(明日からはもう3月。4年ぶりの潤の日に政治倫理審査会が開催され、首相自ら出席とのことで少しは殊勝なことでも言うのかと、一応TVを合わせてみました。案の定というか、余りの茶番に直ぐにTVを切りました。あの程度のことなら総裁や首相でなく、例のアンケートやらを集計した若い事務員でも発言できる内容でしょう。本当に情けないことです。 今日も言葉の話題です。)
現在では、「世界的な演奏家への登竜門である〇〇国際音楽コンクールで優勝」などというように、「登竜門」は関門そのものとして指す言い方が一般的ですが、元々は違っていたようです。
しかし、「登竜門」という門や関門はなく、現実にあったのは「龍門」で、その「龍門」は夏朝の君主・禹がその治水事業において山西省の黄河上流にある龍門山を切り開いてできたとの伝説がある陝西省韓城市と山西省河津市の間を流れる急流のことで、その激しい「龍門」を登りきった鯉がいたならば、その鯉は龍になれるという言い伝えがあります。
また、これに関連して、『後漢書』李膺伝に語られた故事に、『膺は声明をもって自らを高しとす。士有り、その容接を被る者は、名付けて登龍門となす』というのがあるようです。
『膺』とは、李膺のことで、宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもありました。
上記の故事は<もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容した>という意味のようです。
即ち、「登竜門」とは、元々は“とても難しいこと、困難を極めること”とか“立身出世のための関門や、人生の岐路となるような大事な試験を通ること”を意味し、関門(試験やテスト)そのものを示す名詞ではなかったようです。(まさ)
※ この項については、「語源を楽しむ」(ベスト新書増井金典著)や<DOMANI>などを参考にさせていただきました。
<今日の夕食>
湯豆腐/トーフバーグ/干物/メカブ/黒豆
トーフバーグ
干物