八戸では先ず根城(ねじょう)を見た。写真は本丸の復元。
南北朝のころ南朝方に属する南部師行が城をかまえ、南朝の根本になるという意味で「根城」と名付けた。
5つの曲輪が連なる連郭式の平山城で日本100名城に選定されているという。
根城・本丸にある納屋。
江戸時代に入って根城南部氏は移封され遠野南部氏となる。
なお平安時代末期に甲斐南部氏が移ってきた三戸南部氏のちの盛岡南部氏が宗家で、そこから八戸南部氏が分離する。
青森から岩手にかけて八戸、三戸、五戸など戸のつく地名が見られる。
平安時代後期に現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部(ぬかのぶ)郡が置かれた。
その中を9つの地区に分けて一戸から九戸の地名が付けられた。戸は地区を指す言葉だったようだ。
根城には八戸市博物館があった。
八戸地方は縄文時代の宝庫で是川遺跡 風張遺跡などが発見されている。
博物館には縄文時代の考古展示室、江戸時代・八戸藩の様子を中心とする歴史展示室、
衣食住・農業・漁業・商業・信仰・芸能の民俗展示室などがある。
猫イラズの看板はなつかしい。
本八戸の街を歩いていると、こんな提灯が見られた。
八戸えんぶりのポスターも貼ってあって、えんぶり組の詰め所みたいな建物だ。
この地方で南部氏が活動を始めたころから土着していた習俗のひとつが「えんぶり」で、
今も旧正月12日に三八・上北地方で行われる豊年祈願の芸能だ。
八戸市では毎年2月17日から4日間にわたり市ならびに周辺の農村で行われる。
えんぶりの様子
内丸えんぶり組 YouTube
八戸市の中心部にある神明宮では「茅の輪祭り」が行われていた。
各地で見られる夏越の大祓と同じように無病息災を祈願するものなのだろう。
ここでは8の字にくぐることはしていなかった。
かわりに神殿前に置かれた茅草を編んで小さな輪を作る人がたくさんいた。
神明宮は廿六日町にあり廿三日町側からも入れる。
市内には朔日町、三日町、六日町など~日町とおばれる町がたくさんある。
昔はそれぞれの日に市が開かれたのだろうか。
三日町と六日町の間には「みろく横丁」と呼ぶ屋台村がたくさんの店を出していた。
繁華街から市役所、八戸城跡の三八城公園(みやぎこうえん)を過ぎると本八戸駅で、その近くに「おがみ神社」がある。
おがみ神社は平泉時代の源義経夫人・久我(こが)御前が1205年に亡くなり葬られた場所と言われている。
「おがみ」は女の神、おかみさんの「おかみ」がなまったという説もあるが、漢字は難しすぎて変換もできない。