老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

丹波路のフジ他 その② ~白毫寺~

2018年04月30日 19時36分40秒 | 旅行/色々な風景
.jp/user_image/2e/e0/8346c728c9e84a0bd3088e1d239337dc.jpg" border="0"> ここは今回の主目的で、九尺藤という名で呼ばれている藤が有名です。

 同寺の縁起によれば、慶雲2年(707年)開基という古い天台宗の寺院で、古刹らしく太鼓橋や薬師堂などの由緒ある建造物も多くて見所一杯です。

 フジ棚は山のふもとにL字型に配置されており、9尺は少し大袈裟にしても1m以上の房がまるでカーテンのように垂れている様子は見事で、このフジ棚の下に配置された椅子に座り、視覚と嗅覚で楽しんでおられる方が沢山おられました。

 また、山間部の木立のなかにはシャクナゲも植わっていますし、境内に数多く植わっているノムラモミジの紅葉した様な赤い葉も周囲の新緑を引き立てていました。

 道中や駐車場近くで、タンポポに似て少し背の高い黄色い花を見受けましたが、これはブタナという名前の外来植物のようです。まだ、淀川河川敷では見掛けていませんが、その内に進出してくるのでしょうか。(まさ)


見事なフジで

白毫寺の石碑

入って直ぐ目につくのが、おきな石像の七福神

フジ

同上

同上

高台から見たフジ棚

山間に植えられたシャクナゲ

薬師堂。ノムラモミジの葉が引きたててくれます

古い太鼓橋。これは人間の世と仏の世界を結ぶもので、人間が渡る様にはなっていません。

境内にはクジャクもいます

道中で見かけたムラサキサギゴケ(ゴマノハグサ科)

ブタナ(キク科) タンポポと違って、枝分かれして花が付きます

丹波路のフジ他 その① ~白井大町藤公園~

2018年04月29日 19時29分14秒 | 旅行/色々な風景
 今年のゴールデンウィーク初日の昨日は、丹波路まで出かけてきました。

 当初の目的は、丹波市にある白毫寺の9尺フジを見たかったのと、その近くの水分け公園という所に行ってみたかったのです。
しかし、前日に見ていたTVのニュースで、少し離れた朝来市にある白井大町藤公園の大きなフジ棚のフジも見頃という事を知り、急遽ここにも寄ることに決めました。

 また、平日に動ける身としては、ゴールデンウィークはまず移動しないことにしていますが、今年はゴールデンウィークが長く、前日の道路状況チェックでも30日はそれほどの混雑なしという事でしたし、花には見頃があり先日来のチェックで、目的のフジの花はゴールデンウィーク明けでは遅いかと思い、早朝から出掛けることにしました。

 昨日は7時に自宅を出て、中国道の池田インターまで順調に着いたので、シメシメと思っていたら中国道に入ると大渋滞、「こりゃやっぱり失敗か?」と悔やんでいましたが、この渋滞は事故渋滞の様で、宝塚インター手前からはスイスイと走り出しました。
帰路も全く渋滞には会わず、花も見頃でしたし、この日の決行は大成功でした。

 白井大町藤園は、京都府との境界に近い山間部にあるのですが、想像以上の規模で、500m程のフジ棚が設置され、噴水や水車と共に少し高台には沢山のコイノボリも泳いでいるし、駐車場周囲はこれまた沢山のヒラドツツジで埋め尽くされていました。

 フジは丁度見頃を迎えて、沢山の人が来ていましたが、フジ園が広いだけにそれほど気にならず、大好きなフジを堪能しました。

 フジの様子や全体の雰囲気が、何となく昨年訪れた岡山県和気市の藤園に似ていると思っていると、同藤園から譲り受けたフジの木も結構ある様で納得しました。


フジの様子

フジ園と高台で泳ぐコイノボリ

高台から見降ろしたフジ園とヒラドツツジの様子

フジの様子

同上

同上

同上

水車とフジ

噴水とフジ。ピンクのフジは房の長さが少し短いです。

高台で泳ぐコイノボリ

藤園の入口や駐車場の周囲はヒラドツツジがびっしりと植わっています

面白い語源の言葉  その② ~「一か八か」「四の五の言わず」「NEWS」~

2018年04月28日 19時41分27秒 | 面白い言葉や語源など
 昨日の靴下と凧あげに引き続き語源の話題です。語源を改めて調べてみると、「あっ、そうか!」と今更ながら気付かされることがあります。そんな中から、取りあえず3つほどを紹介します。

(1)一か八か
運を天に任せて、勝負に出る時に使いますが、この語源は博打(ばくち)の用語で、漢字の「丁」と「半」の上の部分を取ったものです。
(因みに「丁」は偶数、「半」は奇数を意味します)

(2)四の五の言わず
煮え切らない態度を 「四の五の言う」 と言います。普通は,そういう態度を叱りつける側の言い方として, 「四の五の言わずに」 速くやれ,になります。

 この語源には 2 つの説があるようです。

①言い訳みたいなことを 〈四つも五つも〉 並べ立てることから, 「四の五の言うな」 となりました。別に,四つとか五つという明確な回数をいっているわけではなく,とにかく,いろんな言い訳じみたことをいくつも言うなということです。

②もう一つは(1)と同じく博打由来です。
サイコロ賭博で,「丁」 「半」 を賭けさせるわけですが,壺振りが,壺の中でサイコロを振って,パンッと壺を叩きつけ、賭場の取り仕切り役が, 「さあ、丁か半か」 と客にどちらに賭けるかを促します。

こういう時に,「丁」 か 「半」 か,なかなか決めきれないで,いつまでも迷ってしまう客がいたりすると, 「さあさあ,いつまでも四の五の言わずに,速いとこ張った、張った」 というような調子で催促します。

「四の五の」 で 「丁か半か」 と言っているわけですが、それなら, 「二の三の」 でも, 「一の二の」 でも 「三の四の」 でも 「五の六の」 でも,言い方はいろいろあるわけですが、数が連続しているところで, [し] [ご] と二つとも 1 音 (おん) になるのが 「四」 「五」 のところだけだったので,そこが使われたのでしょう。

(3)NEWS
私は、以前にどこかで聞いた、“方角をあらわす「北、東、西、南」のそれぞれを意味する英語「North、East、West、South」の頭文字”だという意味だと思っていたのですが、この説には言語学的な根拠がなくて、正しくはNEWを複数形化した言葉で、“(複数の)新しいこと”という意味のようです。

やはり、「語源」を正しく知った上で、使いたいですね。(まさ)

面白い語源の言葉  その① ~「靴下」と「凧あげ」~ 

2018年04月27日 19時43分07秒 | 面白い言葉や語源など
 普段は何気なく使っている言葉ですが、いざその語源を聞かれると「?」という言葉が沢山あり、出来る限り調べるようにしていますが、結構面白い理由や歴史などが判ることがあります。

 そんな中で、特に印象に残っている言葉を紹介してみましょう。(この項は、「語源由来辞典」や「NAVER まとめ」などを参考にさせていただきました)

(1)靴下
 先日、新聞で“「靴下」は靴の中にはくものなのに、なぜ「くつなか」や「くつうち」ではなく「くつした」なのでしょうか”という投稿を見て、今までこのような疑問を感じたことがなかったので“そりゃそうや!”と思いながら調べてみました。

 一般に衣類は素肌に近い方が「中」あるいは「内」で、その反対は「外」といいますが、衣服と肌の相対的な位置を表すには「内/外」や「中/外」のほかに、「上/下」という言い方もあるようです。

 この場合の「下」は、上・下関係の下ではなく、“表面から見えない部分、内側”という意味のようです。
例えば「下着」というのは下半身に着るものという意味ではなく、素肌に直接着るという意味で上半身に着るものも「下着」と言いますし、「上着」も上半身に着る服だけでなく、下半身に着るものにも下着と反対の意味で用いる場合があります。

 ということで、「靴下」は靴の「下」、つまり「内側」に穿く「下着」という意味でできた言葉ということで納得できました。

 これとの同じ発想の言葉が「ズボン下」で、現在では余り使われなくなりましたが、いわゆるステテコやパッチと呼ばれるズボンの内側に穿く下着類です。(まさ)


(2)凧あげ (元はタコではなく、イカだった)
 これは、先日何気なくTVを見ている時に、日本に長年暮らす外国人の “なぜ凧あげというのか?”という素朴な質問に対して答えるという番組で紹介されていました。それを要約すると

・この遊びは、中国で生まれた紙鳶(シエン)に由来し、平安時代から源平・鎌倉時代を経て室町期になって、「イカノボリ」「イカ」などと呼ばれました

・江戸時代になり、町民の間で盛んになり、江戸でも、京、大阪でも大人が揚げ、喧嘩をし、凧によるケガ人や死者まで出るようになったり、大名行列の中に落ちるなど、事件が頻発するようになった。

・これにより、明暦元年(1655年)に幕府より、「町中にてのイカノボリを揚げることを禁ず」との禁止令が出たが、庶民には人気の娯楽だったのでやめたくないということから、「これの名前はタコです、イカではありません」というへりくつのような言い訳をつけて、タコという名前に変わったといわれています
また、この時代に「凧」と云う中国にない言葉が日本で作られたとされています。

 このように、京・大阪の上方に対抗意識を持つ江戸町民が、幕府にも対抗し、イカでなくタコだと云って、江戸っ子の凧揚げがますます盛んになったようで、凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西では「イカ」「いかのぼり」(紙鳶とも書く)と呼ばれていたようです。(まさ)

ハレの食べ物とケの食べ物

2018年04月26日 19時24分26秒 | 食べ物
 このブログで紹介している我が家の「食べ物」は、身近な材料で季節を感じられるものとか昔懐かしいものを紹介するつもりでしたが、振り返るとやはり頂いたり、市場などで目についた珍しい材料などを使った豪華なものも結構あります。

 昨年1月13日付けのこのブログで、『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴著 グラフィック社)を紹介すると共に、基本的な料理への考え方としては、

◆日本には特別な状態や祭りごとを表す「ハレ」と、これに対して日常を表す「ケ」という概念があり、料理については、前者は「神様のためにつくる、手間を掛けて作る特別なお料理」であるのに対して、後者は「人間のための料理、すなわち手間を掛けない日常の“家庭料理”」である。

◆しかし、TVなどで紹介されるハレのお料理を、日本食だと思い込んで、ケの食卓に持ち込もうとして、毎日の献立に悩んでストレスを感じる人が多くなると共に、日本の家庭料理は失われつつある。


という指摘に非常に納得したことを書き込みました。


 しかし、今までも紹介してきた我が家の食事紹介に見られるように、冷凍・保管・流通などの著しい進歩で、今まで入手が難しかった美味しそうな食材が簡単に入手できるようになり、食糧難の時代を経験した身としては、これらの食材を見掛けるとつい日常の食事にも取り入れてしまう事が多いです。

 これだけ、日本の食材が豊かになったという事でしょうが、更に考えてみると食事に関して色々なニュースソースから刷り込まれた強迫観念があります。曰く、健康の為には
・3食キチンと摂る
・栄養の偏りをなくし、バランス良く摂る
・特に、タンパク質や野菜は欠かさないようにする
  云々…


 これにも増して、最近の我が家の状況としてはツレアイが体調を崩して私が夕食を担当する機会が多くなったので、私が担当しだしてから栄養が偏ったとか、料理の種類が少なくて単調になったとかがないように心がけようとして、余計に気を遣っていることもあるでしょう。

 おかげで、「ハレ」のような料理になっている日が多いことに気付きました。
今後は、もう少し『一汁一菜でよいという提案』を取り入れて、「ケ」の日の料理に戻さねばと考えています。(まさ)