老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

38年前で思い出すこと

2023年11月07日 19時29分54秒 | 思い出すままに

 阪神タイガースの優勝で大阪は大いに盛り上がっていますが、38年ぶり」という事が大きく取り上げられていて、私もつい38年目のことを、特に野球がらみのことなどを色々と思い出しました。

(又もや、スペイン旅行記は中断しますが、このことについて記しておきます。)

★38年前(1985年、昭和60年)日本シリーズの最終戦は、11月2日(土)に西武球場だったので、私はこの日はツレアイと共に神戸で開催中の「神戸グリーンエクスポ85に出かけ、シリーズの様子はトランジスタラジオ(古い表現でスミマセン)で聞いていて、優勝の瞬間に大喜びしビールを飲んだことを覚えています。

★吉田監督が率いるこの年の阪神は本当に強く、切り込み隊長の真弓やバース/掛布/岡田という強力クリーンアップで楽しませてくれましたが、圧巻は4月17日の甲子園球場での巨人戦。

 偶々得意先が年間予約していた1塁側のボックスシートの券を頂き、ツレアイと一緒に球場に行っていたので、あの伝説のバース/掛布/岡田のバックスクリーンへの3連発を直に目にすることが出来ました。

・確か、この時の巨人のピーチャーは槇原だったと思います。

・またこの試合は楽勝ではなく、9回に巨人のクロマティ/原が連続ホームランで1点差となり、その直後に中畑の大飛球(ファール)もあり、ハラハラしましたが、何とか6:5で逃げ切りました。

★さて、11月2日に行った「神戸グリーンエクスポ85ですが、これは当時西神地区の山を削り、その土をトンネルの中のベルトコンベアーで海岸まで運び、そこで艀に積み替えて海を埋め立てポートアイランドなどの造り、「山、海へ行く」と言われた神戸市の開発事業の副産物で、土を削った西神地区の跡地に出来た神戸総合運動公園がこの博覧会の会場となったのです。
(この年の8月24日から9月4日まで神戸市でユニバーシアード神戸大会が開催され、この一環として「神戸グリーンエクスポ85」も開催されたのです)

 調べてみると、この博覧会の期間は1985年の7/31から11/4なので、会期末ぎりぎりの入場でしたが、この日本シリーズの為か、或いは人気がなかったのか、会場は物凄く空いていた記憶があります。また、このグリーンエクスポでは、マスコットキャラクターとして中国の珍獣「金糸猴」が展示されていたことも記憶しています。


★この神戸総合運動公園の「神戸グリーンエクスポ85」開催地跡はその後大きく変わりました。

・1988年(昭和63年)に野球スタジアムが完成。当初の愛称は「グリーンスタジアム神戸」で、神戸市が所有し、当野球場を準本拠地とするオリックス・バファローズの運営法人・オリックス野球クラブが、運営管理を行い、1989年からはオリックス・ブレーブスの準本拠地となり、1991年(平成3年)からはオリックス・ブルーウェーブの本拠地となり、更に2005年(平成17年)からはオリックス・バファローズの準本拠地となっています。

・この間、1995年(平成7年)1月17日に神戸淡路大震災が発生し、オリックスの試合開催が危ぶまれたが、「がんばろうKOBEの合言葉のもと、当球場でペナントレースが実施され、イチローの活躍もありオリックスが当球場移転後初のリーグ優勝をしました。(日本一になったのは翌年です)

・2003年(平成15年)、 日本の野球場として初めて施設命名権(ネーミングライツ)を導入し、ソフトバンクが命名権を取得してYahoo! BBスタジアム」と命名したが、その後も「神戸球場」「スカイマークスタジアム」と転々と名前を変え、2011年4日からは「ほっともっとフィールド神戸」となっています。

 
 余談ですが、私の記憶を裏付けるために色々と検証をしましたが、その中で気になったことが一つあります。

 それは、阪神が前回日本一になった1985年は、何と1リーグ時代に阪神が日本一となった1947年以来38年ぶりだったということで、阪神には38年周期があるのかという気もしましたが、“嘘の3・8”という言葉があるくらいですから、悪い説だと吹き飛ばしましょう。

 久しぶりに、今日の夕食も紹介です。(まさ)


現在の「ほっともっとフィールド神戸」球場

今日の夕食 フライ麺/枝豆/玉子豆腐

枝豆 頂いた黒豆の枝豆を、塩を効かせて湯掻きましたが、ビールのアテにぴったりでした。

フライ麺 急に食べたくなりました。野菜もたっぷりのフライ麺でした。


最近見かけなくなったもの(続々)

2023年08月26日 19時07分08秒 | 思い出すままに

 この間から、ビール瓶の栓を叩く行為や「ササニシキ」など、かっては非常にポピュラーだったものが無くなっていることに触れましたが、身近なものでも結構あります。

 このようなもので、取りあえず気付いたものを列記します。

<家庭内で>
黒電話
黒いゴミ袋
缶切り
富山の置き薬
ハエ取り紙
ちゃぶ台

<駅やデパートなどで>
改札口の切符切り
赤帽/チッキ
伝言板
エレベーターガール
デパート屋上の遊園地

<その他>
タイピスト(英文/和文) 官庁などには存在するらしい
電話交換手  これも病院・官庁などでは存在するところもあるようです
英語の筆記体
車のしめ飾り
チンドン屋
バキュームカー  工事現場やイベントなどの仮設トイレ用には活躍しているようです

(まさ)


最近見かけなくなったもの(続) ~ササニシキ~ 

2023年08月25日 19時03分52秒 | 思い出すままに

 先日書き込んだビールの栓を叩くことなどを考えながら、その日の夕方にスポーツジムでサウナに入っている時に、フト頭に浮かんだのが、ビールの栓抜きとは全く関係のない、昔はポピュラーだった「ササニシキ」という銘柄のお米を最近は見かけなくなったことでした。

 何で、私がこのようなお米の銘柄名を知っているのかというと、私が商社時代に酒米の担当をした時に、北陸産のササニシキを神戸や京都の酒造メーカーに納入させていただいていたことがあり、当時の主な銘柄米であるコシヒカリや日本晴れと共に非常に馴染みのある銘柄でした。

 コシヒカリや日本晴れは今でも良く目にするのに、最近何故「ササニシキ」を目にしなくなったのか調べてみると面白いことが判りました。

◆「ササニシキ」は、宮城県で開発され、東北地方の温暖な平野部を中心に生産されていた銘柄米で、かつてササニシキは「東の横綱」と呼ばれた人気品種で、ピーク時の1990年(平成2年)には作付面積が20万7,438ヘクタールに達し、コシヒカリに次いで日本第2位の作付面積となった。

◆コシヒカリと比較すると、ササニシキはアミロース含有量が多いため食味はあっさりしており、副菜の味を引き立て和食に向くとされた。しかし日本の消費者の嗜好が変化し、ササニシキのようなあっさりした米よりも、コシヒカリのような粘りの強いもちもちとした食感の米が好まれるようになったため、一般家庭用への販売は減少した。

しかし、寿司酢を加えても、べたべたしないため寿司職人が好み、寿司店によってはササニシキの使用を売りにしている。このため一般消費者より、料亭や寿司屋への供給が主となっていった。

◆更に、「ササニシキ」は、茎が細いため倒れやすく、いもち病抵抗性も弱く、更に冷害被害も多かった。そのため、生産者の方でも、冷害に強い品種であるひとめぼれ(コシヒカリ系)へ転換し、ササニシキの作付面積は大幅に減少した。

ということのようです。

 

 身近な飲み物や食べ物でも、このように僅かな期間に、些細な理由で大きな変化があるものですし、サウナはこのような飛躍した発想が湧いたり、想い出が蘇る面白い場所です。(まさ)


最近見かけなくなったもの  ~ビール瓶の栓叩き~ 

2023年08月22日 19時43分29秒 | 思い出すままに

(今日は少し暑さがマシでしたので、テニスに行ったものの、やはり日の当たる所でのテニスは高齢者の体に悪いという自己判断で、2時間で切り上げて帰宅でした。)

  先日昼食に入った食堂で、久しぶりに瓶ビールが飲みたくなり注文したところ、運んでくれた店員さんがテーブルの上に瓶を置くとエプロンのポケットから取り出した、栓抜きで蓋をトントンと2回叩いてから栓を抜いてくれました。

 最近は外では生ビール、家では缶ビールが習慣になり、この懐かしい習慣をすっかり忘れていたので、その日のビールは何か特別に美味しく感じました。

 

 このビール瓶の栓を2回ほど叩いてから開けるという習慣については、以前にも気になっていたのですが、調べて見ると、

◆昔は、栓をする技術が未熟で、ちゃんと栓が出来てなくて、炭酸の抜けてしまっているものがあったらしく、ちゃんと栓ができているか確かめるためにとんとん叩いていた。(それなら、飲む前ではなく、冷やす前だろうと思うのですが???)

◆栓の真ん中を叩くことによって、栓のスカート(ギザギザ)を外に向けることで開栓しやすくするため。

 とか諸説あるようですが、ビール会社に言わせれば「特に意味はない。誰でもやってるから俺も・・・、何かカッコつくだろ?」程度のことのようです。

 

このように何の疑いもなく行っていることで、全く無意味なことも結構あるのでしょうね。(まさ)

 


「俺たちに明日はない」と、「明日に向かって撃て!」 

2023年07月10日 19時11分55秒 | 思い出すままに

(梅雨沿線の停滞で九州北部は大洪水に見舞われていますが、福岡/佐賀には知人も多く心配です)

 先日のブログで「俺たちに明日はない」(原題:Bonnie and Clyde」)というアメリカの映画の題名を引用しましたが、この映画は1967年製作のアメリカン・ニューシネマの先駆的作品の1つで、余りにもリアルすぎる最後の場面や同性愛も取り上げられていて当時は非常に話題になりました。

 主演はウォーレン・ベイティで、彼は1961年の『草原の輝き』でデビューし、一躍有名になり、その後も西部劇や社会的話題の多い映画に出演しています。

 因みに「俺たちに明日はない」でボニー役として共演したのはフェイ・ダナウェイでした。


 私は、この「俺たちに明日はない」の名前を聞くと同時に頭に浮かぶのが以前にもこのブログで触れたことがある、同じくアメリカン・ニューシネマの代表作で私の大好きな「明日に向かって撃て!」(原題: Butch Cassidy and the Sundance Kidです。

 二つの映画は原題の付け方もよく似ていますが、更に日本語の題名のニュアンスが似ているだけでなく、男女のペアを含めた仲間で銀行強盗などを繰り返し、最期は共に撃たれて死ぬというストリーの共通性もあり、よく混同されたり、姉妹作品のように言われることもありますが、実際は少し違っています。

 先ず、「明日に向かって・・・」は1967年製作で、時代背景は西部開拓が段落した1890年代ですが、主役のブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)は、実在の犯罪者ですし、更に二人と行動を共にした女性エッタ・プレース(キャサリン・ロス)も実在の女性です

 一方、「俺たちに明日は・・・」は少し遅れて1969年の製作で、時代背景は1930年代の世界大恐慌時代です。


 アメリカン・ニューシネマとしては、1969年製作の「イージー・ライダー」(原題:Easy Ride、主演:ピーター・フォンダ)も有名ですが、上記の2つの映画共々、アウトローあるいは社会のはみ出し者たちを主役にした映画です。

 何れも、主役たちのある程度精神的に自由な生き方に共鳴しつつも、最期は彼ら全員が撃たれて死ぬことで共通しているのは、アメリカの宗教的な視点なのでしょうね。

 

 今日団地の中で、ハマボウ(アオイ科)を見かけました。
鬱陶しい梅雨末期の天候の中で、鮮やかな黄色に元気を貰いました。(まさ)


ハマボウ

同上

同上

同上