老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

2015年の終わりに当たって

2015年12月31日 19時23分33秒 | その他
いよいよ今年も後わずか・・・
今日の大阪は夕方に突然の雨に見舞われましたが、たいしたことはなく今年の年末は例年以上に穏やかな暖かい天候で、新年も暫くは好天が続きそうな気配ですね。

思い返せば、今年も色々とありました。
年初に大腸がんの検査のために1泊2日の検査入院をした時に、運悪くというか、運良くというか肺炎になるというハプニングもありましたが、改めて検査した大腸のポリープも良性のものだったので、ホット一息でした。
一昨年に手術した右肩も良くなり、テニスに復帰していましたが、年初に今度は右肘の変形性関節症となりましたが、これは年齢的にどうしようもなく、週2回整骨院に通って電気治療やマッサージを受けながら、だましだましという感じでテニスを続けています。

その他、今まで生活の中の大きな時間を占めていたボランティア活動の事務仕事をを、春から若い人に徐々に引き継いでいただき、心臓や血圧もかなり良くなり、更に自分の時間が持てるようになったので、秋からはこのブログを始めたり、また前から行きたかったモロッコへの旅を楽しむことが出来ました。

 大晦日の今日は、テニスは辞退して、水槽や照明器具の掃除など例年の私の担当分野をこなしましたが、その間にツレアイは室内を正月ムードに変えたりしたり、ささやかながら正月用の煮しめを作ったりで、例年通り正月を迎える準備ができました。元気で色々とフォローしてくれたツレアイに感謝です。
室内の正月用の飾りつけを紹介します。

お陰で、つつがなく無事に一年が終わり、新しい年が迎えられそうです。(まさ)


玄関の飾りつけ

居間の飾りつけ



いずれも、居間の飾りつけのアップ写真です

ルール その1  「人に迷惑をかけない」

2015年12月30日 20時16分19秒 | その他
私達は見知らぬ人達との社会生活を円滑にするために、法律という形で色々なルールを作っていますが、この成文化された法律だけでなく、この元となる考え方や処し方を小さい頃は家庭で、更に大きくなれば学校や職場などで“社会のルール”として教わります。
このルールの中で、誰もが疑いなく受け入れているルールの一つが「人に迷惑をかけない」というルールだと思います。

 先日、と言っても夏の終わりごろでしょうか、TVでかなり昔に放映されていた「男たちの旅路」というドラマシリーズの再放送をしていました。
このドラマは鶴田浩二さんが扮するガードマンが若者との色々な接触していく中で、戦争経験世代と若い世代の価値観や信念の違いというものを描いていたドラマで、私も若い頃に良く見た記憶があり、今回の再放送も録画したりして懐かしく振り返りました。

 その中で、当時は気がつかなかった(或いは見たけど、気にとめていなかったか)ドラマが妙に気になりました。確か「車輪の一歩」という題だったと思いますが、このシリーズでも少し異色のドラマです。
車イス生活を余儀なくされている身体障がい者に向い合ったドラマで、若者たちは苦しむ側への優しさに流れてしまい動きが取れなくなって行くのに対して、鶴田浩二が扮するガードマンの吉岡は“常に他人を受け入れることの難しさと、だからこそ何を弱者に求めるのか、弱者とは何か”を考え、両者の葛藤が描かれるのですが、この中で取り上げられているのが、この殆どの人が疑わないルールを画一的に障がい者に当てはめることの無意味さです。

 即ち、車イス生活者が他の人に迷惑をかけまいとすれば、外出せず自宅に閉じこもる道を選ぶことになりますが、
・障がい者は、健常者と比べれば、やはり特別な人生を歩んでいるのは事実で、だからと言って自由に外出し行動できないのはおかしい。
・迷惑を掛けることを恐れずに、最低限のギリギリの迷惑をかけて、もっと積極的に外出することで、健常者にも当たり前の風景にしてしまおう。
という結論になり、車イス生活者の積極的な外出を支援していくという筋でした。

 確かに、障がい者への理解やバリアフリーやユニバーサルデザインの考えがかなり浸透してきた現在と比べると、社会環境がかなり違う一昔も二昔も前のドラマかも知れませんが、障がい者に対する見方がそんなに変わっているとも思えず、健常者なり社会の大部分の人が当然と考えているルールも、一部の人には大きな束縛となって苦痛を与えているのかも知れないと改めて考えさせられました。(まさ)

福島原発事故の除染作業経費問題

2015年12月28日 20時33分00秒 | 原発関係
 26日に高浜原発再稼働に関するささやかな意見を書きましたが、本日の毎日新聞で、福島原発事故に伴う除染作業の経費負担問題が取り上げられていました。

即ち、除染作業については帰還困難区域に指定されている大熊町、双葉町、浪江町、富岡町などではまだ進んでいない段階なのに、除染費用の負担問題を東京電力がするのか否かで、環境庁や通産省などの関係省庁での意見統一が出来ておらず、宙に浮いたままの様です。
更に除染費用だけで、総額2.5兆円以上と試算されており、これが電力会社の負担となれば、原発の発電コストは物凄く高いものになるでしょうね。(まさ)

年末だというのに、春を見つけました。

2015年12月27日 21時17分20秒 | 旅行/色々な風景
 昨日は、お正月用の門松のニュースでしたが、今日は慣例のテニスの日なので淀川の河川敷に行きましたが、何とツクシ(土筆)を見つけました。
暖かい日が続いているので「もしかして??」と先日より注意深く探していましたが、ついに今日は市立桜ノ宮高校に近い南向きの堤防の斜面で見つけました。
例年より1カ月以上は早く、やはり暖冬の影響でしょう。

1本だけでなく、数本がまとまって出てきていました。

暖冬といえば、ツクシだけでなく、今年はナズナ(ペンペン草)も相当早いようです。ナズナは「春の七草」に入っていますが、この7種類の春の野菜や身近な植物が入ったお粥を食べる“七草粥”の行事は元々は旧暦の1月7日(今年は2月14日)の習慣だったのが、最近は新暦で行われるようになり、例年新暦の1月7日にはまだナズナが出ていなくて探すのに苦労していましたが今年は大丈夫みたいですね。
やはり今年は、例年より1カ月以上は早いようです。

テニスコートの横で撮りました

暖冬といえば、先日のTVで和歌山での吊し柿のカビが話題になっていましたが、我が家のベランダで作っている干し柿も11月に仕込んだ第1回目はカビが生えて廃棄。 第2回目の仕込み分は何とか上手く行きそうなので、ツレアイが昨夜第3回目の仕込みをしました。

心配なのが、来春のサクラの開花です。
サクラは冬の間に適当な低温に出会って(休眠打破され)初めて開花することが知られております。
数年前の暖冬時にも、サクラの開花が非常に不安定だったことがありますが、果たして来年の開花は大丈夫でしょうかね。

やはり、暖冬は色々な影響があります。(まさ)

高浜原発の再稼働に関して

2015年12月26日 21時51分35秒 | 原発関係
 福井地裁の再判断で、関西電力の高浜原発がどうやら再稼働されそうなムードになってきました。福島の事故発生後、故郷を追われ、未だに帰る目途もつかないまま避難生活を余儀なくされている方々と少しでも関わっている者として、色々な疑問を感じずにはおられません。

 今回の福井地裁の決定は、「原発の絶対的な安全性は想定できず、危険性が社会通念上無視できる程度まで管理されている」として、「耐震安全性、使用済み核燃料の危険性などに関する専門家である原子力規制委員会の判断に不合理な点はない」という内容です。
私は理化学に弱く、高校時代に習った核物質の半減期はものによったら数万年というのが記憶に残っている程度で、原子力と聞けばブラックボックス的な存在ですし、更に原発の技術や地震などについては全くの門外漢ですが、一市民として、素朴な疑問がいくつも出てきます。

(1)まず、福島で経験したはずの原発の危険性をそんなに簡単に排除できるのか
◆原子力規制委員会
・世界屈指の地震国である日本では、どのような大規模の地震、火山爆発や津波などがいつどこで発生するかも知れないが、原発がそれらに対して本当に完全な対策が取れているのか?
・原発稼働に伴って発生する「高レベルの放射性廃棄物」の処分方法も決まっていないのに、原発の稼働を認める根拠は?

◆裁判所
・法律は、国民の安全を守るために存在すると思うのですが、今回の如く判事自らが「原発の絶対的な安全性は想定できず」との認識の上で、且つ、「避難計画の重層的対策の重要性」などと事故対応への配慮の必要性を追記した上で、“不合理な点はない”として、原発再稼働にOKを出せるのか?
確かに飛行機や列車、車などにしても、“絶対的な安全性”はなく、何万分の一かの確率で事故にあう可能性はあるでしょうが、その被害者はたまたまそれに搭乗していた人とか周辺にいた人とか、極めて限定的で社会通念からすれば利便性を勘案して許容範囲なのかも知れませんが、原発は根本から違うと思います。
・万一、事故(人為的/自然災害などを問わず)が起きれば、福島で経験した様にその範囲や対象者は桁違いに大きく、また長期にわたる事故対応が必要となるのであり、考え得る限りでの“絶対的な安全性”が求められると思いますし、原発を稼働させることに依る利便性などあるのでしょうか?

◆国・自治体
・稼働後に事故が起きた場合は、誰が責任を負うのか?
・最終的には国の政策に基づいたものなので、国になるのでしょうが、国家予算編成の中で莫大な国家の借入金を子供や孫の代まで垂れ流しにするような政策を進める国が、自分たちが政権と直接の関係がなくなる将来のことまで考えているとは思いにくいです。
・事故が起きなくても、何万年もの安全管理が必要な廃棄物の処分について、後世の世代から恨まれない方策が本当にあるのか?

(2)それにしても、つい数年前に福島であれだけの事故を起こし、まだその対応も出来ておらず、またこの数年の実績で「原発がなくても、電力不足は起こらない」ことが実証されたにも拘わらず、原発再開をそれほどまでに急ぐのはなぜでしょうか。
◆国/電力会社は他の電源と比較して、原発の低コスト性を主張し、産業活動維持のために必要と言うが、本当に原発は低コストなのか? 
・廃棄物の処分方法も未決定なのに、その処分費用はどのように折り込んでいるの?
それとも、今後莫大な費用が必要な処分方法が採用になった場合、廃棄物の処理は国家の負担ですることになっているの?
・万一の事故の場合の対応コストは入っているのか?
◆国の貿易収支悪化を避けるためということも大きな理由になっています。近視眼的に見れば石油などの輸入減でそうなるのでしょうが、将来的な廃棄物処理なども含めたトータルコストという点では如何でしょうかね?
◆化石燃料に切り替えた場合は、CO2問題が起こるというのも、原発再開の材料になっていますが、本当にそうでしょうか?
日本の科学技術水準からすれば、CO2発生はかなり抑えられるでしょうし、その後この問題のない代替エネルギーへの切り替えは、それ程難しいものではないでしょう。またこれらの技術こそが自信を持って海外に売り込めるのではないでしょうか

(3)原発立地の自治体への手厚い補助
立地検討から稼働後まで長期にわたる、立地自治体への手厚い補助は、大きな産業がない僻地の自治体や色々な業界にとっては、大きな収入源でしょう。
しかしこの現状を見ると、言葉は悪いかも知れないが、ある知人が漏らした言葉を思い浮かべます。即ち「ヤクザが覚せい剤の中毒者を作り、自分を必要者と思わせる」手口と…


更に、大胆な提案ですが
・本当に安全性が保証されるなら、消費地である大都会の近くに原発を設置。
・また原発再開を推進した、或いは積極的に賛成した機関や人達(国会、政府首脳、関係官庁、原子力規制委員会、電力会社、自治体、並びにその主要構成員)などは、自分たちが推し進めた原発の近くに本拠地/住居などを構える。
現実味のない提案であることは充分に承知しています。
しかし関係者が本当に原発の安全性と必要性を説くのなら、そこまで踏み込んでアピールする覚悟を示してもらえば、私の様なひねくれ者も少しは納得すると思うのですが如何でしょうか。(まさ)