<観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄>
その5で述べたように、この段はこの「般若心経」の「起」の部分ですが、一方、結論とでもいうべき部分なので、少し詳しく見てみます。
観自在菩薩:
「観世音菩薩」とも呼ばれる仏さまで、『観自在』は<あらゆる面から自在にものごとを見る>という意味で、『菩薩』は<自分が悟りに達する準備は整っているのに、苦しんでいる人たちを先に悟りの岸に渡らせようとする仏さま>のことです。
行深般若波羅蜜多時:
『般若波羅蜜多』は梵語(サンスクリット語)の「パンニャ」(智慧)+「パーラム」(彼岸=さとりの)+「イター」(到る)の音写で、この言葉は<智慧の完成>ということになり、この段は<智慧の完成のために実践していた時>という意味のようです。
照見五蘊皆空:
先ず、『照見』は、仏教用語で<物事の本質を正しく明らかにすること・見極めること>を意味します。
『五蘊』とは、人間の構成する下記の5つの要素を指すようです。
『五蘊』とは、人間の構成する下記の5つの要素を指すようです。
色;物体としての身体
受;外からの刺激に対する眼・耳・鼻・舌・皮膚の5つの感覚器官
想;感覚器官からの刺激を脳へ送る知覚システム
行;脳が過去の経験を総動員して、その刺激を認識すること
識;認識した結果を判断する心の動き
また「空」はこのお経の神髄で、簡単に言えば一般に使われる<空っぽ>という意味ではなくて、<常に変化するもので、不変のものはない>という意味だといえるでしょう。
従って、この段は<5つの要素の集まりである私たちの体や心の働きは、常に変化するもので不変のものではないと判ったのです>となります。
度一切苦厄:
『度』は<彼岸に渡す>という意味なので、この段は<一切の苦厄(苦しみや、八方ふさがりの状態)から解放されて心が自由になった>という意味のようです。
即ち、この「起」の部で、≪固定観念にとらわれないで、あらゆる面から自在にものごとを見ることで、心も体もすべてが「空」であると知ることができて、苦悩を克服できる≫という、このお経の基本が明記されているのです。
(まさ)
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