老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

身近な言葉の語源  経済などに関するもの その④  ~左うちわ/左前~

2021年12月31日 19時17分28秒 | 面白い言葉や語源など

 暮らし向きを表現する言葉として、「左うちわで暮らす」とか「左前になる」という言葉がありますが、この「左」という言葉が気になって少し調べてみました。

左うちわ:

 “安楽な暮らし”を意味しますが、この「左うちわ」については、大事な右手は遊んでいて使われていないことを意味し、つまり主人以外が働き、主人は遊んで安楽に暮らしていける状況を指すようです。

 

左前:

 経済状況が悪いことを指しますが、これは着物の右の衽(おくみ)を左の衽の上に重ねて着ることで、死者に経帷子(きょうかたびら)を着せる際の習慣であることから、『逆で悪い』という意味になります。

 つまり、二つの言葉の「左」は全く関係なかったのですが、通常では使わない使い方をするということでは異常な状態を指しているといえるでしょう。(まさ)


これで今年も無事に終わりましたが、来年は皆様にとっても良い年でありますように・・・

私も、少しでも新しい環境に慣れて、健康で過ごせることに注意します。(まさ)

 


身近な言葉の語源  経済などに関するもの その③  ~書き入れ時/二束三文/注文~

2021年12月30日 19時08分41秒 | 面白い言葉や語源など

(今年も後1日だけ、寒風に負けずに今日も今年最後のテニスで遊んできましたので、ブログは簡単に・・・)

かきいれどき(書き入れ時):
 “儲かる時期で、忙しく動かねばならない時”を表すのに、「書き入れ時」という言葉があります。

 「利益を搔き集める時」だと思っている人が多いようですが、これは俗解で、商売が忙しくて「帳簿に書き入れるのが多い時」を言うのが正しいようです。

二束三文:

 “数量は多いが、非常に安いこと、或いは物”を言います。

 草履などの履物を投げ売りするときに、「二足三文」という表示がされていることもありますが、これはこじつけで、本来は「二束三文」だそうです。

 二束三文は、二束(ふたたば)でも、三文というわずかな金額にしかならないことに由来するしますが、その「二束」と「三文」について、もう少し調べてみます。

 「束」というのは、稲刈りが終わって,脱穀した後の藁 (わら) を束ねて積み上げた稲わら塚のことのようで、この稲藁の束を棒の両端に下げて担いで売り歩いても, 2 束で 3 文にしかならなかった、というのが語源ということです。

 また、「三文」という言葉は「三文判」、「三文芝居」や「三文文士」などという言葉もあるように、安物や粗末な物の意味で使われることが多い様です。


注文:
“欲しい商品を頼むこと”を言いますが、この語源は少し難しかったです。

この語源は何と平安時代まで遡り、土地の状況を注記して知らせる文書を「注進の文書(もんじょ)」と呼んでいたことから、急な事件を知らせる文書を言っていたのが、「注文」に変化したようです。(まさ)


清荒神へ

2021年12月29日 20時48分13秒 | 旅行/色々な風景

 家の片付けも大体目途がついたところで、何か抜けているような気がしていましたが、宝塚にある清荒神(きよしこうじん)行きでした。

 毎年、年末には二人で行っていたのですが、今年はすっかり忘れていて急遽出かけることにしました。

 午前中に水槽の掃除と水替えを終えて、年内最後のマッサージで体をほぐしてもらった後、梅田に出て阪急電車で清荒神まで。

 そこから少し北に上ると、旧有馬街道に出て、直ぐその向こう側に鳥居があり、そこからは「龍の道」と呼ばれる飲食店や土産物店などが立ち並ぶ緩やかな約1㎞の参道が続きます。

 年末とあってか、多くの参拝者が両側の店を覗きながら参拝されていますが、この清荒神は正式名を清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)と言い、真言三宝宗の総本山の寺院で神仏習合の古刹です。


 関西では、昔から火の神・台所の神である「荒神さん」として広く親しまれていて、昔は各家庭のおくどさんにはこの寺院のお札が貼ってあったものです。

 因みに、この寺院は寛平8年(896年)11月18日に宇多天皇の勅願寺として静観僧正に現在よりも少し東にあった旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられた。鎮守神として現在地である西の谷の地に三宝荒神社も建立され、宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を下賜され、最盛期には七堂七十二坊の荘厳な伽藍を誇りました。

 平安時代末期の治承・寿永の乱や戦国時代の有岡城の戦いに巻き込まれて炎上したが、三宝荒神社は被害を免れていて、江戸時代の安政年間(1855年-1860年)に清澄寺本堂が旧清から三宝荒神社のある現在地に移築され、清澄寺が再興されて伽藍が整えられたようです。(まさ)


鳥居

鳥居の手前は旧有馬街道で、何となく情緒のある道です

鳥居横の寺碑

両側に店がある狭い参道です

途中にある中山寺への分岐点

駐車場近くでは正月に向けての露店の準備中

既に賑やかな参道の露店
同上
同上


山門

拝殿前の布袋像

火箸納所 厄年に厄除火箸を自宅にお祀りしておくと、その火箸で厄をつまみ出していただけるそうです。火箸は厄が明けた年の節分以降に「火箸納所」に納めます。

沢山の火箸

本堂への石段
同上
本堂

本堂下の一願地蔵尊

本堂と寺務所を結ぶ太鼓橋
奥にある龍王滝

池の鯉とマンリョウの赤い実


師走の風景 

2021年12月28日 19時40分52秒 | 散歩中に見かけた風景

 今年も残りわずか、家の片付けやテニスの合間を縫って、寒さが厳しい河川敷等を散歩していますが、そんな中で見かけた風景です。(まさ)


ギンモクセイ(モクセイ科)は寒くなっても花を付けています

同上


毛馬の閘門近くではユリカモメの群れが来ました

私の姿を見つけて、食べ物を貰えると思ったのか、一斉に飛び立ちます

数羽がまだしぶとく近くにいます


淀川ではヒドリガモ


正月の準備少し進みました

2021年12月27日 19時48分02秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)

 今年も残るは数日だけ。

 ツレアイが不在とは言え、知人への年賀状は欠かせませんので、連夜お酒を前に置いて頑張っていましたが、昨夜ようやく完成。

 また、年末の家の掃除は手抜きが出来ませんので、そろそろ取りかからねばと考えていると、まだ年末にかけてテニスの予約が2回もあるのを思い出し、幸いにも外出予定のない今日から取り掛かることにしました。

 今日は1日掛けて、台所/居間の掃除と窓ガラス拭きに挑戦。

 ある程度は普段から心がけているつもりでも、台所の油汚れや、居間の隅っこなどは結構汚れており、寒い日でしたが汗だくになるほど働きました。

 また、窓のガラス拭きについては、最近はベランダに来るメジロの写真を撮るのに、ガラス越しなのでガラスの汚れが気になっていたこともあり、その部分は特に丁寧にしました。

 ツレアイが居ないので料理の方は少し手を抜こうと思っていますので、何とか掃除の方もある程度目途が付いたので,テニスを楽しみながらその合間の作業で格好がつきそうです。(まさ)


今日の昼食は大好物のピザ(勿論、掃除のご褒美としてのビール付きです)私は、冷凍のピザを買ってきますが、家でオーブンに掛ける前に、ハムやチリメン雑魚のトッピングを加えます。チリメン雑魚が本当にピザに合うのです。騙されたと思って一度試してみてください。