老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

忙しい晩秋  ~3回目の干し柿作りと、近くの植物など~   

2019年11月30日 19時54分23秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
この時期は、大好きな紅葉狩りの他、好天気が多いのでテニスに、そして家での干し柿作りと忙しいのですが、更に今年は京街道歩きが加わり大変です。

洛北の紅葉狩りの後も、京都寺院への紅葉狩りツアーに行ったり、京街道歩きもついに京都府から滋賀県の大津市に入ったりしていますが、いずれも写真の整理が出来ておらず、とりあえず今日は我が家の様子をお知らせします。


 最近の厳しい冷え込みと好天気で、11月15日に仕込んだ初回の干し柿は無事に出来上がりました。
干した後も、鳥よけのカバーをしたり、柔らかくなるように時々手で揉んだりしていましたが、昨日一つを試食してみると、甘くて美味しい出来上がりだったので、今日取り込むと共に昨日購入していた追加の渋柿12個を新たに仕込みました。


 また、団地の中に1本だけあるハナノキ(カエデ科)が赤く紅葉しました。
紅葉はモミジ類に比べて少し遅く、これが紅葉すると、秋もそろそろお終いです

 しかし、やはり温暖化の影響か、団地の花壇の一角で早くもホトケノザ(シソ科)が特徴ある赤い花を開いているのに気付きました。
(まさ)

<干し柿>

取り込んだ完成品

少し黒っぽいですが、飴色に輝いています。

タッパ―に入れて、冷蔵庫で保管です。

出来上がった品と、これから皮を剥くもの。これだけ大きさが違います。

新しく仕込んだものは、例によって洗濯干しに吊り下げます。(少し色が付いているのは、先日仕込んだ2回目の6個です)

鳥よけの網も被せています。

<ハナノキ>

団地内にあるハナノキ

同上

同上

<ホトケノザ>

開花していました

同上

洛北の秋  その③  詩仙堂

2019年11月29日 21時07分44秒 | 旅行/色々な風景
 この日最後の目的地は、園光寺から直ぐ近くの詩仙堂です。
有名な寺院だけに、さぞかし大きなお寺だと思っていましたが、入口の門(小有洞)は思わず通りすぎてしまう様な、小さくて質素な門でした。

 この詩仙堂(しせんどう)は、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡で国の史跡に指定されており、現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺でもあり丈山寺といいます。

 徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘で。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間に由来します。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられています。

 詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) といいます。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られています。

 また、庭園造りの名手でもある丈山自身により設計された庭は四季折々に楽しむことができ、特に春 (5月下旬) のサツキと秋 (11月下旬) の紅葉が見所として有名です。縁の前に大きく枝を広げた白い山茶花も見所の一つです。
一般にししおどしとして知られる、添水 (そうず) と呼ばれる仕掛けにより時折り響く音は、鹿や猪の進入を防ぐという実用性とともに静寂な庭のアクセントになっており丈山も好んだといわれています。


 急に思い立った、大混雑の中の洛北の庭園巡りでしたが、行きたい場所の一つとしてある程度下調べが出来ていたのと、何よりも住んでいる大阪から洛北には交通の便が良いということで、予定以上に順調に回ることが出来、お目当ての紅葉を堪能しました。

 但し、洛北のこの地域には適当な食事場所がなく、数か所の食堂はどこも長い行列ができており、結局出町柳に戻って昼食にありついたのは、もう3時に近くなっていました。(まさ)


詩仙堂の入口(小有洞)

小有洞を入ってからの石畳の道

詩仙の間からの庭園風景

同上

春のサツキの時期はこのような様子らしいです。(詩仙堂のホームページより)

手水鉢

庭園から見る嘯月楼(しょうげつろう)

僧都(添水、シシオドシ、シカオドシとも言います)

ススキ/カエデと残月軒

散りモミジ

黄色いカエデ

同上

同上

庭園

出口への道

ムラサキシキブ

サザンカ


洛北の秋  その②  園光寺

2019年11月28日 21時06分25秒 | 旅行/色々な風景
 蔓珠院門跡を終えてからは、来た道を戻る様な感じで、圓光寺に寄りましたが、ここも沢山の人で山門を入るのに行列が出来ており、暫く並んでから入りました。

 臨済宗南禅寺派の寺院で、山号は瑞巌山(ずいがんさん)と言い、開山は閑室元佶(三要)、開基(創立者)は徳川家康とのことです。

 家康の命により慶長6年(1601年)に足利学校の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶を招き伏見城下に円光寺を建立したことに始まり、その後京都御所北辺の相国寺内に移ったが、さらに寛文7年(1667年)に現在地に移された由です。

 園光寺は学校の役割も果たし、家康から与えられた木活字を用いて、『孔子家語』(こうしけご)『貞観政要』(じょうがんせいよう、貞観参照)、『三略』などの儒学・兵法関連の書物を刊行した。これらの書物は伏見版、あるいは園光寺版と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されているようです。

 先ず目につくのは入って直ぐにある。洛北最古と言われる枯山水「奔龍庭」で、眩い石庭は雲海を表し、一際目立つ石柱は、龍を表しているそうです。
太陽が低くて日影が多て、写真を撮るのが非常に難しかったです。

 また、「十牛の庭」と呼ばれる池泉回遊式庭園には栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟があり、竹林なども配置されて非常に趣があります。
 最近では、本堂からこの庭を見るのが、本堂の柱を額縁に見たてて、「額縁庭園」としてももてはやされているようでので、私も挑戦してみました。(まさ)


山門の前の行列

山門前のドウダンツツジも真っ赤です

山門を入った所で目につい石仏

奔龍庭

同上

同上

同上

瑞雲閣の花頭窓から。外には園側に座っている人が一杯です。

瑞雲閣の障子を額縁に見たてて写真を撮る人も多いです。

十牛の庭 栖龍池(せいりゅうち)とカエデ

同上 竹林

同上 燈篭のある風景

同上

同上 カエデの太い幹

同上 本堂からの額縁庭園。座ってカメラを構えている人が多いので、少し上から見下ろす様な角度になりました

同上 水琴窟

同上 カエデ

寺院の近くで見かけたツタの紅葉

洛北の秋  その①  蔓珠院門跡

2019年11月27日 20時46分23秒 | 旅行/色々な風景
 この時期は私の大好きな紅葉が堪能できる絶好の時期です。
私は昔からお花見も紅葉狩りも大好きなのですが、年を重ねるにつれ紅葉により惹かれるようになってきました。
加齢に伴う必然的な傾向なのかも知れませんが、花見よりも紅葉の方が楽しめる時期が余り狂わないのが有難いですね。

 先日も予てから楽しみにしていた滋賀県の鶏足寺に行ったばかりですし、次週にもツアーの申し込みをしているのですが、11月23日(土・祝)はいつもどおりに起床したところ余りの好天気で外出したいと思いが強くなりました。

 日頃は人出を避けて土・日・祝の外出は控えているのですが、今回は好天気に恵まれた連休中なので、中断中で人の少ない京街道歩きか、それとも混雑を覚悟の今が見頃の京都の紅葉名所巡りかを悩みました。
結局紅葉の見頃を逃したくないとの希望が強くて、後者を選び、今迄足を伸ばしたことが無い叡山電車の修学院駅から一乗寺駅の間の紅葉の見所を歩くことにしました。

 急遽決めた外出なので、9時半頃の遅い出発となりましたが、京阪電車で終点の出町柳に向いました。
乗車したのが始発駅ではなく北浜駅だったので、出町柳までの約1時間は立ったままでしたが、出町柳についてビックリ。何と叡山電車のホームに入るのに長蛇の列が出来ていましたし、駅前のタクシー乗り場も同様です。

 諦めて帰ろうかとも思いましたが、駅員さんに聞くと鞍馬行きの電車は暫く時間がかかりそうだが、比叡山口行きの方は少し待つだけで入れそうとのことでしたので、この列に並びました。

 電車も臨時ダイヤになっているようで、15分程度の待ち時間で電車に乗り込み、修学院駅で下車。
ここから、蔓珠院門跡/園光寺/詩仙堂と3ヶ所を巡りましたので、順番にお知らせしたいと思います。


 さて、蔓珠院門跡ですが、ここは地図の上では修学院駅が近いのですが、駅前で聞くと道が非常にややこしくて迷う恐れがあるようなので、結局白川通りを一乗寺駅の近くまで引き返して、蔓珠院通りと名付けられた道を辿りましたが、この道は大型車両が通らないものの、詩仙堂/園光寺に向う人達が多くて、やはり私のように少しでも人の少ない場所を選ぶ人が如何に多いかを実感しました。

 趣のある静かな住宅街の中の道を歩くこと約20分で蔓珠院門跡に到着。
寺碑がある辺りから始まるカエデのトンネルを過ぎると、勅使門に到着。この両側は白い築地塀と色鮮やかなカエデの対象が鮮やかで絶好の見所でした。

そ の後、庫裡から入り瀟洒で軽快な大書院や庭園を拝観しましたが、院内はそれ程多くの観光客と重ならずに、歴史的な建物と共に、正にこの時期ならではの景観を楽しむことが出来ました。


 この蔓珠院門跡は、寺伝では延暦年間(782-806)に伝教大師最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされますが、円仁、安恵らを経て、天暦年間(947-957年)是算国師の時、比叡山三塔のうちの西塔北谷に移り、東尾坊(とうびぼう)と称したといわれ、曼殊院ではこの是算を初代としているようです。

 その後も色々と移転を繰り返しましたが、曼殊院を東山山麓の現在地に移し、寺観を整えたのは29世門主の良尚法親王であり明暦2年(1656年)のこととされており、現在ではこの曼殊院門跡は洛北屈指の名刹となっています。

 
 尚、門跡寺院とは皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のことで、この蔓珠院門跡は青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられているとのことですが、勅使門の両側の塀に残る五本の白い筋はその格式を今に伝えるもののようです。

 枯山水庭園は小堀遠州の作と言われるが、遠州は曼殊院の当地移転以前の正保4年(1647年)に没しており、実際の作庭者は不明です。

 庫裏玄関には、「媚竈(びそう)」の扁額がありますが、論語八佾編にある「権力者に媚びず、竈(かまど)で働く人々に感謝する」、つまり働く人々への労りを表したものと伝わっています。


叡山電車出町柳駅でホームへの入りを待つ人の行列

蔓珠院門跡の石碑

勅使門

白い築地塀とモミジの景色

同上

同上。白壁には5本の横線がありますが、これが門跡寺院の特徴の様です

同上

杉苔の上の散りモミジ

白い築地塀とモミジの景色

庫裡入口 「媚竈」の扁額が見えます

坪庭

窓から見る書院への渡り廊下

庭園 鶴島

庭園 亀島

書院内(撮影禁止でしたが、ついパチリ)

庭園

手水鉢

弁天池に映えるモミジ

弁天島の橋とモミジ

途中で見かけた小川の散りモミジ

言葉の語源など  その(32)  ~むべなるかな~

2019年11月26日 21時42分13秒 | 面白い言葉や語源など
(ここの所紅葉狩りに忙しくて、23/25日と京都に出かけたり、大阪にいる時はテニスを楽しんだりで写真の整理が遅れていますので、今回はツナギと言っては失礼になりますが、書き留めていた言葉に関する原稿に少し手を加えました。)


 “いかにももっともだな”とか“確かにその通りだ”というような意味で使う言葉に「むべなるかな」という言葉があります。

 ムベというアケビ科の植物があり、天智天皇がこの果実を食べて「むべなるかな」と言ったとかいう昔話を聞いた様な記憶があったりして、この言葉は植物の「ムベ」から由来するものだと思い込んでいました。

 確かに、天智天皇とこの「むべ」は関係がある様なのですが、私の記憶はその逸話を断片的に繋ぎ合わせたもののようで、正しくない事が判りましたので、この「むべなるかな」の語源を改めて紹介させて頂きます。

◆「ビズキャリ online」などに拠ると、
・「むべなるかな」の語源は、古文単語の「むべなり」と言う単語で、“確かに”“なるほど”と納得する意味があります。
その単語に「かな(〜だなあ)」という詠嘆の意味を表す助詞が付け加えられたのが、「むべなるかな」で“なるほどなあ”“確かにそうだなあ”と納得する様子が表現され、その言葉が今でも使われるようになっています。

・「むべなるかな」を漢字で書くと「宜なるかな」となりますが、「宜」という漢字には「物事を肯定する気持ち」という意味があるようです。
また、「うべなるかな」という言葉もあるようですが、これも漢字では「宜なるかな」となり、「むべなるかな」と同じ意味で使われるようです。


◆「むべ」と天智天皇の逸話については、ムベを商品化しているSET INTERNATIONAL inc のホームページで紹介されている滋賀県近江八幡市の北津田町に伝わる伝説などに拠ると下記の様です。

・琵琶湖のほとりに位置する蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。
「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。これを賞味した天皇は「むべなるかな」と得心し、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。

・その時からこの果実をムベと呼ぶようになり、以後、北津田町は朝廷や幕府からの賦役の免除、献上の道中に帯刀するなどの恩典を受けると共に献上は1982年まで続いた。天智天皇を祭神とする大津市の近江神宮へも1940年の創祀(そうし)以来、毎年献納を続けている。

 ということで、私の記憶とは逆に、天智天皇の言葉から「むべ」という名前が付いたようですが、それまではこの植物に名前が無かったとは思えませんし、偉い人と結びついた伝説などはこのようなものかも知れませんね。


◆尚、植物のムベは暖地の山地に生えるアケビ科の常緑つる性植物で、別名はトキワアケビ(常磐通草)或いはウベです。
果実はアケビ,ゴヨウアケビ(五葉通草),ミツバアケビ(三葉通草))に似ていますが,熟しても裂開しません。暗紫色に熟し,果肉は甘く,食べられますが、果肉には種にしっかり着いており、種子をより分けて食べるのは極めて難しいようです。

 それにしても、漢字では「郁子」とか「野木瓜」と書く様ですが、「野木瓜」は兎も角として、何故まるで女性の名前のような「郁子」となるのか、その由来も調べて見ましたが、これはちょっと判り兼ねました。(まさ)


ムベの果実(庭木図鑑より)