老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

河川敷に秋の気配を求めて・・・

2023年08月31日 20時19分59秒 | 散歩中に見かけた風景

 先日淀川河川敷で秋の野草たちを見つけてすっかり嬉しくなり、昨日もカメラを手にブラリ。

 よく見ると、あちこちで秋の花たちに出会えましたが、人間がまだ「暑い!暑い!」とボヤいている間にも、植物たちはしっかりと秋を感じて備えているのです。

 人間の鈍感力に改めて気付かされました。(まさ)


キバナコスモス(キク科) 阪急電車も見えます

同上

同上


センニンソウ(キンポウゲ科)一気に増えた感じです

同上

ヒシ(ミソハギ科)

オオイヌタデ(タデ科)


ガガイモ(ガガイモ科)

同上


タカサブロウ(キク科)

同上

ミズヒマワリ(キク科)

ジュズダマ(イネ科)


イヌゴマ(シソ科)

同上


キンエノコロ(イネ科)

同上


ニガヨモギ(キク科)?

同上


クルマバザクロソウ(ザクロソウ科)

マツバボタン(スベリヒユ科)

キカラスウリ

ニラ(ユリ科)


以下は先日紹介した野草たちです、違う角度から

ツノクサネム(マメ科)

同上

同上

メドハギ(マメ科)

同上

メリケンムグラ(アカネ科)

コニシキソウ(トウダイグサ科)

キツネノマゴ(キツネノマゴ科)


身近な言葉の語源  文化などに関するもの その③ ~どさ回り/とり~

2023年08月30日 19時22分26秒 | 面白い言葉や語源など

 今朝5時過ぎに尿意を催しトイレに行きましたが、何故か空が真っ赤になっているのに気付き、水分補強がてら台所に行った序に、ベランダから空の様子をパチリ。

 いつも夜中に2~3度はトイレに行くのですが、このような綺麗な朝焼けに気付いたのは初めて。何か儲けたような気持でした。

 午後から河川敷の散歩に出かけましたが、写真を撮りすぎて整理が追い付いていませんので、今日も言葉の話題です。
 
 何れも、かっては芝居などで使われ、一般化した言葉です。

どさ回り:
 “劇団・芸人などが地方回りをすること。また、決まった劇場を持たず、もっぱら地方回りをする劇団”或いは最近では、“地方の支店などに配置転換になること”などを意味しますが、その由来については諸説ある様です。

◆奥州東北では「・・・ということだ」を「ドサア」というので、「ドサア」言葉の田舎に行って興行する芝居のことを、「どさ回り」と言った。

◆流刑地であった佐渡ヶ島が、絶海の孤島であったことから「どさ」が「地方・田舎」の意となりになぞらえて使用された隠語。

◆大雨になると雨漏りがして休みになるような田舎芝居という意味で田舎回りを意味するようになった。

 

とり:
 トリとは、元々、寄席の用語で、“寄席で最後に出演する人。いくつかある演目のうち最後を締めくくる人。また、その演目”を言います。

 その由来については、

 寄席の興行収入は、寄席の経営者側と芸人のギャラに分けられるが、そのギャラは、最後に出る主任格の真打が全て受け取り、芸人達に分けていた。

 演者の最後を取る(真を打つ)ことや、ギャラを取るところから、最後に出演する人を「トリ」と呼ぶようになった。

 上記の意味から、「トリ」を漢字表記する場合、本来は「取り」であるが、トリになる人は主任格であることから、「主任」の漢字が当てられていた。

 現在ではギャラの受け取りに関係なく、最後に出演する人を「トリ」と呼ぶようになっています。(まさ)

<※ この「身近な言葉の語源」については、「語源を楽しむ」(ベスト新書 増井金典著)や「語源由来辞典」などを参考にさせていただいています>


朝焼けの空

同上


野菜たっぷりの今日の夕食 冷奴/野菜炒め/カツオたたき

野菜炒め 牛バラ肉とキャベツ/ピーマン/マイタケ

カツオたたき 見えないくらいにタマネギ/青ネギ/ニンニク/青シソがタップリです


身近な言葉の語源  文化などに関するもの その②  ~千秋楽/一日千秋~

2023年08月29日 19時12分54秒 | 面白い言葉や語源など

 もうすぐ9月だというのに、天気予報ではまだまだ暑さが続きそうです。早く「秋」になって欲しいとの希望を込めて、今日は「秋」を含む言葉についてです。

千秋楽:
 “芝居・相撲などの一つの興行期間の最終日。最後。終わり。”を「千秋楽」と言いますが、<語源由来辞典>に拠れば、その語源については、以下の通り諸説あります。

◆雅楽演奏の最後に「千秋楽」という、唐楽に属する盤渉調(ばんしきちょう)の曲が奏じられたことに由来する説。

◆演能の最後に付け祝言として謡われた「千秋楽」に由来する説で、この説の中には、謡曲『高砂』の終わりの「千秋楽」の句を謡ったことからといった説もある。

 尚、「千秋楽」が物事の終わりの意味で用いられ始めたのは近世前期と考えられ、歌舞伎などの最終日を意味したのは、それよりも早い時期からといわれる。

 

一日千秋(いちじつせんしゅう):
 “一日が非常に長く感じられること。待ちこがれる気持ち”に言い、「いちにちせんしゅう」とも読みますが、その語源は「一日三秋」です。

 「一日三秋」の出典は、中国最古の詩集『詩経』の「王風・采葛」で、意味は一日千秋とほぼ同じ、一日会わないだけでも三年経ったように感じられるほど情愛が強いことを表しています。

 「一日千秋」は日本で使われるようになった四字熟語で、「三秋」よりも「千秋」とした方が長く感じられることから。また、「さん」と「せん」の音が近いことからと考えられています。

 さて、上記の何れにも共通するのは「秋」ですが、「秋」は収穫の時期で、一年で最も重要な時であり、一年の基準にされていたので、「年」を意味するようです。

 また、「千秋」は「長い年月」の意味で「千歳(せんざい)」とも言い、「万歳(まんざい)」とともに祝意をこめて用いられることが多いようです。(まさ)

<※ この「身近な言葉の語源」については、「語源を楽しむ」(ベスト新書 増井金典著)や「語源由来辞典」などを参考にさせていただいています>


河川敷も徐々に秋の気配 

2023年08月28日 19時22分49秒 | 散歩中に見かけた風景

 昨日は、河川敷のテニスコーチに出掛けたのですが、まだまだ厳しい暑さが続いているので、早々に退却。

 帰路は時間的に余裕があったので、道の両側をキョロキョロしていると、あちこちに秋の気配が感じられる野草も目に付きましたが、生憎とカメラを持っていなかったので、今日改めてカメラを手にして河川敷へ・・・

今日も厳しい暑さでしたが、やはり色々な花も目立つようになっていて、撮ってきました。 今日の河川敷の様子を紹介します。


テニスコートはまだ真夏の様子

湧き上がる雲も真夏と同じです


キツネノマゴ(キツネノマゴ科)

同上

メリケンムグラ(アカネ科)

同上


メドハギ(マメ科)

同上


ツノクサネム(マメ科)

同上


オオニシキソウとコニシキソウ(トウダイグサ科)
背が低くて、葉に斑点があるのがコニシキソウです

オオニシキソウ

同上

コニシキソウ 花はオオニシキソウとほぼ同じです


ミズキンバイ(アカバナ科)

エノコログサ(イネ科)

キカラスウリ(ウリ科) もうこんなに色付きました


昨夜のお月さん 月齢10.7 久しぶりに雲の合間から見えました。
31日は今月2回目の満月なので、楽しみにしています。


身近な言葉の語源  文化などに関するもの その①  ~「けち」と「だめ」~

2023年08月27日 20時04分40秒 | 面白い言葉や語源など

(まだまだ暑さが続いていて、花の写真が撮りにくいので、今日も言葉に関する書き込みです)

 普段何気なく使っている言葉ですが、私は囲碁をやりませんので、この二つの言葉が囲碁に関係する言葉だと聞いても、その由来は全く判りませんでした。

 

けち:
<Goo辞書〉に拠ると、「けち」(「吝嗇」とも書く)については、下記の説明があります。
1.むやみに金品を惜しむこと。また、そういう人や、そのさま。
2.粗末なこと。価値がないこと。また、そのさま。
3.気持ちや考えが卑しいこと。心が狭いこと。また、そのさま。
4.縁起の悪いこと。不吉なこと。また、難癖 (なんくせ) 。
5.景気が悪いこと。また、そのさま。不景気。

 その、由来としては、下記の二つが挙げられていますが、上記の1./2/3については(A)が、4/5(については(B)が相当するように思われます。

(A)囲碁用語の「けち(結・闕)」は、対局の終盤で決まらない目を詰め寄せることで、いわゆる「駄目」のことである。

(B)「ケチをつける」や「ケチがつく」の語源と同じく、不吉なことを意味する「怪事(けじ)」が訛った語

 尚、「吝嗇」の「吝」は”ケチ”、「嗇」は”モノを惜しむこと”を表しています。そして、この二つの言葉を重ねることで、意味を更に強調しています。

 即ち、「吝嗇」は単にモノを惜しむのではなく、”むやみに、度を越えて金品を惜しむ”という意味を持つのがポイントです。


だめ(駄目):
これは、<Goo辞書>に拠ると
1.よくない状態にあること。また、用をなさない状態にあること。また、そのさま。
2.効果がないこと。また、そのさま。
3.しようとしてもできないこと。また、そのさま。不可能。
4.してはいけないこと。
5.囲碁で、両者の境にあってどちらの所有にもならない目。
6.演劇などで、演出・演技などの悪い点についての注意や注文。
とあり、その由来については、

<語源由来辞典>に拠ると、“囲碁用語で、双方の境にあってどちらの地にも属さない所を意味し、この場所に石を置いても自分の地とならず、無駄な目になることから、駄目は「やっても甲斐のないこと」「してはいけないこと」を意味するようになった。“とあります。

 また、「駄目を押す」という使い方も良くされますが、これは“間違いないとわかっていることを、念のためにもう一度確認すること”を意味しますが、囲碁で陣地にならない(勝敗に関係ない)駄目に石を置いて自分の地(陣地)を再確認することから出てきた言葉のようです。

 更に、これから派生して“試合などで、ほとんど勝ちが決まってから、さらに得点を重ねたりして、勝ちを確定的なものにする”意味を持つようにもなったようです。(まさ)

<※ この「身近な言葉の語源」については、「語源を楽しむ」(ベスト新書 増井金典著)や「語源由来辞典」などを参考にさせていただいています>