トルコ国内では10件の世界遺産が認定されている。今回の旅行では下記の4カ所を訪れた。
トロイの古代遺跡 - (1998年、文化遺産)
ヒエラポリス-パムッカレ - (1988年、複合遺産)
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群 - (1985年、複合遺産)
イスタンブール歴史地域 - (1985年、文化遺産)
ほかにエフェソス遺跡が認定を待っている。
最初に訪れたのはトロイ遺跡。
トロイ(トロイア)といえばトロイの木馬という言葉を思い出す。
トロイの木馬はギリシャ神話(ホメロスの伝承)の中に出てくる。
BC1300~1200年のころギリシャとトロイとの間で起きたトロイ戦争において
ギリシャ軍がトロイに攻め込んだが堅固な城壁は10年も持ちこたえた。
最後の策として兵を潜ませた大きな木馬を城門前に置いたところ
トロイ側が場内に引き入れたため城が破られて長い戦争が終わった。
トロイにはBC3000年ごろ初期青銅器の時代から文明があり、
幾度もの戦争、地震、火災により滅んでは新しい城市を作ったので九つの時代の遺跡が複雑に重なっている。
トロイ戦争の後はAD500年ごろまでギリシャやローマ帝国の植民地であった。
手前が第3、右手が第4、左上が第9市と複雑に重なっている。
一番古い第1市のメガロン式住居跡。
メガロンとは主室と玄関,および前庭が縦に並ぶ。のちのギリシア古典期の神殿建築の原型
第2市のランプ(坂道)。大理石の敷石で舗装され、門から外への出入りに使われたそうだ。
第6市、第7市時代の城壁と門。トロイ戦争の城壁はこのあたりであろうか。
ローマ支配時代(第9市)の小劇場。演劇ではなくコンサートに使われたようだ。
第9市時代の聖域。生贄の台や血を流す井戸などがある。
トロイの実在を信じたドイツ人シュリーマンが1873年に第Ⅱ市の財宝を掘り当てたが、
そのために各時代の遺跡を無残に破壊してしまった。
トロイ遺跡は翌日にまわるエフェソス遺跡と比べて面積が狭く構造物の数も少ない上に荒らされている。
それなのにエフェソスは世界遺産でなく、トロイが世界遺産なのは5000年の歴史の深みがあるからだという。
見学して外に出るとスズメがいた。
頭が灰色など日本の雀と少しちがう。イエスズメらしい。
子供のころ物語で読んだ覚えがあります。でもそれが現在のトルコだったとは、
ずっと知らないままでした。トルコの歴史は何も知らないに等しい感じ。
歴史で習ったことや本で読んだことが、現代と繋がっていないのですね。
トロイ遺跡はこんなに複雑に各年代が重なり合っているのですね。5000年もの長い歴史…
興味深く拝見しました。
トルコのスズメは私たちが普段好く見るのとちょっと違うのですね。
ラストのお写真、ここを巣にしているのかしら。よく見つけられましたね。
微笑ましい姿に頬が緩みます。
改めて、地図を見ると、エーゲ海?と昨日不思議に思いましたが
ギリシャだけでなく トルコにも面していたのですね!地理ゼロ点です・・・
日曜日の6時TBSテレビの「世界遺産」を楽しみに見ています。
遺跡の発掘や特定がどうして出来るのか分かりませんが
数千年も以前、今のようなクレーンも何もない時代に巨大な石組みや舗装など驚きです。
遺跡が重なっている!なんてことは想像もしませんでした。
花や蝶、スズメの出現いいですね。恥ずかしながら、スズメは日本固有のものと思っていました。
遺跡を直にご覧になって、その遺された部分から、当時の様子を想像するのは
ロマンがありますね♪おーちゃんピッタリ!のツアーです!
私もトロイの木馬が今のトルコであったとは知りませんでした。
しばらく前に耳にしたのはコンピュータウイルスのトロイの木馬でした。
ギロシャやローマ帝国の歴史はどの範囲で起きていたのか明確に認識できていませんでした。
オスマントルコというと逆に今のトルコ以外にも勢力を張っていたのですから、
もう一度しっかり勉強し直さないとだめだと思いました。
トルコのスズメはもう少し分かりやすい姿で撮りたかったです。
その隣が地中海ということも今回よく分かりました。
古代の都市を造るのは多くの苦役があったのだと思いますが、無茶な盗掘で簡単に破壊されてしまうのは残念です。
今回見たスズメに花やチョウは当時も同じように生きていたのか、ちょっと興味があります。
中学の頃S先生の郷土クラブで校下を歩いたのを思いだしました。