老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

堀ちえみ症候群?

2019年02月28日 19時45分13秒 | その他
 若い時から歯が丈夫な方ではなく、最近は年相応(或いはそれ以上?)に歯が悪くて、3ヶ月毎に近くの医院で、チェックと手入れをして貰っています。

 今日も定例の手入を受けましたが、相も変わらず歯磨き方法の指導を受ける始末です。

 その後、先日から舌の裏側に少し変色した個所があるのが気になっていたので検査をお願いしましたが、幸いにも悪性ではなくて、単に舌をかんだ時に出来た血の塊りということで一安心しました。

 その時、先生から“最近、舌癌を気にされる方が急に増えましたが、一種の堀ちえみ症候群ですかね”と冗談を言われました。

 そう言えば、私は特別な堀ちえみのフアンでもないのですが、昼間は毎日TVを抱えていることが多く、午後の「ちちんぷいぷい」という番組では堀ちえみがレギュラーになっており、最近はこの番組で彼女の舌癌治療の経過が良く話題になっていました。

 私も、この報道で舌の異変が気になったのは事実で、その意味では“堀ちえみ症候群”の一人かも知れません。
やはり、同じような人が多いのですね。

 尚、歯医者と言えば一つ余談を…
暫く前になりますが、近くの商店街で若くて美しい女性に笑顔で挨拶されたのですが、どこの女性か全く思い当たらず暫くモヤモヤとしていましたが、ある時歯医者に行くと担当の看護師さんに「先日、商店街で挨拶したのに・・・」と言われて、ハッと思い出しました。
私ならずとも、普段出会う時は、マスクで顔を隠されていますし、ましてや治療中は、こちらは痛さに耐えるために殆ど目をつぶって看護師さんの素顔など充分に見ることもない立場では、その顔を覚えること等出来ないでしょう。(まさ)

食卓もベランダも春模様 

2019年02月27日 22時20分22秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
 昨日は淀川河川敷等の様子をお知らせしましたが、我が家のベランダでもミモザがすっかり開花しています。

 炊事担当者としても、少しでも季節感を味わいたくて、河川敷で摘んできたツクシだけでなく、スーパーで見掛けたナバナや釜揚げのイカナゴを購入して我が家なりの例年の調理で食卓に載せました。

  ツクシ:ごま油と醤油/ミリンで炒めて七味を掛けました
  ナバナ:カツオと一緒に炒めて醤油味で頂きました
  釜揚げのイカナゴ:オリーブオイルで炒めてポン酢で

 また団地内でもヒイラギナンテンが可愛らしい小さな黄色の花を付けていたり、コブシの蕾もすっかり大きく膨らんでいました。

 また、毎年この時期恒例行事である未登録の自転車撤去があり、例年通り驚くほどの数の自転車が撤去されて一ヶ所に集められていました。(まさ)


ベランダのミモザ開花

河川敷で採取したツクシ

洗って、ハカマを取り除き、ごま油で炒めました

その他、釜揚げのイカナゴ、ナバナとモヤシのおひたし

勿論これだけでは足りずに、アイガモのパストラミと共に毎日定番の湯豆腐です

メジロもベランダの木の枝ですっかり寛いでまどろんでいます

やっとお目覚め

団地内ではヒイラギナンテンも開花

コブシの蕾もだいぶ膨らんできました

一ヶ所に集められた、未登録の自転車。私やツレアイが乗っている自転車よりは新しいものばかりです

春間近の河川敷 

2019年02月26日 21時37分11秒 | 散歩中に見かけた風景
 帰国後は何やかやと要件が詰まっていますが、好天気で暖かい日が続いているので、何とか時間を捻出しては河川敷の散歩などにも出かけています。

 原発がらみの堅苦しい話題ばかりでは少し疲れますので、息抜きの意味もあり、大阪の春の気配などの写真をお届けします。(まさ)


先ず目につくのは鮮やかな黄色のオキザリス

淀川堤防の蕪村の句碑横の梅も満開

同上 アップ

余り人を恐れないヒヨドリ。ベランダに来るヒヨドリはメジロのミカンを横取りする憎らしさの対象ですが、良く見ると案外可愛らしい鳥です

同上のヒヨドリと目が合いましたが逃げません

凛々しい顔です

地上では、オオイヌノフグリが可愛らしい花を付けています

同上 アップ

ツクシも沢山出ています

JR大阪東線。3月16日の開通を控えて、連日試運転中です。少し錆が目立つ鉄橋の塗装は無いようです。

同上

このような、新車両も見掛けます

偶々出向いた区役所の前では、十月サクラが満開近かったです


原発問題から見えてくること  その② ~戦争との共通点~ 

2019年02月25日 20時39分33秒 | 全般
① 資源問題は表面上の理由
◆どちらも、資源が乏しい我が国のエネルギー源の安定確保というのが大きな大義になっています。

◆戦争を担った軍部や原発を推進した科学者達は、どちらも国の発展の基本的な問題に自分達の技術を生かして牽引するという一種の満足感/使命感が基本になっており、戦力的(或いは技術的)な困難さは過小評価のままにスタートを切りました。
それとともに、大きな大義の陰で、被害を受けることになる周辺諸国の人たちの犠牲や、原発にとっては立地場所周辺の住民の不安や憤りには目をつぶることになりました。

◆また、いずれも直接の推進者といえば、表面上は軍部や科学者ということになるのでしょうが、その背景には国家の勢力拡大と利益追求を図る財界の強い要請があることは事実で、これらの財界のバックアップを受けた、時の政府が『日本にとって必要』という理由で強引に進めた政策です
戦争や原発の推進に伴い大きな利益を上げる立場にある産業界とそれと結託した政治家や仲介者が仕組んだ事業というのが真相でしょう。


② 過度の自信と、独りよがりの使命感
◆過去の戦争突入は、軍部が当時の日本の保有戦力に対して大きな自信を持っていたという事もあるでしょうが、それと共に、天皇制の下での国民の団結と犠牲心を当てにして、日本国民の精神論に対する過度の評価で、短期間での勝利が可能と見込んだ事、さらにそのような戦いが長期にわたって西欧諸国の支配下にあったアジアの国民にも喜ばれるという独りよがりの理由付けが大きな要因だったと思います。

◆原発についても、推進する科学者たちにとっては原子力という言わば未知の分野の発展に寄与するという喜びと共に、この技術習得によって国際社会にも貢献できる。更に、資源の乏しい日本において国家復興に貢献できるのだから、国民にも喜んで貰えるという一方的な思い込みもあったでしょう。

◆原子力に関わる専門家たちは、当然ながら原発という産業推進には自然界に存在しない色々な放射性物質を取り扱うだけに、様々な危険性があることは承知していたはずでしょう。
しかし、それに対する根本的な対応策が確立していないままで、この産業の推進に突き進んだ本当の理由は、素人には判り兼ねます。ただ、推測出来ることとしては、

・使用済み燃料処理や廃棄物の処理については、その内に良い方法が開発されるかも知れないし、最悪時は埋設してしまえば良い。

・自分たちの仕事は、ウランの利用に拠る発電技術の確立にあり、廃棄物の処理については政府なりが担当する分野だ。或いは、自分達が死んでしまってからの問題で、我々には関係ない
というような割り切り方で、全体のリスク管理の確立や、万一の場合の地元住民への影響などは気に留めなかったとしか考えられません。


③ 正当化のために、“神話に縋る、或いは神話をでっちあげる”
 担当者にしては、何れも大きな不安があったとは思うのですが、これらの能力のある人たちが国民の支持を得て、突き進んだ背景には、日本人独特の精神論があったことも事実でしょう。

◆即ち、戦争に関しては、科学的な裏付けのない“不敗神話”や“神国”“神風”論

◆そして原発に関しては多くの国民を納得させるのに必要だった“原発は安全”というスローガンが、いつの間にか科学的な裏付けのないままに“検証の余地のない揺るがない事実=安全神話”となってしまい、異議を挟めなくなった。(或いは、信ぜずには前に行けなかったのか?)


④ 一旦始めると、自分では見直しや幕引きが出来ない
◆このような形で、進行して行った戦争や原発については、途中で大きな壁にぶち当たったと思います。
・戦争については、思い通りのスピードでは進めず、米国を中心とする反抗や盛り返しにぶち当たり、次第に劣勢の色が強くなった。

・原発では、使用済み核燃料の処理並びにリサイクルの見通しが甘い事が徐々に判明して行っただけでなく、遂には地震による巨大津波による甚大な被害も体験した。

◆しかし、これらの場面にぶち当たっても、節目節目での計画の見直しや、或いは撤退という自発的な対応は一切ありませんでした。
更にその後も自分たちの担っている事業の推進が第一目的となり、自分達で作り上げた神話を信じて、政策見直しもしませんでした

◆その結果として、
・戦争では東南アジア諸国での多くの住民に被害を与えただけでなく、国内でも沖縄の住民への大被害を引き起こし、更に全国的な空襲被害と共に、広島/長崎への原爆投下と言う事態に到り、漸く外圧での強制的な中止を余儀なくされるに到りました。

・原発については福島原発では住民16万人以上が居住地を追われるという甚大事故を引き起こしながらも、この事故は“想定外だった”という言い訳で、自分達には落ち度などなかったかのように振る舞い、依然として原発依存の姿勢を変えようともしないだけになく、海外への技術輸出という馬鹿げた妄想も持ち続けているのです。
この様子を見ると、広島/長崎への原爆投下以上の本当に壊滅的な巨大事故、或いは国家の存在に関わる外圧などがない限りは、余儀なく中止を決めたりしそうもありません。

◆更にこのような様子を見ると、“国民や世界のため”というのは、あくまで世間を納得させるためのお題目で、一旦開始されるやこれらの事業の遂行が最優先されるべき事項となり、これをチェックする機構もないという事が良く判ります。(まさ)

原発問題から見えてくること   その①  ~はじめに~

2019年02月24日 21時58分50秒 | 全般
(ベトナムからの帰国後は、何やかやと要件が溜まっており、まだ写真整理に掛かれそうもありませんので、以前に書き留めていたことを手直ししながら、述べてみます)

 昨年10月中旬にこのブログで、「原発稼働に伴うプルトニウム問題」というテーマで、8回に亘って原発とプルトニウム問題について書き込みましたが、その過程で色々と思い浮かんだことがあります。


 特に不思議なのは、私たち凡人が及びもしない非常に知的レベルの高い人達だと思われる原発産業に関わる科学者など専門家達の思考回路です。
また、これらの専門家が先頭に立って危険性がある原発を推進できた背景には、国の積極的な支援と共にこれを積極的に支持してきた多くの国民がいたことも事実です。


 この人たちの思考回路を理解しようとすればするほど、東南アジア侵略(或いは、進出)を経て太平洋戦争に突入し(以後、これら一連の行動は“戦争”と称します)、敗戦まで突き進んだ当時のエリート達と多くの類似点があるように思え、この原発を巡る動きは、日本という国あるいは日本人の思考方法に対して根本的な問題を浮き彫りにしているような気がしてきました。

 ここら辺を、思うがままに纏めてみたいと思いますが、どうしても自分自身を含めて、日本人の今までの過ごし方に対する非常に厳しい意見にならざるを得ないでしょう。

 喜寿を超えた一老日本人として、敢えて自分を含めた日本人の立ち位置を考えてみる機会になればと思います。(まさ)