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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「般若心経」のこと その5  ~どのような内容なの~ 

2025年08月27日 19時14分03秒 | その他
 昨日は、全文の羅列で、見る気もしなかったと思いますが、このお経を毎日唱えさせていただいています。
 今日はもう少しは面白みがあると思いますが、このお経の内容です。

 この「般若心経」」はどのような内容なのか? と聞かれても、先ず直ちに答えることが出来ないです。

 漢字で書いてあっても日本文ではなくて漢文ですし、全く知らない漢字があったり、特に仏教界で使われる用語があったり、更に読経時にはリズムを重視し、文の段落をあまり重視せずに唱えるために、内容を理解しようとすればある程度の注釈なり参考資料は必要でしょう。

※ 色々な資料があり大変ですが、私が目にした物の中では一番判りやすかった「心がすっきりかるくなる 般若心経」(名取芳彦 ナガオカ文庫)から主に引用説明させていただきます。その他WIKIPEDIA等も参考にさせていただきました。

 
◆まず、このお経の構成ですが、観自在菩薩が舎利子に説法するという設定になっていて、観自在菩薩と舎利子との会話劇とも言えます。

「観自在菩薩」は「観世音菩薩」とも呼ばれる仏さまで、『観自在』は<あらゆる面から自在にものごとを見る>という意味で、『菩薩』は<自分が悟りに達する準備は整っているのに、苦しんでいる人たちを先に悟りの岸に渡らせようとする仏さま>のことです。

舎利子(しゃりし)は、「シャーリプトラ」のことで、智慧第一と称され、釈迦の十大弟子の筆頭に挙げられている弟子の漢訳です。

 ◆このお経は起承転結がはっきりしているようです。
・最初に、<観自在菩薩は空について照見して、苦しみがなくなったのです>と結論を述べ、
・次に、舎利子に対して<物体をはじめとする全てのものが空で、絶対と思っているものにさえこだわることはない>と具体例を挙げて説明し、
・次に、「般若波羅蜜多」(智慧の完成)の効果について説き
・最後に、「般若波羅蜜多」の門を開くためのヒントを述べる
という構成になっているようです。(まさ)

 新しいブログは、https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)】です。


「般若心経」のこと その4  ~全 文~ 

2025年08月26日 18時58分44秒 | その他
 くどくどと前置きを述べましたが、肝心の「般若心経」の全文を紹介しましょう。
各宗派によって表示方法が若干違うかもしれませんし、特にフリガナについては違いがあるかと思いますが、NHKサービスセンター「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」より引用して紹介します。(まさ)

 仏説摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつまか はんにゃはらみったしんぎょう)

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
照見五蘊皆空 度一切苦厄  (しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)
舎利子 色不異空 空不異色  (しゃりし しきふいくう くうふいしき)
色即是空 空即是色       (しきそくぜくう くうそくぜしき)
受想行識 亦復如是       (じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)
舎利子 是諸法空相       (しゃりし ぜしょほうくうそう)
不生不滅 不垢不浄 不増不減   (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
是故空中 無色無受想行識    (ぜこくうちゅう むしきむじゅそうぎょうしき)
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 (むげんにびぜっしんに にしきしょうこうみそくほう)
無眼界 乃至無意識界  (むげんかい ないしむいしきかい)
無無明 亦無無明尽  (むむみょう やくむむみょうじん)
乃至無老死 亦無老死尽  (ないしむろうし やくむろうしじん)
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 (むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故(ぼだいさった えはんにゃはらみったこ)
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)
遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃(おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん)
三世諸仏 依般若波羅蜜多故(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)
得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみった)
是大神呪 是大明呪(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ)
是無上呪 是無等等呪(ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)
能除一切苦 真実不虚(のうじょいっさいく しんじつふこ)
故説般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみったしゅ)
即説呪日(そくせつしゅわつ)
羯帝 羯帝 波羅羯帝 波羅僧羯帝(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
菩提僧莎訶(ぼうじそわか)
般若心経(はんにゃしんぎょう)

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「般若心経」のこと その3  ~日本における「般若心経」の普及~

2025年08月25日 19時02分21秒 | その他
◆日本への伝来
 その後、般若心経は奈良時代から平安時代にかけて日本に到来し、僅か270字足らずの短い文章の中に、大乗仏教の神髄が集約されていて、語り口の判り易さもあって国内で広がっていき、日本でも複数の宗派における 読誦経典の一つとして広く用いられるようなりました。

 ◆どの宗派で採用されているか
・但し、日本における主な宗派が全てこのお経を唱えているわけではないようです。
般若心経が唱えられている主な宗派は「天台宗」「真言宗」「臨済宗」「曹洞宗」「浄土宗」で、般若心経を唱えない宗派は「浄土真宗(大谷派を含める)」「日蓮宗」ということです。

・般若心経を唱える宗派では、悟りの境地は自ら考え至るものであると考えられていますが、浄土真宗では、「阿弥陀仏(阿弥陀如来)」の本願によって往生できると考えられていますし、日蓮宗では、「法華経」こそが真実の教えだと考えられているからのようです。

◆「般若心経」の呼び方
日本においては各宗派によっては、呼び方にも若干の違いがあるようです。
 単に「般若心経」「般若波羅蜜多心経」と呼ぶのではなく、冒頭に「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)や「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて、『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』や『摩訶般若波羅蜜多心経』と表記することもあるとのことですが、各宗派に於いて正式な呼び方があるのかどうかは判りませんでした。

※ 手元にある、「臨済宗妙心寺派日課経典」では『摩訶般若波羅蜜多心経』とありましたし、先述の四国88ヶ所霊場巡りツアーで頂いた「仏前勤行次第」では、単に『般若心経』となっていました。(まさ)

※ 私の新しいブログは、https://sin-masa.hatenablog.jp/ 【老いの途中で…(Part 2)】です。

<今日の夕食>

冷奴/鶏肉炒め/高野豆腐/焼ナス

鶏肉炒め むね肉をオリーブ油で、野菜はピーマンとエリンギ

高野豆腐 昨日の残り物
焼ナス



「般若心経」のこと その2  ~「般若心経」とは~ 

2025年08月24日 19時25分48秒 | その他
「お経」とは?
 「お経」とは「経典」と同じ意味の様ですが、釈迦が口伝された教えを弟子が記録したものを指すようです。

 即ち、「お経」の「経」は経度・緯度の「経」で<タテイト(縦糸)>の意味で、織物の縦糸が真っ直ぐに続いている所から、<スジミチ>をも意味し、真理である仏の教えを表すようになったと言われています。

  そもそも仏教の開祖である釈迦(前463-前383)の入滅後、三、四百年の間は、口頭伝承のみによって教えを継承しました。

 しかし、歳月とともに弟子たちの間で解釈の違いが生じ、それではいけないということで、弟子たちは釈迦の教え(仏典)を、「経(教え)」、「律(戒め)」、「論(道理)」の3種類に整理しました。般若心経をはじめとする「お経」は、この「経(教え)」に属します。
 また、紀元前一世紀頃に文字が導入されると、教えのことばが写本へと移し替えられはじめた

「般若心経」の歴史・由来
 般若心経の由来は、西遊記で三蔵法師として知られている玄奘(げんじょう)が唐の時代にインドから中国に持ち帰った「大般若経(だいはんにゃきょう)」と言われます。玄奘は西暦629年から西暦645年にかけてインドを旅し、帰国後は76部1347巻という数のお経を漢字に翻訳しました。その一つが「般若心経」です。
(まさ)

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<今日の夕食>  仏教のことを記しながら精進料理ではありません

冷奴/牛肉炒め/高野豆腐/じゃこ天
牛肉炒め キクラゲ/玉子や色々な野菜と共に

高野豆腐 久しぶりに高野豆腐を煮付けて見ました

じゃこ天



「般若心経」のこと その1 ~はじめに~

2025年08月23日 18時51分10秒 | その他
 昨日も少し触れましたが、ブログではあまり触れたくないテーマですが、今回は宗教に関係します。
といっても、私はガチガチの熱心な信者ではないし、仏教に関する知識も殆どないので、宗教そのものを掘り下げたものではなく、普通の人が感じる仏教への関心程度のものです。

 このブログに時々書き込んでいますが、我が家の檀那寺は祖父が住んでいた兵庫県の山奥にある臨済宗派の寺院で、先祖の法要時などにはこの寺院の住職に読経をお願いしていますし、祖母が元気な時にはお盆や祖父の命日などには、一家で仏壇の前でお経を唱えることが多かったです。

 ということで、生まれてからこの方80余年にわたり、祖父母や両親の法事などで良く耳にしてきたのは「般若心経」で、お経といえばこれしか知りません。

 数年前に、運転免許証を返納してからは、ご先祖様を納骨している檀那寺の隣にある墓地への墓参りもできなくなりましたので、永代供養は檀那寺にお願いすることにしたものの、ご先祖様のお墓は墓仕舞して、大阪の四天王寺に合葬してもらい、自宅に位牌だけを置いて、お盆などには檀那寺からのお参りをお願いしていました。

  約2年半前にツレアイが亡くなってからは、ツレアイの位牌もご先祖様の位牌と並べて置いて、毎朝読経をするのが習慣となりました。

 余談ですが、ツレアイの遺骨は位牌と共に自宅に置いており、私が死亡したときに一緒に四天王寺に納骨してもらうように子供に依頼しています。(四天王寺の合葬は、件数が多いので、納骨時期が異なると、祭塔が異なることが多いためです)

 ツレアイが亡くなってからは、供養の意味で毎朝この「般若心経」を唱えていますし、2023年9月には四国88カ所霊場巡りに参加しましたが、88カ寺の大半を占める真言宗でもこの「般若心経」は大事なお経のようで、11日の間に200回近くもこのお経に接する機会がありました。


 少し纏めてみると、
・子供の頃は、教本の漢字のフリガナを拾いながら、祖母や両親の読経についていくだけが精一杯で、勿論その内容などには関心もありませんでした。

・年を重ね、このお経にも少し慣れると段々と漢字の方を読むようになってきましたが、その意味など全く判らず、単にリズムとして唱えることが多かったです。

・ツレアイの死後、毎朝唱えるようになり、教本を見なくてもほぼ暗記で唱えることが出来ると共に、細かい意味までは分からなくても何となくその内容が判るようになった気がしてきましたが、読経の際にはリズムが良いように文章の区切りを無視して唱えることが多いし、漢字表示とはいえ日本語の文章ではなく漢文ですし、更に私が知らない漢字も沢山あります。また知っている積りの言葉も仏教的には違う意味のような気もして、もう少し調べてみたいという気持ちになりました。

 要は、毎日意味も理解しないままで唱えているお経の意味を少しでも判れば、毎朝の行事がもう少し充実したものになるのでは・・・ というきっかけでした。

 ということで、2023年の四国88カ所霊場巡り時に「般若心経」に関する入門解説書的な本を持参し、その後も時々この本を目にしていますので、門前の小僧ではなく門外のジジイなりに気付いたことを少し書き記したいと思います。

 但し、「空」という根本思想だけでなく、仏教などの詳しい知識のない私があちこち当たり、ある意味では恐れ知らずの素人が独断と偏見で短期間に纏めたものですから、間違いが多々あると思いますが、好奇心旺盛な老人の早とちりということで、ご容赦下さい。(まさ)

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