老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

初冬の咲くやこの花館 その② ~熱帯区域の花~  

2021年11月30日 19時45分44秒 | 旅行/色々な風景

 続いては、熱帯区域ので見かけた花たちを紹介します。

 もう11月も今日でお終い!
ツレアイがグループホームに入ってから1ヶ月以上経過したと思っていたら、施設に預けているツレアイの健康保険所のコピーが必要になり、これを貰いがてら先日仕込んだ吊るし柿の2回目が出来上がったので、この吊るし柿を差し入れにもっていってやりました。(まさ)


ブーゲンビレアの花はよく見ると非常に面白いですが、これはオシロイバナ科植物です。
同上
アワプヒ・クァヒウィ(通称:ハワイアン・シャンプー、ショウガ科)

ローソクノキ(ノウゼンカズラ科)
同上 本当にローソクみたいです

ピンポンノキ(アオイ科)
ジュズサンゴ(ヤマゴボウ科)

同上 花

同上 実
オオコチョウ(マメ科)

同上
ウナズキヒメフヨウ(アオイ科)

同上

コウシュウカズラ(キントラノオ科)
同上
チャボイランイラン(バンレイシ科) イランイランの小型という感じです。(小型のニワトリのチャボは漢字では「矮鶏」となり、小型という意味になります。)


2回目の吊るし柿。 左側が最初の分ですので、今回の方が少し大きめです。


初冬の咲くやこの花館 その① ~水生植物とランなど~

2021年11月29日 19時30分08秒 | 旅行/色々な風景

(今日は11月29日、「いい肉の日」だと覚えていたのでこれにあやかってステーキを食べましたが、「いい服の日」でもあったそうです。こちらは普段の服で失礼しました。とにかく11月は色々な記念日が多くて大変です)

 1週間ほど前、鶴見緑地のテニスコートに行った帰りに、鶴見緑地内の「咲くやこの花館」に立ち寄りました。

 毎年、この時期に行くと来年度のカレンダーがいただけるので必ず行っていますが、その日は偶々無料開放の日(大阪市内在住の高齢者である私は、年中無料ですが)とかで、いつもはひっそりしている館内も多くの人で賑わっていました。

 花を見るのが大好きな私も、この館内では通常では目にできない珍しい植物が多いので、写真に撮った植物の名前が判るように、写真を撮る度に持参のメモに案内板の名前と、花の特徴(例えば、「ピンクの小さな花が密集」とか)を書いておくようにしていますので、一回りするのに結構時間が掛ります。

 とりあえず、入口付近や入ってすぐの水生植物やラン類を紹介しましょう。(まさ)


入り口近くで目についたソラナム・ラントネッティ(ナス科)

同上

<水生植物>
スイレン
同上

クリヌム・アメリカヌム(ヒガンバナ科)

ミズオジギソウ(マメ科)

<ランの仲間>
メディオカルカ・デコラツム
ケラトスティリス・レティスマアマ

パフィオの仲間
同上

ブルボフィルム・エリザベス・アン・ハックルベリー

同上


アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)

2021年11月28日 19時22分32秒 | その他

 昨日書き込みした「北」「北国」というテーマの下書きをしている時に、毎日新聞(11月21日付)で評論家の池上彰氏と作家の五木寛之氏の対談を目にしました。

 私の大好きな作家である五木寛之氏について少し紹介させていただきたいと思ったのですが、これを始めると非常に長くなりますので、今回は簡単に、下記の紹介で止めておきます。

 ・私より10歳程年上で、1966年の「さらばモスクワ愚連隊」で強烈なデビューをされ、その後「蒼ざめた馬を見よ」で、直木賞を受賞されましたが、何といっても代表作は、伊吹信介を主人公とする「青春の門」でしょう。

 ・また、北朝鮮で終戦を迎え、帰国途中で肉親を亡くされるという過酷な環境を経験された影響もあると思いますが、作家として脂ののっている1981年からは執筆活動を一時休止し、龍谷大学の聴講生となり、仏教史を学ばれ、浄土真宗に帰依されたという経歴で、それ以後の作品には、彼の代表作の一つとなる「親鸞」以外にも、宗教観や被差別者の実態に触れる著作も多くなりました。

 ・一言だけ、私の全く個人的なことですが、1981年版映画「青春の門」のイメージソングとして広まった山崎ハコが唄っていた「織江の歌」(作詞:五木寛之、作曲:山崎ハコ)の曲はよく覚えています。博多弁というよりは筑豊弁というべき歌詞で、中でも“信ちゃん、信介ちゃん うちはあんたに逢いとうて…”というメロディーと歌詞は、いまだに浮かんできます。


 さて、今回の主題の同氏と池上彰氏との対談のことですが、主なテーマはジェンダー(社会・文化的に形成された性差)意識の高まりに伴う表現の難しさについてでしたが、この中で五木氏は“自分自身が注意しているつもりでも「女流作家」とか、「女々しいい」「雄々しい」などを無意識に使うことがある”。

 これらは幼い頃から身に染みている「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」で、“正直言うと自分の中にこれほどの偏向や偏見が詰まっているのかと気づくと絶望的になる”というようなニュアンスの発言もされています。

 確かにご指摘の通りで、私なども今まではツレアイとの関係を含めた女性のことや、介護のことについてもある程度理解をしているつもりでしたが、いざツレアイの認知症が進むと自分の中のアンコンシャスバイアスが色々と表面化してしまうことに気づき、唖然としたことが何度もあり、この五木氏の発言は痛いほど理解できます。

 また、この対談の中で、五木氏はアフリカ系米国人のボクシング選手であったカシアス・クレイ(後に、ムハンマド・アリに改名)との対談にも触れ、彼が言葉の問題について、“ブラックマーケット(闇市)、ブラックリスト(指名手配)、ブラックメール(脅迫状)などという言葉があるように、生活の中で『黒=悪』との観念があり、みんながこのような言葉を使っている限り自分たちは絶望的だ…”と話したことも紹介されています。

 デザインや服飾の分野では「カラーイメージ」という専門分野があるように、夫々の色が持っているイメージが当然あり、「暖色」とか「寒色」とかいう分類もありますが、これと同様に東西南北という方位についてもそれぞれのイメージがあるのは仕方ないことでしょう。

 前回触れた、「北」または「北国」を織り込んだ歌謡曲が多いのも、このアンコンシャスバイアスに由来する部分が多い事を改めて思った次第です。(まさ)


きょうは昼前に淀川河川敷にテニスに行ったのですが、雲一つない西の空に月齢23.2の下弦の月に近いお月さんが見えました。


「北」あるいは「北国」に何故魅かれる? 

2021年11月27日 19時17分55秒 | その他

 少し前のことになりますが、TVで小林旭の歌特集をやっていてパソコンをいじりながら見ていました。

 私たち世代が慣れ親しんだ歌が多く、「北帰行」(作詞・作曲: 宇田博)、「北へ」(作詞:石坂まさを 作曲:叶 弦大)、「熱き心に」(作詞:阿久悠 作曲:大瀧詠一)などを口ずさみながら聞いていましたが、フト思ったのはこれらの曲だけでなく、多くの歌謡曲が「北」を大きなポイントにしていることでした。

 改めて思い出してみると、これらの曲だけでなく、「北」や「北国」を曲名や歌詞に織り込んだ歌謡曲は、沢山あります。直ぐに思い出すだけでも、
 北国行きで/朱里エイコ (作詞:山上路夫 作曲:鈴木邦彦)
 逢いたくて北国へ/小柳ルミ子 (作詞:橋本 淳 作曲:井上忠夫)
 北の宿から/都はるみ (作詞:阿久 悠 作曲:小林亜星)
 北国の春/千昌夫  (作詞:いではく 作曲:遠藤実)
 北酒場/細川たかし (作詞:なかにし礼 作曲:中村泰士)
などがあります。

 更に北海道の地名を入れた曲となれば数知れず、歌謡曲に疎い私が思い浮かべるだけでも、知床旅情・襟裳岬・石狩挽歌などと有名な曲がありますし、これ以外に札幌・函館・小樽・津軽海峡などの地名が入った歌謡曲は数知れないでしょう。

 また、歌謡曲以外でも、長年にわたり出演者が変わらなかったことで有名なドラマ「北の国から」もあります。


「北」とか「北国」を主題とした歌謡曲が、「なぜこんなに多いのか?」、ということは「北や北国が、なぜこんなに人々を引き付けるのか?」と同じことだと思いますので、この点について少し考えてみたいと思います

 上に挙げた歌謡曲やその他の歌の内で、かってのニシン漁の活況が亡くなりさびれていく北海道を唄った「石狩挽歌」などは別にしても、他の多くの曲は失恋/別れ/現在のつらい境遇などから逃れて(極まれに、北に住む恋人を追って・・・)、或いは再出発を目指して「北」或いは「北国」を目指したり、懐かしむ歌なのです。

◆まず、「北」はとも角として、「北国」という言葉は現在ではほとんど使われない言葉なのではないでしょうか。そしてどの地域を指すのでしょうか?

・かって大阪―新潟間を走っていた「急行きたぐに」という列車がありましたが(2012年3月ダイヤ改正により運行が終了)、「北国」というイメージは人によって大きく違うでしょう。

・我々比較的暖かい地方に住んでいる人にとっては、北海道だけでなく東北或いは北陸も含めたいわゆる寒冷地を「北国」をイメージすることが多いかも知れませんが、東北や北陸出身の人が抱く「北国」のイメージとしては、自分たちよりもっと北の方、即ち青森を含めて、津軽海峡以北が「北国」というイメージになるのではないでしょうか。


◆このように「北国」という概念は曖昧ですが、「北」なり「北国」という言葉で人々が思い浮かべるイメージはある程度下記のような所に落ち着くのではないでしょうか。
・自然: 厳しい、雪、寒い、日照が短い
・生活: 辛苦、厳しい、美味しい、家の中は暖かい、助け合い
・性格: 寡黙、耐える、さわやか、思いやり
・その他: 白、何か洗い流されそうな・・・、浄化
・因みに中国では四神の内で北を守るのは玄武で、色は黒です。

◆そうなると、失恋や別れ、そしてつらい環境というようなことが、厳しい自然環境を持ち生活の苦労を余儀なくされる「北国」に同化するとともに、一方ではそのような苦しい環境の中でも余計な詮索がなくて思いやりや助け合いがあると思われる「北国」での浄化と再出発を目指して、どこか希望のあると思われる「北国」へ逃避することになるのではないかと思われます。

 それを代表するのが、「北帰行」の歌詞“愛を諦め、空しい心を抱いて、北へ流れる・・・”ではないでしょうか・・・

 誤解を恐れずに言うと、「北」或いは「北国」というのは、苦しい環境に置かれた人々にとっては、ある意味では「駆け込み寺」のような、幻想を与える何かがあるのでしょう。(まさ)


3回目の吊るし柿仕込み、ツレアイとの面会日、そしてメジロたち

2021年11月26日 19時56分23秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)

 今日は久しぶりに天満市場迄買い物に出かけたのですが、美味しそうな大きな渋柿が5個298円という安値で売られていて、つい10個ゲット。

 帰宅後、早速皮を剥き、紐を通して熱湯消毒後ベランダに干すという作業を終えました。

 また、今日は2週間に1度のツレアイとの面会日。
先日部屋を整理時に見かけた厚手の衣類、化粧品やアクセサリー類と、ツレアイが大事にしていたクリスマス飾りを持参。

 昨日、“そろそろクリスマスやなあ”と思いながら、押入れを探していると大きな袋一杯のクリスマス飾りが出てきたので、毎年ツレアイが大事に飾っていたものは区分けして、ツレアイの部屋用に飾っていただけるように職員さんにお願いし、残りの部分(箱一杯ありました)は施設に寄付して、クリスマス会の時に使ってもらうことにしました


 面会に行く度に、認知症が進んで「あんた誰?」と言われないかと不安一杯ですが、今日も要らぬ心配だったようで、顔を見て懐かしそうな顔をしてくれ、ヤレヤレでした。


 ここの所昼間の外出が多くて、メジロをじっくりと見る機会が少ないのですが、それでもしょっちゅう来てくれて見る度に癒される可愛らしい仕草をしてくれますので、併せて紹介しておきます。(まさ)

3回目の吊るし柿仕込み。今回は干した後の写真だけです。

<メジロ>


籠の中で
同上
お腹一杯なのか、籠の中でウトウトしているようです
籠の外で寛いでいます

こちらは少し天気の悪かった先日の夕方の写真なので、少し水墨画的な写真になりました