東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町~宇佐木~般若寺~大野長谷などの散策

2012年12月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回は、平生町のMaxValuをスタートして、旧旧国道188号線(旧188号線の前の188号線)をたどり、巨大なため池(天池)脇を通り、宇佐木から旧道を登り般若寺に上りました。そして、森の道に入り、平生荻原や大野長谷を通ってスタート地点に戻りました。先日通ったほぼ逆のコースです。しかし、なるべく同じ道を通らないように、なるべく古い道を、なるべく森の中を通る道を選んでみました。このため、どこを通ればよいか迷う道や不安になる道が多々ありました。

     大内川に沿う旧旧188号線              巨大なため池(あま池)

 

 最初、大内川を上流に向かって行きました。大きなため池(天池)で小休止した後、宇佐木近くを通って般若寺への道を進みました。しばらく行って山田地区に着きました。山田公会堂近くにある道路改修記念碑を見ると、昭和4年に今の般若寺に通じる道が出来たようです。今回は、道路改修前の細い昔道を通りました。

      般若寺への道標(宇佐木松尾)     昭和4年以前の古道(宇佐木山田)
 

 宇佐木の山田から古道などをどんどん登っていくと、般若寺に着きました。般若寺は10月にも来ました。今回は、単に道を調べるためだけ来ました。天気もあまり良くないため、小休止後折り返すように道を戻りました。ところで、般若寺周辺にはたくさんの新しいお地蔵様があります。しかも、十四,十五丁~などと番号がふってあります。昔はこのようなお地蔵様は無かったので、最近安置したのかも知れません。そして、これらのお地蔵様を巡礼するコースがあるようです。

            今回は小休止しただけの般若寺、周辺にたくさんのお地蔵様


 元来た道を宇佐木に向けて下りました。すると、般若寺直下に道路改修記念碑が立っていました。碑を見ると昭和10年に道が改修されたようです。暗い竹藪の向こうに延々と下り坂が続いていました。どこかに抜けているのか分かりません。獣道化していることがよくありますので、今回は用心して通りませんでした。そこで、宇佐木山田への下り道の途中から平生萩原に向かう細道に入りました。

  般若寺直下の道路改修碑(昭和10年)                 右の平生萩原への分かれ道
 

 般若寺~宇佐木山田のルートから分かれて、さびしい竹藪の道を延々と通りました。舗装はしてあるのですが、竹藪や樹木がトンネルのように道を覆っていました。しかし、軽自動車2台とすれ違いましたので少しは使われている道のようです。視界のない道をしばらくすると、左上の般若寺方面の山がひらけてきました。そして、畑で野焼きをする煙が上がっているのが見えました。人家が見えてきたのでほっとしました。

             平生萩原近く、見上げると畑に野焼きの煙がたちこめる


 ところで、般若寺から野焼きをしていた平生萩原まで大回りをしました。そこで、昔の航空写真を調査してもっと近道がないか調べてみました。すると、般若寺直下にあった道路改修記念碑が、般若寺と平生萩原を結ぶ近道でした。道路改修記念碑の暗い竹藪の道を降りれば平生萩原に降りれるようです。次回この道路改修記念碑の道を降りてみようと思います。

                昭和49年の平生荻原地区の航空写真
       赤矢印方向が上の野焼き写真、丸は道路改修記念碑(昭和10年)の場所


 平生萩原からは、まわりの風情を楽しみながら歩ける良い道が続きます。途中人家が絶える道を歩きますが、歩きやすい道が延々と続きます。所々で、赤子山,大野,宇佐木方面を見下ろせました。舗装はしてあるのですが、落ち葉で道が埋まっていました。車のワダチを見て舗装してあることが分かります。

   所々で、赤子山や石城山を遠望            落ち葉の上の車のワダチ
 

 宇佐木から大野北に入ると、道から下に人家が見えてきました。面白いことに、平生萩原付近では道の山側に人家が点在します。ところが、大野北の大野萩原や長谷後に来ると、だんだん人家が道の下に見えてきます。長谷後近くに来ると、下にとても古い人家が点在していました。よく見ると、小さな子供が見えました。もしかして「おうちえん」ではないでしょうか。私のウォーキング友達のお孫さんが「おうちえん」に通っているとの話を思い出しました。

              山道から下を見下ろすと「おうちえん」と思われる古民家


 長谷後からは、どんどん下りる道を選びました。午後だいぶ過ぎていましたので、西日がだいぶ陰っていました。このため、一部の道はすでに日陰に覆われていて寒い風が吹いていました。長谷前近くを降り切った場所に、3体のお地蔵様が立っていました。この付近は古来、山向こうの柳井市伊保庄との往来が激しかったルートです。このお地蔵さまは峠を往来する人々を、見守ってきたのではないかと思います。私の母親もこのルートを通って、嫁ぎ先の田布施町麻郷と実家の柳井市伊保庄山近を往復したようです。

   日が陰って暗くなった道            往来する人々を見守る3体のお地蔵様
 

 お地蔵様に分かれをつげて道を進むと、大野の浄円寺に着きました。すぐ近くに大野郵便局もあります。平生町と合併する前は、この付近が大野村の中心地ではなかったかと思います。浄円寺からは平野部を抜けてJAを通り、スタートしたMaxValuに着きました。次回は、少し道を修正し距離と時間を正確に測定しようと思います。

          大野の平野部から、般若寺,平生萩原,大野長谷方面を振り返って


 今回もGPS装置を持参しました。家に帰ってから自分がどのように歩いたか、地図上に表示してみました。すると、やはり無駄に道を行ったり戻ったりしていることが分かりました。特に、般若寺から平生萩原へ行く道、そして大野荻原から大野浄円寺へ行く道です。次回行く時は、迷わずに歩いてみようと思います。

       地図上にGPSをプロットすると、間違えた道や無駄に歩いた行跡が分かる

コメント
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