老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

急に“秋”になりました

2017年08月31日 20時08分02秒 | 旅行/色々な風景
 いよいよ8月も今日で終わりですが、昨日から一挙に秋を感じる気候になりました。
昼間の温度はそれ程変らないのですが、何よりも湿気が少なくなりカラッとした天気になりましたし、夕方からの涼しさが全く変化しました。
  
 お陰で、昨夜は本当に久しぶりにクーラーなしで熟睡できましたし、今日は殆ど快晴の空に、秋を感じさせる白い筋雲が少しだけ見えました。
 
ベランダでは、小さな鉢植えのヤナギバルイラソウが毎日沢山の花を開いてくれています。残念ながらその日に散ってしまう一日花ですが、この花の少ない時期に、淡い紫色の花に癒されています。

 更に、お月さんは月齢9位の明るさで雲のない空にくっきり見えましたが、もうすぐ仲秋の名月かと思って調べてみると、今年は旧暦の閏年の影響で10月にずれ込むようです。(まさ)


高速道路の上の筋雲

今晩のお月さん。(かなりの望遠で撮ったので、クレーターらしいものも見えます)

ヤナギバルイラソウ

原発と原爆

2017年08月30日 19時48分38秒 | 原発関係
 このブログで再三触れているように、私は原発反対派ですが、その根本には“核”に対する根本的な拒絶感・恐怖感があります。

 半減期が極めて長くて人類がコントロール技術も確立していない“核”を、大規模破壊や大量殺戮効果があるということで兵器として開発し、未だにその威力に縋ろうとする国が多いことに、嫌悪感を覚えるだけでなく、一応平和利用という建前の原発も根本では同じだと思っているからです。

 そして、福島第1原発での悲惨な事故にも拘わらず、“原発は危険なものではなく、非常に安価で効果的な電力”という政府の言い分をそのまま受け入れている人が多い事に疑問も持っています。

 このような少しもやもやした気分を、少しでも元気づけてくれたのが8月19日の毎日新聞の「土記」と言うコラムの“核の矛盾”という青野由利さんの記事でした。

 この記事では、長崎・被爆3世の松永瑠衣子さんが、福島第1原発の過酷事故で感じた素朴な疑問を胸にして、福島や六ヶ所村などの原発関連の土地を訪問しながら、日本における核の在り方に迫るドキュメンタリー映画『アトムとピース』に触れながら、“核”の問題に迫っているのですが、この文章には原発と原爆の関係を整理する大きなヒントが示されています。


 この記事を土台に、私なりの整理をしてみますと、

◆英語では nuclear weapon (核兵器)、nuclear power (核発電)、nuclear submarine (核潜水艦)というように、"Nuclear" (核)でほぼ統一されていて、軍用か商用かを問わずに用いられている。(英語の"Nuklear"と独語の "Atom" とはほぼ同じようです)
しかし、日本語では核(爆弾・兵器)と原子力(発電)という言葉を分けて使用しているので、原発という言葉から“核”という負のイメージを覆い隠しています。

◆更に原発と原爆は同じ根っ子であるにも拘わらず、戦後アメリカのアイゼンハワー大統領が国連で“Atoms for Peace(原子力の平和利用)“という言葉を使い、あたかも“原発は原爆とは異なるもので安全なもの”というイメージが広まると共に、技術的には核を上手く使うことが人間の知恵だという考えが普及したのでしょう。

◆しかし福島第1原発の事故で明らかになったように、原発事故は爆弾ではないけれど、その土地に住めなくなる人たちがいて、放射能で人々が苦しめられることや、核の汚染作業は容易ではない面では両者は同じものだという事が、改めて認識されたのではないでしょうか。


 このように、曖昧な言葉の使い分けで、その一部のコントロールしかし得ていない“核”を、あたかもその危険性全てをコントロール出来ているかのような錯覚で、“核の平和利用”というような誤解を与えやすい言葉で“核”の危険性を覆い隠されていることをチャント認識すべきだと感じます。

 このような誤解し易い言葉の使い方の代表が、福島第1原発の事故からまだ間もない時期に、オリンピック誘致に際して安倍首相の“(事故は)アンダーコントロール”という発言でしょう。

未だに、事故の全容も把握できず、解体の工程も組めず、汚染水の処理方法も決まっていないのにです…
また、幸い事故なく利用できたとしても、その使用済核燃料の処理方法も決まっていないものに対して、次世代はどのように対応すべきなのでしょうか(まさ)

コブシの実と、播磨灘の夕暮れ

2017年08月29日 20時57分07秒 | 旅行/色々な風景
 病院から介護施設に戻った義父を、掛り付けの眼科に通院の付き添いの用件があり、今日は淡路行きでした。
まだ8月で道路が混んでいるかと覚悟していましたが、既に大阪などでは学校が始まっていることもあり、思った以上に早く着けました。

 施設の花壇などを観ていると、ピンク色の実が沢山付いた木が目につきました。
良く見るとモクレン科のコブシでした。
普通、コブシは漢字では「辛夷」と書きますが、「拳」の字を当てる場合もあるようです。
正に手を握りしめた場合の拳のゴツゴツが集ったような形です
確か、6月頃にはまだ緑色でしたが、この時期は段々と色づいて鮮やかな色になっています。

 帰路に、いつものように淡路島の室津PAに立ち寄り小休止しましたが、まだ日没には間がありましたが、曇り空の中で海が美しく輝いていました。(まさ)


コブシの実

同上アップ写真

夕暮れの播磨灘

同上

やはり地震の予知は難しそう ⇒ 「大震法」の見直し必至 

2017年08月28日 20時23分34秒 | その他
 中央防災会議の有識者会議は8月25日に、予てから検討中の南海トラフ巨大地震の対策強化に向けた報告書をまとめましたが、その中で“確度の高い予測は困難”としているようです。
如何に私たちの科学が進歩したと思っていても、私たちを取り巻く自然環境の正確な予測もできないというのが、現在の正直な段階だと思います。

 そうなると、今まで大地震への対策の基本とされていた、“観測で巨大地震の前兆を掴んで、事前避難や交通機関への運行停止要請などを行う”という『大規模地震対策特別措置法(大震法)』の見直しが避けられなくなるでしょう。

 地震予知が難しいとなると、この法律そのものの存在基盤がなくなることになり、現在の科学技術では地震予知は難不可能ということで、近い将来に発生が危惧されている南海トラフ地震への対策の見直しが必要になりそうですし、各地の原発でも大規模な地震(これに伴う津波なども…)が予知なしに突然にやってくることを前提にした対応が必要とされるでしょう。(まさ)

市川昆監督の戦争映画  その③  ~「野火」1959年 大映~

2017年08月27日 19時21分12秒 | その他
 大岡昇平の小説を実写化した戦争ドラマで、第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台に、野戦病院を追い出されてあてもなくさまよう日本軍兵士の姿を追う。

 照りつける太陽、そして空腹と孤独によって精神と肉体を衰弱させていく
仲間を失った田村は、草を食べて生き延びていたし、現地住民を殺害して貴重な塩を横取りすることにも躊躇いはなかった。

 やがて生き別れたかつての仲間である永松と安田と再会するのだが、彼らは殺した味方の兵士を“猿”と称し、その肉を食べるに到っていた。


 船越英二、滝沢修、ミッキーカーチスの熱演で、飢えという極限状態に追い込まれ生と死の境界線を彷徨う日本兵にとっての相手はもはや米兵ではなく、口に入るものを求めるのが全てと言う状況が余りにもリアルに描かれています。

 特にこの映画の上映時にも話題になった、ミッキーカーチスがさりげなく演じる狂気は、背筋が冷たくなるほどでしたが、私の叔父がレイテ島で戦死していますので、余計に印象に残っている映画です。


(追記)
・題名の「野火」が何を意味するのか判らなかったのですが、今回漸く「野火」とは原住民が米やトウモロコシなどを収穫した後で、その茎などを焼く時の煙と言う事が判りました。
逃げまどう日本兵にとっては、恋しいが絶対に近寄れない俗世間の象徴なのでしょう。
・「野火」については、2015年に塚本晋也監督・主演で再映画化されたようです。


 このように市川昆監督の戦争映画を纏めて観ましたが、本当に重い映画ばかりで、普段は映画観賞時には水割りを片手にしている私も、今回だけは身じろぎも忘れて見入っていました。
普段は戦争総映画を好まないツレアイも、この3本の映画には最後まで付き合ってくれ、最後に、「こんな時代に生まれずに良かったね」という感想を一言もらしました。

 本当にその通りなのですが、戦争の記憶がない若い世代にも、戦争は決して格好良い物ではなく、前線に立たされた兵士の悲惨な様子を感じて貰うためにも、このような映画を観る機会がもっと増えれば良いのですが…(まさ)