長くなりすぎた拙文にお付き合い頂きありがとうございました。
7回で終わるつもりが、つい伸びてしまいました。
ややもすれば、日常の流れに身を任せがちな生活を送っている身には、約1年が経過した今回のコロナ騒ぎは自分や社会のことを見つめ直すのに絶好の機会でした。
人類の進歩(?)ということを大命題として、他の生物の生活環境や地球の環境破壊に気付かないふりを続けている人類の傲慢さというものに改めて気付かされましたし、我が身さえ良ければ良いという世界や日本の政治の方向性の危うさを身近に感じました。
そんな中で、特に日本における切実な問題として予てから気になっていたのが、若い世代の人たちと我々高齢者世代の間にあると感じられる大きなギャップです。
このままでは、この日本という国が目的地もないままに、漂流を続けて難破に到ることは、避けられないでしょう。
そのことは、世代を超えて、誰もが予感しながらも、お互いが自分達の世代には責任はなく、かえって被害者だと思っているのでしょう。
こんなことを考えて自分なりの好き勝手な考えで書き込んでいる内に、つい纏まりのない長い駄文になってしまいました。
改めて振り返ると、我々高齢者はある意味では恵まれた環境で生活していたのでしょう。
確かに戦争の被害を直接或いは間接的に受け、壊滅状態だった焼土の中でのスタートとなりました。
周りには戦争で働き手を亡くした家庭や、外地から引揚者たちや在日朝鮮民族も沢山いましたが、それ以外の人も殆どが貧しくて貧富の差と言う事はあまり意識せずに、皆が辛抱して支え合うことが当り前の世界で、何となく一種の連帯感のようなものがあったと思います。
そして、衣食住も不十分な中で、新しい憲法と民主主義制度という輝くような衣を纏って、格差のない平和な世界を夢見るようになりました。
その夢の多くは、間もなく青春期に直面した安保闘争の中で、幻想だったとの現実に向き合うようになるのですが、多感な時に否応なく社会の仕組みや政治の在り方に向き合う経験をし、それなりの進路を決めたと思います。
幸いにも当時の日本は復興に向う成長期で、現在と異なり失業者も少なくて、ましてや非正規雇用というようなものもなく、消費社会とは程遠い世界で、ある程度気自分の信念に従って勉強し、社会に出ても何とか信念に恥じない様な生活を送ろうと苦労した人が多かったでしょう。
そして、青春時代に感じた思いは、朱夏/白秋/玄冬と引きずって生きてきました。(青春/朱夏/白秋/玄冬については、1月14日のブログを参照下さい)
それは、ある意味では不器用で余り融通の効かない高齢者という立場になっても、何とか世の中のことを考えて若い世代に引き継ぐのが義務だと思い込んでいる年代なのかも知れません。
しかし一方で、このような国にしてしまったこと、特に国の借入金増加の結末を後の世代に任せざるを得ないのは、我々世代を含めて国民が、激しい抵抗もせずに目先の利益を優先する施策を受け入れてきた結果であり、我々高齢者も相応の責任を負うべきものであることははっきりと自覚すべきでしょう。
最後に、そのような高齢者の中の私が、未だに忘れていない歌を紹介しておきましょう。
1966年にフジテレビで放送された連続テレビドラマの主題歌で、両親を亡くした5人兄弟(田中邦衛、山本圭、橋本功、佐藤オリエ、松山省三)が、友情・恋愛・確執などを繰り返しながらも逞しく生きていく姿を描いていました。
今でもこれを時々知らず知らずに口ずさんでいる時がありますが、そうするとまだ自分が青春時代の真中にいる様な気がするのです。
「若者たち」
作詞:藤田敏雄、作曲:佐藤 勝、歌:ザ・ブロードサイド・フォー
君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに
君の行く道は 希望へとつづく
空にまた 陽が昇るとき
若者はまた 歩きはじめる
(※ このドラマの1966年9月23日放送予定の第33話「さよなら」は、在日朝鮮人に対する日本人による差別を描いていたのだが、その直前に平新艇事件が発生したため、放送が中止された上、9月30日をもってドラマ自体も打ち切られた由です)
長期にわたってのお付き合いありがとうございました。(まさ)