老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

醍醐寺 その② (下醍醐・伽藍など)

2018年08月31日 19時40分54秒 | 旅行/色々な風景
 三宝院を拝観した後、沢山の露店が並んでいる参道を通り霊宝館に。
展示館で醍醐寺に伝わる真言密教のいろいろな仏像(国宝を含む)を拝観しましたが、館内では写真が撮れないのが残念で、庭に陳列されている仏像1枚だけを撮りました。

 この霊宝館を出たのは、11時半頃でお昼には間があったのですが、途中で弁当を買うつもりが六地蔵駅や寺院近くにコンビニがなくて買いそびれていたので、少し早いがこの後の山登りを考えれば、昼食をという事で、直ぐ近くにある雨月茶屋という洒落た名前のレストランに飛び込みました。

 注文した茶ソバ定食は見るからに美味しそうで、これならやはりビールが欠かせないと、急いで追加。
ゆっくりと食事を味わった後に、仁王門から伽藍が並ぶ地区に入りました。
余り人通りの多くない静かな雰囲気の中で、国宝のオンパレードで由緒ある金堂や五重塔を拝見した後、日月門を通り観音堂へ。

 10年ほど前に上醍醐にあった准胝堂(じゅんていどう)が全焼し、そこに安置されていた西国三十三か所観音霊場の第十一番札所本尊の准胝観世音菩薩像がこの観音堂に移され、現在ではこの観音堂が西国三十三か所観音霊場の第十一番札所になっています。
 生憎と、正面側は改修工事で閉鎖されており、側面から入りましたが、ここも参拝者は少なく、二人だけで遠慮なく下手な読経できました。

 その後、伽藍地区を後にして、険しい上醍醐に向かいました。(まさ)


霊宝館の庭に安置されている仏像

雨月茶屋(こちらは売店の方です)

昼食に頼んだ茶ソバ定食。余りに美味しそうなのでついビールを追加しました

仁王門(西大門)

静かな佇まいの境内

金堂(国宝)

五重塔(国宝)

同上

不動堂

日月門

鐘楼

観音堂(改修中のため、寺院のホームページから)

観音堂の幟

弁天池と弁天堂

醍醐寺 その① (下醍醐・総門/三宝院)

2018年08月30日 20時01分28秒 | 旅行/色々な風景
 相変わらず真夏のような35℃以上の暑さが続いており、まだ秋の涼しさが望めない中で、昨日は京都伏見の醍醐寺に出掛けました。
醍醐寺の広さと、上醍醐への厳しい山道のことはある程度聞いていましたので、ハイキングシューズを履き、着替えのシャツなども準備しての出発でした。

 この醍醐寺は、真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)といいますが、下醍醐と上醍醐に分かれています。

 平安時代初期の貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝(しょうほう)が創建と伝えられており、准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山。
醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展し、後に醍醐天皇(在位897-930年)が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展しました。

 室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されることになりましたが、豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となったようです。


 また、西国三十三か所観音霊場の第十一番札所です。札所本尊の准胝観世音菩薩像は元々は上醍醐の准胝堂に安置されていたが、2008年に落雷による火災で准胝堂が全焼し、下醍醐の観音堂内に安置されています。


 大阪からは、京阪電車の中書島で宇治線に乗り換え、六地蔵駅からバスに乗り15分程度で醍醐寺前に到着。
旧奈良街道に面した総門から入り、すぐ近くにある三宝院で有名な庭園などをじっくり拝見した後、下醍醐地区の伽藍などを回ってから、覚悟を決めて上醍醐に挑戦。

 予想以上の厳しさで、下山した時には脚はパンパンになっていましたが、カキ氷で一息ついた後、直ぐ近くにある小野小町ゆかりの随心院にも立ち寄りました。


 見所が多かったので、今回は3~4回に分けての掲載となりますが、先ずは下醍醐の総門並びに三宝院の様子です。

 有名な三宝院は、永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建され、現在は醍醐寺の本坊的な役割で、真言宗醍醐派総本山として宗務庁、醍醐寺の寺務所が三宝院内に設置され、醍醐派管長・醍醐寺座主・三宝院門跡の三職兼務が定められると共に、歴代座主が居住する坊です

 現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されています。中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物で、唐門と共に国宝に指定されています。
また、国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

 
 余談ですが、醍醐(だいご)とは、仏教では五味の一つ。牛乳を加工した、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされています。
最も美味しい味の代名詞として使われましたが、すでに製法は失われており、バターのようなもの、又は現代で言うカルピスや飲むヨーグルトのようなもの、更には蘇(レアチーズ)を熟成させたものなど諸説がありますが、実態は不明のようです。
 また、「醍醐味」という言葉もありますが、これ以上はない余程楽しいことなのでしょうね。(まさ)


醍醐寺総門

直ぐ前は、旧奈良街道です

三宝院入口の門

三宝院 唐門(国宝)

三宝院 大玄関

同玄関の内側からの景色

内側から見た唐門

表書院(国宝)へ

表書院の庭園(右側に見えるのは純浄観の屋根)

庭園

表書院の廊下と庭園

中庭からの風景

中庭の風景

ガラス戸に写る庭

中庭にある芝の垣根

面白い語源の言葉 その⑳  ~さすが(流石)~

2018年08月29日 20時57分22秒 | 面白い言葉や語源など
 「さすが」という言葉は、「さも有りなむ」などと使う指示副詞「然(さ)」に、サ変動詞「為(す)」、接続助詞「がに」が熟合した「さすがに」から「に」が脱落したもののようで、漢字の「流石」という字は当て字です

 この言葉は結構微妙です。というのは
◆一般的には『この難問が解けるとは―だ』というように、「たいしたもの」と同じ意味で、“ 評判や期待のとおりの事実を確認し、改めて感心するさま”を意味します。

◆しかし、次のような時にも使われます
・ 『味はよいが、これだけ多いと―に飽きる』とか『非はこちらにあるが、一方的に責められると―に腹が立つ』のように、「そうは言うものの」「それはそうだが」とか「やはり」と同じように、“あることを認めはするが、特定の条件下では、それと相反する感情を抱くさま”を意味したり

・『一人暮らしは―に寂しい』とか『「―(は)ベテランだ」のように、「なるほど」とか「やはり」と同じように、“予想・期待したことを、事実として納得するさま。また、その事実に改めて感心するさま”
を意味したり、

・『さすがの…も』の形で、「さしもの」と同じように“そのものの価値を認めはするが、特定の条件下では、それを否定するさま”
など、微妙な表現の違いですが、多くの使われ方をしますので、褒め言葉にはならないこともあります。


 問題は、この「さすが」の当字である「流石」が、上記の「さすが」を意味する由来ですが、中国の諺の一つ【沈石漱流(ちんせきそうりゅう)】(漱は口をすすぐという意味です)に由来するようです。

 少し長くなりますが、この経過を説明しますと、「沈石漱流」という言葉は、“石を枕にして、川の流れで口をすすぐ”という事から、「自然の中で悠々自適な生活を送る」、という意味になります

・古代中国の孫楚(そんそ)という政治家が、俗世間の暮らしに嫌気がさして、世間から隠(かく)れて生きていきたいと考えるようになり、友人の王済(おうさい)に自分の考えをうちあけましたが、その時に孫楚は「沈石漱流」というべき所を、間違って“「沈流漱石」(石で口をすすぎ、川の流れを枕にする)のような俗世間から離れた生活をする”と自分の考えを打ち明けました。

・これを聞いた、王済は笑って孫楚に、それは「沈石漱流」ではないのかと指摘した所、孫楚は意地になり「私は間違っていない!!」と強く言い返しました。
そして「『漱石沈流』は正しい。流れを枕にするのは、俗世間のいやなことを、川の流れで耳を洗い清めるため、石をすすぐのは歯を磨くためだ!」と言ったそうです。

・これを聞いた、王済は「へ~。理屈にもならない屁理屈だけど、うまいこと言い返したな。」と感心してしまい、そのことから、なるほどと感心したと伝えらすており、“さすが”と言う言葉に、「漱石枕流」から「流石」という当て字を書くようにと言われています。


 また、日本の代表的な作家である夏目漱石は、本名は夏目金之助と言うそうですが、上記の孫楚の逸話を聞き、自分の性格にぴったりだと思い、「漱石」をペンネームに採用したと言われています。(まさ)

(由来・語源辞典、https://koureisya-blog.info/、Goo辞書などを参照させていただきました)

久しぶりにボランティア仲間と楽しい一時を…

2018年08月28日 20時25分09秒 | 園芸福祉・植物とのつながり
 15年以上に亘り、堺市内の公園を拠点として園芸福祉という分野でのボランティア活動を続けてきましたが、ここ数年自分の体力的な問題や家族の介護関係の問題などもあり、昨年春からは活動からは退いていました。

 その後、この会はメンバーの高齢化に伴う活動参加者の減少や、リーダーとして会活動を牽引する裏方の候補者がいないなどの理由で、残念ながら今年の3月末で活動を停止したようです。

 このような経過は耳に入っていましたが、一度かって苦労を共にした仲間たちの顔を見て、それぞれの近況や遠慮のない話もしたいと思い、心安い人達に声掛けをして、昨日83~70歳という正に高齢者6名が集まりました。


◆会場設定は私の担当となり、色々と悩みましたが、
・孫の幼稚園出迎えや、夕方の通院、更に夕食の準備など、それぞれの事情をある程度勘案して、お昼の時間に合わせて13時から 

・久しぶりの集まりで、積もる話もあるだろうと思い、2時間は何とか確保したいし、出来れば個室で 

・皆さん結構飲める方だが、年齢的に元が取れるか心配しながらも、好みの飲み物も違うので、飲み放題が良いか 

・メインの食事は、個人的には今年は余り食べていないウナギをと思いましたが、これでは2時間も持たすのは金銭的に無理
 
というようなことで、皆さんが集まり易い難波に近い日本料理屋(大衆食堂?)の個室で、ウナギには及ばないが大阪の夏料理の定番であるハモのコース料理(飲み放題付き)ということにしました。

◆定刻には全員揃って、賑やかに乾杯し、その後は例によって誰が話しの主役か判らないほど遠慮のない会話が続きました。 

・年相応に、皆さんそれぞれに体のあちこちに故障を抱え、退院したばかりの人や、杖をついての参加者もありましたが、園芸作業で鍛えられたためか、それなりに元気でした。
何よりも皆さんの“口”が衰えていないことに一安心。
 
・疲れるなど言いながら、未だに元気に園芸ボランティアや畑作業を続けられている方、お孫さんの世話役を押しつけられたと言いながら嬉々として対応されている方、史跡巡りや寺詣りに忙しい人など、それぞれに上手く自分の居場所を見つけられていました。

  予定の2時間はあっという間に経ち、それぞれの予定と体力の問題もあり二次会はないままにお別れしましたが、気心が知れて遠慮がいらない仲間との会食とおしゃべりは本当に楽しかったです。(まさ)

団地で見掛けたヒガンバナの仲間

2018年08月27日 20時05分51秒 | 散歩中に見かけた風景
先日の台風による雨のせいか、最近団地内でヒガンバナの仲間の球根の花が良く咲いています。
ゼフィランサスハブランサスという共に、アメリカ大陸を原産とする球根類です。

この仲間は、
◆乾燥と高温の後に雨が降って球根が潤うと花茎をのばして開花する性質があるため、ともにレインリリーと呼ばれています。

◆鱗茎の分球による繁殖力が強く、耐暑性に優れ耐寒性もあるため、日本の気候によく順応し、人里周辺に野生化したものがよく見られます。
(ハブランサスは種子でも、良く繁殖します)

という同じような生態で、よく混同されているようです。
MIKIPEDIAに拠ると、“ハブランサスは斜め上向きに花が咲くのに対して、ゼフィランサスの花は直立して真上に花が咲く特徴がある”とされていますが、私にはその区別が判りにくいです。

因みに、秋に白くて優雅な咲き方をするタマスダレも学名をZephyranthes candidaというゼフィランサスの仲間で、団地内でもゼフィランサスの直ぐ近くでもう開花していましたし、直ぐに9月となりヒガンバナの時期になるでしょう。(まさ)


ハブランサスの花(これは、私がベランダに植えていたハブランサスの種子を、数年前に撒いたものです)

同上 アップ

ゼフィランサス

同上 アップ

こちらはタマスダレです