トロイの遺跡を見た翌日、エーゲ海沿岸を南下しエフェソス遺跡にやってきた。
エフェソスは広大な遺跡でまだまだ発掘中だそうで、ガイドについて歩いても一部しか把握できない。
写真としては、どうしても有名なものの羅列になってしまう。
ヴァリウス浴場と水道管
エフェソスは紀元前11世紀イオニア人が造った都市国家でエーゲ海沿いの良港として栄えたが、
紀元前287年港が土砂崩れで埋まり疫病も発生したため丘の上のこの地に遷都した。
以来、東ローマ帝国の時代まで長く繁栄したが、8世紀に中東イスラムの勢力拡張に耐えられず滅亡した。
オデオンは2世紀中ごろに建設された音楽堂。当時は屋根もあったらしい。
オデオンの階段にはライオンの足がデザインされている。
BC1世紀に建てられた碑で、スラ、その息子ガイウス、孫のメミウスという3代の支配者を祀っている。
クレステ通りに立つヘラクレスの門。ライオンの毛皮をまとったヘラクレスが彫刻されている。
2世紀に造られたころヘラクレスの門の上部にはアーチがあり、勝利の女神ニケの像のレリーフが飾られていた。
ニケは英語ではナイキ。スポーツ用品の名前に使われている。
102~104年ごろに建立し皇帝にささげられたトラヤヌスの泉。
高さが12mもあった実物は修復中で、これは縮小コピーされたものだそうだ。
クレステ通りの脇にモザイクの床があった。
今も威容を誇るセルシウス図書館は117年に完成。1万冊を超える蔵書があったという。
通りを挟んだ近くに娼館があり地下トンネルでつながっていたともいうが、本当だろうか。
中に進むと知恵、運命、学問、美徳の4体の女性像があるが、これらはレプリカで本物はウイーンの博物館にある。
収容人数2万5千人の大劇場は、他に類を見ない大きさ。
観客席は高さ38m、直径158mの半月形になっている。
エフェソス遺跡に隣接してアルテミスの神殿跡がある。
豊穣の女神アルテミスを祀って紀元前7世紀頃から120年かけて建てられたらしい。
直径1.2m、高さ19mの円柱が127本もあった壮大な神殿だが、今は1本しか残っていない。
背後にビザンツ時代の城塞、イーサーベイ・ジャーミィ、聖ヨハネ教会などが見える。
円柱の上にコウノトリが巣を作っている。
そういえば、エフェソスへの入口であるセルチュク駅前の水道橋の上にもコウノトリがいた。
エフェソス遺跡もいずれ世界遺産に登録されることだろう。
詳細なことは分かりませんが、
こうして昔々の建物がかくしゃくとして残っていることは不思議、現世で見ることが出来る。
栄枯盛衰の言葉をかみ締めながら・・・・・・・・。
古代の遺跡は石の文明が多いんだなぁとあらためて思いながら拝見しました。
石のものがよく残るということもあるかと思いますが。
そして人類と芸術ははるか昔から切り離せないものだとも感じます。
古代の文明とくらべると、この100年ほどの人類の文明は急速に変わりすぎて
いるように思えますね。
やはり、当時の遺跡は石で造られたものが多いのですね。
膨大な民の苦役によるものと思われます。
音楽堂、劇場、水道、浴場の跡・・・
浴場と言えば、古代ローマのカラカラ遺跡を記憶している程度です。
一番驚いたのは、図書館です!
考えれば、古代エジプトの象形文字や、測量技術は もっと以前に存在した訳ですが・・・
でも 何故か?その頃の人類は 狩猟、農耕生活をし、
文字などと 無縁だったと一瞬考えてしまいます。
勿論、殆んどの民は そうだったと思います。
最近は 赤外線??などを使って発掘調査も出来るようですが
気の遠くなるような作業のようですから、盗掘などで壊されることがないよう
祈りたいですね。
そして簡単に破壊する浅はかさも持っていますね。
そういう歴史を知ることも意義のあることだなと思いました。
ギリシャとかエジプトとか中東などは石の構造物がたくさん残っていますね。
日本とは地質や文明が違ったのでしょうか。
それでも子供の頃住んでいた京都の家の近くに古墳の石室が残っていたのを思い出します。
1000年後、東京や横浜の高層ビルが遺跡として注目されるでしょうか。
大理石がたくさんとれたのでしょうね。
車窓からも切りだしている場所が見えました。
この都市の中心は民衆とは少し離れた階級が利用するものだったのでしょうね。
大都市は別にしてトルコの大部分は麦畑を中心とした農業地帯のようでした。
昔からそうだったのでしょうね。