老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

京街道を行く⑬  第6回  八幡~墨染 (その2)淀地区~中書島~墨染

2019年11月17日 22時06分13秒 | 旅行/色々な風景
 淀地区を過ぎると、宇治川右岸の堤防に上がり、車も通らない堤防上の道をひたすら伏見に向います。
かなり歩くと、宇治川沿いに三栖閘門の白い大きな塔が見えてきて、やっと伏見の中心地である中書島地区に入ります。

 伏見とこの三栖閘門について、少し触れておきます。

 400年前、伏見城とその城下町が造営された際、伏見の街の南側にあった大遊水池・巨椋池の中に大堤防が築かれ、宇治川の流れを北上させ、伏見丘陵の南を迂回させるとともに、街中にも水を引き入れ、城を囲う外堀としました。これが現在の濠川です。

 また、江戸時代に入り淀川の舟運が活発になるとともに、1614年(慶長14年)には京都二条から伏見を結ぶ高瀬川が開削され、宇治川、淀川を経て大坂までが水上交通で結ばれ、伏見は京都と大坂を結ぶ交通の要衝地となりました。

 しかし、伏見の街を水害から守るため、1922年(大正11年)、宇治川右岸の観月橋から三栖の堤防工事が始まり宇治川と伏見港が分離されました。それに伴い1929年(昭和4年)三栖閘門(みすこうもん)が建設され、宇治川と濠川との水位差を調整し船を行き来させていました
その後、1964年(昭和39年)に宇治川上流に天ヶ瀬ダムが完成してからは宇治川の水位が大幅に減少し、閘門はその役目を終えたとのことです。


 この三栖閘門をゆっくり眺めてから、伏見の町中に入りますが、かっては濠川に沿って立ち並んでいた酒屋や船宿の面影が残る街並みを通り、京阪電車の伏見桃山駅や丹波橋駅の西側を通り、墨染駅に到着。
(余談ですが、若い時に酒米の担当をしていたことがあり、米の見本を詰め込んだ重いカバンを手に、酒造メーカーを軒並みに営業に回っていたことがあり、街の様子はすっかり変わりましたが、伏見は懐かしい所です。)


 ここは今日の出発点である京阪の石清水八幡宮駅から5つ目の駅で、流石に足も疲れており今日はここで打ち切ることにしました。

 何とか京都市内まで到着し、先が見えてきましたが、これからが少し山にさしかかるような感じですし、また疲れても直ぐに電車の駅に辿りつけない所が多いので、気を引き締めて行きます。
また今週からは紅葉狩りの予定も色々と組んでおり、どちらを優先するか天気予報との睨めっこにもなりそうです。(まさ)


三栖閘門が見える

宇治川側の水門の塔

三栖閘門の内部。向うが濠川側で、現在は観光用の十石船が通過しています

かっての操作室があった建物と濠川側の水門

伏見みなと広場。橋の向こうは伏見港公園です

町中を流れる濠川。京橋の上から(疏水という表示もありました)

寺田屋

濠川と観光用の十石船。この辺りがかっての伏見港の中心地だった様です

月桂冠大倉記念館

古い酒蔵と、新しいタンク群

古い町屋

伏見桃山駅近くのかっての街道の様子

墨染寺。境内にこの名の由来となった墨染桜の木がありました

琵琶湖疏水に架かる墨染橋