やがて雨が止み、夜明けの鳥の声、そして女たちの歌声
(何の歌かは知らないけど宗教的なものかな??)の順番で音だけがしんとした映画館に流れます。
これね、映像がないだけに、音に集中するので、何も見えないのに
映画の中で見た草原や木々、暗い空から降り出す雨、明るい日の差し始める朝、など目に見えるように、
そして移り変わる時間まで感じられてすごい印象的な数分だった。
その後の女たちの歌声(映画の中にもあった讃美歌かな?)を聴きながら
彼女らがその繊細さと聡明さ、強さと優しさと信仰で強く生きていくことを信じようと思った。

映画:テノール 人生はハーモニー

2023-07-10 | 映画


ラップ青年がひょんなことからオペラの才能を見出されて…というと
ありきたりでベタな話と思うでしょうが、本当に最後まで意外性ゼロの正統派のベタな映画でした。
映像にも役者にも脚本にもディテイルにも特筆するところがない・・・
でも実はそういうの嫌いじゃないし、美しいオペラ座とその風景、そして歌声をたっぷり楽しみました!
まさに、予想通りの定石ストーリーを期待通りに進む映画で
こういう予定調和の疲れず楽しめる映画も、悪くないと思うのです。

現代アートなどは、何か、驚かされたい!感動したい!自分の視野や思考や発想や
なんでも自分自身の限界を広げたい!という気持ちがわたしにはとても強くて、
映画でもそういう作品を見ると感動し嬉しくなるんだけど、
映画はわたしには日常なので常にそういうものを求めているわけではないのです。
いろんな映画があっていいし、馬鹿馬鹿しい映画も好きだし、脱力もしたいし、泣きも笑いもしたい。
素晴らしい大作で消耗し尽くす映画体験もいいし、半分寝ながら見る気軽な作品もいい。
それぞれなりに楽しみたいと思うので、こういうベタな映画も全然嫌いじゃないのです。

そしてこれ映画の趣味が違う人と見に行くのもおすすめかも。
何もかもベタでしたが、オペラ座の中やオペラ座から眺める夜の街はきれいだったし
映画をよく見る人にも、あまり見ない人にも、ほどほどに楽しい時間をくれます。
(いやこれ意地悪じゃなく普通に褒めてるので・・・w)

オペラ歌手になる、寿司屋の出前のラップ青年は、元々もラップ歌手だそうで
人気オーディション番組から出た世界的ラッパーだそうで
確かに演技はうまくはないけど魅力がある。
そして本当に歌が上手い!オペラの部分も全部彼が歌ってるそうで
達者だなぁ〜

そして映画の中の主人公の家庭などの背景ですが、あまり治安の良くなさそうな地域で
若者?グループ間の抗争もあったりするけど、強盗や殺人やドラッグは出てこず
抗争の対決も暴力じゃなくラップ対決というのも、見てて疲れなくていいです。
世界の戦争も全部みんな、武器を捨ててラップで対決すればいいのに。

コワモテのお兄ちゃんは弟をカタギの会計士にしたくて学校の授業料を払ってくれてるけど
自分は頭も悪く、見せ物の喧嘩でお金を稼いだりして、つかまったりもしてる。
この粗野なお兄ちゃんも遠くにいる母親には頭が上がらず
刑務所にいるときに、なぜか日本旅行中という設定になってしまって
日本の風景のポスターの前でテレビ電話をするんだけど、季節の違いと時差も混乱して
とても頓珍漢で、笑えるシーン。これもまたベタの定石ですが、良かった。

もっと丁寧に作られている良い映画に文句つける癖に、
この手の映画はわりとほめるというのは矛盾かな?笑

映画:アラビアンナイト 三千年の願い

2023-06-16 | 映画


愛するティルダ・スウィントンのこれ、現代に現れた魔法使いの
過去と今を行き来するアラビアンナイトなファンタジーと思うじゃない?
ポスターを見て、ポップな感じの軽いおとぎ話かなと思うじゃない?
そういうのってどことなくディズニー感があって、ディズニーが苦手なわたしは敬遠したいけど
でも「マッドマックス怒りのデスロード」のジョージ・ミラー監督だし
ティルダ様の映画だしと思ってみたら、すごくよかった。めちゃ好き!

思ってたようなファンタジーとはちょっと違って、
孤独な魂の愛の静かで優しく切ない話だった。
こういう予想外の当たりって例えば「王様のためのホログラム」ととても似ています。
よくある話かと思いきや、なんだか、え?と思うところで、予想外だけど慎重で真摯な愛に出会う。
どちらの映画も前途洋々からは遠く離れた、もう若くも美しくもない大人の話。どこが味わい深い。

主役二人が素晴らしい。ティルダ様が知的でかわいくてほんと好き。
こんなかわいいティルダ・スウィントン初めて見た。好き。大好き。
映像も煌びやかで華やかで奥行きのある(ディズニー臭のない)カラフルさを堪能できたし、
物語というものへの愛にも溢れていて、
わたしの周りではあまり話題にならなかった映画だけど、もっと見てほしい。

お話は(公式サイトより)
>古今東西の物語や神話を研究するナラトロジー=物語論の専門家アリシアは、 講演のためトルコのイスタンブールを訪れた。 バザールで美しいガラス瓶を買い、ホテルの部屋に戻ると、中から突然巨大な魔人〈ジン〉が現れた。 意外にも紳士的で女性との会話が大好きという魔人は、 瓶から出してくれたお礼に「3つの願い」を叶えようと申し出る。 そうすれば呪いが解けて自分も自由の身になれるのだ。 だが物語の専門家アリシアは、その誘いに疑念を抱く。 願い事の物語はどれも危険でハッピーエンドがないことを知っていたのだ。 魔人は彼女の考えを変えさせようと、 紀元前からの3000年に及ぶ自身の物語を語り始める。 そしてアリシアは、魔人も、さらに自らをも驚かせることになる、 ある願い事をするのだった……。

魔人のジンの語る3000年の身の上話だけでも時間も文明も途方もなく幅広くて
もう十分面白いんだけど、その後のアリシアの物語、そしてそれらの交わる先の物語も
小さく予想を裏切りながら、あるいは予想の通りに進展しながら、
どんどんわたしの好きな話になっていきました。
ラストのロンドンの公園のシーンもいいなぁ。

この先少しネタバレなので嫌な人はここまでで。




ティルダ演じる主人公は、冒頭からすでに孤独だけど幸せで完全に満ち足りている女性で
新たな愛を求めたりしてないし、必要ともしてなかったんだけど
ジンの話に魅了され、さらに彼の孤独を知ることで、ジンと愛し合うことを願います。
ジンと愛し合うことは自分の幸せな孤独の邪魔にはならず、人生を豊かにするだけだとわかったのよね。

わたし自身も今やっと、自分の家と猫を持ち、経済的精神的に大体自立できていて
ひとりで充足して暮らしていけて、これ以上自分の幸せのために他のものを必要としていないんだけど
そういう人に必要な愛はこの映画の中にあるようなものかもしれないなと思う。
いつまでも一緒に仲良く過ごしました、というおとぎ話の古典的ハッピーエンドではなく、
離れていて姿も見えず話もできなくても常に感じることができて思い出すことができて
どこかで魂は寄り添っているというような。
そういう相手は、いつも近くにいなくてもいいし、
なんなら人間でなくても、いっそ生きていなくてもいいのかもしれません。

この映画のレビューをいくつか読んだ中に、ジン自体が主人公のイマジナリーフレンドで
主人公が作り出した幻想である可能性があるというのがあったんだけど、
ジンが実在することとイマジナリーであることに大きな違いはないんだよねと思う。

映画:午前4時にパリの夜は明ける

2023-06-01 | 映画


去年友達に薦められて配信で見たらめっちゃ良かった「アマンダと僕」と
「サマーフィーリング」のミカエル・アース監督の新作で、これもまた映像も音楽も絶妙に良い。
前2作では光や風や日差しの暖かさや公園の季節の移ろいをとにかくさりげなく繊細に
透明感いっぱいに描き出して、悲しさでさえも美しく明るい光の中で見せていたけど、
今回は夜の街のシーンが多いです。でも夜には夜のやはり透明な詩情があふれているのは同じ。

前2作は、基本的に同じ映画を何度も見ないわたしにしては珍しく
一度見た後になんどかBGM的に流しっぱなしにして見たくらい好きだった。
2本とも喪失の後の日々をとてもさりげなく繊細に描いてあり、ふわりと優しい映画だったけど
新作のこの映画もまた別れという喪失の後が描かれています。
そして「アマンダと僕」では子供が小さかったけど、ここでは子供たちがもう大きい分、
彼らの人生や視点がくわわることで映画がより重層的に複雑になっているように思う。
そしてこの時代の雰囲気を出すために16ミリフィルムで撮影されたとか。
この作品にとても合ってると思います。

1981年、パリ。結婚生活が終わりを迎え、ひとりで子供たちを養うことになったエリザベートは、深夜放送のラジオ番組の仕事に就くことに。そこで出会った少女、タルラは家出をして外で寝泊まりしているという。彼女を自宅へ招き入れたエリザベートは、ともに暮らすなかで自身の境遇を悲観していたこれまでを見つめ直していく。同時に、ティーンエイジャーの息子マチアスもまた、タルラの登場に心が揺らいでいて…。
訪れる様々な変化を乗り越え、成長していく家族の過ごした月日が、希望と変革のムード溢れる80年代のパリとともに優しく描かれる。(公式サイト)

シャルロット・ゲンズブールがいつもの頼りなげな声でめそめそよく泣く優しい女性を演じているけど、
彼女を否定することのない描き方で、泣くのも大事なことよねと思わせられるし、
監督はインタビューで「人は弱さを見せてもいいのだと思います」
とも語っていて、彼の映画では、脆さ弱さを見せる登場人物は常にいます。

物語的には、優しい主人公が誰とも知らぬ孤独な少女を自分の家庭に受け入れるんだけど
これ、似たようなシチュエーションで人助けをしたら
相手に家庭をズタズタにされる映画を見たことがあるのを思い出して
なんとなくハラハラしてしまったし、主人公の優しさが伝わっているとほっとした。
自分自身そういう目に遭いがちで世の中、優しさは報われないことも多いと身に沁みてるので…
でもこの映画では優しさには優しさが返ってくる暖かい世界を安心して見られます。

80年代が舞台で、映画の中で出てくる当時の映画「満月の夜に」(1984)を、
その頃リアルタイムで映画館で見たことも思い出した。
「満月の夜に」はエリック・ロメール監督作品で、
エリック・ロメールをわたしがいいなぁと思うようになったのはずっと先なんだけど
パリに憧れて憧れて、フランス映画を一生懸命見ていた二十歳前後の自分を思い出して
ちょっと切ない気持ちになりました。

よくエリック・ロメールを受け継ぎ、と書かれてるけど、
確かにもう少し現代風のエリック・ロメールの趣はあって、画面がとにかく美しい。

原題は劇中で出てくる深夜ラジオ番組の名前「夜の乗客」
邦題の「午前4時」というのが一体どこから出てきたのかよくわからないし
こういう映画に必ず「パリ」を入れるところとか、ちょっと雰囲気に流されただけのダメな邦題。
絶対覚えられずいつか思い出す時には、シャルロット・ゲンズブールがメソメソ泣く映画で
深夜ラジオの仕事する話の、パリの、あの、なんだったっけ、としか言えない自信がある。笑
この深夜ラジオ「夜の乗客」は、監督が子供の頃実際にあったラジオ番組がモデルだそうです。
主役のシャルロットは番組スタッフで、パーソナリティはエマニュエル・ベアールが演じてます。
いつもピシッと少しマスキュランなシャツとパンツを身につけ
厳しいながらも公平で、決してベタベタ馴れ合わない感じの不思議な魅力のある人をうまく演じていました。

深夜ラジオがきっかけで孤独な人が知り合ったり結びついたりする映画といえば
トム・ハンクスとメグ・ライアンが主役のノーラ・エフロン監督「夢で逢えたら」があります。
この監督の「ユー・ガッタ・メール」(同じトムとメグの組み合わせ!)も「恋人たちの予感」も
「ジュリー&ジュリア」もどれも好きな映画ですが、また見たくなったなぁ。

・・・・・・・
『アマンダと僕』予告編


『サマーフィーリング』予告



映画:小さき麦の花

2023-05-30 | 映画


この手の地味ながら滋味のある中国映画にとても弱いんだけど、その中でも特に地味で滋味。
素朴で正直な善人が時代の波に翻弄されてというような要素も、
人の心の隙間に忍び込むような微妙な悪意もなく(調子よく人を利用する人は出てくるけど)
主に主人公夫婦の貧しく質素な生活の中でのお互いへの慈しみなどに要素が絞られている
シンプルな作りの映画で淡々としたドキュメンタリーのような趣きがあります。

お互い相手以外何も持たないような貧しい夫婦が麦を植え、卵を孵して鶏を育て、家を建て、
季節は巡り、相手のいる幸せをしみじみと嚙みしめ…
屋根の上のシーン、水の中のシーン、何度か現れる麦の花のシーン、
印象的な暖かい良いシーンがたくさんあって、地味でも退屈はしません。
主役二人の演技は素晴らしく、やわらかく抑えた色調の映像も味わい深く美しい。
小さく貧しい家の中はどことなく聖性を感じさせるのだけど、
(「苦海浄土」に出てくる貧しい貧しい漁師の家の描写の美しさの圧巻!を思い出す)
中でも、予告編にもある段ボールから光の漏れるシーンの美しさといったら!
(予告編に少し出ています)
中国で、わたしも好きな監督ジャ・ジャンクーに次ぐ監督と言われると、今後も期待したくなりますね。

そしてロバ好きのわたしには、「イニシェリン島の精霊」に並ぶロバ映画でもありました。
砂丘のロバのシーンの美しさ、そしてそのあとのロバのシーンの演出の巧みさたるや。
ロバにしかできない役でした。ロバ偉い。

あと、主人公ふたりが饅頭を食べるシーンがすごく多くて、食べたくなります。笑
中国には米文化の地方と粉文化の地方があると聞いたけど、
この映画の舞台はご飯ではなく饅頭を食べる地方のようですね。
湯気の出るふかふかの真っ白な饅頭、どんな貧しい人もこれは食べられるのかな。

しかし、いい映画だけど中国で若い世代に社会現象と呼ばれる大ヒットをして
奇跡と呼ばれたというのは言い過ぎかなと個人的には思う…
前述したような、もっと大きな物語の中に描かれる夫婦の話の方が
映画としての複雑さや深みもあるのではと思うし
個人的にも愛し合う男女の閉じた話はあまり好みではないのです。
「イーダ」がすごく良かった監督の「コールドウォー」があまり好みじゃなかったと書いたのも、
パク・チャヌクの素晴らしい映画「別れる決心」にさほど乗り切れなかったのも同じ理由だけど
中国映画だと→「在りし日の歌」「芳華」などが近代中国の体制に翻弄される個人を大きな流れの中に描いてとても良かったです。