秋深まる絶好のシーズンの真っ只中なのですが、ここ数回続けてきた秋の様子の連絡から全く趣の異なる話題になりますが、避けて通りない問題です。
数回に亘りますが、お付き合い下さい。
10月24日付け毎日新聞の科学欄の科学の森というコラムに、「原発のたたみ方(1)」というタイトルで廃炉時代に入った原発を巡る問題が取り上げられていました。
東電福島第1原発事故から8年半余りが過ぎ、各地の原子力施設の「廃炉」が相次いで決まっていますが、これまでに経験のないことで大きな壁が予想されます。
そんな中で、商業用原発で初めての解体に取り組んでいる日本原子力発電(原電)の東海原発(茨城県東海村)を例にして「廃炉時代」の課題を探るシリーズのようで、その第1回目は素人にも判り易く取り上げられていて、興味深く読みました。
この新聞記事を参考にしながら、私なりに問題点を整理して行きたいと思います。
(1)東海原発とは
東海発電所(茨城県)は、日本原子力発電㈱(原電)が日本初の黒鉛炉型の商業用原子力発電所として、1960年1月に着工し、1966年7月より営業運転を開始しました。
私が社会人になった直後で、まさに“原子力時代の幕開け”と騒がれた施設でした。
(2)東海原発の廃炉決定と作業開始
1998年3月31日に営業運転を停止し、廃炉が決定されました。
設計寿命を残しての廃炉は、黒鉛炉特有の効率の悪さもありますが、何よりも発電力の小ささによる効率の低さが理由のようです。(隣に建つ100万kW級発電炉である東海第二発電所とほぼ同大の敷地を使いながら、この東海発電所の出力は16.6万kWでしかないのです)
ということで、2001年(平成13年)12月に 解体作業が開始されました。
(3)当初の作業計画と現状
廃炉の完了予定について原電は当初は2017年度としていました。しかし2010年になって「3年延長する」と発表するなど、これまでに3回も変更し、現在では最初の計画より13年遅れて2030年度としています。
このような作業工程の大幅な遅れは、商業炉としての初めて経験と言う事もあるかも知れませんが、それよりも、問題は放射性廃棄物の処理問題にあるようで、この原因を探って行きたいと思います。(まさ)
数回に亘りますが、お付き合い下さい。
10月24日付け毎日新聞の科学欄の科学の森というコラムに、「原発のたたみ方(1)」というタイトルで廃炉時代に入った原発を巡る問題が取り上げられていました。
東電福島第1原発事故から8年半余りが過ぎ、各地の原子力施設の「廃炉」が相次いで決まっていますが、これまでに経験のないことで大きな壁が予想されます。
そんな中で、商業用原発で初めての解体に取り組んでいる日本原子力発電(原電)の東海原発(茨城県東海村)を例にして「廃炉時代」の課題を探るシリーズのようで、その第1回目は素人にも判り易く取り上げられていて、興味深く読みました。
この新聞記事を参考にしながら、私なりに問題点を整理して行きたいと思います。
(1)東海原発とは
東海発電所(茨城県)は、日本原子力発電㈱(原電)が日本初の黒鉛炉型の商業用原子力発電所として、1960年1月に着工し、1966年7月より営業運転を開始しました。
私が社会人になった直後で、まさに“原子力時代の幕開け”と騒がれた施設でした。
(2)東海原発の廃炉決定と作業開始
1998年3月31日に営業運転を停止し、廃炉が決定されました。
設計寿命を残しての廃炉は、黒鉛炉特有の効率の悪さもありますが、何よりも発電力の小ささによる効率の低さが理由のようです。(隣に建つ100万kW級発電炉である東海第二発電所とほぼ同大の敷地を使いながら、この東海発電所の出力は16.6万kWでしかないのです)
ということで、2001年(平成13年)12月に 解体作業が開始されました。
(3)当初の作業計画と現状
廃炉の完了予定について原電は当初は2017年度としていました。しかし2010年になって「3年延長する」と発表するなど、これまでに3回も変更し、現在では最初の計画より13年遅れて2030年度としています。
このような作業工程の大幅な遅れは、商業炉としての初めて経験と言う事もあるかも知れませんが、それよりも、問題は放射性廃棄物の処理問題にあるようで、この原因を探って行きたいと思います。(まさ)