老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

首相の施政方針演説に思う

2019年01月31日 19時38分09秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 1月28日に召集された通常国会では恒例の首相による施政方針演説がなされました。

 字数にすれば今までで一番多かったということですが、その内容たるや、予想通りというか、大した成果もないアベノミックスを中心とした自画自賛というべき独りよがりのもので、我が国の最大の課題である人口減少と共に、積もり積もった国の借金にどのように対応して行くのかというような、根本問題に毅然と立ち向かう姿勢は全く感じられない、情けない内容でした。

 その中で、特に酷いと思った部分を抜粋してみます

◆子供たちにどのような未来を引き継げるのか
・<はじめに>という項目で“私たちの子や孫の世代に、輝かしい日本を引き渡すため”とか、<全世代型社会保障への転換> という項目で“(教育無償化により)子どもたちを産み、育てやすい日本へと、大きく転換していく”、更に<戦後日本外交の総決算>という項目では“次の世代に先送りすることなく、必ずや終止符を打つ”というように、一応子どもや孫たちの世代を慮った表現をされています。

・しかし、その子どもや孫たちに残せるのは本当に美しくて、希望に満ちた輝かしい国でしょうか。
現在の政府の他の政策を見ていると、とてもそのようには思えず、正に独りよがりの思い込みとしか見えません。

・産業振興に重点を置いた結果として、原発は引き続き稼動して増え続ける原発廃棄物は処分方法も決まらないまま“中間貯蔵”とかいう方法で引き継がれるでしょうし、沖縄の米軍基地なども米軍との地位協定見直しなどの具体案は無く地域住民に負担を強いる形は変わりそうもありません。


◆国の財政健全化に対する具体的な方針なし
 更に納得できないのは、口先では、一応子どもや孫たち世代を思いやり、負の遺産を引き継がないとの発言をするものの、自分達が選挙で勝たんがために、あの手この手でバラマキ施策を続けた結果として、巨額の国の借金を減額の道筋もつけずにしていることでしょう。
それどころか、更なる悪化の道を推し進めていることです。

・今回の施政方針演説でも、<全世代型社会保障への転換>という項目の中で、“社会保障改革と同時に、その負担を次の世代へと先送りすることのないよう、25年度のプライマリーバランス黒字化目標の実現に向け財政健全化を進める”と述べられています。

・しかし、現政府はこの財政健全化を目指すことよりも、経済の活況がより最優先事項であることは明らかで、それが証拠に色々な理由を付けてもっと以前に導入が決定していた10%への消費税アップとプライマリーバランスの健全化策を引き延ばしてきました。

・漸く今年10月からのアップに舵切りはしたものの、軽減税率とか教育無償化に振り向けるとか、更にプレミアム商品券など様々な景気対策の為のバラマキに向けての施策を織り込んでおり、この演説でも“来年度予算では、頂いた消費税を全て還元する規模の十二分な対策を講じ、景気の回復軌道を確かなものとする”と恥ずかしげもなく公言しています。
この政策のどこに財政健全化への意思を読み取れるというのでしょうか?


◆福島原発事故はもう終息したの?
 <地方創生>という項目では、一応“福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし。復興が成し遂げられるその日まで、国が前面に立って、全力を尽くして取り組んでまいります”との殊勝な言葉がありますが、何と直ぐその後に“東日本大震災から見事に復興した東北の姿”とあり、首相の気持の中では福島の原発事故などはもう過去の些細な出来事になっているのが見え見えです。


 このように、今まで実行してきたことからは全く離反したことを、あたかも自己の理想の如くに恥ずかしげもなく織り込んだ施政方針を堂々と発言される神経構造には全く驚かされますが、このような発言することがこの内閣の品格を更に落としていくのでしょう。(まさ)

新春の淡路の恵み

2019年01月30日 19時15分19秒 | 旅行/色々な風景
 昨日は昨年亡くなった義父の一回忌という事で、淡路島のお寺に行ってきました。

 天気も良く、その後ノンビリと西海岸沿いのサンセットロードという洒落た名前の道路を岩屋までドライブしましたが、途中道端で野生のスイセンを摘んだり、水産加工業者に立ち寄って大好きなカレイやイワシの干物を購入しました。

 清楚で可愛らしいスイセンは早速我が家の仏壇の前に供えましたし、海の幸は更に私好みに手を加えて、私の口に供えさせて頂きます。

 正に、淡路島の新春の恵みです。ありがとうございます。(まさ)


叩きガレイ。この時期の私の大好物で、更に数時間干してから金槌で骨を叩いた上で炙って醤油を掛けて頂きます。絶好のお酒のアテです。

ウルメイワシ。浅干しなので、更に丸1日干してから冷凍保管して頂きます

道端で摘んだスイセンは仏壇の前に

同上 アップ

こちらは少し品種が違うようです。

明石海峡大橋の真下から橋を見上げる(道の駅あわじにて)

台所仕事の分担について 

2019年01月29日 20時06分05秒 | ツレアイのこと
 ツレアイの認知症進行と共に台所仕事の分担が変わって行きますが、台所仕事は何と言ってもかってはツレアイが全権を持った場所だけに、出来る限りのことをして貰って分担/協業となっていますが、最近の我が家の台所仕事の分担について下記します。

1)少し硬めのご飯
 お米の量が上手く量れないのか、水の量が量れないのか、最近は時々硬めのご飯が炊きあがるようになりましたが、炊飯というのは、主婦の台所仕事の象徴とでもいうべき仕事なので、これは簡単に“私が担当しよう”とは言えません。

従って、ツレアイに引き続いて炊飯準備を担当して貰い、私が注意深くフォローして行くという方法を採っています。準備するツレアイの隣で、米の計量や水分具合を見守り、時々“うるさいなぁ”と言われながらも口を挟んでいます。

2)台所仕事の分担
 現在の我が家の、台所仕事の分担状況を下記します。

<朝食>
・仏さんの御供え(我が家の仏壇と、ツレアイの両親の写真があり、両方にお茶とご飯を御供えしています)
はツレアイ担当~ご飯は通常は冷凍してあるものをレンジでチンです。
・ツレアイの担当:サラダとヨーグルト
・私の担当:パンのトースト、牛乳の温めと、コーヒー

<昼食>
・冷凍のチャーハンやスパゲティなどの事が多くて、私が在宅の時はツレアイに手伝って貰って一緒にしていますが、私が出掛ける時には食べるものと調理方法を事前に確認しておきます。

<夕食>
・煮物などは、昼食後にある程度準備或いは取りかかっておきます。
・夕方、ジムから帰宅後、私が担当しますが、ツレアイに出来ることはアシストして貰います。
例えば、野菜のカットや食卓準備など。

<食事後の片付け>
・洗いものと乾燥機入れは、原則としてツレアイが担当です。
・しかし、乾燥機のスイッチ入れ忘れが多くて、チェック必要です。
・乾燥した食器類の収納については、ツレアイに任せていますが、いつもの場所と違う場所に入っているケースが多々あり、事後にチェックが欠かせません。

ざっと、このような状況ですが、今後もツレアイの症状で次第で、随分と変わって行くでしょう。(まさ)


成年後見制度について

2019年01月28日 21時06分37秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
 以前にこのブログにも書き込みましたが、私の叔父/叔母の死去に伴う相続問題が難航しています。

 概略は昨年6月20日付のブログの通りで、
・3年前の春に叔父が亡くなり、その1年半後にその奥さんが後を追うように亡くなれましたが、二人が住んでいた家(土地・建物)は叔父の死後も、叔父名義のままで叔母の名義に変っていなかった。

・2人の間に子供はいないので、その不動産は法定相続となるのですが、わずか四分の一である叔父側親族にはこの遺産分割に関係する妹や甥・姪が17名おり、その中の一人が認知症になっており、「正常な判断が出来るとは思えず、後見人が必要」とのことになりました。

・しかし、この当人に金銭的な問題がある様で、そのご家族が後見人になることを拒絶されこの為、相続そのものが全く進まなくなり、叔母側の親族も含めて途方に暮れており、現在は弁護士に対策を任せているという状態です


 弁護士の話でも、このようなケースは多くて、相続が上手く出来なくて所有者が不明な不動産があちこちに出現しているという状態が全国に広がっている様です。


 私なりにこの成年後見人問題に興味を持ち、少し調べてみましたが経済的な利害関係が生じるだけに、下記の通りに成年後見人の義務が煩雑なことや、また一度受けると勝手に辞退出来ない等非常にややこしい制度になっています。

<法定相続人の義務>
成年後見人の就任中の職務には、大きく分けて、
1.財産管理事務
2.身上監護事務
3.家庭裁判所への報告事務
4.その他の事務
があります。

その内、ややこしいのは家庭裁判所への報告事務で、通常は、家庭裁判所より報告の求めがありますので、その指示に従って報告書を提出することになります。

報告書には、必要に応じて、収支明細書、預貯金の残高証明書、通帳の写しなどを添付する必要があり、最初の報告と今回の報告の変動点が分かるように財産目録等を作成することになっています。

<法定相続人は勝手に辞任出来ない>
・後見制度そのものの利用を止める事が出来るのは、被後見人の判断能力が正常と言えるまでに回復し、それを医師と家裁が認定した場合です。

・一度家裁が「後見が必要」と審判を下したのですから、家族が、ただ制度の利用を止めたいというだけでは、後見制度の利用を止める事は出来ません。後見人を辞める場合は病気などの止むを得ない理由があり、家裁がそれを認めた場合にのみ可能です。


 要するに、法律的な後見人になると以後毎年本人と被後見人の財産状況を提示する義務が生じる上に、途中で勝手に辞退できないなど、非常に制約も多いので、後見人になって頂ける方が少ないという状況でのようです。

 確かに被後見人の意思や、財産に関わる重要な事項に関することなので、厳重な管理が求められるのは当然でしょうが、今回の叔父名義の不動産の相続問題のように、“後見人になる人がいないために、他の多くの関係者の相続が進行しない”というのは、少しおかしいのではないでしょうか。

 上記のような場合には、その他の利害関係者の同意(例えば対象の金額や人数の参分の二以上とかの基準を設けても構わないと思います)に従うとか、もう少し柔軟な対応で早期解決の方法がなければ、高齢化や認知症患者増加が進む日本では、円満な相続が出来ずにややこしい不動産が益々増加して行くでしょう。

 事実、上記のケースでも、相続問題がストップしている中で、従弟の一人が亡くなり、利害関係者の数が増えるなど、事態はますます複雑になっています。(まさ)

責任は感じるだけのもの? 

2019年01月27日 19時28分53秒 | その他
(昨日に引き続き、政治に少し絡んだ話題です)

 政界は厚労省の統計問題で大きく揺れているようですが、それにつけても政治家や官僚の「責任」という言葉の遣い方に違和感を覚えるのは、私だけではないでしょう。

 先日の毎日新聞の川柳欄で「責任は感じるよりも取るもので」(座間 ぼうちゃん)という句を目にしましたが、市民感情としては正にその通りでしょう。

 私は子供の時から、“責任を感じるのであれば、それに対して自ら何らかの行動を起こし、態度で示すことで責任を取る”、或いは、自らに責任がないと思えば、その旨をはっきりと示すことの大事さも教わりましたが、多くの人も“責任”という重い言葉に対する思いはそんなに変わらないと思います。。

 厚労省の統計問題だけでなく、何か問題が起きた場合に、最近の政治家や官僚の対応を見ていると、簡単に『責任を感じる』と発言して数名で頭を下げて一応の謝罪をするのですが、それで何をするのかと問われれば、『(その職に留まり)職責を全うします』と答えるだけで、そのような事態が生じた背景や、今後の再発を防ぐための具体的な対応策や、自分が責任を感じたことに対する具体的な行動などは、何も示されないのが殆どです。
正に、“責任は取れないが、一応お詫びとこう”ということでしょう。

 確かに官庁などは個人ではなくて組織で動いており、また異動が多いので、何か不都合が起きても、その時の担当者が謝罪するケースがほとんどなので、謝罪する側としては当事者意識が希薄なのかも知れません。

 しかし、民間会社などでは引き継ぎを受けた以上は、(余程悪質な隠ぺいがない以上は)その業務の全責任は後任者にあるというのが常識ですし、そのような傍観者的な対応は許されるものではないでしょう。

 少なくとも、『責任を感じます』と謝罪する以上は、ノウノウとその職に留まれないことを覚悟した上で対応すべきだと思いますし、その業務を監督すべき立場にあったより上級の管理者は尚更でしょう。

 しかし、責任を取った形で退職しても、森友問題の責任者のように、ほとぼりが冷めればどこかの組織に堂々と天下りか再就職するのですから、お役人の“責任を取る”という言葉の内容は、我々市民のそれとは根本的に違うのでしょう。(まさ)