玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

ネットもマンネリ化

2024-07-31 10:06:01 | つぶやき

例えば、哲学系のじゅんちゃんとか、一月万冊、鮫島タイムス等の単品モノが近頃ピンと来なくなった。

他方、アークタイムスやデモクラシータイムスなどは豊富なコメンテーターによって、いろんな意見が聞けて今のところ飽きさせない。

弱小メディアに言い辛いが、一方方向や個性的な見方は時間が経つと自然と飽きがくるものだ。

そうした単品モノの意見売りのユーチューブは今後伸びが止まるのではないだろうか。じゅんちゃんと安富教授が哲学論をかわすとか、佐藤さんと鮫島さんで政治論評をするとか、相互に乗り合ったら面白いのになあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの経営者は何処に

2024-07-30 09:18:55 | ブツブツ

ふと思い出すのはビック・モーターの経営者の親子だ。彼らは何処に行ったのだろうか。

公道の街路樹を会社看板の邪魔だと社員に切らせ、ゴルフボールで車に傷を造って新たな修繕箇所で儲け、気に入らないと簡単に社員の首を斬る。

ひょっとすると、公共部門の行き過ぎた民営化とは、ビッグ・モーターのような経営者が知事や市長という公職に就くことではないのか。

昨今の公職者のパワハラ・セクハラの事件をみると、姿見を持たせる兵庫県、記者会見を密室にする東京都、そこに野心のある人間による公共の私物化が見えてくる。実は、その予兆は、安倍政権のモリ・カケ・サクラから感じられたが、…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公共部門の民営化

2024-07-29 09:45:26 | つぶやき

2000年以降、たぶん小泉政権以降、確実な足取りで公共部門の民営化が進んだ。

およそ20年後、コロナ・パンデミックにより、特に行政部門を「改革」と称して、市民の命に関わる保健所等の集約化・合理化を徹底した維新の大阪に、公共医療の崩壊による患者被害として明確な数字となって現れた筈である。

ところが、政府も、当の大阪府・市民も、一般の人々も、喉元過ぎれば何とやらで、行政と政治の失敗を全く振り返らない。

巴里オリンピックを見ながら、はたしてコロナ禍で行った東京オリンピックは本来やるべきだったのだろうか。また、同じ轍を踏むのだろうか、大阪万博で、…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森功『官邸官僚』から (その2)

2024-07-26 19:32:09 | 

モリ・カケ・サクラによって、本来黒衣である官僚の名前が広まったこと、時に政治家であるスガが官僚のようにアベの腹心となって仕えたことが異様でもあり、「官邸官僚」の存在を世間に広めたのではないか。

かれこれ10数年前に、官房長官記者会見で、あのような権力者へのおもねりの記者のおぞましさをネットの画面で見たことが大きな驚きでした。あれからの流れで、今もほぼ同様な会見が政治の随所で行われ、東京都庁でも同じようなことが行われています。

ネットのジャーナリスト(尾形氏や佐藤氏)は若い記者たちの批判力の無さや、能力の無さを問題化していますが、記者個人の能力の問題もあるのでしょうが、それよりも企業としてのメディアの在り方が変わったのではないでしょうか。

いまだに、兵庫県では、「パワハラ、おねだり知事」として報道しているようですが、傍目から見て原因はもっと深く、それを掘り下げたくない地元企業の神戸新聞や大手企業のメディアの姿勢こそ問題にすべきです。

また、鹿児島県警の告発者も地元のメディアを信用せず、遥か離れた北海道のジャーナリストに告発文を送りました。このように報道機関の劣化に問題の本質があるのではないだろうか。

「官邸官僚」は、自民党と財界がマスコミ媒体を公共報道機関からメディア私企業に変質させ、マスコミ操縦を可能にさせ、アベ・スガ・キシダ政権によって試行的に作られた日本型の「閣議決定政治」の道具又は構成物だと、ワタシは考えています。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇妙な符合

2024-07-26 11:03:52 | 時事

関西で、大阪の隣の兵庫で黒い目の男が公人としての責任を取らない。人の死を感じないほどの強い自己があるのだろうか。

そう言えば、西日本の小さな市でも、議会中に病気で寝た議員を「恥を知れ!」と罵った黒い目の公人がいたとか。少し前の都知事選でこのヒトは全国的に有名になったが。

世間が、遠回しに、おずおずと公人としての取るべき道を示唆しても、オウムのように詭弁の答弁を繰り返し、居直ってその場に平然と立って居る。

このヒトは、「みっともない」というのが、外形でみすぼらしくなければ良いと考えているのだろう。兵庫県民は大変だろうが、全国への警鐘として、この圀の選挙民の意識を変えるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする