妻の浮気を知ってもショックじゃない自分にショックを受ける主人公。
好きとか嫉妬とかの感情がない、今でいうアセクシュアルな人なのかな?と思ったけど、
そうでもないのか?その場合夜のことはどうなってたんだろう?
セックスレスだったなら妻の浮気がどうのということ以前の問題があるかもしれないけど、
普通に夫婦生活をしながらけろっと浮気をする妻のようには描かれていないし
妻の浮気を知りながら変わりなく妻を抱ける男のようにも描かれていない。
まあ夫婦やカップルのことは結局当事者しかわからないよね、と思う。
映画でこうして見せられても、語られていないところ、描かれていないところによるよね。
映画の会の課題にしたいくらいあれこれ話せる映画だったけど、
ラブラブのカップルで見にいく映画ではないかもしれません。
映画はヨーロッパの会話劇を思い浮かべる感じで、かなり良かったです。
フランス映画の佳作を見たような気分。
悩みを持つ主人公の稲垣吾郎が何となくうろうろと出歩き、
キョトンとした顔で人と出会い人と話し、また人と会い人と話す。
この主人公のやや無表情でキョトンとした顔と会話がフランス映画っぽい。
そういえば「ばるぼら」という映画でも稲垣吾郎は作家の役で
そっちはもう少し感情のある役だったけど、それでも二階堂ふみ演じる女の子に振り回されて、
やっぱりキョトンとした顔をしてるのが、すごく合ってた。
主人公は妻を愛してないわけではないんだけど妻の浮気を知っても特に何も感じない男。
妻はそういうタイプの夫のことが寂しくて浮気をしたみたい。
でも浮気って約束を破り相手を裏切るってことなんだけど、なんだろうここの人たちは、
裏切ることより愛情が足りないとか関心が足りないとかそっちの方が重要みたい。
わたしはなによりまず誠実さが大事と思うけどなぁ。その上に愛情があると思ってる。
でも映画の中では、浮気した妻より、それに対して感情に乏しい夫の方ばかりが責められる。
夫自身も、妻の浮気に怒りを感じない自分を責めている。
世の中ってそうなの?不満を持たせたり寂しがらせたりしたら浮気された上に責められるの?
この映画の世界では、愛情と関心を持つことが何より大事で、それを怠ると責められるし
愛情を関心を持たれることを当たり前の権利のように要求される。
要求する妻、強いなぁと思うけど映画の中では被害者ポジションです。それもまた強いわ。
この妻が中村ゆりで、めっちゃきれいでかわいかったし、
玉城ティナはさらに超可愛くて地球外生物かと思った。魅了された。
玉城ティナは女子高生作家で、主人公と知り合い、主人公の家庭の話とは関わりない交流を持つけど
そこに恋愛的なものは何ひとつ起こらないのがよかったね。
若くておしゃれで可愛く鋭く才能がキラキラしてる売れっ子作家なのに
彼氏がバカっぽいヤンキー男なのもよくわかんなくて良かった。笑
とにかく主な登場人物がわりとみんな好きな顔なので、かなり気持ちよく見ました。
映像も、昔ながらの喫茶店や家の中のシーンも山小屋のシーンもどれも光と影が心地よい。
2時間を超える会話劇ながら一瞬だけ出てくる脇役も味わい深くて良いです。
中でもタクシーの運転手の語りのシーンがすごい印象的でした。
話の内容も悪くないんだけど、この運転手の名前が滝田みずうみ、とタクシー内の名札に書かれてて
パチンコの話をするくたびれたおっさんなのに、名前がみずうみ!なぜ、みずうみ!
忘れられない。笑
あとパチンコ屋のぶっきらぼうなのに正直で律儀なねえちゃんも、よかったなぁ。
古い喫茶店で、パフェが食べたくなる映画です。それはいい映画よね。
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