老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

洛北の秋  その①  蔓珠院門跡

2019年11月27日 20時46分23秒 | 旅行/色々な風景
 この時期は私の大好きな紅葉が堪能できる絶好の時期です。
私は昔からお花見も紅葉狩りも大好きなのですが、年を重ねるにつれ紅葉により惹かれるようになってきました。
加齢に伴う必然的な傾向なのかも知れませんが、花見よりも紅葉の方が楽しめる時期が余り狂わないのが有難いですね。

 先日も予てから楽しみにしていた滋賀県の鶏足寺に行ったばかりですし、次週にもツアーの申し込みをしているのですが、11月23日(土・祝)はいつもどおりに起床したところ余りの好天気で外出したいと思いが強くなりました。

 日頃は人出を避けて土・日・祝の外出は控えているのですが、今回は好天気に恵まれた連休中なので、中断中で人の少ない京街道歩きか、それとも混雑を覚悟の今が見頃の京都の紅葉名所巡りかを悩みました。
結局紅葉の見頃を逃したくないとの希望が強くて、後者を選び、今迄足を伸ばしたことが無い叡山電車の修学院駅から一乗寺駅の間の紅葉の見所を歩くことにしました。

 急遽決めた外出なので、9時半頃の遅い出発となりましたが、京阪電車で終点の出町柳に向いました。
乗車したのが始発駅ではなく北浜駅だったので、出町柳までの約1時間は立ったままでしたが、出町柳についてビックリ。何と叡山電車のホームに入るのに長蛇の列が出来ていましたし、駅前のタクシー乗り場も同様です。

 諦めて帰ろうかとも思いましたが、駅員さんに聞くと鞍馬行きの電車は暫く時間がかかりそうだが、比叡山口行きの方は少し待つだけで入れそうとのことでしたので、この列に並びました。

 電車も臨時ダイヤになっているようで、15分程度の待ち時間で電車に乗り込み、修学院駅で下車。
ここから、蔓珠院門跡/園光寺/詩仙堂と3ヶ所を巡りましたので、順番にお知らせしたいと思います。


 さて、蔓珠院門跡ですが、ここは地図の上では修学院駅が近いのですが、駅前で聞くと道が非常にややこしくて迷う恐れがあるようなので、結局白川通りを一乗寺駅の近くまで引き返して、蔓珠院通りと名付けられた道を辿りましたが、この道は大型車両が通らないものの、詩仙堂/園光寺に向う人達が多くて、やはり私のように少しでも人の少ない場所を選ぶ人が如何に多いかを実感しました。

 趣のある静かな住宅街の中の道を歩くこと約20分で蔓珠院門跡に到着。
寺碑がある辺りから始まるカエデのトンネルを過ぎると、勅使門に到着。この両側は白い築地塀と色鮮やかなカエデの対象が鮮やかで絶好の見所でした。

そ の後、庫裡から入り瀟洒で軽快な大書院や庭園を拝観しましたが、院内はそれ程多くの観光客と重ならずに、歴史的な建物と共に、正にこの時期ならではの景観を楽しむことが出来ました。


 この蔓珠院門跡は、寺伝では延暦年間(782-806)に伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされますが、円仁、安恵らを経て、天暦年間(947-957年)是算国師の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したといわれ、曼殊院ではこの是算を初代としているようです。

 その後も色々と移転を繰り返しましたが、曼殊院を東山山麓の現在地に移し、寺観を整えたのは29世門主の良尚法親王であり明暦2年(1656年)のこととされており、現在ではこの曼殊院門跡は洛北屈指の名刹となっています。

 
 尚、門跡寺院とは皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のことで、この蔓珠院門跡は青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられているとのことですが、勅使門の両側の塀に残る五本の白い筋はその格式を今に伝えるもののようです。

 枯山水庭園は小堀遠州の作と言われるが、遠州は曼殊院の当地移転以前の正保4年(1647年)に没しており、実際の作庭者は不明です。

 庫裏玄関には、「媚竈(びそう)」の扁額がありますが、論語八佾編にある「権力者に媚びず、竈(かまど)で働く人々に感謝する」、つまり働く人々への労りを表したものと伝わっています。


叡山電車出町柳駅でホームへの入りを待つ人の行列

蔓珠院門跡の石碑

勅使門

白い築地塀とモミジの景色

同上

同上。白壁には5本の横線がありますが、これが門跡寺院の特徴の様です

同上

杉苔の上の散りモミジ

白い築地塀とモミジの景色

庫裡入口 「媚竈」の扁額が見えます

坪庭

窓から見る書院への渡り廊下

庭園 鶴島

庭園 亀島

書院内(撮影禁止でしたが、ついパチリ)

庭園

手水鉢

弁天池に映えるモミジ

弁天島の橋とモミジ

途中で見かけた小川の散りモミジ