老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

浜寺公園 その① ハマデラソウとローズヒップ 

2021年09月30日 19時30分01秒 | 旅行/色々な風景

 昨日は何とか雨の心配もなさそうでしたし、デイケアに行く日ではないツレアイの体調もそんなに悪くなかったので、行ってみたかった堺市の浜寺公園まで足を延ばしました。

 以前に公園でのボランティア活動をしている時にチョイチョイ行っていた公園ですが、いつも打ち合わせだけで園内を見る機会があまりなかったのです。

 先日ブログ仲間が浜寺公園の「ばら庭園」を紹介されているのが非常に気になり、久しぶりに行きたいと思っていたのです。


 折角大阪市内から行くからには、公園近くでも魅力ある場所を訪ねてみたいと思い、南海電車の諏訪ノ森駅と浜寺公園駅の古い駅舎(現在は南海本線の高架切り替えの工事中で、何れの駅も直ぐ近くに移動展示されており、何れ工事終了後に駅舎として再利用されるとのことです)を見たり、阪堺電車も利用してみようとの例によって欲張りな目的でした。

 先ずは南海電車の諏訪ノ森駅で下車し、移動されている駅舎を見てから(この詳細は、追って掲載します)、近くのスーパーで昼の弁当を買って、浜寺公園へ・・・


 先ずは腹ごしらえと、早速公園内の休憩所で弁当を食べながら、同じ休憩所に居た私と同年配の男性と世間話をしているとが、挨拶代りということでギンナンと栗を頂きました。

 私もかってはギンナンを良く拾いましたが、暫く水につけておいてから臭い果肉を洗い落として乾燥させますし、クリも虫の喰ったものを取り除くなど、どちらも非常に手間と時間が掛る処理が必要です。そんな貴重なものを、初めて出会った人に挨拶代わりにと差し出す人情味あふれる行為は、私になどとてもできることではなく、思わず頭が下りました。


 この様に、非常に好印象から始まった久しぶりの浜寺公園でしたので、気持良く主目的の「ばら庭園」に向いました。

 丁度秋の花が色々と咲き始めていましたが、ラッキーデイなのか上手くハマデラソウにも出会えました。
 この花はヒユ科植物でアメリカからの帰化植物らしいのですが、1932年に有名な牧野富太郎は博士が浜寺の海岸近くで発見して命名したということで有名ですが、現在でもこの近くにしか生育していないうです。

 また、この時期は色々なバラの実(いわゆるローズヒップ)も見られましたので、とりあえずこの様子をお知らせします。

 他の花などは、明日以降に掲載します。(まさ)


浜寺公園の松林


ハマデラソウ

同上

同上

同上。私の写真では判りにくいので「四季の山野草」より借用しました


バラの実
同上
同上 (ロサ・ロックスブルギ・ノルマリスという品種です)

同上


頂いたギンナンと栗(ちゃんと湯掻いて、半分にカットされています)


身近な言葉の語源  ~植物に関するもの~  その① 「さくら」と「きく」

2021年09月29日 20時17分23秒 | 面白い言葉や語源など

 植物に関する名前の由来ですが、先ずは国花とでもいうべき「さくら」と「きく」についてです。

さくら(桜):
 “いさぎよく散る”ということで、武士社会や軍国主義にも使われた植物ですが、やはり日本人にとっては特別の花でしょう。

 この語源については、非常にシンプルで「咲く+花」の音韻変化したもの説が有力なようです。


きく(菊):
 天皇家の紋章であり、かっては陸軍では武器や海軍では艦船の船首についていたこともあり、「きく」は日本語だと思っていましたが、よく考えると「菊」の訓読みはなく、音読みだけなのです。

 この「キク」という名前の由来については、

(1)大昔に、中国からこの花が伝来した時には「kuku(くく)」と呼ばれていたのが「キク」に変わった。
(2)かなり古い時期に「キク」という中国語が早くから日本語に入り込んで、訓のように使われていて、その後、中国の漢字と出会った

などがあるようです。(まさ)



秋の風景 ~淀川河川敷~

2021年09月28日 19時58分29秒 | 散歩中に見かけた風景

 引き続いては、淀川河川敷の風景です。
 

キツネノマゴ(キツネノマゴ科)
変わった前ですが、終った花穂がキツネのしっぽに似ているとか、花の形がキツネの顔に似ているからと言われています。

同上 アップ

同上 花穂か花の形からキツネが想像できますか


クサネム(マメ科) 今年は本当に目に付きます

同上

ホシアサガオ(ヒルガオ科) この時期非常に多いです

同上 ピンク

同上 シロ


チカラシバ(イネ科)

同上

キンエノコロ(イネ科)

アレチヌスビトハギ(マメ科)

ヤハズソウ(マメ科)

同上

同上


シロバナサクラタデ(タデ科)

同上

ママコノシリヌグイ(タデ科)

これも因果な名前ですが、茎には小さな棘がビッシリあります。

ヨナメ(キク科)

同上

アカバナユウゲショウ(アカバナ科)
同上

ススキも見頃です。


国民学校と尋常小学校など日本の初等教育について

2021年09月27日 19時23分25秒 | その他

 先日、『雪やこんこん』という題名で書き込んだところ、同年代の人から「尋常小学校と国民学校は違うのか?」とか「国民学校はいつできたのか?」というような問い合わせが寄せられましたが、私自身が経験していませんのでそこら辺の事情がよく判らず、改めて調べてみました。(この項はWIKIPEDIAなどを参照しました)

◆まず、我が国の明治以降の初等教育の大まかな歴史は
・1886年(明治19年)4月、文部大臣森有礼により小学校令(第1次)が公布され、小学校が尋常小学校(修業年限4年)と高等小学校の2段階となるとともに、尋常小学校の修業年限期間だけが義務教育期間となる。
・1890年(明治23年)10月、小学校令(第2次)の公布により修業年限が3年または4年となる。(1886年の小学校令を廃止。1892年4月1日全面施行)
・1900年(明治33年)8月、小学校令(第3次)の公布により尋常小学校の修業年限が4年に統一、義務教育の授業料を徴収せず。高等小学校も4年制となる。
・1907年(明治40年)3月、小学校令の一部改正により、澤柳政太郎文部次官の下、尋常小学校の修業年限が6年に延長。高等小学校は2年制となる。(1908年4月1日から逐年実施)
(高等小学校の旧1・2年を尋常小学校5・6年とし、高等小学校の旧3・4年を高等小学校の新1・2年とした)

・1941年(昭和16年)4月、 国民学校令により、国民学校が設置され、尋常小学校は国民学校初等科に、高等小学校は国民学校高等科となる。

・1947年(昭和22年)4月、 学制改革(六・三制の実施)により国民学校初等科は小学校になり、高等科は新制中学校に改組された。

※ 尋常高等小学校:日本において国民学校令が施行される前の学校のうち、尋常小学校の課程と高等小学校の課程を一つの学校に併置した小学校のことである。国民学校令の施行とともに、国民学校の初等科・高等科に改組された

※ 尋常小学校卒業後は、旧制中学校・高等女学校・実業学校といった旧制中等教育学校、高等小学校、青年学校普通科などに進学するか就職した。1936年の統計では、旧制中等教育学校に進学する者は21%、まったく進学しない者は13%、高等小学校に進学する者は66%だった[


◆というようなややこしい歴史ですが、国民学校(こくみんがっこう、旧字体:國民學校)とは、日中戦争後の社会情勢によって設けられた、初等教育と前期中等教育を行っていた学校で、小学校尋常科を義務教育である国民学校初等科(修業年限6年)に、そして小学校高等科を国民学校高等科(修業年限2年)に改組したものです。

 また、1944年(昭和19年)から義務教育年限を6年から8年(国民学校初等科6年+国民学校高等科2年/国民学校初等科6年+旧制中等学校2年)に延長することを内定していましたが、教育ニ関スル戦時非常措置方策により延期され、国民学校が廃止されるまで義務教育の延長は結局行われませんでした。


 私は1948年(昭和23年)の入学ですので、現在の小学校に入学したことになりますが、
・1940年(昭和15年)迄に入学した人は尋常小学校に入学
・1946年(昭和21年)迄の人は国民学校初等科に入学
ということになります。(まさ)

 


秋の風景 ~家の周辺~ 

2021年09月26日 19時27分49秒 | 散歩中に見かけた風景

 やっと秋の安定した天候になり、随分と過ごしやすくなったと思っていたら、今日は一気に秋本番を思わせるような涼しさとなり、慌てて長袖のシャツを引っ張り出しました。

 近くの散歩が楽しみな時期になりましたが、先ずはここ数日の間に撮った団地内や近くでの風景です。(まさ)

 


カラタチ(ミカン科)の実が色づいてきました。

同上

クコ(ナス科)も花盛り

大川河川敷のヒガンバナ

オオケタデ(タデ科)とヂュランタ・タカラヅカ(クマツヅラ科)

オオケタデ

ヂュランタ・タカラヅカ

セロシア(ヒユ科)

モミジアオイ

カクトラノオ(シソ科)

同上

イヌトウバナ(シソ科)??

同上

秋の空

同上