東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

懐かしの大阪難波・日本橋を散策するも (2/3)

2019年03月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 懐かしい千日前道具屋筋商店街を出ると、目的地である大阪日本橋に向かいました。5分位歩くとその場所はありました。日本橋筋に入りましたが、私の思い出にある日本橋はどこにもありませんでした。私が勤めていたのは上新電機の本店だったのですが、そもそもどこにも電気店がありません。電気店はいったいどこに行ったのでしょう。その変貌に立ち尽くすばかりです。

        電気店街だった日本橋筋、電気店はいったいどこに


 日本橋に入る場所にシートで覆われた建物がありました。私の記憶では高島屋別館ではないかと思います。私が日本橋に勤めていた頃、すでにデパートとしても役割を終えて展示場になっていました。当時一度だけ入ったことがありますが、壁・天井・窓・手すりなどがヨーロッパスタイルのとても素敵な建物だったように思います。この建物は近いうちに建て替わるのでしょうか。

 建て替え?高島屋別館?  唯一発見した電気店    多かったパソコン店
  

 大学を卒業したばかりの私は、一時期大阪日本橋に勤務しました。初めての営業や接客経験にとても苦しみました。関西の大手販売会社だった上新電機のしかも本店勤務になった私はストレスの毎日でした。私はH社のテレビを専門に店頭販売していました。他社のテレビを買いに来たお客様を、H社のテレビを買ってもらうよう勧めることが私の仕事でした。粗利の良いH社のテレビを大量に仕入れて売り切ることがお店の戦略だったのです。
 
ある時、S社のテレビを買いに来たお客様がいました。私のお勧めにもかかわらず、結局そのお客様はS社のテレビを買って帰りました。その時、たまたま私の仕事ぶりを調査しに来た上司がいたのです。あとで、しこたま怒られました。なぜS社からH社に切り替えできなかったのかと。今思い出してもつらい日々でした。

  電気街はさながらパソコン店街     フィギュアを売るたくさんの
 

 つらい大阪日本橋時代でしたが、ある時電子レンジの料理実演のアルバイトに来た短大生と仲良くなりました。お昼ごはんを一緒に食べていると、つらい日々が癒される気がしました。その娘さん、授業との関係で二ヶ月位でいなくなりました。お店では、販売以外にも運搬を手伝うことがありました。ある時、密航者が住んでいる屋根裏に運んだことがあります。もちろん他言厳禁です。・・・・などいろんな事がありました。
 とにかく、とても濃い大阪日本橋時代でした。言い換えれば、無知な青二才の私を育ててくれたのが大阪日本橋なのです。

  昼食をとった界隈    珍しいレコード売り場   パソコンソフト販売店
  


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 柳井市 大平山の下見ウォーキ... | トップ | 田川邸の「猫のお宿の雛祭り... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史探訪他ウォーキング」カテゴリの最新記事