老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

蝦夷(えみし)のこと  ~「火怨」などの高橋作品に惹かれて~

2019年11月11日 19時56分13秒 | その他
 先日京街道歩きの中で、枚方市の牧野公園で見かけた阿弖流為(あてるい)と母禮(もれ)の碑のことに触れました。

 関西育ちで東北には余り縁のない私が、8世紀の終わりごろの蝦夷(えみし=現在の東北地方の住民)の領袖であった阿弖流為やその仲間の母禮に興味を持っているのは不思議でしょうが、きっかけは福島第1原発の事故や巨大津波をもたらした2011年の東北大震災でした。

 あの大震災の後、東北のことを何も知らなかった私が、少しでも東北のことを知りたいと思って立寄った本屋でフト手に取ったのが岩手県出身の高橋克彦著の「火怨(かえん)」という文庫本でした。

 ストーリーは、蝦夷の若いリーダーである阿弖流為を軸として参謀役である母禮や仲間たちと、朝廷との対立と戦闘などを経て、最後には陸奥での戦いを終わらせるために征夷大将軍である坂上田村麻呂に降伏し、坂上田村麻呂は両名を京都に遷都された都に連行し、朝廷に報告の上両名の助命を嘆願しましたが、聞き入れられず処刑されるという筋です。

 これに横糸の様に坂上田村麻呂や阿弖流為との若い時の関わりや、遠い祖先が蘇我一族との権力闘争に負けて都を追われて陸奥に住んでいる物部一族等が絡んだ面白さに、引き込まれるように読み通しました。

 また、この「火怨」の面白さに惹かれ、この「火怨」を含めて高橋氏の陸奥三部作といわれる「風の陣」「炎たつ」や、背景の時代が少し後になる「天を衝く」(これを含めて陸奥四部作と呼ぶ説もあるようです)を3度ほどは読み通したことでしょう。


 これほども、陸奥を舞台にした高橋作品に惹かれた大きなポイントは、岩手生まれの高橋氏の地元を愛する気持が現れた蝦夷の生活の生き生きとした様子が、判ると共に、
・私もまるで、東北地方のごく限られた地域に住む土着の人達の様に思っていた蝦夷(えみし)とは、単なる部族の名前とかではなく、陸奥の地に生きる人たちの総称であることが判り、

・それまでは、辺境の地として見捨てられていた陸奥から黄金が産出するとともに、これを目当てとする朝廷との間で争いが始まるが、蝦夷は自ら攻撃を仕掛けるのではなく、自らの土地と空を守るために、止むなく朝廷の攻撃を受けて立たざるを得なくなる。

・また、朝廷側は蝦夷を辺境の野蛮人として対等には扱おうとはしないが、坂上田村麻呂のように蝦夷の考え方を理解し人間性にも高い評価をしている人や、何とか朝廷側内にもその理解を求めようとする人たちもいるが、取り巻きの公家たちの理解を得ることは出来なかった。

というような、当時の政治を司る公家社会と蝦夷たちの決して交わることのない確執が浮き彫りにされたからでしょう。


 これらの一連の小説を読んでいると、現在の沖縄住民の願いを聞こうともせずに、本土の生活を守るためとの理由付けで、沖縄に米軍基地の存続を押しつけ続けている、現在の日本政府と沖縄の関係を思い浮かべずには居られませんでした。

 特に、2年前でしたか、沖縄の基地警備に派遣されている大阪府警の警察官が、地元住民に対して“土人”呼ばわりし、またこれを当時の大阪府知事が庇う様な発言をした時には、改めてこの高橋氏の小説を思い浮かべました。(まさ)


追記:
 高橋氏の「火怨」では、降伏した阿弖流為と母禮を都に連れ帰った坂上田村麻呂は、父・坂上苅田麻呂の陸奥赴任に伴って幼少期に陸奥で暮らした経験があることや、武人としても蝦夷の戦い方を深く評価しており、これらの陸奥の心を理解する田村麻呂に対して阿弖流為側が応じたというストーリーになっていますが、何れにせよ田村麻呂は京に連れ帰った二人の助命を朝廷に願ったが許されず、二人は処刑されたのは事実の様です。

 そして、京都の清水寺の境内にも「北天の雄 阿弖流爲 母禮之碑」と刻まれている碑があるようです。
清水寺は、奈良時代末に延鎮上人によって開基されたと伝わりますが、この延鎮に鹿の狩りに来ていた坂上田村麻呂が出会い、殺生を戒められて改心して妻とともに観音に帰依して仏堂を寄進したとされています。
このことから、清水寺は延鎮上人を開山、坂上田村麻呂を本願としている様に、田村麻呂と非常に関係の深い寺院で、先の石碑は平安建都1200年を期して、1994年(平成6年)に有志により建立されたもののようです。(まさ)