老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

墓じまい/納骨

2016年01月31日 20時10分42秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
先日熊野街道を四天王寺まで歩いたついでに、四天王寺で納骨についての資料を貰ってきました。

私の家の墓は親父の出生地である現在の兵庫県宍粟市の山奥にあり、市の中心部の山崎町から30kmも山地に入りますが、今ではバスの便は数少なく、車を利用しないとば行けません。
大阪からだと、墓参りは丸1日の仕事になり、ご先祖様には申しわけないのですが、墓参はお彼岸毎に年2回しか行けなく、普段は墓苑管理者でもある菩提寺に任せきりです。

それでも、年2回の墓参はご先祖を偲ぶ機会ですし、私はこの場所での生活経験はないのですが、まだ僅かばかりの土地が残っていて栗の木もあるので、静寂で綺麗な空気の下で、春はフキノトウやツクシ採り、秋はクリ拾いを兼ねて絶好の癒しイベントとして楽しみにしています。
しかし、今年5月で75歳という年齢を考えると、車を手放すようになるのもそんなに先ではないと思われ、いつまでも墓参ができるわけではないので色々と悩んでいました。

回りには同じような悩みを持つ友人も多く、お墓を大阪に移したり、故郷の墓は廃墓し大阪に納骨だけしたりと色々な対応をされています。
家族の状況によっても大きく変わるのでしょうが、ツレアイとも相談の結果、我が家では田舎の墓を廃墓し、大阪で納骨先を探すことにしました。
先般、菩提寺の住職にもこのことをお伝えしましたが、最近の少子高齢化を反映し、私のような申し入れが結構多いようです。

 大阪市内では四天王寺や一心寺がどの宗派も受け入れてくれるので、利用される方が多い様で、目下色々な資料を集めて、運転免許返納に備えての準備中という所です。

 悲しいことですが、「老い」には避けられない課題です。(まさ)

熊野街道を歩く  その③  空堀商店街~四天王寺

2016年01月30日 14時37分03秒 | 旅行/色々な風景
(四天王寺までのルートと写真の続きです)

◆空堀商店街の食堂で美味しい昼食を堪能した後、少し東側の道を南下。
すぐ左側に、道標(八軒屋から2.2kmと2.3kmの二つ)がありますが、この当たりの上汐町1丁目界隈は戦災に会っていない様子で、所々に古い商家が残っていました。

道標

古い商家

◆更に南下し、風光社ビルの所を右折した所に「久本寺」というお寺があり、ふと見ると見慣れない花が咲いて目についたので、つい中に入り拝見した後、谷街筋を横切り西へ。この辺りは中寺町の町名の通り、どちらを向いても寺院です。

アイリスの仲間と思われる花です。

◆二筋目の角の左側に高津公園があり、その南側の高津宮に入りました。この境内に「郡戸(こうず)王子推定地」という碑がありました。(ここが第3王子「郡戸(こうず)王子」跡の様です。
大阪に住みながらこの高津宮を訪れるのは初めてなので、ゆっくりと見学しました。

高津宮への階段

「郡戸(こうず)王子推定地」という碑

本殿

◆高津宮の中を通り抜けて、南側に出てから東へ。谷町筋を通りこして、再び谷街筋より2つ東側の道を南下し、生魂小学校の手前を東へ。途中千日前通との交差点に道標あり(八軒屋浜から2.9km)
上本町7丁目の交差点で上町筋を南下し、2つ目の筋を東側に上宮高校の方向へ。天王寺図書館の手前に上の宮ハイツというマンションがあり、その入口近くにひっそりと「上宮之址」の碑がありました。ここが第4王子「上野王子」跡です。

道標

非常に判りにくい碑でした。

◆その後、上町筋に戻り少し南下し、国際交流センターの南側を西に折れ、2つ目の角を南下。
天王寺警察署を過ぎた所で西に折れ、谷町筋に出た所(地下鉄夕陽丘市天王寺)で斜めに南下。
直ぐに四天王寺に入る道があり、四天王寺境内へ。
この四天王寺の南大門の直ぐ手前に、四天王寺の4大石の一つとされる「熊野権現礼拝石」がありました。

四天王寺の六時堂

南大門

南大門の手前にある熊野権現礼拝石

 今回の熊野街道歩きはここまででしたが、週に2回は通っている谷町筋を西と東に跨ぐような形で熊野街道はあったのです。歩いてみて初めて判った新しい発見でした。
この「歩き」を通じて、昔の大阪の地形というものも実感できたような気がして、大阪の昔の姿に興味が湧いてきました。(まさ)

熊野街道を歩く  その②  八軒屋浜~空堀商店街

2016年01月30日 14時19分01秒 | 旅行/色々な風景
昨日の①「はじめに」の続きとして、歩いたルート並びにその写真などを紹介します。
(注)大阪の道路は、東西方向が「通」、南北方向は「筋」と呼ばれています.

◆八軒屋浜:天満橋近くの八軒屋浜は、昔から京都から大阪への主要通路である淀川の大阪における船着き場で、この地に8軒の船宿があったことからこの名がついた様です。
天満橋駅西側の北浜通りにある「永田昆布本店」の前に「八軒屋船着場跡」の碑がありました。

整備された八軒屋浜の跡地(大川)奥の橋は天神橋です。

常夜灯

永田昆布本店前の「船着場跡」の碑。このお店で熊野街道に関する小冊子がいただけます。

◆その直ぐ西側の福助ビルの前に「熊野かいどう」の碑がありますが、ここを曲がらずにもう一つ西側の「エルおおさか」の東側の坂道を左へ曲がります。

熊野かいどうの碑

碑文

◆直ぐ南側の左手に「坐摩神社行宮」という小さなお宮さんがあり、ここが第1王子「窪津王子」(渡辺王子・大江王子ともいう)の跡です。


◆その後、南進して釣鐘町で左に折れると直ぐに「釣鐘屋敷跡」があります。
この鐘は3代将軍徳川家光の時代に建立され、2時間おきに1日12回撞かれたとのことです。
また、この鐘の音は近松門左衛門の『曽根崎心中』の道行の場面でも用いられています。

釣鐘屋敷跡

◆その後、少し東よりの谷町筋から2つ西側の道を真っ直ぐに南進。
途中、中大江公園の前に道標(八軒屋から0.5km)があります。
更に南下し、南大江公園の西側に「朝日神明社跡」の表示がありますが、ここが第2王子「坂口王子」の伝承地です。

中大江公園前の道標

南大江公園内にある朝日神明社跡


◆更に南下を続けますが、南大江公園の直ぐ南側の道路東側に立派な「くまの街道」の表示と道標(八軒屋から1.3km)があります。
少し南下し長堀通に出る手前に、「榎木大明神」があり神木として大事に守られていました。
因みに、この神木はエノキではなくエンジュで樹齢670年の由です。

南大江公園の南側にある熊野かいどうの碑

榎木大明神

◆道を少し戻り長堀通の一つ北側の道を東へ。谷町筋を超え安堂寺町の一筋目を南に曲ります。
(この角が、熊野街道と奈良街道の分岐点ということなので、標識を探しましたが、見つからず)
直ぐ南の長堀通との東の角に、道標(八軒屋から1.8km)があります。


◆そのまま、南下して「空堀商店街」に出ます。
この商店街は、大阪を舞台にした映画「プリンセス・トヨトミ」や色々な小説でも取り上げられていて、レトロな感じのするユニークなお店が並んでいます。
この日昼食を取ったお店は、海鮮丼が750円でしたが、何と揚げたての野菜のてんぷらが食べ放題ということで、思わずビールも注文してゆっくりと味わいました。(まさ)

空堀商店街の入り口

熊野街道を歩く その① はじめに

2016年01月29日 22時06分49秒 | 旅行/色々な風景
昨日思い立って熊野街道の一部(八軒屋浜~四天王寺)を歩いてみました。
思い立った理由は、
◆私自身は数年前に友人たちと那智勝浦に遊びに行った時に、那智大社近くの熊野古道を少し歩いたことや、同じく数年前に同じ仲間たちと大阪の阿倍野から住吉大社までを歩いた時に、熊野街道跡の表示があちこちにあり、熊野街道(古道)にかなり興味を持っていたこともありますが、
◆先日訪れた京都の城南宮で、ここが熊野街道の出発点であったことを聞いたこと。更につい先日の毎日新聞に熊野街道の大阪市内の様子が載っていたこと。
などもあり、改めて興味を感じて、せめて自分が住んでいる近くの由緒ある街道を歩いてみたいと思った次第です。

今、あちこちでの街道歩きブームが起きており、色々なツアーも企画されている様ですが、私としては“街道を歩き通す“こと自体が目的ではなく、身近な或いは訪れる機会のある場所で、興味を引く場所があれば「散歩」の気持で歩いて、更に興味を深められればと思っています。

今回の熊野街道歩きについては、事前に少し調べたこともありますので下記しておきます。
◆熊野古道とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称で、道は主に紀伊半島に位置し、三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨っています。
(熊野古道と熊野街道の区別が難しいのですが、今回は大阪市内のスタート地点だったので、途中の道標にもある「熊野街道」を使いました。)

◆元々熊野周辺は日本書紀にも登場する自然崇拝の地であったが、907年の宇多法皇の熊野行幸を皮切りに、皇族・貴族たちの熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったと言われており、後白河上皇に至っては33回の熊野御幸を行った様です。
江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は多くの庶民が行うようになり,「蟻の熊野詣で」という言葉が生まれた位で、一時は熊野付近の旅籠に1日で800人の宿泊が記録されたこともあったようです。

◆熊野古道の道中には「九十九王子」と呼ばれる施設があります。
これは、熊野古道沿いにある神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願されたようです。
九十九王子は、実際に99ちょうどあるわけではなく多数あるということの比喩ですが、ある調査によると、現存するもの、現存しないが所在地を推定できるものを併せて枚挙してゆくと、若干数の近世以降の比較的新しい王子を含めて101社を数えるということです。
しかし、1906年(明治39年)末に布告された神社合祀令により熊野古道周辺の神社の数は激減し、熊野詣の風習も殆どなくなってしまいました。
因みに大阪市内には、窪津王子. 坂口王子. 郡戸王子. 上野王子. 阿倍王子. 津守王子の六つの王子があったようで、今回はその内の4王子を訪れました。

◆どのようなルートを選べば良いのかが新聞記事だけでは判りませんでしたが、パソコンで調査した所、下記のホームページが見つかり、詳しいルートマップまでついていたので大いに参考になりました。ありがとうございました。
 「坂道散歩(熊野古道 紀伊路①)」
 http://8tagarasu.cocolog.nifty.com・sakamitisannpo/2011/03/post-d4eb.html)

沢山の写真も撮りましたが、ルートと写真紹介は明日にします。(まさ)

自宅が更に春らしく…

2016年01月28日 20時31分11秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
先日の京都の園芸資材の展示会で購入した小物が早くも到着し、早速にこれを使いましたので、室内並びにベランダの様子が少し変わりました。
(室内)真っ白な陶器の容器に、黄色のミモザやノバラのアートフラワーが入りました。
(ベランダ)小枝で造られた小屋風の鉢置きに、プリムラ・ジュリアンやシクラメンが入り、雰囲気がすっかり変わりました。

また、いつもベランダに来るメジロは,時々はベランダの鉢植え樹木の枝でも休憩していますが、今日はそのアップ写真が撮れました。メジロの可愛らしさが良く判ります。(まさ)


室内の飾り。白い容器に黄色のミモザとノバラ。

容器はこの様な陶器で可愛らしいものです。

ベランダの新しい飾り。木製の小屋風の鉢置きにプリムラ・ジュリアンとシクラメン

小枝の小屋風のアップ写真


メジロが木の枝でお休み中