老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

原発3題 

2018年12月31日 20時05分33秒 | 原発関係
 いよいよ今年最後の書き込みとなりましたが、このブログらしく原発関係の話題で締めくくりです。(この項は、毎日新聞等を参考にさせていただきました)

(1)日本原子力研究機構開発の廃炉費用
・東海再処理施設や「もんじゅ」「ふげん」「常陽」などを管理している、日本原子力研究機構開発は12月26日に同機構が所有する施設89カ所のうち、既に廃炉が決定したものを含め、老朽化した79カ所を今後70年間で廃炉・廃止措置にするための費用(施設解体費、燃料取り出し、放射性廃棄物の処理費など)として約1兆9000億円を要するとの試算を発表したようです。

・これには、完了までに必要な施設維持費などは含まれていませんが、先に同機構が発表した所では東海再処理施設と「もんじゅ」についてはそれぞれ2170/2250億円(計4420億円)億円が必要としており、その他施設の維持管理費を含めると、莫大な金額が加算されるのは必定です。

・更に、問題は以前から触れていますように、使用済み核燃料や高濃度の汚染物質の最終処理については、まだその方法も場所も決まっていないために、一切費用計上されていません。

 当然にこれらの費用は国民負担となるのでしょうが、最終費用の算出も出来ないこのような施設に良くぞまあGOサインを出したものだと呆れかえります。
かっての、漫才で良く聞いた“責任者出てこい!!”です。


(2)原発産業の海外輸出は頓挫
 福島第1原発の事故の後も、政府は原発産業の海外輸出をバックアップすべく努力している様ですが、どの国でも福島第1原発の事故以後は、原発の危険性を認識して安全基準を非常に厳しくしましたので、各国で原発そのものが中止になったり、輸出商談が廃止になったり中断しているのは当然でしょう。

米国で東芝が買収したウェスティングハウスが建設中だった原発が、建設費高騰などで工事中断となり経営破綻したことはすでに周知の事実ですが、これ以外にも

英国:日立が計画中の原発が、高騰する費用の負担方法を巡って紛糾していて、着工の可否決定が遅れており、日立としては手を引きたいとの意向を示している。

トルコ:三菱重工が計画中の原発の費用が倍増し、トルコ側と負担を巡って難航しているのに加え、地元住民の反原発運動も激しく、トルコ政府もマイナス反応を示している

ベトナム:日本との合意が成立していたが、費用高騰を理由にベトナムが計画を中止。


(3)関電、中間貯蔵場所の提示が出来ず
 約1年前に関電が大飯原発の再稼動に伴い、福井県と“使用済み核燃料の一時保管場所を福井県外に設けるべく、2018年中に県外の候補地を選定する”との約束を交わしましたが、12月26日に関電社長が福井県庁を訪問し西川知事に対し「2018年中の提示が無理」なことを報告して詫びたようです。

 やはり、関係もないのに最終処分方法も決まっていない使用済み核燃料の保管などを引き受けてくれる奇特な自治体などは現れるはずがなく、最終的には原発の設置と再稼動を容認した福井県か、それとも東電などの協力を得て再処理施設を建設中の青森県の六ケ所村に依頼する以外はないのでしょう。


 このように各国で将来性に対する大きな不安が噴出している原発を、福島第1原発を引き起こした当事国である我が国の政府が依然として国内外で推進しようとしているのは、正に噴飯もの以外の何物でもないでしょう。


 来年こそは、このような馬鹿馬鹿しい話ではなく、将来に夢が持てそうなもう少し明るい原発関連のニュースを期待したいです。(まさ)

阪急沿線の寺詣り  その③ ~清荒神(きよしこうじん)~

2018年12月30日 19時45分40秒 | 旅行/色々な風景
 中山寺で予定の参拝は終わったのですが、時計を見るとまだ3時前。
まだ足もそんなに疲れていないし、折角だから同じく宝塚市で近くにある清荒神にも寄ることにし、阪急電車で二駅の「清荒神」まで行きました。

 この寺院は正式名を清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)と言い、真言三宝宗の寺院(大本山)です。
896年(寛平8年)に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建てられましたが、鎮守社として三宝荒神社があり、竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称となったようです。

 阪急の駅からは、古い雰囲気が漂うかっての有馬街道を越えて、中国道の下をくぐり、だらだらとした坂道を登って行きます。

 昔から、関西では“荒神さん”或いは“竃(かまど)の神さん”と呼び慣わされて親しまれているので、参拝者も多く、駅からの参道の両側には色々な土産物屋や食べ物や花屋などが連なって、楽しい散策路となっており、私たちも年末に3度ほど訪れています。

 残念ながら、この日はまだ年末までに少し間がある為か、参拝者もそれ程多くなく、出店もそれ程多くなかったですが、それぞれに年末に向けての準備に忙しそうでした。

 また、境内には画家富岡鉄斎の作品を集めた鉄斎美術館もありますが、残念ながらこの日は休館日でした。


 例によって、朝起きてから寺詣りを決定する等、気ままなお参りですが、このような勝手気ままなことが出来るのは現在住んでいる場所のお陰だと感謝しています。

 結局、この日は阪急電車だけを利用しての三寺院巡りでしたが、有難いことに珍しくも三寺院共に拝観料などは必要なく、お陰で帰りに梅田の百貨店で寿司のパックを購入できました。


 今年はツレアイの病気やや身内の不幸などもあり、寺院回りが多くなりましたが、西国33カ所観音霊場については、昨年度に回っていた分も併せて31カ所が終了して残るは2寺院となりましたが、これは年が明けてからゆっくりとお参りしたいと思っています。(まさ)


旧有馬街道に面した鳥居

途中の店先で見かけた老爺柿(ロウヤガキ)の鉢植え

山門

三宝荒神社前にある布袋さん

荒神さんらしく使用した火箸の奉納

この石段を下って寺院の本堂に着きました

本堂

一願地蔵の後ろ姿と寺務所の大屋根

一願地蔵

本堂と寺務所を繋ぐ渡り廊下

同上

龍王滝

参道の露店

同上。(まだ少し閑散としています)

阪急沿線の寺詣り  その② ~中山寺~

2018年12月29日 20時03分59秒 | 旅行/色々な風景
 総持寺のお参りを終えた後は、阪急電車の十三で宝塚線に乗り換えて「中山観音」駅へ。
駅前のお好み焼き屋さんで遅めの昼食を摂り、中山寺に向いましたが角を曲がると、突然という感じで山門がありました。

 この寺院は、真言宗中山寺派大本山山号は紫雲山といい、西国三十三所観音霊場の第24番札所です。

 寺伝では推古天皇時代(593~628)に聖徳太子の創建によるわが国最初の観音霊場とされ、「極楽中心仲山寺」と称されていたようですし、奈良時代には大小多数の堂塔伽藍を備え、高野山や比叡山に匹敵する大寺院であったと『続日本紀』に記されているようです。

 現在の本堂(慶長8年・1603年再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建したとされていますが、古来「安産の寺」として有名です。

 妊婦さんの参拝も多い様で、妊婦さんだけでなく小さいお子さま連れの方、お年寄りの方、車椅子の方…どなたさまでも快適に参拝できるようにと、寺院では珍しく境内にはエレベーターやエスカレーター、ベビーシート、授乳室、おむつ替え台などが完備しているのには少し驚きました。

 また平成29年に再建された五重塔は、他の寺院では目にしたことのないような深い青色で、東方を守護する聖獣、青龍の名を冠して「青龍塔」と名付けられていますが、この日は澄み切った青空に一際映えていました。(まさ)


角を回れば突然に山門が…

道の両側に塔頭が並ぶ境内。正面には五重塔が見えます。

塔頭の前では、ピラカンサが沢山の実を付けていました。

境内にはエスカレーターも

偶々見学に訪れていた若い僧の一行は、流石にエスカレーターではなく石段を利用

本堂。近く過ぎて全体が写りません

本堂も鮮やかな色彩です

本堂の周りの吊り燈篭

本堂前から見る五重塔

五重塔

アップで見ると鮮やかな青色です

「青龍」の扁額もあります

境内で見かけた地蔵像

本堂の後側から見た大願塔
大願塔。まるで高野さんの根本大塔の様です

山間部から木立ち越しに五重塔を見る

塔頭の華蔵院で見かけた水掛け地蔵

阪急沿線の寺詣り  その① ~総持寺~

2018年12月28日 19時28分23秒 | 旅行/色々な風景
 年末に近づくと共に寒波の襲来で、今日は大阪市内でも時折雪がちらつく寒い日となりましたが、何となく慌ただしい感じです。

 年末までに最後の寺院詣でをしたいと思っていて、家の掃除や正月準備の都合と、天気予報を見比べていましたが、なかなかこれという日が設定できていませんでした。
 所が、クリスマスの25日は朝起きると明るい陽射しが差し込んでおり、TVの天気予報でも全く問題がなかったので、他の用事は後回しにして、急遽出掛けることにしました。

 西国三十三所霊場については、車の方が便利な所は近場では殆ど終っていたので、この日は阪急電車で茨木市にある総持寺と、宝塚市の中山寺を回ることにしました。

 急な決定だったので10時頃に家を出たのですが、11時過ぎには総持寺に到着。駅からは5分程度の静かな住宅街の中にあり、落ち着いた寺院です。

 高野山真言宗の寺院で、山号は補陀洛山 (ふだらくさん)といい、西国三十三所観音霊場の第22番札所で、亀に乗った観音様として有名です。

 この寺院の草創説話は、助けた亀の恩返しと観音の霊験に関するもので、寺所蔵の縁起絵巻のほか、『今昔物語集』などにも記載があるようです。
寺伝では元慶3年(879年)頃、平安時代に中納言藤原山蔭卿が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとされています。

 また、藤原山蔭卿は本尊像立に際し、千日間に亘り料理を御供えした縁により包丁道の祖として祀られていて、境内には「包丁塚」もありますし、「料理の寺」としても有名なようです。(まさ)


寺碑と山門

有名なカメと大師堂

山門

大師堂

同上

本堂

同上

薬師堂(金堂)

普悲観音像(ボケ封じ観音)光線の都合で下の方が少し見えにくいです

池の亀

本坊前の庭

賓頭盧(ビンズル)様

包丁塚(上手く撮れませんでしたので、寺院のホームページから引用)

我が家は正月モードに…

2018年12月27日 19時28分58秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
 クリスマスも過ぎたので、昨日は室内などのクリスマス飾りを撤去して、正月用の飾りつけに変更しました。保管している押し入れの出し入れはできても、飾り付けなどはとても手に負えず、これはツレアイの担当です。

 その間、私は掃除と家の中の整理の受け持ちでしたが、何とか夕方には例年通りの正月モードに切り替わると共に、部屋の中も少し綺麗になりました。(まさ)


玄関ドアー前 しめ縄の代りです

玄関の飾り

正月モードのリース

同上

TVの横