老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

春を求めて近くの散歩

2023年03月31日 20時32分23秒 | 散歩中に見かけた風景

 春たけなわで好天気とあれば、家事を後回しにしてでも散歩に出かけるのがまっとうな人間だと言い訳しつつ、昨日は近くの散歩へ。 

 厄介なのは、花関係については直ぐにアップせねば季節感が薄れることで、今日から新潟へ雪割草などを観るツアーに参加ですが、このツアーでまた新しい写真が増えることは目に見えていますので、昨日の写真は何とか早めに処理しておきたいと、先日買い求めた小型のノートパソコンを携帯しての参加です。

 前回の沖縄では、携帯したものの夜は飲むのに忙しくてPC作業など全くできませんでしたが、今回は、バスではなくJR利用なので、車内である程度作業できないかという甘い期待です。

 列車内で何とかある程度の作業ができ、幸か不幸か(?)今回は悪い仲間が見つからなかったので夕食時にもそれほど飲まず、ホテルで仕上げましたので、今日のアップが可能となりました。

 ということで、新潟のホテルから、昨日の大阪の自宅近くの散歩で見かけた春の写真を紹介します。(まさ)


近くのマンションの桜のトンネル

大川飛翔橋の上から上流方面を見る(大川の左岸)

同上 下流方面(同じく左岸)

サクラの下を保育園児たちが・・・

同上


ハナイカダ(ミズキ科) やっと葉が出かけた所ですが、もう葉の真ん中には蕾が付いています

同上


ハナズオウ(マメ科)

同上 花をアップするとやはりマメ科の花です


アメリカヤマボウシ(ハナミズキ、ミズキ科)の蕾

ギンモクセイ(モクセイ科) 冬の間もずっと咲いていました


ガマズミ(スイカズラ科) そろそろ開花

同上

ライラック(モクセイ科)も開花

同上


シラユキゲシ(ケシ科) 初見です

同上


ムラサキケマン(同じくケシ科)

オステオスペルマム(キク科)

同上


ヤマモモ(ヤマモモ科) 雄花

同上


ハナニラ(ユリ科) ムラサキ色は良く目立ちます

ニオイスミレ(スミレ科)


コロニラ バレンティナ(マメ科)

シロヤブケマン(ケシ科)

ラッパスイセン

同上

トゲミノキツネノボタン(マメ科)



琉球三山時代の13グスク(城)を巡るツアー その⑦ ~玉城(たまぐすく)城跡/糸数城跡~

2023年03月30日 19時55分19秒 | 旅行/色々な風景

 いよいよ残るは二つのグスクです。

玉城城跡:  南城市玉城村
 標高150m程の丘陵の上に築かれていて、眺望も良いです。
 かってのグスク道は、米軍の建築用資材として搬出されてしまったので、現在は木材で仮歩道(階段)が設置されている。

 石門を潜って内部に入ると、直ぐに拝所が残っています。

糸数城跡:  南城市玉城村

 伝説によると、玉城按司の三男の糸数按司の居城であったという古城です。

 城の構造は比較的単純であるが、西側は自然の断崖を利用し、東側に城門一か所を開く。切石積みのアザナ部分が最も高く、そこからは四方をよく見渡すことができるということです。

 残念ながらアザナは修復中で近づけませんが、見惚れるような素晴らしい城壁で、このツアーの最終訪問地として強く印象に残りました。


 これで、グスクの編は終わりですが、例によってこのツアーで見かけた沖縄の花などを追って紹介します。

 また明日から2日間富山に行く予定ですので、ブログは2日間お休みになりそうです。(まさ)

<玉城城跡>

案内板

かっての城壁やグスクへの道は米軍に建築資材として取り壊されたようです

あの上まで、仮歩道の木造の階段を上ります

見下ろすとゴルフ場があり、そのすぐ近くに海が見えます

石門 ハート形をしていて若い人に人気があるということですが、外側からはハート形が見えません

内側から見ると、少し歪なハート形に見えないこともありません

城壁

拝所跡 手前は石畳の通路です

<糸数城跡>

石碑

いきなり大きな東のアザナ(物見台)が  現在修復中です

城壁跡

同上

同上

同上

同上


大手門から東のアザナへ向かう城壁

同上

同上アップ 野面積みです  修復中で石に記号がつけてあります


大手門(内側から)

同上(外側から)

大手門近くの外側から東のアザナを見る

同上  アザナは切り石積みのようです



同上から西のアザナの方を見る

城壁に沿って西のアザナの方へ

同上 やはりアザナは切り石積みのようです

同上

同上

西のアザナの城壁 切り石積みですが、縦に目地が通っているのが気になります


琉球三山時代の13グスク(城)を巡るツアー その⑥ ~南山城跡/具志川城跡/知念城城跡/垣花城跡~

2023年03月29日 20時00分30秒 | 旅行/色々な風景

 2日目の夜もホテル近くの居酒屋で美味しい沖縄名産をたっぷり飲み食いし、いよいよ最終日。

 今日は雨の心配はなさそうですが、南山地区の6カ所を回るという強行軍です。

 先ずは、その内の4つを紹介します。

南山城跡:  糸満市
 三山時代の南山王の居城とされる城で、12世紀後半に築かれ、出土品から見て14世紀~15世紀が南山城の繁栄した頃だと推測されていますが、1429年に尚巴志に滅ぼされました。

 現在は敷地の大部分は市立高嶺小学校の敷地になっていて、一部の城壁や遺構を残すのみですが敷地内のガジュマルの群生は見事です。

具志川(ぐしかわ)城跡:  糸満市 
 喜屋武(きゃん)岬に突き出た断崖上に築かれた城です。

 城壁の崩壊が進んでいるが、海側の城壁については、外面との組み合わせが綺麗なことから当時崖に足場を組み、外から積んだと考えられています。

 12世紀後半から15世紀中頃まで本城跡はグスクの機能を果たしていたと考えられています。但し、この城に至る道が狭くて大型車は入れないので、町中で下車して20分ほど畑の中の道を歩きました。

知念城跡:  南城市知念
 12世紀末から13世紀にかけて築城され、17世紀末に改築されて番所として使用されたようです。

 ノロ屋敷跡などが残っているが、小高い山の上に築かれ、古い野面積の城壁に囲まれている。

垣花(かきのはな)城跡:  南城市玉城
 14世紀後半の築城と言われていて、野面積の城壁で取り囲まれているが、亜熱帯植物の侵食が盛んで、城跡への進入も大変でした。
(まさ)

 

<南山城跡>

糸満市コミュニティバスの停留所

説明版

神社にもなっています

ガジュマルの勢いが凄い

同上

同上

僅かに残る遺構と城壁。 大部分は隣接の小学校となったようです

 

<具志川城跡>

街の中の角にも、魔除けの「石敢當」があります

案内板

城壁

同上

海は直ぐ下です

海側の城壁

同上

内陸部の城壁

 

<知念城跡>

神の島である久高島が見えるところから下っていきます

案内板

ノロ屋敷跡

門から入ります

門の周りはあいかた積みです

海のそばです

内陸部の城壁

 

<垣花城跡>

案内板

まるでガジュマルの林です

ここから入ります

崩れかけた城壁

同上

最高点からは久高島が見えます




琉球三山時代の13グスク(城)を巡るツアー その⑤ ~首里城跡と王陵~

2023年03月28日 20時32分33秒 | 旅行/色々な風景

 2日目の最後は那覇に戻り、有名な首里城跡です。

 1406年に尚巴志(しょうはし)が居城としてから約500年間琉球王国の中心として栄華を誇った城です。

 私も今まで来たことはなく、2019年に正殿などが焼失した時は“世界遺産だったのに残念!”と思ったことを記憶していますが、今回奥平講師のお話で、

・首里城は王家の争いや火災・戦争などで少なくとも4回は焼け落ちている。本土復帰後に復元されたが、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としての世界遺産の構成要素は琉球時代のグスクで、首里城に関しては戦後に復元された正殿などは対象になっていない。 

・また、沖縄戦と戦後に琉球大学が城跡内に建設されたことで現在ではごく一部だけが残っているだけ。

ことを知りました。

 しかしながら、現存する城壁などは素晴らしいもので、もう雨の心配のないこともあって、あちこちと見学しましたが、全く見飽きませんでした。


 この首里城跡を見た後は、激しい戦禍を免れたという近くにある首里公園内の円覚寺跡と、世界遺産構成要素になっている玉陵(たまうどぅん)に立ち寄りましたので、併せてお知らせします。(まさ)

<首里城跡>    世界遺産

有名な守礼の門

円比屋武御獄石門の内側

同上 世界遺産の石碑

歓会門(かんかいもん)

同上

城内の花壇

瑞泉門(ずいせんもん)

同上

龍樋(りゅうひ) 龍の口から水が湧き出ています

漏刻門

日時計

広福門

万国津梁の鐘


大龍柱補修中

京の内(庭園)からの門 右側には亀甲積の石垣も見えます

城壁


修復中の基壇部分

経世門

東のアザナ(物見台)

同上

同上から見た城壁


淑順門から外へ

城壁 石敢當がよく判ります

城壁

同上


<円覚寺跡>

総門と放生池

石橋

石橋の欄干の獅子の彫刻 戦禍を免れたのはこの獅子のお陰だと言われています

円鑑池と弁財天堂

この池にいるノバリケン カモの仲間らしいですが、少し不気味な感じも

 

<玉陵(たまうどぅん)>   世界遺産

石碑
厨子

東室

中室と西室

石垣の上の獅子のお守り


琉球三山時代の13グスク(城)を巡るツアー その④ ~今帰仁城城跡/浦添城跡~

2023年03月27日 20時17分50秒 | 旅行/色々な風景

(丁度サクラや色々な花の最盛期になったので、そちらを優先してしまい琉球の城巡りが中断しましたが、5日ぶりにこちらに戻ります。)

 第2日目は、中城城跡を何とか雨に合わずに回ってから、このツアーで唯一立ち寄る北山地区の今帰仁(なきじん)城跡に向いましたが、途中から雨が降り始め次第に激しい雨になってしましました。

 カッパ姿で傘をさしながら見学し、近くのお菓子御殿という所で昼食を摂ってから、那覇近くの浦添(うらぞえ)城跡へ。

 その後、那覇の首里城に向かったのですが、先ずはこの2つの城跡を紹介します。


(1)今帰仁城跡
(なかなか読めませんが「なきじん」です) 国頭郡今帰仁村 ここも世界遺産です。

 琉球三山時代の北山王が拠点とした城で、面積も広く川や谷の急斜面に守られた優れた防御地勢の城です。

 この城壁に使用されているのは同じく琉球石灰岩ですが、今まで見てきた城のものよりも少し硬そうな感じですが、雨に濡れていたためか少し黒っぽく見え、綺麗な曲線の城壁は素晴らしいものでした。

 雨のために急いで回ったし、十分な写真が撮れなかったのが残念で、是非とも好天気の時に再訪したい城でした。

 

(2)浦添(うらぞえ)城跡/ようどれ: 浦添市
 首里に近い浦添城は、12世紀-15世紀初頭にかけて舜天、英祖、察度の3王朝10代にわたって居城した所との伝承を持ち、断崖の上に築かれています。

 最初に城跡北側崖下に設けられた掘込墓である「ようどれ」に行きましたが、ここは13世紀頃に英祖王と尚寧王の一族が葬られたとされています。「ようどれ」は夕凪の意で、別名を極楽陵とも言うようです。

 その後、崖の上にある城跡に行きましたが、この城跡にある表示で、ここが映画「ハクソーリッジ」の舞台となった前田高地跡だということを知りました。

(※ 映画「ハクソーリッジ」は、私も2022年8月18日に「終戦日前後のこと ~反戦と良心的兵役拒否者~」という題でこのブログでも紹介しましたが、2016年製作のアメリカの伝記映画で監督はメル・ギブソンです。
 良心的兵役拒否者 (Conscientious objector)として初めて名誉勲章が与えられた衛生兵 (Combat Medic) として従軍したデズモンド・T・ドスの沖縄戦における実体験を描いた戦争映画ですが、その戦闘場面の激しさでも有名です。尚、映画の撮影場所はニュージーランドだったようです。)

 この城は、沖縄戦では那覇防衛の重要拠点として重視され、日本軍は前田高地と名付けて(※ 映画の題名のハクソー・リッジ<Hacksaw Ridge、弓鋸尾根>は米軍の呼び名のようです)、死守に拘ったために米軍との間で激しい争奪戦、攻防戦が約3週間の間繰り広げられたということです。

 このため、城壁などの殆どが破壊されたが、城壁の基礎、敷石遺構などが確認され、浦添市の手で修復中です。

 またここには沖縄特有のガマ(石灰岩の自然洞窟)が多くあり、避難していた多くの住民が亡くなったようです。(まさ)

<今帰仁城跡>

石碑

外郭跡

同上

拝所

大隅(ウーシミ)の城壁

同上

丙郎門から内部へ

大隅(ウーシミ)の内部 ここは兵馬の訓練場だったようです

同上 雨に濡れて石が黒っぽいです

同上

同上 城壁を見る


カーザフ 石切り場だったようです

大庭(ウーミヤ)への石段 これは後に付けられたようです

同上 上から

大庭(ウーミヤ)への旧道 雨で滑りそうなので避けました

御内原(ウーチバㇽ)から大隅(ウーシミ)と城壁を見る

同上 城壁のアップ

御内原(ウーチバㇽ)から志慶真門郭〈シゲマジョウカク〉と城壁を見下ろす

御内原(ウーチバㇽ) 城主に使える人々が居住していたようです

御内原(ウーチバㇽ)から城壁を見る

当時の船 グスク交流センター内

 

<浦添城跡>

「ようどれ」説明板

「ようどれ」への入口 奥のアーチ門を降りる

「ようどれ」断崖の下の横穴です

「ようどれ」の下の段から城壁を見上げる
この断崖の上が前田高地と呼ばれていて、この崖を巡る攻防戦が映画「ハクソーリッジ」の元となったようです


断崖の上 修復された城壁の一部

同上

映画「ハクソーリッジ」の案内

城跡内 沢山のガマがあったようです

那覇の方を見る 右手上のクレーンのようなものが見える所が首里城跡らしいです

修復中の城壁