老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「厚顔無恥」ではなく、せめて「顔厚忸怩」に・・・ 

2022年12月16日 19時39分37秒 | 福祉・障がい 関係

 本当にこの国はどこに行こうとしているのか? 
 最近の政治の貧困さと傲慢さは、ここに極まれりという感じです。

 いつの間にか、防衛費がGDPの2%に設定され、財源確保のために何と東日本大震災復興を願って導入された復興特別所得税を準用したり、自衛隊施設の整備のために建設国債を充てることを決めるなど、もう滅茶苦茶です

 政治は、選挙で多数を確保し政権維持を図ることが最大の目的となり、そのために礼節を忘れたさもしいバラマキ政策が優先されます。

 その結果が、国の借金は1,100兆円を超えて膨らむ一方で、減額の目途もつかないまま子供・孫世代への負の遺産となっているのです。


 最近は「選良」という言葉は殆ど死語となり、国会議員などに対しては「厚顔無恥」という言葉の方が代名詞になったように感じるのは私だけではないでしょう。

 <四字熟語辞典>によると、「厚顔無恥(こうがんむち)」については、「厚顔」は厚かましいこと、「無恥」は恥知らずなことで、これが合わさり‟厚かましく、恥知らずなこと“を意味します。

 由来については、中国最古の詩集『詩経』に「巧言くわうの如く、顔の厚きや」とあり、「厚顔」は言葉巧みに乗り切り外面を良く見せ、内面の恥を隠すことを意味しています。
日本には平安時代頃、漢文を通して「厚顔」が伝わり、内面の醜さをさす言葉として用いられ、明治時代以降には、日常語として「厚顔」が用いられるようになりました。

 やがて、知識や知恵がないことを意味する「無知」が付いて、「厚顔無知」という四字熟語の形での使用となりましたが、更に「無知」が同じ発音の「無恥」に変わり“知識や知恵がないのではなく、知っていながら恥ずかしげもなく行う”との意味を持つ言葉になっていったようです。

 従って、「厚顔無恥」の結果として起こったことは、確信犯として政治責任を問われるべき事柄なのです。

 正に「厚顔無恥」とは、国民に選ばれ国家の将来を論ずるはずが、党利をカモフラージュにして私利私欲を最優先させ、「政治屋」としての家業継続を図る一部の国会議員を象徴するような言葉でしょう。


 しかし、最近同じような言葉に「顔厚忸怩(がんこうじくじ)」があるのを知りました。
「顔厚」は「厚顔」と同じく‟厚かましいこと“を意味しますが、これに「忸怩」が付くと全く意味が変わるのです。

 「忸怩」は「忸怩たる思い」のような使われ方をしますが、“自分の行いを恥ずかしいと感じること”で、これが合わさって、「顔厚にして忸怩たる有り」(書経)を略した言葉で、“どれだけ厚かましい人でも恥かしいと感じる”という意味になります。

 少しでもこのような気持ちがあり、「厚顔」を自粛するようになれば、もう少しは「選良」に近づくかも知れませんね。
こんな希望は、「詮なきこと」なのでしょうか・・・(まさ)

 


介護職の現状を垣間見る

2022年12月06日 19時44分09秒 | 福祉・障がい 関係

 2年ほど前からツレアイがデイケアやグループホームのお世話になり、今年の初めからは近くの特養に入所していますが、ここの所ツレアイの症状が悪化し、コロナ下にも拘らず施設の配慮で昼間はツレアイが入所している施設の部屋で一緒に過ごすことが多く、施設のスタッフの方には非常にお世話になっています。

 今までも高齢者施設での花壇活動に参加したり、園芸福祉という物を通じて高齢者や介護施設入居者のことはある程度は頭では判っているつもりでしたが、これに携わる介護施設のスタッフの具体的な仕事内容については正直言って余り理解していませんでした。

 最近の経験から、私が感じたことを順不同で書き込んでみます。

◆男性介護職従事者の増加

 今までは介護施設に行っても、男性スタッフは事務所などでしか見ることがなかったのですが、介護の現場で働かれる男性スタッフが非常に多いことにビックリしています。

・若い人だけでなく、結構年配の方もおられますが、皆さん非常に配慮が行き届いている対応で安心してお任せできます。

・この現場は入居者を抱えたりの重労働も多くて、私の知っている女性介護職の方で腰を痛めて退職を余儀なくされた方も結構おられますが、若い男性の介護士さんでも腰にコルセットを巻いておられる方を見ると、この仕事の大変さと男性介護職の増加が何となくわかります。

・今までどちらかというと「女性の職場」と思われていたこの分野に、若い人を含めて男性の比率が増えていることには、改めて日本の産業構造の変化を感じると共に、これらの人たちの弱者に寄り添いたいという心情と職業に携わられるのを本当に嬉しく頼もしく感じます。

◆過酷な職場

 このような施設は入居者もおられ24時間対応が必要なので、当然ながら夜勤もあるという不規則な勤務体制になるために、十分な引継ぎに拠るチーム担当になるのでしょうが、そのような勤務環境を克服しながら、家族でも対応しにくい食事/入浴/着替え/健康維持作業の補助だけでなく、人によっては排泄物の対応まで懸命にされている姿には、感謝以外にありません。

◆労働環境の改善

・そのような労働環境にありながら、子供の保育に関わる方々と同様に、介護職従事者の賃金は相対的に低いと聞いています。

 この国の政策がいわゆる「生産性」や「効率化」を優先し、人のケアに関わる基本的に人的対応が必要な分野をある意味では切り捨てしていることのしわ寄せでしょう。

・現在ツレアイがお世話になっている施設でも、「研修生」として東南アジア出身の方が従事されていますが、現在の日本の経済力や東南アジア各国の経済成長を考えれば、ごく近い将来にこのような研修生という制度が成り立たなくなることは明白でしょう。


 防衛力強化などという莫大な予算を要する政策を考える前に、これらの人的対応が必要な教育/医療/介護分野で従事者が魅力を感じるような施策が何よりも必要ではないでしょうか。

 それなくしては、日本の未来などはないでしょう。(まさ)

 


公園が子どもたちや高齢者に役立ちそう…

2017年02月04日 19時45分58秒 | 福祉・障がい 関係
 今日は、旧正月に相応しい少し明るいニュースです。

 昨年は、「保育園落ちた、日本死ね!」騒ぎで保育所不足が露呈したり、東京都杉並区での公園内への保育所建設に対する住民の反対運動など、保育所問題が大きな社会的な問題となりました。

 本来公園は環境維持のために遊具などの限られた施設しか設置を認めないと都市公園法で定められているのですが、地域を限って規制緩和を行う“国家戦略特区(※)”内では、その規制を緩められました。

(※)第2次安倍内閣が成長戦略の柱の一つとして掲げ、日本経済復興のため、規制を緩和し、産業の国際競争力を高めると共に海外企業を誘致することを目的とした地域で、東京圏・関西圏・沖縄県・新潟県新潟市・兵庫県養父市・福岡県福岡市・沖縄県・秋田県仙北市・宮城県仙台市・愛知県が国家戦略特区に指定されています。

 これに基づき、東京都の荒川区・品川区・世田谷区や、大阪府豊中市など各地で都市公園内への保育所新設が実現するようですが、更に国土交通省は現在は国家戦略特区だけに認めている都市公園内の保育所設置を、全国どこでも可能とする方針を固め、今国会に都市公園法改正案を提出する方向で検討しているようです。

 更に、保育所だけでなく、日中に保護者が家庭にいない小学生らを受け入れる学童クラブや、高齢者向けのデイサービスセンターを設けることも容認。設置期間は10年とし、更新できるようにするとのことです。

 私的には、今まで公園やあちこちの空間を利用して、高齢者や色々な障がいを抱えた人たち、更に子どもたちが園芸を通じて支え合えるような花壇やスペース作りなどに関わっていただけに、単に保育所への待機児童対策としてだけでなく、このような公園の地域に密着した有効活用は本当に嬉しい限りです。(まさ)

放送禁止用語

2016年09月21日 22時14分50秒 | 福祉・障がい 関係
 9月初めのこのブログで「見かけなくなった物・死語」というテーマで書かせていただきましたが、その時に気になったのが、昔は使用されていたのに現在は使われなくなったというより、意識的に使用を控えている言葉が多いことでした。

 少し調べて見ましたが、法によって明文化された「使用禁止語」なるものはないのですが、放送事業者やマスコミ関係者などが、それぞれに差別などに繋がる不適切な言葉を避けようということで、自主規制しているのが実状で、これが「放送禁止用語」として定着しているようです。

 http://monoroch.net/kinshi/などで、その例と適切な「言い換え語」がチェックできますが、中には思わず使ってしまいそうな言葉もあり、少し長いですが目についたものを下記します。

<使用禁止語>     <言い換え語>
者         障がい者
足切り         予備選抜、二段階選抜
足を洗う        更生する
片足          片方の足
片手落ち        気配りに欠ける、不公平
片肺          片翼
気違い・気違い沙汰・気違いに刃物   (使わない)
ぎっちょ        左利き
狂気・狂気の沙汰   (使わない)
首切り         解雇、人員整理
色盲          色覚異常
自閉症児        自閉症の子ども
植物人間        植物状態人間
心障者(児)      心身障害者(児)
精神異常        精神障害
精神分裂病       統合失調症
知恵遅れ        知的障害
痴呆症         認知症
低脳          学習障害、学習困難
脳膜炎         精神障害者 
盲判を押す       ろくに見ないで判を押す
盲滅法         やみくも
盲愛する        むやみに可愛がる
ブラインドタッチ    タッチ・タイピング

特殊学級        身障児学級
特殊学校        特殊教育学校
養老院         老人ホーム、 老人養護施設

後進国・低開発国    開発途上国、発展途上国
表日本         太平洋側
裏日本         日本海側
日本のチベット     過疎地帯、辺地、高山地帯
エチゼンクラゲ     大型クラゲ        
           (福井県水産課が県のイメージ低下として不使用を要請)

インディアン      アメリカ原住民
エスキモー       イヌイット
酋長          部族長、首長
外人          外国人
ジプシー        ロマ
不可触民        ハリジャン

出稼ぎ         季節労働者
板前          調理師、板前さん
運ちゃん        運転手
お巡り         警察官、巡査(幼児語としての「お巡りさん」は可)
親方          チーフ、班長
看護婦         看護師
魚屋          鮮魚商
獣医          獣医師
坊主          僧侶、お坊さん
OL          office worker(オフィス従業員)や company employee(会社員)
            (わざわざ「女性」の表現をしない)

士農工商        身分社会、階級制度
過去帳         檀家の記録
          集落、地区
川向こう        (使わない)
        自己紹介書

子供          子ども
片親          母子家庭、父子家庭
連れ子         お子さん
老婆          老婦人、老女
落ちこぼれ       授業についていけない子供、学業・成績不振の子供
溺れ死ぬ        溺れて死ぬ
姦通          不倫行為
強姦          乱暴、暴行
情夫・情婦       愛人
処女作         第一作
処女峰         未踏峰
肌色          ペールオレンジ、うすだいだい
未亡人         (使わない)
嫁にやる・婿をとる・娘を片付ける   (なるべく使わない)

 更に、次のような昔からの言い回しも、特別な場合以外は使用を避けた方が無難です。
   群盲象をなでる   
   健全なる精神は健全なる身体に宿る
   天才と狂人は紙一重
   南部の鮭の鼻まがり
   盲蛇に怖じず

 その他、そんなものまでと思うのですが、「頑張れ」とか「熱狂」、更に職業の略称である「AD」や「CA」などもできるだけ使用しないようになっているようです。 

障がい、差別用語、性的表現、さらに職業やマイナスイメージを与えそうな地名などに関するものが多いようで、「何もそこまで・・・」と思われる人もあるでしょうし、一部では表現の自由との兼ね合いが争点にもなっていますが、やはり受け取る側が差別などと感じたり、嫌な気持ちになる可能性のある言葉は、出来るだけ使わない方が良いのは当然でしょう。(まさ)

雨と障がい者

2016年09月20日 20時09分01秒 | 福祉・障がい 関係
 相次ぐ台風の接近や秋雨前線などの影響もあり、関西でも雨模様の天気が続き、週2回楽しんでいるテニスも3回続けて中止となりました。こんな時には、仲間内ではつい“雨の為”とか“雨のせいで”とかいう表現をしてしまいます。

 敢えて“仲間内では”というのは、確かに河川氾濫や土砂崩れを伴うような豪雨は別として通常の雨は貴重なもので、農業・園芸や飲料水の確保という点でも、適当な雨がなければ困るということを知っているからです。
事実、花壇管理に携わっている身では、今年の大阪のように猛暑続きで雨が殆どない状態では、久しぶりの降雨は「恵みの雨」「大地を潤す雨」という表現が非常に身近に感じられました。

 しかし、折角楽しみにしていた行事が雨で中止になる例は多く、こういう時にはつい雨のせいにして嘆くのは人間の性でしょう。TVの天気予報などでも雨の予想の場合は、“あいにくの雨”、“残念ながら雨”、“雨になってしまう”などネガティブな表現が多く、まるで雨が降るのがいけないかのような感じです。やはり、どこかで“雨は迷惑なもの”という先入観念が身についているのも事実でしょう。

 こんなことを考えていると、これと同じような発想は身近な所にでも多くあることに気付きます。
例えば、園芸福祉を心がけながら“高齢者や障がいを受けられている方々を手助けする”とか或いは“植物を育てる”というように、ある意味では思い上がった考えが身についてしまい、相手が人間であれ植物であれ、“共に助け合う”とか“相手からも恩恵を受ける”という視点が頭では判っていながらも日常の考え方や表現では抜けてしまっていることが多いのです。

 先日のこのブログで、先般の相模原市の重度障がい者施設での事件に関し、『犯行者の行動背景として、“不都合なものを排除することにより自分たちの平和が保たれるという極めて独善的な考え方のまん延”があるのではないか』という私見を述べましたが、私たちの何気ない日常会話の底にもこれに通じる考えが潜んでいるのかと、改めて気付かされます。

 昨日終わったリオデジャネイロでのパラリンピックで、色々な障がいを抱えながらもそれをバネにして、生き生きと挑戦されている姿に感動しただけに、日頃何気なく使っている言葉にも、これらの障がいを抱えられている人たちを、共に助け合う仲間と思うだけの不断の気配り・配慮が必要だと改めて感じます。(まさ)