老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

JR福知山線廃線跡の散策  その②  ~いろいろ植物たち~

2017年04月30日 20時08分39秒 | 旅行/色々な風景
 福知山線廃線跡は自宅からそれ程離れていませんが、兵庫県の中東部を源流とする武庫川の流域の山間部にあるだけに、私がいつも散歩する淀川流域と比べて植物がかなり異なり、いろいろな植物を興味深く観察できました。その一部を紹介します。(まさ)


トキワハゼ(木の元地蔵の近くで)

ムラサキサギゴケとレンゲ(同上)

ヤマフジ

ツツジ(フジツツジの様です)

ツツジとモミジの新緑

イブキシモツケ

同上 アップ写真

アケビ(雄花)

マムシグサ

ムラサキケマン

キンポウゲ

マメヅタ

マメヅタの胞子

JR福知山線廃線跡の散策  その①

2017年04月29日 20時00分22秒 | 旅行/色々な風景
 昨日は少し肌寒い朝でしたが快晴という予報だったので、急遽西宮市と宝塚市にまたがるJR福知山線廃線跡のハイキングコースに出掛けることにしました。

 元々はJR福知山線の線路でしたが、1986年の複線電化に伴い、生瀬~道場の間が新線となり、その間の旧線が廃線となったもので、その後生瀬~武田尾間がハイキングコースとして整備されたものです。

 武庫川の渓流に沿う、枕木が残ったままの道で、トンネルや鉄橋ありというコースで、最近非常に人気を呼んでいることを知り、気候の良い時に一度行きたいと思っていた所です。

 ツレアイ共々、リュックを背負い、大阪駅で弁当を手当てしてから、普通電車で生瀬駅に。
同じような姿の夫婦や、女性グループもおられましたが、それぞれマイペースで出発。

 最初の1km位は、交通量の多い国道176号線の歩道を歩くのですが、現在工事個所が多くて、道案内も完備していました。
高速中国道の下をくぐり、木の元地蔵に立ち寄った後、武庫川の支流を渡り、塩瀬町から旧線跡に降りて、そこから武田尾迄のノンビリとしたコースです。

 起伏は少なく、ハイキングコースというよりは散策路と言った方が適当でしょうが、ほぼ全コースには線路跡らしく枕木が敷いたままになっており、線路にあった少し大きめのゴロ石もそのままなので、どうしても敷石を伝っての歩きとなります。

 既に山桜の季節は終っていますが、新緑が目にまぶしいくらいで、絶えず横を流れる武庫川の水音もあり、本当に癒されるコースです。
途中6つのトンネルが残されておりますが、最長のものは400m以上もあり、しかも少しカーブしているので、先が見通せずに真っ暗で、懐中電灯なしでは歩きにくいでしょう。
逆に、出口に近づき外の新緑が見え出すとホッとし、明るさの大切さも痛感します。

 ゴールはJR武田尾駅で、ここから大阪まではJRで帰りましたが、この武田尾駅は半分トンネルの中にあり半分は川の上という何とも変った駅でした。

 初めてのコースで、いつもの自宅近くの散歩道では見受けられない植物も沢山目にして写真に撮りましたので、追ってお知らせします。(まさ)


生瀬駅近くの道案内板

木の元地蔵尊

名塩ニュータウンの近代的な街も近くに見えます

いよいよコースに出て、枕木の道を歩きます

同じく枕木の道

傍には武庫川の渓流が

時にはこのような急流もあります

トンネルの入り口

内部も、枕木が残っています

最後のトンネルは短くて、出口もはっきり見えます

トンネル出口から見る新緑はまぶしい位です

トンネルの出口が鉄橋の所もあります

この鉄橋も非常に昔のものでしょう

JR武田尾駅
 
ホームのすぐ東側は名塩トンネルになっています

町内大掃除の記憶

2017年04月28日 19時38分36秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など

 今では大掃除と言えば、年末の家の掃除ということになるのでしょうが、S16年生まれの私には、この時期になるとまだ私が小学生だった頃の春の大掃除が思い浮かびます。

 その当時、私は戦争が終り疎開地の兵庫県宍粟郡山崎町(現在は宍粟市)から引き揚げて、神戸市灘区の家に住んでいたのですが、確か毎年5月上旬になると町内一斉の大掃除日というのがあり、全戸が掃除に取りかかりました。

 それは、一斉大掃除という名に相応しく、

・各家から畳を持ちだして、家の前の道路に2枚づつを立てかけて干すと共に、竹棹で叩いて埃を出す。
(その時に、畳の場所を間違えないように、裏にチョーク等で「6畳西南」とか「6畳東北」とかの記号を書いておくことが大事でした)

・家では、女性陣が家中をハタキで埃を出すと共に、雑巾をかける。
一方男性は、畳を持ちだした後の床板を外して、下の土を乾燥させたり、石灰などを蒔く。

・その後、床板を戻し、畳の下に敷く新聞紙を取り換えた後、陽に干した畳を記号通りに敷き戻す。
(そして、その際に畳の表替えが必要なものをチェックしておき畳屋に依頼する)

という大掛かりなもので家族全員が揃って協力する事が暗黙の前提でした。

 この習慣は確か秋にもあったと記憶しているのですが、インターネットで調べても、私の記憶にあるこの大掃除にはヒットできません。

 僅かに見つかったのは、住宅建材等に関する大手前学院などの論文の中で、
・関西では毎年1~2 回、特定日を設けて、町内一斉に「大掃除」を実施した。
畳を上げて屋外で日光を当てて干し、床板をはずして床下を乾燥させる作業の主目的は居住者の健康維持であったが、住宅の健康維持にも寄与する優れた社会的慣行ともなっていた。

・戦後しばらくは、各町内で夏の大掃除の日が決められ、畳をあげて陽に干し、正月前には街角で畳表を張り替える様子がみられた、町内一斉の大掃除の習慣がなくなり、畳を干す場所を確保することも難しくなった。畳は適切な手入れがされなくなり、次の世代に畳の維持管理の知恵が受け継がれにくい状況がある。
などの記述です。


 このように木造住宅や畳の維持の為に、昔から好天で湿気の少ない初夏や秋に地域ごとの大掃除の日が設定されていたと思うのですが、それ以外にも戦後間もなくまでは、日本の保健・衛生事情も余り良くなく、健康保持の為にも大事な慣習だったのだと思います。

 戦後は、団地形式の住宅の普及や街の近代化の為に、一般道路を利用してのこのような風景は見られなくなりましたが、私にとっては懐かしい原風景の一つです。(まさ)


ベランダも徐々に初夏の花に… 

2017年04月27日 19時46分17秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)
 まだ我が家の冬から春にかけての主役であるシクラメンとツタガラクサはまだ元気に咲いていますが、ここのところ暖かい日が続いており、他の花はいつの間にか初夏の様子に変っています。
 
 何れも、例年より少し遅れた開花ですが、その分花数が多いようにも思えます。(まさ)


クレマチスとクンシラン

クレマチス

クンシラン

アジュガ(セイヨウジュウニヒトエ)

同上アップ写真

今村復興相の引責辞任に思う

2017年04月26日 20時16分00秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
(今日はどうしても触れておきたい事項があり、2件目の書き込みになりました)

 今村復興大臣が、先日の福島原発事故関係を巡って “(自主避難者が帰宅しないのは)自己責任”との発言に続いて、昨日の所属する二階派の総会で東日本震災に関して“震災が(首都圏でなく)東北でよかった”旨の発言をし、流石の安倍総理もこの発言直後に直ちに謝罪すると共に、大臣を更迭しました。

 如何にも首相の素早い対応に見えますが、果して“これにて一件落着”で良いのでしょうか。
そもそも、通常の感覚なら、前の発言の際にすっぱりと更迭すべきでしょうが、その時は擁護するような姿勢でいながら、今回は叱責するという一貫性の無さに呆れる他ありません。

 よく考えると、今村議員の発言は何も失言ではなく、多くの自民党の議員の本音だったのかも知れないと思えるのです。

特に原発関係については、
・原発関係でも、“これだけ色々と予算を捻出して事故対応しているのだから、いい加減に自分の立場ばかり言わずに、費用の掛らない方法に協力してくれよ!”という気持は政府として当然持たれていると思います。

・それより根本的には、口では「原発は安全な電力」と言いながらも、根本ではその危険性を認識して、大都会周辺ではなく過疎地に立地を押しつけている事実は如何ともしがたく、“(やはり、原発は危険性もあり)万一の場合には産業や人口の少ない地域に犠牲になって貰おう”との思惑で、色々な助成金や補助金を付けて、立地を押し付けてきた歴代の政府の欺瞞がその根本なのではないでしょうか。

 この点では、口先で何と上手く言おうと、沖縄の基地問題の本音も同じ土台でしょう。

 通常は政府関係者が直接口には出さなくても心の中で日頃から考えていることが、今回は今村議員の余りにも正直で雑な発言で表面化したものということになるのではないでしょうか。(まさ)